第10話『おっさん、厄介ごとに首を突っ込む』
祐輔から着信があったのは、いつものガレージでまったりと過ごし、そろそろ帰ろうかというときだった。
『おっさ――いや、えっと大下さん! 助けてください!!』
電話の向こうで祐輔が叫ぶ。
口調からかなり切羽詰った様子が窺える。
しかしおっさん呼ばわりからさん付けで、しかも敬語まで使ってくるとは随分頼られたものである。
厄介ごとの臭いがプンプンするものの、ここで無視するのも大人げない。
「どうした?」
『お願いします! 助けてください……!! 母さんがっ……母さんがぁっ!!』
優子の口ぶりから、彼女は遠方に住んでいて、こちらには滅多に帰ってきていない様子だった。
もしかすると祐輔ははじめての里帰りかもしれない。
となればこの町に知り合いなどいるはずもなく、頼れるのは数日前にひと言ふた言話しただけの敏樹だけ、といったとこころか。
(まさかあれがフラグになるとはなぁ)
“なにかあったらかけてこい”とはいったものの、まさか本当にかかってくるとは思ってもみなかった。
しかもなにかあったらしい。
ちらりとロロアをみると、心配そうな目でこちらを見ている。
獣人由来の優れた聴力のおかげで、おそらく会話はすべて聞こえているだろう。
「どこにいる?」
見捨てるという選択肢もある。
数十年ぶりに再会した大して親しくもない女性と、数日前に会ったばかりの少年である。
そして少年の印象も決していいものではない。
とはいえここで何もせずに見捨てるというのは後味が悪くなりそうではある。
なにがあるかはわからないが、クールタイムの終わっているいまなら〈拠点転移〉で異世界に逃げることも可能なので、とりあえずほんの少しだけ首を突っ込んでみることにした。
『わかんねぇ……いや、わからない、です……。初めて来たので……』
「目立つ建物とかあるか? もしくはこないだ会ったところからの位置関係とか」
『うぅ……えっと……大きい本屋が……あれ、本屋か、これ……?』
「……スマホだったよな?」
『うん! あ、はい……!』
「GPS起動できるか?」
『それくらいなら……』
「じゃあ位置情報をメッセージとかで送ってくれ。できるな?」
『わかっ……はい!』
音声通話終了後、ほどなくSMSで祐輔の位置情報が送られてきた。
「――近っ!! すぐそこじゃないかよ!」
**********
どうやら谷村親子はこちらでアパートを借りているようで、そこは先日近藤――有名海外ブランド日本法人取締役社長――が短期間ではあるが寝泊まりしていたところである。
それはパンテラモータースからほど近く、敏樹のガレージからも徒歩5分とかからない場所で、祐輔はそのアパートすぐ近くにある店舗の駐車場にいた。
その店は書店と名が付くものの実のところアダルトショップであり、そのせいで祐輔は説明に窮したようだった。
(店名さえ言ってくれればすぐわかったんだけどなぁ)
ほかにも道を挟んで向かいには大きい葬祭場があったり、ちょっと見回せばほど近い場所にあるパンテラモータスの目立つ看板は目に入っただろうし、ディスカウントショップやガソリンスタンド、某自動車メーカーの正規ディーラーにコンビニエンスストアと、目印になりそうなものはいくらでもあったのだが、それらが目に入らないほど祐輔は混乱しているのだろう。
まだ明るい時間で、ほとんど車の停まっていない駐車場の縁石に座っていた祐輔は、敏樹の姿を認めるや立ち上がって駆け寄ってきた。
「あ、大下さん! どもっす……」
「おう。ってかよく名前覚えてたな」
直接祐輔に名乗ってはいないが、優子が敏樹のことを「大下くん」と呼んでいたのを聞いていたようなので、それで覚えたのだろうか。
「えっと、一応スマホに登録しとこうかと思ってたら母さんが……」
そう言って祐輔が見せてきたスマートフォンには『大下ひろし』と表示されていた。
「いや、誰だよ?」
「え?」
「ひろしじゃねぇし」
まったくカスリもしない名前に敏樹は苦笑を漏らす。
「いや、でも母さんが“漢字は忘れたけど『ひろし』で間違いない”って」
「あはは……」
まぁそんなもんだろうと半ば諦めながら、敏樹は祐輔に案内されて彼らの借りている部屋へと向かう。
ロロアはそんなふたりのあとに、数歩遅れて続いていた。
敏樹が女性を連れてきたことに驚いたのか、ロロアを見た祐輔は一瞬固まったが、軽く会釈だけをして彼女をあまり気しないようにしたようだった。
「で、なにがあった?」
歩きながら事情を聞いたところによると、今日突然若い男が部屋を訪ねてきたのだが、優子はその男と直接面識はなかったようだった。
しかしすこし言葉をかわしたところで徐々に空気が悪くなり、口論になりかけたところで祐輔は部屋を出された。
ただ、このように突然男が訪ねてきて追い出されるということは過去にも何度かあったらしく、いつものことかと呆れて部屋を出ようとしたのだが……。
――ごめんね、これで最後にするから。
部屋を出る直前、耳元でそう囁かれた祐輔が驚いて振り返ると、そこにはここ数年見たことがないような穏やかな笑みを浮かべた母親が自分を見ていた。
驚き、戸惑いながらも母に促されて部屋を出た祐輔だったが、部屋を出て時間がたつにつれ、なんだか怖くなってきたのだいう。
といって部屋に戻る勇気もなく、敏樹に助けを求めたとのことだった。
**********
アパートの駐車場を歩き、比較的奥まった場所にある棟の階段を上って2階へ。
ずらりと部屋の前を素通りし、一番奥のドアの前で祐輔は立ち止まった。
「ここ、なんだけど……」
部屋からは特に物音は聞こえてこない。
「ロロア」
「はい」
敏樹に呼ばれたロロアはふたりの間を割ってドアの前に立ち、しゃがみ込みむと耳をドアにつけて目を閉じた。
「あの、この人、なにを……?」
「しー……」
人差し指で口を押さえた敏樹から強い眼差しを受けた祐輔は、恐縮したように肩をすくめ、口を閉ざした。
「……急いだほうがいいかもしれません」
そう言うとロロアは目を開き、少しだけ申し訳無さそうな目で祐輔を見たあと、敏樹に真剣な表情を向けた。
「中にいるのはふたり。ひとりは息が荒くて、もうひとりはかなり弱々しい呼吸になっています」
「弱々しい……?」
「……はい。おそらく命の危険があるくらいの」
「――そんな!? 母さん!!」
母親の危険を感じたのか、祐輔はドアを掴んでガチャガチャと回したり引いたりしたが、鍵がかかっているのかドアは開かなかった。
焦る祐輔の肩を、敏樹がグッと掴む。
「うぐ……」
「落ち着け」
思いの外強い力で肩を掴まれた祐輔は、短く呻いて動きを止めた。
それを確認した敏樹が、静かな声で声を掛ける。
「鍵は持ってないか?」
「あっ!!」
そこで祐輔はあわてて自分の身体をまさぐり、ズボンの前ポケットからキーリングすらついていない1本の鍵を取り出した。
「こ、これで……! うぅ……くそっ……!!」
いざ鍵を開けようとした祐輔だったが、焦っているのか鍵穴に鍵がうまくささらない。
そんな祐輔の様子を見ていた敏樹が、彼の肩に優しく手を置く。
「貸して」
「ぅあ……あ、はい……」
いまにも泣きそうな顔の祐輔は、わずかに震える手にもった鍵を敏樹に預ける。
縋るような目で自分を見る少年に軽く笑いかけると、敏樹は落ち着いた様子で鍵を差し、カチリと回した。
「母さんっ!!」
敏樹が軽くドアを開けると、その隙間に手を突っ込んで強引にこじ開け、ドアに半ば身体をこすりながら室内滑り込んだ祐輔が、悲痛とも言える声で母を呼ぶ。
「母さん、だいじょ――え……?」
祐輔に続いて部屋に部屋に入った敏樹とロロアが見たのは、血溜まりの中に倒れるスウェット姿の男と、血まみれの包丁を手に膝をつき、虚ろな目で男を見下ろす優子の姿だった。