Ⅴ/全員集合
どうなるカニ鍋。
音無リカコは退屈していた。ここは骨董品店の二階である。部屋の主である秋雨ツミカは本を読んでいるし、暇潰しになるものはこの部屋にはなさそうだった。骨董品に占拠された一階とは違い、この部屋はよく片付けられていた。
「ねえ秋雨、ちょっと下に行ってきていいかな」
「んん? いいけど」
音無リカコは骨董品を物色して暇を潰すことにした。
何度見ても物で溢れかえっている。まず目につくのは壁際の棚の上に並べられた時計群だ。古いタイプの置き時計だろうか。幾つか止まっているものもあるが、ほとんどの時計が正確な時を刻んでいた。時刻はちょうど十八時。そろそろ皆が来てもいい時間だ、音無リカコがそう思った時、入り口の扉が勢い良く開かれた。
「お邪魔しまーす」
現れたのは加藤マサヒロ、熊田カツヨシ、そして音無サトコの三人。扉の開く音を聞いてか、秋雨ツミカも一階へ降りてきた。
「おやおや、一気に三人も来るなんて。マサヒロくんに熊田くん、それからサトコちゃんか。もしかしてその手に持っているのは…………」
秋雨ツミカの視線の先にあるのは、そう、例の蟹である。そして加藤マサヒロは獲物の蟹を掲げ、得意げに言った。
「そう、天然の蟹だ!」
「随分大きいね……」
秋雨ツミカはただただ驚いていた。彼女は博識な方ではあるのだが、その獲物の大きさからして規格外であり、当然彼女にとってそれは未知の生命体だったのである。
「そりゃあもう大変な戦いだったぜ。なあ熊田?」
「あー、もうその話はいいって。要は捕まえた蟹を頭突きでしめたって話だろ」
「むむむ、冷たいやつめ。あ、そうだ。そろそろ皆も来る頃だろうし、作り始めようか」
「確かにそうだな。秋雨さん、台所はどこです?」
「それならあっち……なんだけどさ。ほら、ここってお店向けにかなり改装してあるの。だから狭いのよ」
「うん、確かに狭いな」
と、加藤マサヒロ。それに同調して音無サトコも
「せまーい」
とつぶやくのであった。
「そういうわけだから調理は私たちでやるわ。ね、音無?」
「え? 私も?」
驚く音無リカコをよそに、秋雨ツミカは台所へと向かった。
「あー、もしかしてコーヒー代ってこと? なんて回りくどい」
音無リカコはそうぼやきながらも台所へ向かうのであった。
さて、この場に残されたのは加藤マサヒロ、熊田カツヨシ、そして音無サトコの三人である。ちょうど彼らが来るまで在室していた二人と入れ替わるような形になった。
「ふーむ、暇になってしまったな。熊田よ、他のやつはまだ来ないのか」
「今のところ『Gain』に連絡はない。もし遅れそうなら連絡してくれと言っておいたから、この様子だと時間通りに来るんじゃないか」
「そうかそうか。待て、ということはお前、参加者全員の連絡先を……?」
「知っているとも。連絡にはこれが楽だろう?」
「それもそうか」
二人が話している最中、音無サトコは骨董品を物色していた。
「んぅ? なんじゃろこれー」
彼女の視線の先には一つのペンダント。鳥かごのような金属細工が透明な球体を覆っていた。
「ガラス玉かな……?」
彼女はその球体をじっと覗き込む。そしてそのペンダントを慎重に持ち上げ、いろいろな角度から眺めていた。
「あっ……」
彼女はその球体の中に一瞬、キラりと青色の輝きを見た。決まった向きからでないと見えないのだろうか。彼女はもう一度その輝きを見ようとしたが、どれだけ試してもその輝きが現れることはなかった。
「うーん? 見間違いなのかな……」
そうこうしているうちに、店の扉が開く。現れたのは二人の少女。一人は小城カズハ。長い髪が特徴で、片目が髪に隠れている。もう一人は冴木セレナ。彼女たちは加藤マサヒロ、そして熊田カツヨシのクラスメートである。
「よう、小城。それから冴木も」
「なんかすごいわね、この店。思ってたより物がたくさんあるわ」
店の様子に驚く小城カズハ。一方、冴木セレナは別のものに驚いていた。
「え、これもしかしてもう絶版になってるやつ? うわ、こっちもそうだ。す、すごい」
彼女が見ているのは古書のコーナーだ。この店の品物は、古ければ何でもありなのだ。
「で、マサヒロくん、鍋は結局どうなってるの?」
小城カズハが尋ねる。
「それは後でのお楽しみというやつだ。今あっちで音無先生と秋雨さんが作ってる」
「なるほどねぇ。それで、蟹は?」
「ふふふ、この俺が捕獲してきたぜ」
「それ、本当に蟹なんでしょうね……」
「もちろんだとも」
加藤マサヒロは一人うなずきながらそう答えた。
一方、台所では音無リカコと秋雨ツミカが蟹と格闘していた。
「ねえ秋雨、これって本当に蟹なの?」
音無リカコは蟹を凝視しながら尋ねた。
「ちょっと待って、今調べてるところ……」
どこから持ってきたのか、甲殻類図鑑のページを繰りながら秋雨ツミカが答える。
「あったあった。やっぱりこれモクズガニだわ。ちょっと大きいけど」
音無リカコが横から図鑑を覗きこむ。
「どれどれ……って体長が倍近くあるじゃない」
「でも形状は完全に一致してるし。たぶん食べられるわよ。というわけで……とーう!」
秋雨ツミカの手により、蟹は煮えたぎる湯をたたえた鍋の中へ放り込まれた。
「あとは野菜入れて、適当に味付けすればオッケーね」
「あんたって意外と思い切りがいいわよね……」
鍋から目を背けつつ音無リカコはそう呟いた。
「え、そう? あ、それはそれとして、野菜とってちょうだい」
「はいはい」
「そういえば味付けってどうするの?」
「それなら鍋の素を買ってあるわ」
「わあーお手軽ー」
そんな台所の様子を覗く影が一つ。
(ここが例の鍋パーティーの会場ね……)
彼女は三日月キヌヨ。加藤マサヒロをそそのかした張本人である。
(まさか本当に蟹を捕まえてくるとは思わなかったわ……本当に居たのね、蟹)
三日月キヌヨは店の表へ回り込み聞き耳を立てた。聞こえてくるのは賑やかな若い声。
(なんというか賑やかね。マサヒロくん、全部で何人呼んだのかしら。この雰囲気の中に入っていくのはちょっと無粋かな)
彼女が引き返そうとしたとき、入り口のドアが開いた。現れたのは加藤マサヒロである。
「あれ、三日月さん」
「こ、こんばんは、マサヒロくん。えーっと、蟹は捕まえられた?」
「ふふふ、もちろん。さ、こっちですよこっち」
三日月はマサヒロに導かれるまま、店内に入ることになった。
その後、三十分足らずで鍋は完成し全員に振る舞われた。
「実に旨い……命がけで獲ってきたかいがあったぜ」
と、マサヒロは満足した様子だ。実は鍋の味には俺も満足していて、あの不気味な蟹が入っているとは思えないくらいである。そういえばこんなに大人数で鍋を囲むなんて、たぶん今まで一度もなかった気がする。群れるのはそこまで好きじゃないが、たまにはこういうのも悪くないな。さっちゃんも楽しそうにしてるし。
「おーい熊田、何か考え事か? もう無くなっちゃうぞ」
と、マサヒロに話しかけられた。
「うん? ああ、そうだな。だが俺は結構食べたしな」
適当に返事をする。そういえば三日月さんも来ているとは思わなかった。マサヒロと同じマンションに住んでいることは知っていたが、逆に言えばそれくらいしか知らないわけで。どんな人なのかは今ひとつ分からない。気まぐれで話しかけることにした。
「あの、三日月さん、でしたっけ。あなたもマサヒロに誘われて?」
彼女はやや驚いた様子でこちらを見た。
「ええ。あなたはマサヒロくんの友達よね。まさか本当に蟹を捕まえるとは思わなかったわ」
「本当にその通りで……まったくどっから蟹の話を聞いたんだか」
そもそもどこが出どころの噂なんだろうな。都市伝説や怪談にしては物語性が無いし。
「そ、そうね、本当に。あはは」
妙にウケた。この人もなんか変わってるな。やはりマサヒロの周りは変人だらけだ。
視線を移すと、冴木と小城はさっちゃんと何か話しているようだ。実に和やかな光景である。やはり厄介事やトラブルには巻き込まれないに限る。こういう平和なイベントは大歓迎だが、普段マサヒロが持ってくるようなのは勘弁してほしい。実際のところ、厄介事だと気づく頃にはすでに巻き込まれているのだが。今までの事件を帳消しにするほどじゃないが、今日は楽しかったので良しとしよう。
サトコちゃんが言うにはこの店の商品で気になるものがあるらしい。カニ鍋を食べ終わった私たち――音無サトコ、冴木セレナ、そして私こと小城カズハ――は後片付けを終えたあとも店に残っていた。それからサトコちゃんの保護者である音無先生と店主の秋雨さんも。一階の骨董品の中に、あるペンダントがあった。透明な球体(ガラスだろうか?)を繊細な金属細工が覆っている。まるで鳥籠のように。確かに綺麗ではあるのだが、ちょっと地味な感じがする。
「気になってるのって、これのこと?」
それらしいものを発見し、一応確認。
「そう、それなんだけど……私が見ていたときに光った気がするの」
「え、そうなの?」
さっきからいろいろな角度で見ているが、そんな様子はない。光を放つ機構も見当たらない。冴木さんに意見を求めようかと思ったが彼女は古書に没頭しているようなのでやめておいた。やっぱり何回見ても光ったりするようには見えないなぁ。
「それ、そんなに気になるの?」
いつの間にか秋雨さんがこちらを覗き込んでいた。
「これっていくらするんですか?」
「ああ、そのペンダントなら……ええっと、たしか一万円くらいだったかな」
なんとも微妙な答え。だがその金額は高校生である私には高い。
「う、高い」
「買うつもりなの?」
「サトコちゃんが気になってるみたいで」
「へぇ。これが欲しいの?」
秋雨さんはサトコちゃんに訪ねた。
「うーん、よくわからない。でも何となく、ずっと見ていたいような感じがする」
「どうやら魅入られたみたいね」
「魅入られた?」
思わず会話に割り込んでしまう。
「ふふ、ただの例えよ。それはきっと欲しいってことなんだと思う。というわけで、はい。プレゼントよ」
秋雨さんはそう言うと、例のペンダントをサトコちゃんの首にかけた。すごく大人な感じだ。私も今みたいに、誰かに何かを与える日が来るのだろうか。なんとなく冴木さんの方を見ると、彼女もちょうどこちらを見ていた。よし、そろそろ帰るとしよう。