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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第一章 疑いの眼差し(中編ミステリ)
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1. 図書委員の四人

「こんにちはー」

 図書準備室の鍵を開け、誰もいない室内に僕は声をかけた。

 聖フィロソフィー学園、第四校舎三階。そこに、この学園唯一の図書室がある。僕がいま立っているのは、その隣の図書準備室だ。広さは一般教室の半分以下。壁際の本棚には、本がぎっしりと詰まっている。いわゆる閉架図書だ。部屋の中央には古い長机と、同じく古い四脚の椅子。

 蛍光灯を点けると、僕は四脚の椅子のうち、一番奥の椅子に座った。ここが僕の指定席だ。最近、ここが上座であることに気付き、ならば委員長が座るべきなのではと思ったが、特に誰も気にしていないようだ。

 机の上にカバンを置き、そこに顔を伏せる。窓から入る放課後の陽射しを受けながら、僕は目を閉じた。

 普通の図書委員の主な仕事は、図書室内での活動に留まる。図書の貸出・返却や、簡単なレファレンス作業である。

 しかし、僕ら四人……図書委員長と、「委員長補佐」なる役職を持つ僕らは、裏方の仕事を任されている。

 例えば、図書新聞の発行。本のレビューを書いたり、新しく入荷した本の情報を載せたりしている。図書室の掃除も行う。年に一度の蔵書点検も、僕らの仕事だ。

 カバンに突っ伏したまましばらくうとうととしていると、コンコン、と図書準備室の扉が遠慮がちにノックされた。顔を上げ、「はい?」と返事をすると、音もなく扉が開いた。

 入ってきたのは、一人の小柄な少女、デカルトだった。放課後だというのに寝起きのような表情で、ツインテールにはまだ寝癖がついていた。もしかしたら、どこかで昼寝していたのかもしれない。デカルトは朝に弱いらしく、ほとんど毎日遅刻する。たまに遅刻しないで来た日は、必ず昼寝する。ついでに寒がりなので、いつも厚着をして、首にはマフラーまで巻いている。寒そうにしてるくせにスカートはミニなのだから、女の子は謎である。

「あ、おはよう、フィル君」

「こんにちは」

 デカルトはとてとてと歩み寄り、僕の隣の席に座った。そこが彼女の指定席だ。カバンを机の上に置くと、デカルトは僕の顔を見つめてきた。先ほどまでの寝起きのような表情がウソのように消え去り、真剣みを帯びた、強い瞳が僕に近づいてくる。

「な、なに?」

 これは、「アレ」が来るな。展開が読めても、端整な顔が近づいてくると、思わず身を引いてしまう。

 次にデカルトは、僕の全身をじろじろと見た。僕の服装はただ黒いだけの学ランで、特筆すべき点はない。あるとすれば……ほとんどの生徒が私服で登校してるのに、僕は制服だという点だろうか。それからデカルトは、机の上の僕のカバンを見た。こちらは、表面にチェック柄の刺繍が施されている。

 それを見た後、デカルトは僕の顔に指を突きつけてきた。

「フィル君、いまカバンに突っ伏して寝てたでしょ?」

「え、どうしてわかった?」

「頬っぺたに、チェック模様が残ってる」

 単純だった。僕は自分の頬を撫でた。

 デカルトはいまのように、人の直前の行動を言い当てることが多い。初めて見たときは、昔の小説の探偵のようで驚いたが、最近は慣れてきた。そして、

「はっ、待って。もしかしたら、カバンが突然浮き上がって、フィル君の顔に張り付いていたのかも!」

 と、絶対にあり得ない仮説を立てることも、最近では慣れた。

「いや、普通に寝てたから」

「わからないわよ。フィル君が『寝てた』と思い込んでるだけって可能性もあるわ」

 そんなバカな。

「どうしたら、カバンに襲われるなんて非常事態に、『寝てた』と思い込むんだよ」

「それはほら、そのカバンさんに悪霊が憑り付いていて、催眠術で……」

「仮定に仮定が積み重なってる。オッカムが聞いたら、怒り狂いそうな推理だな」

「むー」

 デカルトが少し膨れた。

 ちょうどそのとき、再び扉が開いた。入ってきたのは、我らが図書委員長だった。そのすぐ後ろから、委員長と同じクラスのオッカムも入ってくる。

 委員長は、名をアウグスティヌスという。舌を噛みそうな上に長い名前なので、僕はいつも「委員長」と呼んでいる。ウェーブのかかったふわふわの髪をして、ふわふわとしたワンピースを着ていた。しかしそれでも、委員長の大きな胸はその存在を主張して、柔和な表情と相成り、包容力ありそうな印象を与える。実際、彼女はその通りの人物だ。

 一方、後から入ってきたオッカムは、委員長とは対照的な見た目だ。長身痩躯、鋭い目つき、黒いタートルネックにポニーテール。男のようなハンサムな顔立ちで、とてもクールである。委員長とオッカムは同じクラスのためか、いつも一緒に行動している。

 オッカムは室内に入ると、無言のまま足で扉を閉めた。

 足で、である。

 オッカムはいつも扉を足で閉めるが、それで彼女の品行を咎める者はいない。彼女には、足で閉めざるを得ない事情があるのだ。

 何故なら、いつも両手に巨大な剃刀を持っているからである。

 本当に巨大である。オッカムの背丈ほどある。もはや薙刀だ。それをオッカムは、まるで家宝であるかのように両手で持ち、いつも持ち歩いているのだ。

「あら、フィル君にデカルトちゃん、こんにちはぁ」

 委員長が柔和な笑みを浮かべる。オッカムも、無言で小さく会釈した。僕らが返事をすると、委員長は微笑みながら着席した。委員長の指定席は、僕の目の前だ。委員長はカバンを下ろして床に置き、手にしていた本を自分の膝に置いた。

 いつも持ち歩いていると言えば、委員長もいつも本を持ち歩いている。それも、同じ本だ。茶色い装丁のハードカバーで、表紙には「Confessio」と綴られている。僕が図書委員になったときからずっと持っているので、かれこれ二年近く持ち歩いていることになる。なんの本なのか、気になって一度尋ねたことがあるが、「え、えっと……乙女の秘密?」と誤魔化された。

「なぁオッカム」

 と僕は斜め前のオッカムに声をかけた。オッカムは床に剃刀を丁寧に置き、顔を上げたところだった。

「僕の頬に、僕のカバンの模様がついていた。この状況を見て、お前ならどう推理する?」

「突っ伏して寝てた」

 早口でオッカムが答えた。ほらな、と僕は勝ち誇った顔で隣のデカルトを見る。

「むー。フィル君がカバンさんに襲われてたって可能性もあるよ!」

「カバンは襲わない」

「カバンさんに悪霊が憑依してたのかもしれないよ!」

「仮定に仮定が重なっている」

 オッカムが僕と同じセリフを言ったので、僕は少し吹き出した。

「だって考えてみて」と、デカルトが食い下がる。「いま確かなことは一つ。『フィル君の頬に、カバンの刺繍と左右反対の模様がついている』ってことだけよ? ならそこから導かれるのは、『カバンとフィル君が密着していた』ってことだけじゃない」

「その状況なら、『寝てた』と考えるのが一番簡単。無駄に仮定を増やす必要はない」

 オッカムは、無駄なことが嫌いらしい。髪が長いのは、散髪する時間が無駄だから。ポニーテールなのは、長い髪を短時間で処理する方法だから、だそうだ。なら、その巨大な剃刀を持ち歩くことこそ、体力の無駄じゃないだろうか。最初はそう思ったが、この薙刀、もとい剃刀には、ちゃんと持ち歩く理由があるのだ。

「あ、委員長。肩にゴミがついてますよ?」

 僕は身を乗り出して、委員長の肩に手を伸ばした。

 と。

 ビュッと風切り音がして、僕の腕に刃が載った。

「アウグスティヌスに近づくな」

 まさに紙一重。袖の布ギリギリのところに、剃刀が迫っていた。さっきまで床に置かれていたのに、まさに神速。これが、オッカムがこの剃刀を持ち歩く理由だ。オッカムは、委員長に近づく男という男を、剃刀で威嚇している。本当は、僕がこの委員長補佐の役に就いていることも、不満らしい。

「わ、わかったよ、オッカム」

 僕は、鋭い目をさらに細めたオッカムを見て、腕を引っ込めた。委員長は、何事も無かったかのように、自分で肩の埃をパタパタとはたいた。

「さて」埃を落としたところで、委員長が両手を合わせた。「それじゃ、そろそろ会議にしましょうか」

 委員長の一言で僕は立ち上がり、窓際においてあるホワイトボードを机に近づけた。僕は委員長補佐の中で、書記を務めている。ホワイトボードに書かれている前回の会議の内容(来月号の図書新聞の企画内容)を消すと、マーカーのキャップを取って、委員長の言葉を待った。

「と言っても、今日は特に話し合うことは無いわね。明日の書庫の整理の予定について、最終確認をしておきましょう」

 一応、僕は書き取ることにした。ホワイトボードの一番上に、「明日の書庫の整理について」と記す。

「明日の放課後、私たち四人で書庫の整理をします。場所は学園の一番端になるのだけれど……一度、ここに集まってから、みんなで行きましょう」

 さっき書いた文字の下に、「放課後、図書準備室集合」と書き添える。

 デカルトが、「はい」と手を挙げた。

「はいどうぞ、デカルトちゃん」

「書庫の整理って、具体的に何するの?」

「そうねぇ、大きく二つかしら。本を書棚に並べることと、古い書類を焼却処分することね」

 僕はホワイトボードに、「やること⇒本を書棚に並べる、書類を燃やす」と書いた。

 ちなみに、この書庫は図書館の書庫であると同時に、生徒会や文芸部などの書庫でもあるらしい。みんなが適当に古い本をしまったり、要らない書類を突っ込んだりするせいで、書庫の中は雑然としている。それを整理するのが、今回の仕事だ。

 デカルトに続けて、僕も質問した。

「どのくらい時間がかかりますかね?」

「う~ん、三時間くらいかしらぁ。書類の量にもよるけど……。あ、そうそう」

 委員長は片目を閉じて、

「書類を運ぶのは、フィル君、お願いね」

「なんでですか?」

「だって、紙って重いじゃない」

 当然だが、書庫の中に焼却炉は無い。重いものを運ぶのは男の仕事、ということか。

「アウグスティヌス」

 とオッカムが早口で尋ねた。こいつは無駄なことを極力排除する癖があるのに、委員長のことはフルネームで呼ぶ。適当に省略すればいいのに。

「本の並べ方は?」

「書庫の本は五十音順に並んでた気がするから、その通りにしましょう」

 その後、さらにいくつかの事項を確認した。僕がその全てをホワイトボードに書き取ったところで、

「うん、今日の会議は、この辺にしましょうか」

 と委員長が締めた。

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