表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
62/64

30. How Done It?

 朝。デカルトとフィルが聖フィロソフィー学園の正門に到着したとき、辺りに生徒の姿は無かった。デカルトは正門前に残り、フィルは学園の中に入っていく。

 フーダニット事件の犯人と目されるソーカル。彼女を、なるべく早く捕まえるためだ。

 ソーカルと同じ現代組のフィルによれば、ソーカルが登校するのは、いつも大体八時過ぎだという。フィルもそのくらいに登校する。だからこの時間なら、まだ来ていない可能性は高い。

 今日は、学園内に新しいスタンプは押されていなかった。フィルは第一校舎に入り、現代組の教室を目指す。

 中にはまだ、数名の生徒がいるだけだった。教室の時計は、午前七時四十分を指している。

「ソーカルって、もう来た?」

 級友の男子生徒に声をかける。彼は「いや」と首を振った。そうか、ありがとう、と答えて、フィルは教室から出た。

 再び正門に戻る。

「教室にはいなかったよ」

「そう。じゃ、ここで待ちましょう」

 次第に、登校してくる生徒が増えてくる時間帯。二人は、その流れを見つめた。

 登校のタイミングには、波がある。生徒が何人も連続して登校してくるタイミングと、ほとんど誰も来ないタイミングとがあるのだ。電車が駅に着く間隔と、シンクロしているのだろう。

 何度かの波の後、奇妙な数式がプリントされた服を着た少女が現れた。ハーフアップの金髪は、活発そうな印象を与えるが、その表情はどこか眠たそうに見えた。

「ソーカルちゃん」

 デカルトが声をかけると、彼女はこちらを向いてにこっと微笑んだ。

「やぁ、デカルトちゃんにフィル君。おはよう」

「おはよう」

 そう言って、デカルトはソーカルの腕をつかんだ。

「ん、なに? どうしたの?」

「ちょっと、来てくれる?」

「ん?」

 デカルトに引っ張られるまま、ソーカルは歩いた。


 ソーカルが連れてこられたのは、第四校舎三階、図書準備室だった。部屋の中央には古い長机と、四脚の椅子。フィルとデカルトが並んで座ったので、ソーカルはデカルトの対面に座った。

「で、何の用かな?」

 ソーカルは、にこにこと笑っている。デカルトも微笑み返した。

「予想は出来てるでしょ? フーダニット事件についてよ」

「犯人がわかったの? 動機や、トリックも?」

「ええ」

 デカルトは一つ頷くと、右腕を真っ直ぐ伸ばした。人差し指で、目の前の少女を指差す。

「犯人はソーカルちゃん。あなたよ」

 ソーカルは、にこにことした笑みを崩さなかった。よく見れば、人を小馬鹿にしている笑み。

「どうしてかな?」

「あなたは、犯人が単独犯だと、知っていた。だからよ」

「それは、説明したじゃない。スタンプのカイ二乗分布が……」

「その手はもう通じないわ」

 デカルトはソーカルの言葉を遮った。

「あなたのその難しい発言は、すべてデタラメ。あなた自身がそう言ったじゃない。つまりあなたは、犯人が一人だと推理したわけじゃない。もともと知っていた。何故なら、あなたが犯人だから!」

 ソーカルはまだ、にこにこと笑っている。

「いや、あたしはちゃんと、推理したよ? ただ言わなかっただけで」

 なるほど、そう来るか。フィルは黙って、二人の攻防を見守った。

「それにさ、仮にあたしが犯人だとして、どうやって生徒会室に忍び込んだのさ? それに動機は? 証拠はなくても良いから、せめてそのくらい揃えてよ」

「わかったわ。じゃあ先にハウダニット……どうやって生徒会室を密室にしたのか、説明するね」

 実はフィルは、ここから先の推理について、聞かされていない。ミステリの探偵は、何故推理を話すのを渋るのだろう。フィルは首を捻った。演出、だろうか。

 さてどんなトリックなのかな、とフィルは黙って続きを待った。

「まず初めに、言わせてもらうわ」

 デカルトは人差し指を一本立てた。

「確かなことは一つ。『「How Done It?」のスタンプは、生徒会室の中にある意見書十三通のうち九通だけに押されていた』ってこと」

 フィルが眉をひそめた。

「……どういうこと?」

「みんな、どうやって密室に忍び込み、そして出たのか、そればかり考えていた。でもね、状況を冷静に見れば、実際にスタンプが押されたのは意見書だけ。生徒会室の中の物には、一切スタンプがされていない。つまりわたし達が考えるべきは、『どうやって、生徒会室に出入りしたのか?』じゃない。『どうやって、意見書に「How Done It?」のスタンプを押したのか?』なのよ」

「でも、その意見書は生徒会室の中にあったじゃない」

 ソーカルの反論に、デカルトは微笑んだ。即答せずに、話を続ける。

「ところで、生徒会室を調べたとき、鳩摩羅什ちゃんがなんて言ったか、覚えてる? 普段、意見書は大体十通くらい来るって、言ってたでしょ?」

「そうだね。で、実際に投函されていたのは十三通。何もおかしいところはないよ?」

「いいえ、変よ」

 デカルトは首を振って、それから身を乗り出した。

「普段は、朝から放課後までで、十通投函されるの。でも昨日に限っては、お昼前、つまり午前中だけで十三通も投函された。もしわたし達が生徒会室の前にたむろしてなかったら、二十通近く投函されるはめになっていたわ」

「あー、確かに」

 フィルは昨日のことを思い出した。生徒会室前の廊下に誰もいないと思わせるために、自分達はずっと黙って廊下に佇んでいた。それどころか、人払いまでしていた。だから、午後は一切投函されなかったのか。

「だけど、それと密室と、なんの関係が?」

「簡単なことよ。犯人はね、密室に侵入したんじゃないの。あらかじめスタンプを押した九通の意見書を、投函しただけなのよ」

「……えっ?」

 フィルは固まった。

「え、そんな簡単なこと?」

「そうよ。なのにみんな、犯行声明に惑わされて、『どうやって侵入したか?』を考えていた。ソーカルちゃんにとって誤算だったのは、生徒会室の構造が意外と単純で、トリックの入り込む余地が無かったってことかしら」

「どういうこと?」

「もし何かトリックが使えそうな雰囲気があれば、わたしももうしばらく、侵入の方法を考えてたと思う。実際、放課後までは考えてたし」

「考えを切り替えたきっかけは?」

 ソーカルが聞いた。デカルトはフィルから視線を戻した。

「実は、最初に考えを変えたのは、アルケー四姉妹の言葉がきっかけだったの」

「え? あの子らの推理、役立ったの?」

 ソーカルもフィルも、目を丸くしていた。あの荒唐無稽な推理が?

「ほら、誰だっけ……体を空気に変えて、投函口から忍び込めば良いって言った子、いたでしょ? それを聞いたときに思ったのよ。あらかじめスタンプした意見書を、投函口から投函するって方法もあるなぁ、って」

 もっとも、とデカルトは微笑んだ。

「まさかそんな簡単なはず無いと思って、すぐに捨てちゃったけどね」

 しかし実際は、そのまさかだった、というわけか。

「スタンプが押された意見書の中には、ソーカルちゃんが投函した意見書があった。そして意見書を投函したのは犯人。つまり犯人は、ソーカルちゃん以外ありえないのよ」

「そうだねぇ」ソーカルはまだにこにことしていた。「ただ、きみの推理通りだという証拠がないよねぇ」

「証拠はなくても良いって、言ったじゃない」

 デカルトは膨れたが、ソーカルは素知らぬ顔だ。

「そのトリックが使われたって証拠はなくても良いよ。あたしが犯人だって証拠は、何かないの?」

 にこにこと笑いながら、ソーカルが言う。デカルトは、わかってるくせに、と小声で呟いた。

「証拠はあるはずよ。あなたのカバンの中に」

 デカルトが立ち上がり、ソーカルの手提げカバンをひったくる。おもむろに開けると、中から三個の木製ブロックを取り出した。

「これって……」フィルが目を丸くする。「スタンプ?」

「そう」

 デカルトは、取り出したブロックを机の上に置いた。

 それは紛れもなく、「Who Done It?」「How Done It?」「Why Done It?」のスタンプだった。底面には、まだ赤いインクがついている。

「え? だけどなんでいま、持ってるんだ?」

 一人だけ、頭に疑問符を浮かべたフィルが、スタンプとソーカルを交互に見る。

「それに、どうしてソーカルは、意見書にわざわざ記名したんだ? それじゃ、自白するようなもんじゃないか」

「その通り」とデカルト。「事実、自白だったのよ」

「え?」

「自白というより、ヒントだったのかなぁ……」

 デカルトは、もう一度人差し指を立てた。

「確かなことは一つ。『ここは聖フィロソフィー学園、哲学を愛する生徒が集まる学園』ってこと」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ