瞳の秘密
お母さん
僕のこと…好きですか?
「…大好きよ」
お母さんは、僕を抱きしめてくれた。
「ぼ…くも」
お母さんの潤んだ瞳には、僕の姿と優しい光が映っている。
久しぶりにお母さんの声を聞いた。
温もりを感じた…
あの頃に戻れたような…
僕たちは、きっと大丈夫だろう…
そう思えた瞬間だった。
………………………………………………………………
「賢斗、ごめん。お母さん…顔を洗ってくるね。」
僕から離れようとする体に、離れまいと指先で抵抗する…
「い…や…」
…行かないで。
「すぐに戻るから…」
左手の指先をゆっくりと僕から離すと、名残惜しそうに立ち上がって、小走りに部屋を出て行ってしまった。
…不安が止まらない。
お母さんと…気持ちは通じ合えたと思う。
そこは、もう大丈夫って思える。
でも…目が覚めてから、お母さんがずっとそばに居てくれて、こんなに幸せなことはないのに…ずっと望んでいたことなのに…
僕は、とても不安なんだ。
少しずつ、冷静に現実が戻ってきていて、不安なんだ。
僕は、どうなってしまうんだろう…
この体は…どうなっているんだろう…
これから先の不安が…とても怖い。
そして…気になることがある。
僕の目がおかしいのか…
この部屋に、人がいるのは何故なんだろう…
壁際に、僕に背を向けて静かに佇む人々。
5、6人だろうか…みんな、寝間着のような白い服を着ている。
1人…僕に気がついて振り向いた…
「うっ…」
まるで、蝋人形のような生気のない表情…
人ではないと、すぐに分かった。
…近づいてくる。
1人、2人とベッドに近づいて来ては、僕の顔を覗き込むなり、手や足を触ってきた。
『キイ…テ…』
…え?
『キイテ」』
聞いて?
不思議だけど、なぜか怖いとは思わない。
何を聞いて欲しいんだろう。
「どう…した…の?」
パシッ!
パンッ…パンッ……パシッ………
キ───────────────ンッ
「…ぅあぁ…」
耳鳴り?頭が…
『キイテキイテキイテキイテキイテ…』
「あぁぁ…」
『キイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテキイテ…』
助けて…助けて!!
『キイテキイテキイ…───────ッ』
──────フワッ────────
風?
声が止んだ?
『何でも聞こうとしては、駄目だ!』
「あ…」
聞き覚えのある滑らかな声。
心臓を突き刺すような、鋭い眼…
『とにかく、もう一度言う。何でも聞こうとしては駄目だ!』
刀を鞘に戻しながら、見覚えのある鋭い眼で僕を見つめている。
さっきまで沢山居た人たちも、どこかへ行ってしまった。
助けてくれたんだ…
「ごめんなさい。」
…? あれ?ちゃんと声が出る。
『有無…私が近くに居れば、安易に近づくモノはいないだろう…が、人ならざるものに油断をしてはならない。良いな? 』
「はい。」
なんだろう…頭が段々冴えてきた感じがして、声も出る。この人がそばに居るから?
「あの…僕に何かしました?」
『…気にすることはない。契約を交わした以上、君を護る義務がある。そして、早く彼女に会うためにも、必要な事をしたまでだ。 』
「彼女?」
『忘れたのか…自分の姿を見たら思い出すだろうが… 』
…………………………………………………………………
確認しなきゃ!
先生に、賢斗の……
「先生!」
「あ、斎藤さん。賢斗君…意識が戻って良かったですね。」
「あの…確認したいことが…」
後遺症…
「ええ…そうですね。先程、確認しておりますが、改めて検査が必要です。一旦、部屋に戻られて待機して頂けますか?」
「はい……」
賢斗の意識が戻って良かったけど、同じくらいに不安が募る。
「あの…先生…」
現実を目の当たりにした時に…
「賢斗は、あの子はこれから先、どうやって………」
まだ10歳なのに、こんなにも辛くて…
「生きて…行けるんでしょう…か?」
先生の曇った表情から、言いたいことが伝わってくる。
── 母親失格。
「すみません。…部屋に戻ります。」
原因を作ったのは…私。
私が…何とかしないといけない…
私の罪は……重い。
重罪なのだから………
「賢斗君は、強いですよ。」
「……え?」
まるで、心を読まれたような…
真っ直ぐ…心に突き刺さる視線……
「賢斗君は…あの状況で戻って来られたのは、本当に奇跡です。……本来なら即死でした。」
あ……
「例え、様々な後遺症があるにせよ、奇跡を起こせた人は、生きる使命があると思います。」
使命…………
「生きなければいけない、何かがあるのかもしれませんね…賢斗君を信じましょう。」
そうだ…私が弱気でどうするの?
賢斗は、戻ってきてくれたのよ?
これからのことは、一緒に考えればいい。
一緒に、未来を築けばいいじゃない。
恐れることはない。
賢斗を信じよう…
信じよう。
「はい。…先生、ありがとうございます!」
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彼女?
自分の姿を見たら思い出す?
鏡は…洗面台が隅にあるみたいだ。
「……せぇーの!いたた……全然ダメだ。」
何とかして起き上がろうとしたけど、少ししか上がらなかった。
もう1回…
「あっ……」
「賢斗?」
中途半端に起き上がろうとしているところを見られるって、すごく恥ずかしい…
「お母さん、あの…鏡、持ってないかな?」
「鏡?…あるけど、どうするの?」
「顔を見たいんだけど…」
「え?」
どうしたんだろう…ものすごく驚いた顔をして、看護師に相談している。
僕…そんなに酷い顔をしているのかな?
「お母さん、僕は大丈夫だよ。ただ…確認したいんだ。」
「賢斗?あなた、言葉が…」
「うん。ちゃんと、みんなの顔が分かるし、何を言っているか理解できて、話せる。どうしてこうなってしまったのか…それも分かっているよ。」
僕から視線を逸らした。
きっとお母さんも、辛かったんだろう…
「分かったわ…賢斗がそこまで言うのなら…」
「あっ…·待って下さい!まず、担当の先生に確認を取らないと!呼んできますので、お待ち下さい。」
ダメだったのか…
看護師さん、困った顔してたな…
自分の顔を見るのに、確認が必要だなんて…
そんなに大事になるとは思わなかった。
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「賢斗君、お待たせしました。担当医の池上です。具合はどうですか?」
「あちこち、痛いです。」
「…でしょうね。少し、様子を見させて下さいね。」
先生の指示に従って、眼球を上下左右に動かしたり、見えているのか簡単な視力検査が終わって、やっと、鏡を見ることを許された。
「賢斗君、もしも気分が悪くなったら教えて下さい。」
医者、看護師、お母さんから緊張が伝わる。
待って…そんなに酷い状態なの?
どうしよう…緊張してきた。
深呼吸……深呼吸……
「はい。」
上体を起こしてもらうと、手鏡を持ったお母さんが、じわり…じわりと近づいてくる。
僕は、目を閉じた。
「賢斗、ゆっくりでいいからね。」
お母さんの言う通りに、ゆっくりと目を開けて、少しずつ鏡へと視線を上げる。
目が合った!…と同時に口が半開きに…
誰?!
僕?
目を閉じたり開いたりを繰り返してみたり、眼球を上下左右に動かしたりしてみる。
鏡の中の人も同じことをしている!
僕だ…
「賢斗…大丈夫?」
お母さんの手が震えて、手鏡をベッドに落とした。
何とも言えない沈黙…
1分なのか、2分なのか…分からないけど、それくらいした頃、僕は沈黙を破った。
「オレンジ色…」
包帯でぐるぐる巻きの…ミイラ男みたいな様相に、瞳の色だけが異様を放っている。
「僕の目が…オレンジ色?」