Ⅲ/マサヒロVS.蟹
蟹を求めて冬の川に向かったマサヒロ。果たして本当に蟹はいるのか。
寒い。ただひたすらに寒い。体が凍えそうだ。俺が冬の凍える川にダイブしたのは天然モノの蟹を捕まえるためである。これまで何度か窮地を乗り越えてきた俺だが、この寒さに耐えられるのも長くてあと五分が限度だ。常識的に考えれば、目的の蟹がそんなに早く見つかるはずはないのだ。だが、幸運は俺に味方した。
防水仕様の懐中電灯の青白い光が照らすその先に、奴は現れた。胴体の大きさは十センチメートルくらいだろう。だが奴のハサミは胴体の大きさに対してあまりに巨大だった。あんなに巨大なハサミを持つ蟹は見たことがない。驚くべきことに、奴は水中で飛び上がりそのまま川の流れに乗って飛びかかってきた。
(げげ、これはちょっとヤバイぞ!)
奴はハサミを俺の顔面、いや、俺の目を狙って突き出した。迫りくるハサミ。時間の流れが遅くなったような感覚。
俺はとっさに、ある魔術を思い出した。その名は【石頭】。頭部限定で(たぶん)無敵のバリアを張るという、すごく地味な魔術だ。変な本を拾ったことがきっかけで覚えた、俺が唯一使える非常識な力だ。まさかこれが役に立つなんて、まったく人生ってやつは……。ハサミがバリアに弾かれる。そして俺は無傷。このバリアは長くは続かない。早く片付けなければ。
(いいぜ、先に仕掛けてきたのはそっちだ。手加減無しで行くぜぇ!)
俺の目の前には奴のハサミ。さっきと逆側のハサミだ。奴は早くも二発目の攻撃を繰り出していた。俺はそのハサミを右手でつかんだ。そしてもう片方のハサミを左手でつかむ。もちろん指を挟まれないように注意しつつ。さあ、これで奴は抵抗できまい。
(くらえ!)
俺は両手を勢い良く引き、そのまま奴に頭突きを食らわせた。何か「ベキッ」って音が聞こえた気がした。奴はもう動かない。……勝った。
俺は急いで陸に上がった。改めて獲物を確認する。
「うん、ちょっとハサミがデカイ気がするが、紛れもなく蟹だな。可食部位も結構ありそうだし、楽しみ楽しみ。あー、それにしても寒いな。急いで着替えよう」
熊田カツヨシはひたすらに驚いていた。あるいは呆れていたのかもしれない。
「マサヒロ、お前それ……」
「ふっ、本物だぜ。紛れもなく天然の蟹だ!」
「わー、でかいー」
音無サトコは初めて見るかもしれない天然の蟹にはしゃいでいる。
「なんかハサミが異様にデカイぞ。あとなんか胴体の殻が砕けてないか?」
「いいか、それはだな………」
加藤マサヒロは驚く二人に蟹討伐の武勇伝を語って聞かせた。
「とまあ、そういうわけだ。いやー、まさかあんなに強いとはな」
「お前の話が本当だとすると、随分頭がいいんだなこの蟹は」
「その頭も俺の頭突きでこの通りだぜ」
「にしてもあの地味な魔術とやらが役に立つとはねぇ」
熊田は心底呆れた様子で、やれやれ、と笑う。
「魔術ってなぁに?」
音無サトコが尋ねる。
「さっちゃんにはまだ早い。なんてな。マサヒロが変な本を拾った結果、何人かが変な能力を身に着けたっていうだけの話さ。まあどれもこれも大したことない地味な力だったがな」
「ふーん。例えばどんなの?」
「頭だけバリア貼ったり、説明書出したり、物をちょっとだけ浮かせたり、物を瞬間的に加速させたり」
「なんだ、爆発とかはしないんだー」
「だから地味なんだ。使う機会もほとんど無いしな。たとえ忘れても困らないようなのばっかりだ」
「熊田も使える?」
「まあな」
「おーい二人共、早く行こうぜー。せっかくの鮮度が落ちちゃうだろー」
そう言って加藤マサヒロは蟹を掲げる。
三人は待ち合わせ場所である骨董品店へ向かった。