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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
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8. アブダクション

 アリストテレスとソクラテスは、中庭にいた生徒に、聞き込みを行っていた。十人ほど尋ねて回ったが、いまだ、手がかりとなりそうな情報は掴めていない。施錠された部屋は被害にあっていない、くらいだろうか。

「アリスちゃん、全然進展が無いよ! どうしてかな??」

 眼鏡をかけた理知的な顔に、アリストテレスは冷や汗を浮かべた。自分は優秀な人間だ……などと自惚れたことは考えていないが、それでも全く有用な情報が得られないとは、どういうことだ。

 おそらく、尋ね方が悪いのだ。アリストテレスは、そう思った。「この事件について、何か知っていることがあったら教えてください」この質問が漠然としているため、答えられないのだろう。

 もう少し、具体的に質問しなくてはいけない。そのためには、自分が何を知りたいのか、考えなくてはいけない。

 と、そこでアリストテレスは傍らのソクラテスを見た。ソクラテスは、無垢な瞳でアリストテレスを見返した。

「そうよ、ソクラ」とアリストテレスはソクラテスの頭を撫でた。「貴女が質問してくれないかしら。この事件について、聞きたいことを何でも聞いて良いわ」

「え、でも、あたしは殴っちゃうからダメだってさっき……」

 ソクラテスは、「質問魔」だ。出会った人に、片っ端から質問をぶつける。その質問はいつも具体的で、明確な回答を要求するものだ。これは、とてもうまい質問の仕方である。ただし相手が答えに詰まると、「どうして答えられないの!?」と問答無用で殴りかかるのが、難点だが。

「殴りかかったら、私が止めるから平気よ。ほら、あそこにいる子に、事件について聞いてきなさい」

 アリストテレスが指差したのは、銀色の服を着た少女だった。スカートの裾や上着の胸元に、星マークが付いている。ここが聖フィロソフィー学園でなければ、彼女は変人である。しかしここは聖フィロソフィー学園であるから、彼女が変人とは限らない。この学園では、ちょっと変なくらいが、むしろ普通なのだ。

 ソクラテスは何も考えず、無邪気にパタタ……と走って行き、唐突に尋ねた。

「こんにちは! あたしは古代組のソクラ。あなたは??」

「え?」ぼんやりと花壇を見下ろしていた少女は、突然の出来事に驚き、慌てたように振り向いた。「え?」

「あなたのクラスと名前は??」

 少女は面食らったようだったが、一度咳払いすると、すぐに調子を取り戻した。

「現代組のパースよ」

「パースちゃん、あのね、昨日の夜、どこで何してた??」

 さすがに、アリストテレスは慌てた。いきなりアリバイ調査で来るとは思わなかった。

「ちょっと、いきなり何を聞いているの?」

「アリバイだよ、アリスちゃん。容疑者を絞るには、まずアリバイ調査。基本じゃない??」

 昨日はスタンプが無く、今朝来たらスタンプがあった。つまり犯行は夜行われた。その間、確実なアリバイがある人間は、犯人ではない。

 こんな簡単なことに、どうして気付かなかったのだろう。アリストテレスは思った。

「もしかしてキミら、フーダニット事件を調べてるの?」

「フーダニット事件って、なんですか??」

「ホラ」とパースは花壇の縁石を指差した。そこには、赤い「Who Done It?」のスタンプが押してある。「このスタンプが押された事件のことよ」

 ソクラテスは、「うん!」と大きく頷いた。

「そのフーダニット事件について、アリバイ調査してるの! 昨日の夜、どこで何してた??」

「夜と言われてもね」パースは腕組した。「昨日は、放課後すぐ帰ったわ。家に着くまで一時間。帰ってからは、一歩も外に出ていない。今日登校してきたのは、朝八時過ぎ。……これでいい?」

「それを証明できる人は??」

「さぁ……家族、かな?」

 ソクラテスは、どこに持っていたのか、手帳とシャーペンを取り出して「現代組 パース アリバイあり」と書いた。

「いまの証言は、アリバイがあることになるのかしら?」

 そもそも、裏づけ調査もしていない。話を聞いただけで鵜呑みにしていては、調査の意味が無い。ソクラテスは、質問を繰り返す割に、疑うということをほとんどしない少女だった。

「ねえ、キミ」とパースが、腕を背中に回していった。「この方法には、致命的な欠点があることに、気付かない?」

「致命的な欠点って、なに??」

「考えてみてよ。この学園には、生徒が百人以上いるのよ? その全員に、聞き込みを行うつもり?」

「う……」

 ソクラテスが詰まった。それもそうね、とアリストテレスが呟く。

「そもそも、犯人が生徒とは限らないわ。教師かもしれないし、警備員とか用務員とかもいる。もしかしたら、犯人は外部の人間かもしれない」

 そうなったら、もはや手も足も出ない。ソクラテスもアリストテレスも、言葉を失った。

「これが、帰納法の限界よ!」

 だがこの台詞で、アリストテレスは言葉を取り戻した。

「帰納法の限界? どういう意味ですか?」

「帰納法ってなに??」

 瞳をキラキラさせながら、ソクラテスがアリストテレスに尋ねる。

「帰納法と言うのは、証明の方法の一種よ。例えば、無数のリンゴを一個一個調べ、すべてが赤いとわかったところで、『リンゴは赤い』と結論付けるような証明方法よ」

「その通り」とパースが頷いた。「個別具体的な事象から、普遍的な前提を割り出す。それが帰納法よ! だけどね、帰納法を完璧に使うためには、個別具体的な『すべて』の事象を調べる必要があるのよ!」

 その通りだ、とアリストテレスは内心で頷いた。仮にリンゴを何十個、何百個と調べて「リンゴは赤い」と結論しても、「次調べるリンゴは黒いかもしれないじゃないか」と反論されれば、それまでだ。

 だからアリストテレスは、帰納法とは反対の、普遍的な前提から個別具体的な結論を導く、演繹法を好んで使っている。

「でもでも」とソクラテス。「じゃあ、どうしたら良いんですか??」

「そこで使うのが!」

 パースは腕を高く挙げ、空を指差した。

「アーブダークショーーン!」

 言いながら、パースはウィンクした。この子変人だ、とアリストテレスは思った。

「アーブダークショーーンってなんですか??」

 ドン引きするアリストテレスに代わり、ソクラテスが積極的に続きを促した。パースは鼻高々に説明する。

「正確な発音は『アブダクション』。伸ばさないわ。で、これは帰納法を、ちょっと変えただけのものよ。全部のリンゴを調べるんじゃなくって、リンゴを何個か調べたところで、『リンゴがすべて赤いとすれば、この数個のリンゴが赤いことを説明できる。だから、リンゴはすべて赤い』と結論付ける。これがアーブダークショーーン!」

 パースはウィンクして「決まった!」みたいな顔をした。ソクラテスは、ますます瞳を輝かせながら、

「じゃあじゃあ、フーダニット事件の犯人は?? そのアブダクションだと、何がわかるの??」

「えっ?」

 その質問に、パースは固まった。アブダクションを使うと、この事件はどう解釈できるか。

「そうね、まずは仮説を立てる必要があるわ。その仮説で、事象を説明できるかどうかを、考える」

「で、仮説は??」

「……」

 たっぷり三秒経ってから、

ドコッ

 と鈍い音がした。

「殴っちゃダメよ、ソクラ!」

「だってパースちゃん、カッコよく決めてたのに、答えられなかったんだよ!」

「だからってダメよ! ごめんねパースちゃん、大丈夫?」

 頭を抱え、涙目になっていたが、パースは「大丈夫、大丈夫よ」と繰り返した。

「大丈夫なら、仮説は??」

 ソクラテスが拳を振り上げたところで、パースが両手を前に突き出した。

「大丈夫、いま仮説浮かんだから大丈夫! 殴らないで!」

 懇願するパースを見て、アリストテレスはますます申し訳ない気分になった。

「どんな仮説??」

 しかしソクラテスは微塵も反省した様子がない。再び、キラキラした瞳で問いかける。

「さっき、この中庭のスタンプを見ていて、気付いたんだけど」

 パースは足元の花壇に押されたスタンプを指差した。

「ここに押された数個のスタンプは、どれも同じものよ」

「同じものだと、どうなるの??」

「アブダクション的に考えれば、これは、学園中に押されたすべてのスタンプが同じものだという事になる。つまり、犯人が使ったスタンプは一個だけ」

「一個だけってことは??」

 パースは右手の人差し指を、びしっと空に向かって突き上げた。

「この事件は、単独犯の犯行ってことよ!」

 バチーン、とウィンクをする。ソクラテスは「おー、なるほどー!」と感心していたが、アリストテレスはどこか納得いかないように、百科事典を抱え直した。

「そうかしら? 学園中にスタンプを押しまくるなんて、一人で出来ること?」

「時間があれば、可能だと思うわ」パースが反論する。「犯人には一晩あったんだから」

「一晩、ね……」

 その言葉で、アリストテレスは考え込んだ。

「どうしたの、アリスちゃん??」

「犯行は、何時から何時までの間に行われたのかしら?」

「ふえ?」

「さっきソクラがアリバイを聞いたときにも思ったけれど、私達は犯行の正確な時刻を知らないわ」

 ようやく、この事件を調べる足がかりを掴んだ。

 犯行時刻を調べよう。そのためには、どうしたら良いか。

「有益な情報をありがとう、パースちゃん」

 アリストテレスは、恭しくお辞儀した。

「さ、行くわよ、ソクラ」

「行くって、どこに??」

 早速歩き出したアリストテレスに、ソクラテスが慌てて続く。アリストテレスは中庭の出口に向かいながら答えた。

「警備員室に決まっているわ。警備員さんに話を聞くの。犯行推定時刻を割り出すためにね。それに……」

 アリストテレスは言いかけて、口ごもった。ソクラテスが「どうしたの??」と顔を覗き込んでくる。

「憶測で物を言いたくないけれど、警備員さんが犯人という可能性も高い」

「え、どうして??」

「当然でしょ? 警備員さんなら、深夜に学校をうろついていても全く怪しまれないもの」

「あ、そっかー」

 だが、アリストテレスはすぐに、警備員室へ行く理由を失った。

ピンポンパンポーン

 と鳴り響いた学内放送が、その原因だ。

『こんにちは、放送部のバークリーです。聖フィロソフィー学園の生徒の皆さんに、いま学園を沸かしているフーダニット事件に関して、最新情報をお伝えします』

作中のアブダクションの説明は、

丸屋ツグヤさんの投稿作『ダンシング☆アブダクション』を参考にしております。

(哲学ガールズ企画への投稿作です)


……自分でも調べたのですが、今ひとつわからなかったのです。

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