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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第二章 神様の恩寵(中編ミステリ)
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12. 追及

 僕は気付いた。

 オッカムと委員長よりあとに図書準備室に来いと言われても、よく考えたら、オッカムと委員長がいつ図書準備室に行くか、僕にはわからないではないか。

 六時間目にそのことをオッカムにメールで相談すると、『私達が図書準備室に行ったら、メールする』と返信が来た。

 なので放課後、僕はメールが来るまで、教室で級友達と駄弁っていた。級友の言葉に適当に相槌を打ちながら、僕はオッカムの計画の目的について、考えていた。

 オッカムは、委員長が好き。しかし二人の仲は、いまよそよそしくなっている。だから、それを改善するための計画なのだろう。

 ここまでは、既に考えた通りだ。しかし、オッカム(というか僕)の行動がそれにどう結びつくのかが、よくわからない。

 それとも、オッカムはオッカムで、別な行動を取っていると考えるべきか。つまり、僕の行動と、オッカムの行動が合わさって、ようやく計画の全貌が明らかになる、とか。

 一つ一つの行動に注目してみよう。

 第一の指令「二時間目(自習時間)に図書準備室に来い」と言うのは、僕のノートにあの謎の文章を書かせるためだろう。

 僕が書いた文章は、「あいうえお/うさぎがじゃま/ABCΓ」である。最後の「Γ」は、「D」の書きかけだ。

 問題は、次の二つの指令だ。


 第二の指令「文章を書いたノートをデカルトのカバンに忍ばせろ」

 第三の指令「放課後、オッカムとアウグスティヌスよりあとに図書準備室に来い」


 一つ目と二つ目には、関連がある。だが、三つ目はなんだろうか。

 こういうときは、相手の立場に立ってみれば分かる場合がある。

 オッカムの立場に立ってみよう。

 彼女から見ると、僕に文章を書かせた後、僕から「ノートを忍ばせた」というメールを受け取る。その後、第三の指令を送る。放課後になり、委員長とオッカムは僕より先に図書準備室に入るだろう。その後で、僕が準備室に入ってくる。

 ……そうか。「僕が二人より後に行く」ことが重要なのではなく、「二人が僕より先に行く」ことが重要なのかもしれない。するとどうなるか。オッカムと委員長は、図書準備室で二人きりになる。さらにあの部屋は、外に音が漏れない。だから、二人はその中で……。

 いやいやいやいや。

 僕は何かを想像しかけて、思わず頭を振った。

「どしたんだ、フィル?」

 級友に心配されてしまった。

「いや、なんでもないよ」

 笑顔で手を振る。

 冷静に考えれば、いまの推理には穴がある。図書委員長補佐は、僕とオッカムと、それからデカルトの三人だ。デカルトの行動を操作できない限り、二人きりにはなれない。

 ……待てよ。デカルトには、僕のノートを渡した。もしデカルトが僕のノートに気付いていたら。中の文章を目にしていたら。そしてあの文章が暗号で、「図書準備室に来ないで欲しい」といった内容を伝えるものだとしたら。オッカムと委員長は、準備室で二人きりになれるではないか。

 うーむ、でも、何か違う気がする。わざわざ暗号文にする理由がわからないし、それならデカルトに直接伝えれば良いではないか。昼間に考えた通り、やはり「僕を介して」という点が、ネックである。逆に言えば、ここにオッカムの動機を読み解く重要なヒントがありそうだ。

 と、そのとき、上着のポケットのケータイがピロピロと鳴った。デフォルト設定のメール受信音だ。ケータイを開くと、オッカムからだった。

『来い』

 とだけ書かれた、タイトルの無い不気味なメールである。

「あ、じゃあ僕、委員の仕事あるから」

「おー、毎日毎日大変だなー」

 ニヤニヤしながら、級友達は手を振った。「お前、毎日密室で、美女三人となにやってんだよ?」と質問責めを食らったことがある。こいつらだって、部室では似たような状況だろうと言うのに。

 第一校舎を出て、第四校舎へ。上り慣れた階段を上って、図書準備室の前に来た。

 扉をノックし、返事を待たずに開けた。

「こんにちはー」

「こんにちはぁ、フィル君。遅かったわねぇ」

 委員長がおっとり微笑みながら、こちらを見た。オッカムは無表情で会釈する。ポニーテールが揺れ、きらりと剃刀が妖しげに光った。

 室内には、二人のほかにデカルトがいた。室内なのにマフラーをして、「こんにちは、フィル君」と言った。

 いつも通りの光景。

 僕はいつも通り、自分の指定席に座る。部屋の一番奥の上座。委員長の目の前、デカルトの隣。

 カバンを机の上に置くと、

「ねえ、フィル君」

 と、横からデカルトが話しかけてきた。

「なに?」

 横を向くと、デカルトが自分のカバンから、ノートを一冊取り出した。聖フィロソフィー学園オリジナルの、緑色のノート。

「これ、フィル君のノートじゃない? わたしのカバンに入ってたよ」

「え、本当に?」あれ、この後どう行動すればいいんだろう。「ありがとう」とりあえず僕は、受け取るため手を差し出した。

 だが。

 僕がノートを手にする直前、デカルトはパッと手を上に挙げた。

「え、なに?」

「ねぇ、フィル君」

 それから、人の直前の行動を言い当てるときと同じ口調で、デカルトは言った。

「フィル君は最近、何かを壊さなかった?」

 どこかで聞いた台詞である。僕は、同じくどこかで聞いた台詞で答えた。

「え? 別に壊してないけど?」

「本当に?」

「あ、ああ……。なんで、そんなことを思うんだ?」

 尋ねると、デカルトはパラパラと、僕の緑色のノートをめくった。そして差し出してきたのは、例の三行が書かれているページだった。

「確かなことは一つ。『フィル君のノートの余白に、この三行が書かれている』ってこと」

「……へ?」

「フィル君。この三行は、なに?」

「えっと……」

 僕は横目で、チラリとオッカムを見た。いつもの無表情だ。誰にも言うな、と言われている以上、言うわけにはいかない。

「別に、何ってわけじゃないよ。たまたま書いただけで……」

 しどろもどろに答えた僕の顔を覗き込み、デカルトは、予想だにしない言葉を口にした。


「たまたま、わたしの(、、、、)シャーペンを(、、、、、、)使って(、、、)書いた……でしょ?」


「へっ!?」

 な、なんでそんな話になるんだ? 僕が目を白黒させていると、デカルトは勝ち誇ったように笑った。

「フィル君はいつも、Hの芯を使っている。でもこの三行だけは、HBの芯が使われている。わたし、いつもHBを使ってるのよね」

「!」

「さらに、この文章は最初の一行が『あいうえお』……これって、文房具屋さんでよく見かけるよね。ペンの試し書き(、、、、、、、)のコーナーで(、、、、、、)

「!!」

「その次が『うさぎがじゃま』……この『うさぎ』って、わたしのシャーペンについてた、ウサギのストラップのことを言ってるんじゃない? 文字書いてると揺れるから、慣れないと邪魔に感じるのよね」

「い、いや……」

 デカルトは僕に反論の隙を与えず、さらに続けた。

「最後が『ABC』、そしておそらく『D』の書きかけ。これもやっぱり、試し書きだよね。そして、『D』を書いている途中で……シャーペンが折れた」

「どんな腕力だよ!」

「ううん」デカルトは首を振った。「あのシャーペンは、ひびが入ってたの。男の人がちょっと力を込めたら、たぶん簡単に折れる程度に」

「んな……」

 なにこの冤罪。

 僕はチラチラと、何度もオッカムを見た。しかしオッカムはすまし顔で、剃刀と戯れている。おいおい、僕への弁護は無いのかよ。

「だが待て、デカルト」この窮地を逃れるべく、僕は反論した。「その推理には穴がある」

「どんな穴?」

「その文章が、デカルトのシャーペンで書かれたものだとする物的証拠が無い! 芯が同じってだけだろ?」

「うん、もちろんその通り」

 デカルトはあっさりと認めた。

 そして言った。

「だから、どうしてこんな文章を書いたのか、その理由を説明してくれる?」

「うっ……」

 言うな、というオッカムの視線を感じた。剃刀と戯れているのが、僕には威嚇にしか見えない。

 いまさらだが、この状況は事前に推理可能だったことに、僕はようやく気が付いた。

 僕はさっきオッカムの立場に立って考えた。だが正しくは、デカルトの立場に立つべきだったのだ!

 カバンの中に、いつの間にか見知らぬノートが入っている。当然、誰のものか確かめるために、ページを開くだろう。書かれている文字を見て、僕のものと判断するに違いない。そして、例の文章を発見する。

 まさか僕がオッカムに服従していたなんて想像もしないデカルトは、その文章を「オッカムから宛てられた文章」ではなく「フィル君から宛てられた文章」だと解釈する。そしてその意味を推理すれば、自ずとここに到達する。

 二週間くらい前になくしたシャーペン。あれは、フィル君が壊したんだ!

 僕はようやく、ネックの部分を理解した。オッカムは何故、わざわざ僕を介したのか? 理由は簡単。「フィル君から宛てられた文章」だと解釈させるためだ。

 だがまだわからない。その目的は何だ? それに、第三の指令は何のためにある?

 答えに窮する僕に、デカルトは顔を近づけてきた。小さな顔なのに、威圧感がある。

 オッカムは、まだ何も言わない。

 え、なに。もしかして、これが目的だったのか?

 僕に冤罪を被せようとしていたのかよ!?

「ち、違うわ!」

 あまりにもタイミングが良かったので、オッカムが言ったのかと思った。

 だが違った。

 ヒステリックな声の主は、委員長だった。長机に両手を付き、困ったような、悲しむような表情でこちらを見ていた。

「……ティヌスちゃん? 何が違うの?」

「あ、あの、えっと……」

 委員長はおずおずと自分のカバンを開け、中から手のひらサイズのピンクの巾着袋を取り出した。また古風なものを……などと思っていると、その中から何かを取り出した。

 真ん中からぽっきり折れた、ウサギのストラップが付いたシャーペン。

「あ、それ」とデカルト。「わたしのシャーペン?」

「ごめんなさいっ!」

 委員長は深々と頭を下げ、両手でそのシャーペンを差し出した。目をぱちくりさせながらも、デカルトはそのシャーペンを受け取った。

「少し前に……」と委員長。「可愛いシャーペンだなって思って弄ってたら、うっかり折っちゃって……」

 どんな握力だよ!

「謝ろうと謝ろうと思ってたんだけど、デカルトちゃんのお気に入りだったみたいで、なかなか言い出せなくて……ご、ごめんなさいっ!」

 深々と下げた頭を、さらに下げる。机にめり込みそうだ。

 デカルトはしばし放心していたが、やがて柔らかく微笑んだ。

「いいよ、ティヌスちゃん。さっきも言ったけど、元々壊れかかってたペンだし。気にしないで」

「うん……本当、ごめんね?」

 半ば取り乱し気味の委員長を、デカルトは「本当に、気にしないで」と慰めた。

 それから、片手に持っていたノートに目を移す。

「でも、そうすると、この書き込みはなに?」

 デカルトは僕を見た。

 僕はオッカムを見た。

 釣られて、デカルトもオッカムを見る。避けていたはずの委員長までもが、オッカムを見た。

 全員の視線が集まったところで、オッカムは、

「フッ」

 と鼻で笑った。

「全員、見事に私の手のひらで踊ってくれたな」

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