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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
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23. 鍵

 アルケー四姉妹が立ち去った後、全員しばらく、何も言えなかった。

 私達はいま、ここで何をしていたんだっけ。そうだ、密室の生徒会室に犯人が侵入したというから、見に来たのだった。

 静寂を打ち破ったのは、くくくく……という含み笑いだった。

「いやー、うん」笑っていたのは不思議な数式がプリントされた服を着た少女、ソーカルだった。「面白かった!」

 この「面白かった」が、「興味深い」という好意的な意味ではなく、「滑稽だ」という侮蔑的な意味であることは、その表情からよくわかる。

「はしたないわよ、ソーカルちゃん」

 とアウグスティヌスが嗜めた。

「そうは言ってもね。まるでクロロプラストがアーベル群の中で正準集団を発散してるみたいだった」

 ソーカル以外の七人は、彼女の言葉が全く理解できなかった。ただ直前の発言から、馬鹿にしているらしいことだけはわかった。

「本当にそうだったのかな?」

 デカルトの発言は、デカルト以外の七人を驚かせた。特に、ソーカルが一番驚いたようだった。

「いまの、意味がわかったの?」

「アルケー四姉妹、だっけ? 彼女達の考えたトリックは、どれも荒唐無稽で意味不明だったけど……でも、重要なヒントはあったんじゃない?」

 それってなにさ、というソーカルの発言は、昼休み終了五分前を告げるチャイムにかき消された。

「あ、わたし次授業だ」

 とデカルト。この場に、近代組の生徒はデカルトしかいない。

「一度、教室戻るね?」

「いや、その前に密室トリックを教えてくれよ!」

 フィルの突っ込みに対して、デカルトはふふふ、と笑った。

「放課後にね」

 それだけ言うと、ひらひらと手を振って立ち去っていった。

〔ま、でも〕とデカルトは思った。〔まさかそんなはず、ないか〕


 アルケー四姉妹の推理は、生徒会室の中にまで聞こえていた。四人とデカルトが立ち去ると、書類を選り分けていた竜樹が、

「色々考えるもんだね」

 と肩をすくめた。

 生徒会室内で被害を受けたものは意見書だけで、ほかにスタンプを押された様子はない。盗まれたものも無さそうだった。

「ところで会長」

 生徒会室の備品を調べていた一休が、釈迦を見た。釈迦が返事をするより先に、一休はあっさりと言った。

「犯人は、会長だよな?」

「えっ!?」

 突然の告発に驚いたのは、三蔵だけだった。釈迦も竜樹も、落ち着き払っている。釈迦はやんわりと微笑んだまま、

「普通はそう考えるわよねぇ。どうしてさっきの子達は、誰も私を疑わなかったのかしら?」

「それは多分、会長がこの部屋の鍵を持ってるって、知らないからだよ」

「あっ!」

 声を上げたのは、またも三蔵だった。この学園には、生徒会室の鍵は二本ある。一本は職員室に、そしてもう一本は釈迦の手に。

「でも、私は犯人ではないわ。私がこの部屋の鍵を持っていることは、多くの人が知っているわ。だからこの部屋で事件が起これば、真っ先に私が疑われるはず。そんな危険は冒さないわよ」

 それもそうだ、と竜樹が笑い、一休も苦笑した。一休は冗談で言っただけのようだった。

「わかったーっ!」

 隣の部屋から、大きな声がした。次の瞬間、鳩摩羅什が生徒会室に飛び込んできた。

「どうしたの、プーちゃん?」

「私、犯人わかりました! 密室のトリックも!」

「扉を水にするのか?」

 竜樹が茶化したが、鳩摩羅什の表情は真剣そのものだ。

「犯人は、放送部のバークリーさんです! 彼女だけが、生徒会室の鍵を持ち出すことが出来ます!」

「あら、どうして?」

「私、思い出したんです。私と三蔵ちゃんが今朝職員室に行ったとき、バークリーさんがすれ違いに職員室に入ったんです。で、放送室の鍵を借りたんですよ!」

「それが、どうしたの?」

「もしバークリーさんが、このとき放送室の鍵を借りるふりをして、生徒会室の鍵を持ち去っていたとしたら?」

「すぐにバレる」竜樹が言った。「キーホルダーが付いてるじゃないか」

「キーホルダーなんて、付け替えちゃえばいいじゃん。そのぐらいの隙はあると思う」

「でも」今度は一休が反論した。「バークリーは、さっき確実に放送室にいたろ? もし放送室にいなかったんなら、さっきの放送はどこから流したんだってことになる。生徒会室の鍵を持ってったんなら、どうやって放送室に入る?」

「そんなの、放送室の鍵を昨日から開けっ放しにすれば良いだけの話じゃん」

 それ以上の反論は出なかった。鳩摩羅什は確信のこもった目で、釈迦に詰め寄った。

「今すぐ会長の持ってる鍵と、職員室にある生徒会室の鍵を、比べましょう! もし二つの鍵が違ったら、ビンゴですよ!」

「そうねぇ」言葉は穏やかだったが、釈迦は素早く立ち上がった。「行きましょう。……ただし、窓から」

 扉に向かって駆け出した鳩摩羅什の襟首を、釈迦が鷲掴みにした。


 釈迦と鳩摩羅什が、職員室のある第一校舎三階に辿り着くと、そこには先客がいた。

「あ、やっときた」

 小さく笑ったのは、背丈の小さなツインテールの少女だった。デカルトだ。

「あなた、授業があるのではなかったの?」

「あれはウソよ。というか、会話聞こえてたんだ?」

「放送室と違って、生徒会室は防音ではありませんから」

 釈迦は笑みを崩さず、デカルトを見下ろす。

「で、どうしてあなたは、ここにいらっしゃるのかしら?」

「決まってるわ。会長さんの持っている鍵と、職員室にある鍵を、比べるためよ」

 まあ、鳩摩羅什でなくとも考え付く推理であろう。驚くには値しない。

「私が鍵を持っていることを、ご存知だったのね?」

「……変?」

「いえ」

 釈迦が生徒会室の鍵を持っていることは、別に隠しているわけではない。誰が知っていたとしても、不思議は無い。デカルトは図書委員長補佐だから、委員の仕事の関係で、偶然知ったのだろう。

 釈迦は職員室の扉をノックした。「失礼します」と言い、返事を待たずに扉を開ける。

「生徒会長の釈迦です。すみませんが、鍵をちょっと、見せてください」

 これまた返事を待たずに、後ろの二人を引き連れて鍵のかかった壁の前に立った。鍵は、放送室の鍵以外、すべて揃っている。

 釈迦はポケットから、生徒会室の鍵を取り出した。壁にかかっている生徒会室の鍵も手に取り、両者を重ねる。

「……全く同じものね」

「そうね」「そうですね」

 はぁぁ、と鳩摩羅什がため息をついた。

「良い推理だと思ったんだけどなー」

「いえ、待って」

 デカルトが、背後に立つ達磨に話しかけた。

「あの、先生。今日、放送部員のバークリーちゃんが、職員室を二回訪れませんでしたか?」

 しかし達磨は答えない。

「一回目は鍵を借りに来て、二回目は……なんか理由つけて」

 しかし達磨は答えない。

「……えっと…」

「無駄よ」と釈迦。「達磨先生は、何も喋らないの」

「なにそれ?」

『喋れない』ではなく『喋らない』とは、これ如何に。困惑するデカルトに、金髪の教師が近付いてきた。中世組担任、イエスだ。

「私達もさっきの放送を聞いて、今日誰が職員室に来たか、話したわ。今日職員室に来て、鍵に近付いたのは、鳩摩羅什さんと三蔵さんとバークリーさんの三人だけ。……ああ、あとお二人ね」

 イエスはデカルトと釈迦を見た。

「……そうですか。ちなみに、生徒会室の鍵は、全部でいくつあるんですか?」

「二つね。ここにかかっている物と、釈迦さんが持っている物」

 デカルトは、ほかの教師にも目を配った。何人か暇そうな教師と目が合う。「間違いないよ」「合ってるよ」と返事が来た。

「わかりました、ありがとうございます」

 ぺこり、とデカルトは頭を下げた。

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