22. アルケー四姉妹
生徒会室の扉を閉ざされ、どうしたものかと、デカルト達は途方に暮れた。
「入らなかったら、解けないじゃないの!」
ソシュールはまだ騒いでいたが、まぁ落ち着きなよ、とフィルが宥めた。
「なんとか、外から考えられることを考えよう」
しかし何があるだろうか。扉は木製の開き戸。室内側に開く構造、つまり廊下からは押して開ける構造だ。鍵は一般的なシリンダー錠。扉の下部に、数ミリの隙間あり。……わかるのはその程度だ。生徒会室の鍵は全部で何本あるのか、そんな基本的なことすら、彼女らは知らなかった。
「相手はトンチを使ったわ」とアウグスティヌス。「なら、私達もトンチを使ったらどうかしら?」
「どういうこと??」
ソクラテスが口を半開きにして尋ねる。
「例えば、中に入らない代わりに、扉越しに質問に答えてもらうとか……」
そう言ったときだ。
ドタドタドタッと、廊下を駆け抜ける足音が響いた。驚いて、全員足音の方を振り返る。
疾走して来たのは、とても官能的な服を着た少女だった。その服は海のように青く、水のように透き通っていた。疾走という行為に似つかわしくない、女性らしい体つきが、服の上から透けて見える。
少女は八人の前で急ブレーキをかけると、はぁはぁと荒い息を吐きながら、叫んだ。
「話は聞かせてもらった! 万物は水よ!」
意味がわからなかった。
「えーと……君は?」
この中で唯一の男、フィルが、赤面しながら聞いた。
「私はタレス! 人呼んで、アルケー四姉妹の長女!」
「あるけぇ?」
苗字だろうか。
アリストテレスが、眼鏡を押し上げながら補足した。
「アルケーというのは、万物の根源のことよ。タレスちゃんたち四姉妹は、いつも『万物の根源は何か?』を議論していて……付いたあだ名が、アルケー四姉妹」
「詳しいな?」
「同じクラスだからね」
アリストテレスは何組だったかな、とフィルは考え、ああ古代組だった、と思い出した。
「なら、似たようなのがあと三人もいるのか?」
オッカムが嫌そうに顔を顰めた。怖々とタレスの背後を見ると……確かに三人の少女が歩いてきた。だが、顔は似ていても、まとっている雰囲気はまるで違った。
「妹達の話はいいから」とタレスは、胸を叩いた。「私の話を聞いてよ」
「こんなところでアルケー談義をされても、困るのだけど?」
「違う違う。密室のトリックが解けたのよ!」
その言葉に、「えっ!?」と声が揃った。
「なになに??」
ソクラテスが、期待度マックスの瞳をタレスに向けた。
「ふっふっふっ……言ったでしょ? 万物は水! つまり犯人は……」
バン! と生徒会室の扉を叩いた。
「この扉を、水に変えたのよ! そしてスタンプを押したあと、再び水を扉に戻した! これが真相よ!!」
場は。
水を打ったように静かになった。
「おい」
オッカムが、自慢の剃刀をタレスの首元に突きつけた。
「なら貴様、今すぐここでやってみろ」
「や、やだなぁ、ハンサムちゃん」オッカムと面識の無いタレスは、適当にあだ名を言った。「出来るわけないじゃない」
オッカムの剃刀が、数ミリ前に動いた。
「ま、待って! 殺さないで!!」
両手を挙げて懇願するが、誰一人擁護する者はいない。
「だから言ったじゃん、タレス姉さん」
タレスの背後に立つ三人のうち、一人の少女が一歩前に出た。今度の少女は、さらに扇情的だった。ギリギリまで裾を上げたホットパンツと、胸に巻いた布だけ。上からマントを羽織っているが、水着の上にバスタオルを巻いているようにしか見えない。
「君は、アルケー四姉妹の……?」
フィルはしどろもどろになっていた。背後に立つデカルトが、鋭い眼光で睨んでいる。
「あたしは三女のアナクシメネスでーす」
ブイ、とピースサインを作る。
「で、あなたは」デカルトが、険のある声で言った。「万物の根源は何だと考えているわけ?」
「それはエアー! 空気です!」
オッカムがすぐさま、剃刀を構えた。
「まさか、扉を空気に変えたと言い出すんじゃないだろうな?」
「違うよ、そんな」
チッチッと指を振った。そしてその指を、壁に向ける。示す先は、生徒会室の扉から、少し離れた場所。そこに、意見書の投函口があった。
「ねぇみんな、見てご覧。実はこの生徒会室、密室じゃないのよ。だってほら、投函口が常に開いてるでしょ?」
近くに立っていたソーカルが、投函口に指を突っ込んだ。かちゃ、と音がして蓋が開く。屈んで覗き込むと、中で仕事をしている鳩摩羅什と目があった。
「つまり犯人は、扉を空気にしたんじゃない。自分自身を空気に変えて、その投函口から生徒会室に侵入――」
言い終わるよりも早く、オッカムの剃刀がアナクシメネスの首を捕らえていた。
「続きを言ったら、その着る意味のない服、切り刻むぞ」
是非切り刻んでもらいたい、と思ったフィルの足を、デカルトが思いっきり踏みつけた。
「いったっ!? な、何をっ!?」
「いま、絶対いやらしいこと考えてた」
そ、そんなことはないよ。ウソだ、目がハートマークだった。言い争う二人を遮るように、
「ふぅ、馬鹿らしい」
一人の少女が言い放った。四姉妹の三人目だ。黄色と紺色の、二枚の布を体に巻いた少女だった。露出は少なく、官能的でも扇情的でもなかったが、人を見下すような高圧的な視線は、一部の男子のリビドーを刺激しそうだ。
「えーと……」
「あたしは四女、ヘラクレイトス。馬鹿な姉さん達のお守りをしてるわ」
フィルが聞く前に、ヘラクレイトスは自己紹介した。姉達を「馬鹿」と正しく認識していることから、この子は信頼できそうだと、フィルは思った。
「君は、どんな推理? やっぱり、根源絡み?」
「そうね。やっぱりそれで考えるのが、一番楽かしら」
「でも」四姉妹の同級生アリストテレスが、不安げに言った。「あなたの言う根源って……」
「火よ」
ずばり告げて、扉を指差した。
「犯人は、この扉を燃やしたの。そして後で、新しい扉をつけた。どう? 完璧じゃない?」
ミステリが好きなデカルトは、もしかしたら正解かもしれない、と思った。木製の壁を破壊して侵入し、後で新しい壁を付ける。同様のトリックを、何度か読んだことがある。でも……。
「あの」デカルトは天井を指差した。「火災報知機が鳴っちゃうんじゃないかな?」
「それ以前に」反論するのもバカバカしいといった体で、オッカムが付け加える。「そんなことをしたら大騒ぎになる」
この四姉妹は、ダメだ。ため息と共に、フィルは一応残りの一人に目を向けた。
長女、三女、四女と来たのだから、残りは次女だろう。立っていたのは、俯き加減で服のリボンを弄っている少女だった。他の姉妹達のような、我の強さは見受けられない。彼女はフィルの視線に気がつくと、顔を真っ赤にしてしまった。
「彼女は?」
フィルは彼女本人ではなく、アリストテレスに紹介を求めた。
「ドロシーちゃん。人見知りらしいわ」
正確な名前はアナクシマンドロスなのだが、誰もそう呼ばない。ドロシーが本名だと思っている生徒も多く、アリストテレスもその一人だ。
「おい、貴様はどう考えている?」
早く四姉妹の相手を終わらせたいらしく、オッカムが剃刀で威嚇した。アナクシマンドロスは「はぅっ」と身をすくませた後、ボソボソと話し出した。
「あの、その……わたしは万物の根源は、無限定の何かだと、思ってます……」
「いやそっちじゃなくて、密室について聞いてるんだよ」
フィルが突っ込んだ。アナクシマンドロスは肩を震わせ、
「あぅ、そ、そうですよね、ごめんなさい……」
「答えないで帰ってくれるのが、一番無駄が少なくて助かる」
オッカムが冷たく言い放った。アナクシマンドロスはどうすべきか悩み、姉妹達を見た。
「何でも良いから言ってよ」と長女タレス。「限定しなくて良いから」
「は、はい……。わたしは、万物の根源を何かに限定してしまうと、どうしても、それと相反する物の性質を説明できなくなる、というジレンマに気が付きました」
「いやだから、密室は?」
フィルがもう一度突っ込んだ。
「えっと、ですから……犯行声明によれば、犯人は『密室に入る』と『密室から出る』の、相反する二つの動作を行ったわけで、だから今回のケースの『密室トリック』とは、実は二つのトリックの組み合わせで出来ているわけで……」
あぅあぅ、と最後の方は言葉になっていなかった。
「で、その肝心のトリックは?」
フィルの問いに、
「す、すみません。わ、わかりません」
泣きそうな声で答えた。
「ふぅ」
オッカムが、剃刀を高く掲げた。
「全員、帰れ」




