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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
最終章 哲学は真理を見抜けるか?(長編ミステリ)
35/64

3. 水の力

「ねぇアリスちゃん! フーダニットって、どういうことかな??」

 キラキラ輝く瞳で、ソクラテスは同じ古代組のアリストテレスに尋ねた。その指先は、廊下に押された「Who Done It?」のスタンプを示している。眼鏡をかけ、百科事典を小脇に抱えたアリストテレスは、首を捻りながらも答えた。

「言葉通りに解釈すれば、『誰が犯人か当ててみろ』と言うことではないかしら?」

「つまり、犯人からの挑戦状??」

「ええ」

「でもさ、変じゃない?? それって、『誰が「誰が犯人か?」とスタンプをした犯人か?』ってことだよね??」

「それもそうね」

 少し混乱しながらも、アリストテレスは返答した。

 アリストテレスは、今朝から何度も見ている廊下の壁をひと睨みしたあと、

「ちょっと、外に行ってみましょうか」

 とソクラテスに提案した。

「どうして外に行くの??」

 ソクラテスの問いに、アリストテレスは階段を下りながら答えた。

「もし犯人が、私達に何かを訴えているのならば、それを読み解く手がかりがどこかにあるはず。手がかりを手に入れたいならば、多くの情報を集めた方が良い。情報を集めたいならば、人の多くいるところに行くべき。よって、外へ行った方が良いの」

 赤いスタンプが押された昇降口の扉を開ける。アリストテレスに続いて外に出ながら、ソクラテスが尋ねた。

「人が多くいる場所って、どこ??」

「学生ホールか、中庭かしら」

 アリストテレスは、学園の地図を頭の中に広げた。学生ホールは第三校舎の一階にあるが、第三校舎は第一校舎から離れている。中庭は、第一校舎のすぐ目の前、歩いて二分の場所だ。

「まずは中庭に行きましょう」

 アリストテレスが颯爽と歩き出し、ソクラテスがそれを追いかけるように続いた。

「アリスちゃんは、この事件の犯人を見つけようとしてるの??」

「ええ、そうよ。貴女がそうしてくれって、言ったんじゃない」

 するとソクラテスは、ほえ? と口を半開きにした。

「言ったっけ??」

「言いました。今朝から何度も、『このスタンプ何かな??』『誰がやったのかな??』って。私が答えられなかったから、殴りかかってきたじゃない」

「あー、そうだったかも」

 てへ、とソクラテスは小さな舌を出した。忘れる程度の質問で殴られたのでは、たまったものではない。

 私は、殴られたくない。殴られたくなければ、ソクラの質問に答えなくてはならない。ソクラの質問に答えたいならば、事件の真相を知っていなくてはならない。事件の真相を知りたいならば、事件について調べなくてはならない。よって、私は事件を調査するべきである。アリストテレスはそう結論し、調査に乗り出したのだった。

 サッカーコート二面分くらいある広い中庭には、予想通り学園の生徒の姿が散見された。ざっと見て、三十人くらいだろうか。

 中庭の周囲は、背の高い常緑樹に囲まれている。冬でも夏でも、朝や夕方には木々が日の光を遮る。中庭に集まった生徒達はみな、入り口付近の東側ではなく、奥の西の方にいた。そこなら日が当たるからだ。

 古風な池や噴水、桜や梅など、中庭を彩る人工物や植物にも、「Who Done It?」の赤いスタンプが押されていた。それらを横目に見ながら、アリストテレスは中庭を横切った。

 西側に近付くにつれ、真っ先に目に飛び込んできたのは、牛だった。それもホルスタインではなく、黒毛和牛である。

 農業高校でなければ、校内に牛がいることはあり得ない。聖フィロソフィー学園は、農業高校ではない。よって、聖フィロソフィー学園に牛がいることはあり得ない。

 アリストテレスは得意の三段論法を脳内に展開させたが、口に出すことはしなかった。何故なら、農業高校でなければ牛がいないという、その前提が誤っているのだ。

「ん~? うちに何か用なんかぁ?」

 牛の上に寝そべっていた少女が、アリストテレスとソクラテスの二人に気付き、体を起こした。

 この学園には、動物を連れ込んでいる生徒が何人かいる。この牛も、眠たげな目で、長い三つ編みを垂らした少女のペットなのだ。

 噂は聞いたことがある。アリストテレスは、記憶を呼び起こした。彼女の名前は、老子ろうしだったはずだ。

「老子さん」アリストテレスが呼びかけた。「私達はいま、学園中にスタンプが押された事件について、調べています。何か知っていることがあれば、教えてください」

「ん~?」

 牛の上に胡坐をかいて、老子は頭をゆらゆら、左右に振った。その間、牛は何食わぬ顔をしていた。いや、草を食っていた。

「うちが知ってることと言えば~」たっぷり一分考えて、老子が言った。「水ってすごいねんなぁ、ってことぐらいやなぁ」

「それって、どういうこと??」

 ソクラテスが身を乗り出し、目をキラキラさせた。老子は眠たげな目のまま、ソクラテスを見下ろす。

「ほら、見てみぃ、あそこ」

 老子がゆっくりと持ち上げた腕が、中庭の噴水を指していた。

「噴水に押されたスタンプ、ところどころ滲んどるやろぉ。あのスタンプ、水で消せるでぇ」

「…………それだけですか?」

 冷めた目で、アリストテレスが老子を見上げる。

「それだけやぁ」

 アリストテレスの冷たい視線も意に介さず、老子は小さくあくびした。

「他に何か、用はあるんかぁ?」

「それじゃあ、老子ちゃんは!」とソクラテスが目を輝かせた。「この事件、誰が何のためにやったことだと思う??」

「ん~?」

 老子はまた、頭を揺らしながら考え始めた。牛は草を食うのをやめ、反芻に入っていた。

「誰かが、自分本位に行動した結果やろうなぁ」

「自分本位って、どういうこと??」

「ん~……」

 尋ね返されるたびに、老子はじっくりと考え込むようだった。早く答えが知りたいソクラテスは、だんだんイライラしてきた。

「どうしてすぐに答えないのよ!」

「あ、ソクラ!」

 アリストテレスが止めにかかったが、遅かった。

ドゴッ

 と音がして、ソクラテスの拳が老子の腹に食い込んでいた。

「おぅっ……」

 老子が牛の上で、体を半分に折る。

「じ、自分……女子の腹にパンチとか……」

「自分ってどういうこと?? 殴ったのはあたしよ!」

「か、関西弁では、相手のことを『自分』言うんや……」

「なんで??」

「ん~……」

ドコッ

 考え始めた老子の頭に、鉄拳が振った。

「だから、ソクラ! むやみに人を殴るのは止めなさい!」

 ようやくアリストテレスが、百科事典を地面に置いてソクラテスを羽交い絞めにする。ソクラテスはなおも暴れながら、「さあさあ! 答えなさいよ!!」とまくし立てた。

「ごめんなさい、老子さん」ソクラテスの代わりに、アリストテレスが謝った。「行くわよ、ソクラ」

「まだ何も聞けてないよ~!」

 わめくソクラテスを引きずって、アリストテレスはその場を離れることにした。

 腹と頭を抑えながら、老子は牛の上に横になった。ああいう我侭な人が、世を悪くするんや……などとひとりごちながら。

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