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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第二章 神様の恩寵(中編ミステリ)
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epilogue. 無駄じゃないこと

「フィルにはいまさら説明する必要はないだろうが、アウグスティヌスとデカルトのために、説明しよう」

 剃刀を床に置いて、オッカムが謎を明かす探偵のように言った。

「その文章は、私がフィルに書かせたものだ。ノートも、私がフィルに、デカルトのカバンに忍ばせた」

「なんのために?」とデカルト。

「もちろん、デカルトに『シャーペンを壊したのはフィルだ』と思わせるためだ」

「でも、わたしにそんな疑いを持たせて、どうするつもりだったの?」

 デカルトの当然の質問に対し、

「先週誘拐されたとき」

 と、オッカムは関係無さそうな話を始めた。

「私は、アウグスティヌスの『Confessio』を読んだ」

 委員長が顔を急に赤くして、ゆっくり背けた。

「そこに、デカルトのシャーペンをうっかり折ってしまったと、記されていた。それを謝ろうとしたのに、きっかけが無くて謝れなかったことも。そして『Confessio』の中で、アウグスティヌスはそれを大げさに懺悔していた」

 なんとなく、僕には委員長のその様子がイメージできた。デカルトのシャーペンを折り、謝れなかった委員長。夜に自室で一人、デスクスタンドの明かりの下で、机に向かって『Confessio』にその罪を書き記す。泣きそうな顔で、胸を痛めながら。ああ神様、この迷える子羊に恩寵を。

「『Confessio』には他にも色々書いてあったが、この後悔だけは晴らすことが出来るかもしれないと、私は思った」

「なんでだ?」

「アウグスティヌスは、シャーペンを折ったことを悔やんでいたが、同時に、謝れなかったことも悔やんでいた。なら、謝るきっかけを与えてやれば良い。そこで考え付いたのが、今回の計画だ。すなわち」

 オッカムは僕の顔を見据えた。

「フィルに、冤罪を被せる」

「なんでそうなる!?」

「アウグスティヌスの前で、デカルトがフィルを糾弾する。この様子を見て、アウグスティヌスはどう思うか?」

 オッカムの言葉で、僕らの視線が委員長に向かった。委員長は、「え、えっと……」と動揺している。

「当然、こう思う」オッカムが言った。「フィルが、自分のせいで無実の罪を被ろうとしている。その無実を晴らしてやれるのは、自分しかいない。それにこれは、デカルトに謝る最大のチャンスだ。……と」

 僕らはまた委員長を見た。委員長は目を見開いて、驚いた表情をしていた。こくこくと頷く。図星だったのだろう。

「でも待って!」とデカルト。「ティヌスちゃんが、必ずしもそう思うとは限らないじゃない! 言いたくないけど、例えば、『このままフィル君に罪を被せちゃえー』って思う可能性もあったでしょ!?」

「可能性だけなら、もちろんあった。だが私は、自首する可能性の方が高いと踏んだ」

「根拠は?」

「忘れたのか?」とオッカムは僕を一瞥した。「昨日、書庫でフィルが疑われたとき、アウグスティヌスは自ら名乗り出たではないか。自分が犯人だ、と」

「あっ!」

 デカルトは僕と委員長を交互に見た。僕も驚いて、なるほど、と呟いた。さっきの状況は、昨日の書庫での状況と、ぴたり一致するのだ。例のネックの部分には、昨日の状況をなるべく正確に再現する目的もあったのだろう。ただし僕を糾弾したのは、デカルトではなくオッカムだったが。

 そして第三の指令も理解できる。デカルトが僕を糾弾するのは、委員長の目の前でなくてはいけない。だから、委員長よりもあとに、僕が図書準備室へ来る必要があったのだ。

 オッカムの説明をここまで聞いて、僕はこの状況が事前に推理「不可能」だったことに気が付いた。「委員長がデカルトのシャーペンを折った」という手がかりが、欠けていたからだ。

 しかし、同時に僕は思い出した。書庫の整理の直前、僕とデカルトがシャーペンの話をしたとき、委員長は何かを言いたそうにしていた。その様子から、「委員長がシャーペンを折り、それを謝ろうとしていた」と「仮定」できていれば、この状況は推理できたと言える。

「で、でも」とデカルト。「わたしがこの三行を見て、フィル君がシャーペンを壊したって推理するとは、限らないじゃない!」

「限らないが、その可能性は高かった」

「どうして?」

「その文章には『うさぎ』という単語が含まれる。『フィル』と『うさぎ』の二つの単語から、デカルトは、昨日フィルとしたシャーペンの話を無意識に思い出すだろうと考えた。つまり、その文章とシャーペンを、結びつけるだろうとな」

 僕はこの説明だけで納得してしまったが、デカルトはまだ納得しなかった。

「だけど、わたしが『この文章は捏造かもしれない』って、疑う可能性もあったでしょ? 実際、そうだったわけだし」

「それはあり得ない」

 オッカムは断言した。あまりにもはっきり否定するので、僕まで首を傾げた。

「どうしてだ?」

「デカルトには、『物的証拠』を『確かなこと』として推理する癖があるからだ」

「あっ……」

 デカルトが言葉に詰まった。癖なんて騒ぎじゃない。デカルトは、「確かなこと=物的証拠」と宣言していた。その裏をかかれた衝撃は、大きいに違いない。

「だから私は、デカルトに『文章』という『物的証拠』を与えた。それが捏造されているかもしれないと疑うことなく、デカルトはその証拠を信じた。そして、フィルを糾弾した」

 デカルトは、悔しげに下唇を噛んで、俯いた。

 完敗だ。

 まんまとしてやられた。

 しんと静まった僕らの間に、アルトのハスキーボイスが響く。

「確かにデカルトの言う通りだった。仮定が少なければ正しいとは限らない。その文章が捏造であると仮定していれば、デカルトは真相に到達しただろう。その点では、負けを認める」

 オッカムはそう告げると、口元にクールな笑みを浮かべ、言った。

「だが、今回は私の勝ちだな」

 その笑みを見ながら、僕は思った。

 おかしい。

 いまの真相には、決定的な無駄がある。

 委員長に謝らせることが目的なら、「早く謝った方が良い」と諭せば済む話じゃないか! こんな回りくどい方法を取る必要は、どこにもない!

 だがその疑問は、オッカムの隣の委員長を見て、一瞬で氷解した。

 委員長は、頬をわずかに朱に染め、熱っぽい目でオッカムを見ていた。自分を諭すのではなく、赦し、救ってくれたオッカムを。

 その表情はまるで――いや、まさに――恋する乙女の、それだった。



...『神様の恩寵』END

「ご都合主義じゃね?」という突っ込みにグサッと来た作品。

この作品も第一章『疑いの眼差し』同様、多くの方が感想と突っ込みをくださいました。

「アウグスティヌスの影が薄い」「影が薄いくせにラストのキーになるのはアンフェア」

などの突っ込みがあり、やはりグサッと来ました。


これらの突っ込みに対する修正は、施していません。

施すには、全体を書き換えなくてはならず、さすがに面倒……いや、そもそも全く違う話になっちゃうので、止めました。


次章は連作短編集となります。ジャンル的には、コメディです。

どうぞ、最後までお楽しみください。

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