七話
「……さい、……君。起きてください、望月君!」
「んっ……」
いつもとは違い、優しい起こし方に颯太は微かな違和感を覚えながら、ゆっくりと目を開ける。
本来なら、結衣が頬を膨らまして颯太を睨んで立っているであろうベッドの脇に颯太は視線を向けるが、そこには結衣ではなく風音詩織が制服を着て立っていた。
颯太が起きたことに気付いたのか、言葉による追撃を止めながら柔らかな笑みを浮かべ、風音が颯太に声をかける。
「やっと起きたんですね、颯太君」
同級生の女子、それも美少女に起こされるという思春期たる颯太くらいの年頃の男子ならば誰もが夢見るこの状況。
風音の笑みが、寝起きで完全には回らない頭を必死に回転させる颯太の思考を一瞬とめる。
一泊置いて、颯太はある結論に辿り着いた。
「あー、夢か……」
夢ならばもう一度寝ても問題はない。
颯太はそう考えながら再び目を閉じ、体をベッドに委ねる。
慈悲深き神に感謝の言葉を思い浮かべながら……。
「――っ!」
殺気を感じ、瞬時にベッドから飛び上がる颯太。
その勢いのままにベッドから部屋の床に立つと、殺気の主を見る。
「ふふふ、殺気を感じることも出来るみたいですね……」
「こええよ、その笑み!」
もう少し反応が遅かったらどうなっていたのだろうかと、竹刀でぺちゃんこにされている枕を見ながら颯太は冷や汗をかく。
ある意味、結衣よりも悪質なのではないかと戦々恐々としながら、颯太は風音を睨んだ。
だが、そんな颯太の感情など無視しながら、風音は涼しい顔でこう言い放つ。
「大丈夫です。避けれないと判断したら寸前で止めるつもりでしたので」
そういう問題ではないだろと、颯太は内心悪態を吐くのだが、そうしたところで意味はないと判断し、話を進める。
「それで? どうしてお前が俺の部屋にいるんだよ」
昨日までは風音さんと呼んでいた颯太だが、そんな気も削がれ、お前と呼ぶ。
勿論、風音はそのことを少しも気にも留めず、颯太の問いに答える。
「お迎えに来たんです」
「お迎え?」
「はい、あなたに興味が湧いたので」
風音の言葉に、颯太ははっとしながら右手をポンッと左手の平につくと、真剣な表情で言い放つ。
「それは、愛の告白と受け取っても……いいのか?」
「違います」
「うん、知ってた」
そんなにすぐに落ちるわけないか、どこぞのチョロインでもないのに。
現実とアニメの世界の不条理さに嘆きながら、颯太は軽くへこんだ。
「あ、詩織。お兄ちゃんを起こしといてくれてありがとう」
「いえ……」
すると、部屋のドアが開けられ、結衣が室内に入って来た。
今の風音と結衣の一連のやり取りに、颯太は違和感を覚え、結衣に声をかける。
「んっ、詩織? お前たち、仲がいいのか」
結衣が風音の事を下の名前で呼んだことに対する疑問に、結衣は表情一つ変えずに颯太に応える。
「そうだよ。よく家に呼んで一緒にご飯を食べたりしてたもん」
「へぇー」
竹刀によってへこんでしまった枕をポンポンと叩いて元に戻しながら、颯太は気の抜けた返事をする。
「それにしても、朝から疲れるんだけど」
昨日は夜遅くまで勉強をしていた颯太は、そんな愚痴を零しながら結衣たちの方へ向き直る。
……が、すでに彼女たちの姿はなく、颯太は一人、部屋の中で肩を落とした。
いつも通り制服に着替えた颯太は、朝食をとるためダイニングへと向かった。
とは言え、食卓に同級生の女子が含まれている時点で、すでにいつも通りとは逸脱しているのだが。
今日は風音がいるのも起因して、時間に余裕をもって登校した。
いつもとは登校時間も違うことも関係して、美咲や和也には会わずに通学路を行く。
風音と結衣、二人の美少女と一緒に登校している颯太は、当然いい意味でも悪い意味でも目立っていた。
そして、それは教室に入ってからも同じだった。
「おはようございます!」
「おはよう……」
さも当然のように、美咲と遥が挨拶をしてくる。
いつもより早く出た颯太なのだが、美咲もまたいつもより早くに登校したらしい。
とは言え、美咲と遥も美少女。
言わずともわかるだろうが、美咲、遥、風音、結衣……校内でもそれなりに有名な四人の美少女に囲まれながら朝から談笑する颯太は男子から敵意を含んだ目で睨まれていた。
「よお、望月。昨日は無様だったな!」
声を掛けられ振り返った颯太の視界には、昨日と同じような笑みを浮かべながらこちらを見て立つ松下がいた。
「松下、か……」
微妙な表情を浮かべながら颯太は呟く。
「昨日は全く出ごたえがなかったぜ!」
「ああ、俺の完敗だ」
松下の言葉に、さして大きな反応も見せずに首を縦に振る颯太。
それに対して松下は優越感に浸りながらより口角を上げる。
だが、そんな松下に対して周囲の女子が幾分か引いていたのに、松下本人は気付いていない。
「そうかそうか! っと、今はお前には用はない。結衣さんに美咲さんに遥さん。週末に他校との剣道の交流試合がこの学校であるんだけど、良かったら応援に来てくれないかな?」
風音は省くのか……と、颯太はそんなことを思ったのだが、風音自身剣道部員であったことを思い出し、得心をいく。
松下の提案に対して微妙な表情を浮かべながら、結衣が渋々といった感じで口を開いた。
「う、うん……、私たちも詩織の応援に行く予定だけど……」
結衣が代表してそう答える。
「じゃあ、俺のも見て行くといいよ」
そう、満足げな表情を浮かべながら、松下は自身の席へと戻っていった。
「ところで……」
松下が完全に立ち去ると、唐突に風音が颯太に声をかけた。
「ん?」
「望月君、君も私の応援に来てくれませんか?」
「剣道の? 悪いが、見てもよく分からないと思うが」
「大丈夫です。それに、剣道部に入る前に一度剣道の試合というものを見ておいた方がいいと思いますし」
「ちょっと待て! 俺が今後剣道をやるのは決定事項なのか!?」
「あれほどの実力があって入らないほうが可笑しいですよ」
「いやいや、あれはまぐれだから!」
「試してみますか?」
「あれれー、風音さん、どうして竹刀を持っていらっしゃるのかな? ちょっ、おい、やめろー!!」
教室の扉を開け、廊下に逃げようとした颯太だが、その際人にぶつかる。
「いってー……」
「す、すいませ……て、何だ、和也か」
「何だとは何だ、何だとは……」
そのぶつかった相手が和也であったことを認識した颯太は、ほっと胸を撫で下ろす。
と同時に風音の追撃がとまったのを確認し、和也と共に再び教室の中へと入る。
「それで? 何しに来たんだよ。もうすぐHRが始まるぞ?」
二年生である和也が、朝のこの時間に一年生の教室に現れたことを怪訝に思い、問い質す。
すると、和也は表情を引き締めると、美咲の元へと向かった。
「美咲……」
「な、なに? お兄ちゃん……」
美咲が戸惑いながら、和也を見る。
「鉛筆と消しゴム、貸してくれ」
「え……」
「あー……」
美咲が戸惑いの声を上げるとほぼ同時に、颯太は得心を得たような声を上げる。
「和也、お前もしかして筆記用具忘れたのか」
「そうなんだよ。朝は小テストの勉強をしようと思ってたのに、おかげでパーだぜ? 全く……」
まるで筆記用具が悪いとでも言わんばかりの和也の言い草に、一同は呆れる。
とは言え、美咲は筆箱からシャープペンシルと消しゴムを取り出すと、和也に手渡す。
「おー、サンキュ! さすが我が妹!」
美咲に手を振りながら和也が教室を出ようとしたその時――
「いってぇ……」
ドアが開いた状態なので、当然和也はそのまま廊下に出ようとした。
だが、教室と廊下の境界で何もない空間に壁が出来たかのように和也がはじかれる。
「……? おい和也、何してんだよ」
「いや、あれ……?」
疑問符を浮かべながら、和也は教室と廊下の境界に手を当てる。
すると、そこには何もないはずなのに和也の手には堅い感触が伝わってくる。
和也のその仕草を見て、颯太は外に出ようと境界を殴るが、固いものではじかれる。
「つぅ……」
手を抑えてうずくまる颯太と和也を見て、不思議そうな表情を浮かべる結衣たち。
そんな颯太たちの異変に気付いた風音が、竹刀で先ほど颯太が殴った個所を斬りつける。
「やっぱり、弾かれるか……」
その竹刀もまた、颯太と同じような結果になり、颯太は声を漏らす。
「出れない……」
颯太のつぶやきは、先ほどまで彼らの行動を怪訝な目で見ていたクラスメートたちの耳に入る。
「うわ、なんだこれ!?」
教室の奥、教室の床、教室の天井、窓の外。
それらがすべて紫色のオーラを纏った半透明の結界に覆われていることに、時間が経つとともに視認できるようになり、クラスメートたちの間で動揺が走る。
「何だよこれ!」
「どうなってんだ!」
この明らかに異常な状況に、教室にいた生徒たちが一斉に叫び出す。
「みんな、落ち着け! 冷静になるんだ!」
クラスのイケメン、橋本光がそう呼びかける。
……が、彼自身の声も無意識に緊張や焦りといったもので震えており、逆効果となる。
突如、床が紫色の鈍く光ったかと思うと、幾何学的模様……所謂魔方陣のようなものが浮かび上がる。
「お、お兄ちゃん……」
弱弱しい、いつもとは全く違いこの異常な状況に怯える声で颯太を呼ぶ結衣は、颯太の服の袖を力強く握っている。
その感触が背中からも感じて颯太が見ると、遥が颯太の背中の服を掴んでいた。
見ると、美咲もまた和也と手を握っている。
「……」
そんな彼女たちの状況を見て、颯太は先程まで多少不安げな表情を浮かべていたが、それを消し去り柔らかく微笑みながら遥と結衣を抱き寄せる。
「大丈夫だ。こうしておけば離れることはないだろ」
颯太の胸にうずまりながら、結衣と遥は安堵の表情を浮かべながら目を瞑った。
そのまま、颯太を含むこの場にいる全員の体が魔法陣から放出された黒い光に包まれ始める。
そしてそれが全身を包むと、その光は霧散し、魔法陣へと吸い込まれた。
あとに残されたのは、人一人いない、空っぽな教室だけだった。
――――今日この時、この世界から……いや、この時間から数十名の生徒が消えた。