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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
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26. 開かれた密室

 釈迦たち生徒会メンバーは、六時間目の間、ずっと生徒会室にこもっていた。せっかくみんな集まったのだからと、溜まっていた仕事を片付けたり、会議を開いたりしていた。鳩摩羅什は、ずっと翻訳に従事していたようだ。

 いつの間にか、廊下の騒ぎは収まっていた。ついさっきまで、ソクラテスとソーカルが楽しげに話していたが、その二人もどこかに行ったようだ。

 六時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。自習の多い聖フィロソフィー学園でも、一応は高校である。HRの時間は、しっかりと取られていた。もっとも、東洋組の担任は、全く喋らない達磨なので、出てもあまり意味はないのだが。

「教室に戻るかぁ」

 首にストールを巻き直し、竜樹は立ち上がった。生徒会室の扉の鍵を開け、ドアノブを捻る。

 扉を開けようとしたその瞬間、突風でも吹いたかのように、扉が勢い良く開いた。

「うぉっ!?」

「本当だ、開いた」

 驚き飛びのく竜樹の目の前に、この学園では珍しい男子生徒がいた。彼だけではない。さっきまで廊下にいて、もういなくなったと思っていた五人が、そこにいた。

「デカルトの勝ちだな」

 図書委員長補佐の一人、現代組のフィルが、扉を全開にしたまま、ドアノブをしっかりと掴んでいる。その体は、生徒会室に完全に入っていた。

 フィルはしたり顔で、目の前の生徒会メンバー達に説明した。

「廊下の会話は生徒会室に筒抜け。だから外に誰かがいれば、すぐにわかる。でも逆に言えば、廊下から一切物音がしなければ、室内の人間は廊下に誰もいないと思い込む。もし僕らが廊下にいると知れば、君たちは窓から外に出ただろうが……誰もいないと思ったら、油断して扉を開けるだろう。だから僕らは押し黙り、人払いまでした。こうして僕らは」

 生徒会のメンバーの顔を、見渡す。

「密室を開け、中に侵入した」

「わたしの台詞取らないでよ」

 頬を膨らますデカルト。

「一度、こういうの言ってみたかったんだ」

 フィルは頬を染めた。

「なるほどね」

 にやり笑いながら、一休が拍手した。

「古典的な手だけど、面白いね。誰が考えたの?」

 わたし、とデカルトが手を挙げた。ああ、さっきの窓から覗いてた子か、と一休は苦笑した。

「会長!」一休が振り返る。「この五人には、特別に室内を調べさせようよ。もしかしたら、密室トリックが解けるかもしれない」

「デカルトさんは、先ほど窓から覗いていたと思うけれど……まぁ、良いでしょう。ここは一休に免じて、皆さん五人にだけ許可します」

 釈迦は考えた。昼休みに放送が流れ、いまはHRの時間。この間に生徒会室の前に来たのは、最初に来た八人と、アルケー四姉妹の、計十二人だけ。もしフーダニット事件について積極的に調べている人間がもっといるならば、とっくにここを訪ねているはずだ。それがないということは、この子らの入室を許可しても、他に入ろうという生徒は大して増えまい。釈迦はそう判断した。

 そんな釈迦の思惑も知らず、デカルト達は自分達の作戦が見事に決まったと、得意になった。


 生徒会室に入ると、デカルトは真っ先に、横の壁にある扉を開けた。窓から見たときは、この部屋の中が見えなかった。隣の部屋との間隔を考えると、狭い部屋しかないはずだが、意見書の投函口はここに繋がっている。室内がどうなっているのか、気になっていた。

 中に入ると、お下げ髪の少女がグイッと栄養ドリンクを飲み干しているところだった。部屋の中ほどに正座をし、目の前の座卓には論文のような意見書が積まれている。この子はさっき、会長と一緒に職員室に来た子だと、デカルトはすぐに気付いた。名前は確か……プーちゃん?

 プーちゃんではなく鳩摩羅什も、デカルトの入室にすぐ気付いたようだ。デカルトを見て、「あ、ども」と頭を下げる。

「それが、スタンプを押された意見書?」

 歩み寄って、座卓に積まれた意見書を一部取る。表紙には「How Done It?」と押されていた。

「あう、勝手に見ちゃダメですよぅ!」

 鳩摩羅什はデカルトの手から意見書を取り戻そうとしたが、足が痺れていたため体勢を崩した。ドサ、と床に仰向けに倒れる。なおも手を伸ばすが、デカルトは素知らぬ顔だ。

 デカルトはパラパラと意見書をめくった。確かにどのページにも、「How Done It?」の赤いスタンプが押されている。最後のページまでめくると、また表紙に目を戻した。

 その表紙に、見知った名前が書いてあった。

「ソーカルちゃん?」

「呼んだ?」

「!!」

 この子はいつも突然現れる印象がある。デカルトは全身を硬直させた。

「よ、呼んでない……。ねぇ、この意見書投函したの、ソーカルちゃんなの?」

 ソーカルに、持っていた分厚い意見書を手渡す。表紙には、「ATPがグラフェンと塩化ビニルの重ね合わせの原理で生じる諸問題について 現代組ソーカル」と書かれている。

 ソーカルは意見書を受け取って、パラパラとページをめくった。

「そうだね、あたしが出したものだよ」

「ご、ごめんなさい……」床の上から、か細い少女の声がした。「私達の不手際で、大事な意見書を汚してしまって……」

「別にいいよ」ソーカルはにこにこと笑った。「読めるし」

 なおも申し訳無さそうな鳩摩羅什と、それを笑って許すソーカル。

「でも、どうしてわざわざ記名してるの?」とデカルト。「意見書って、無記名で良かったんじゃなかったっけ?」

「はい」答えたのは鳩摩羅什だった。「無記名でも構いませんが、記名してくだされば、意見の対応後、報告に伺いますので」

「そういうことさ」

 それは知らなかった。デカルトはふぅんと頷き、それから室内の観察に移った。

 室内は雑然としていた。倉庫のように、埃を被った荷物が部屋の隅に詰まれている。それに栄養ドリンクの空箱も、放置されていた。そして何より、壁の投函口から座卓の横まで伸びるレールのようなものが、異彩を放っていた。

「これは?」

 デカルトが鳩摩羅什に尋ねる。鳩摩羅什はようやく身を起こしながら、それは一休が作ったもので、意見書が座卓の横まで届くようになっているのだ、と説明した。

「わざわざ作ったの?」デカルトは目を丸くした。「座卓を、壁際に寄せれば良いだけの話じゃない」

「もちろん、初めはそうしていたんですが、実は以前、意見書が盗まれたことがあるんです。それで、盗みにくいような仕組みを」

 確かに、壁から座卓までは二、三メートルあるので、腕を突っ込んだくらいでは意見書まで手が届かないだろう。何か、マジックハンドのような道具が必要だ。

 ふぅん、と相槌を打ちながら、デカルトは再び座卓に目を戻した。

「意見書って、いつもこんなに届くの?」

 数えると、十三通もある。

「そうですね。大体十通前後来ます。午前に五通、午後に五通、みたいな感じで」

 自宅で書いて朝投函する生徒と、学園で書き上げて夕方投函する生徒とがいるのだろうか。

 デカルトは意見書をさらに何通か取り、ページをめくった。すべてパソコンで印刷されたものだ。午後の投函は、家にプリンターの無い生徒が、学園のプリンターで印刷するせいかもしれないと、デカルトは思った。

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