表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
37/64

5. 神の放送

 放送室は、第二校舎の二階にある。他の部屋の扉が木製なのに対し、放送室だけは金属製だ。防音性を高めるためだろう。黒い扉には「放送室」のプレートと、赤いスタンプが押してある。無論、この「Who Done It?」のスタンプは、昨日まではなかったものだ。

「邪魔するぞー」

 ノックもせずに、アナクサゴラスは扉を開けた。ずかずか中に入る。放送機材が置かれた室内には、一人の生徒がいた。聖フィロソフィー学園唯一の放送部員、近代組のバークリーである。カジュアルスーツにネクタイを締め、機械を弄っていたが、アナクサゴラスの入室に気づいて立ち上がった。

「これは先生。どうしました?」

 学内放送のアナウンサーを務めるだけあって、バークリーは良い声をしている。薄いワイングラスを軽く弾いたような、澄んだ声。まさに「心に響く」と形容するに相応しい。

 アナクサゴラスは、手近にあったストップウォッチを手に取ると、紐を持って回し始めた(彼女は常に何かを回していないと、落ち着かないようだ)。

「西田先生が、また歩き出した。五分くらい前のことだ」

「またですか」

 可愛らしい小さな口から、バークリーはため息を吐き出した。そのため息の音さえ、オカリナの旋律に聞こえる。

「わかりました、ちょっと待ってください」

 と言うと、バークリーは床に置いてあるパラボラアンテナを拾い上げた。鍋の蓋ほどの、小さなものだ。裏面にはカチューシャが付いていて、バークリーはそれを頭に載せた。

 途端に、バークリーの顔から表情が奪われた。

「ピー、ピュルルルルル……」

 ファックスの受信音を口から出した後、壊れたラジオのような声を吐き出した。

「西田……先生は……南に向かって……ますね……。行く手には……食堂館がありますが……その手前で……西に進路を変更しそうです……。大丈夫です……その先には……森しか……ありません……」

 アンテナを外すと、また元の声と表情に戻った。

「だ、そうです」

「お前、ホントそれどうなってるんだ?」

 バークリーはいつも、西田の行く先をずばり言い当てる。それも、アンテナを頭に載せて。

 アナクサゴラスの質問に、バークリーは小さく声を出して笑った。

「神の放送を受信しただけです」

 誰もが同じ質問をするが、バークリーはいつも同じ答えを返す。まさかそんなはずはあるまい、とアナクサゴラスは思うのだが……。

 しかしバークリーがパラボラアンテナを頭に載せると、やたらと頭の回転が速くなるのは事実だ。神の放送を受信しているのではなく、西田の過去の行動パターンから、今後の進路を予測しているのではないか。バークリーは否定するが、周りの人間はみんな、そう考えている。

「まぁ、いい。とにかく放送頼む」

「はい」

 バークリーは機械の電源を入れると、マイクを手に取り、放送を始めた。

「みなさん、おはようございます。たったいま、西田先生散歩警報が発令されました。予想進路は――」


「西田先生は、今度は何を考え始めたんですか?」

 緊急警戒放送を終え、マイクのスイッチを切ると、バークリーが聞いた。

「フーダニットだよ。学園中にハンコ押しまくったのは誰かって考え始めたんだ」

 ストップウォッチを振り回しながら、アナクサゴラスは答えた。

「ああ、あの……」バークリーはアナクサゴラスの背後、扉の方を見やった。「うちのドアもやられました」

「この部屋の中は、大丈夫だったようだな」

 アナクサゴラスが、室内を見渡す。放送用の機器や、マイクスタンド、レコーダーやスピーカーなどが置いてあるが、どれにも「Who Done It?」のスタンプは押されていない。

「ええ。鍵かけてましたから」

「ふぅん。犯人は、鍵を開けてまでハンコ押したりはしなかったんだな」

「そのようですね」

 さて、もうこの部屋に用はない。そう思いアナクサゴラスは立ちかけたが、ふと、バークリーが膝の上に載せているパラボラアンテナが目に止まった。

「お前のそれで、犯人わからないか?」

「これですか?」

 とバークリーがアンテナを持ち上げる。

「さぁ、どうでしょう?」

 そう言うと、バークリーはおもむろに頭にアンテナを載せた。

「ピー、ピュルルルルル……」

 またファックスの受信音を、口から発する。アナクサゴラスは、バークリーの無表情を凝視した。

「フーダニット事件の……犯人と……その目的は……」

「なんだ?」

「…………」

 バークリーはアンテナを外した。

「ちょっと、わからないですね」

「なんだよ」

 うなだれるアナクサゴラスを見て、バークリーは鈴を転がすように笑った。

「電波が悪いようです」

「神の放送に、電波もくそもあるのか?」

「さぁ? 私は神ではないので、わかりません」

 ああ言えばこう言う……。悪質な宗教団体のような少女だった。

「でも私には、容疑者を絞ることは出来そうです」

「なに?」

「先生は、『Who done it』ってフレーズ、すぐに訳せましたか?」

「いや」

 アナクサゴラスは、素直に首を振った。つい三十分前に西田に教わったところである。

「このフレーズは、ミステリでよく使う言葉なんです。『犯人は誰か?』って意味ですね。犯人はこのフレーズを知っていた。つまり犯人は、ミステリが好きな人物です!」

「…………」

 アナクサゴラスは、ストップウォッチを回す手を止め、しばし黙考した。

「それ、手がかりになるのか? そもそも、ミステリが好きかどうかなんて、わからんだろ」

「そうですねぇ」バークリーは手中のパラボラアンテナをくるりと一回転させ、「あ、一人知ってます」と言った。

「誰だ?」

「同じクラス……近代組のデカルトちゃんです。彼女、いつもミステリ読んでます」

「ふぅん……?」

 とは言え、たったそれだけの手がかりで、犯人だと決め付けるわけにはいかない。ミステリ好きじゃなくても知っているかもしれないし、英語が得意なら考え付くフレーズかもしれない。

 アナクサゴラスは頭の片隅にだけ残すことにして、今度こそ、放送室を辞した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ