9. 作戦
「はい、よく出来ました」
教科書の問題をあらかた解き終わると、デカルトはまるで子どもをあやすように言った。目を細め、あろうことか僕の頭を撫でてくる。
「……馬鹿にしてる?」
「まさか!」本当に心外だ、と言わんばかりに、デカルトは目を丸くした。「あの状態から、たった一時間でここまで出来るなんて、思わなかったのよ」
「……」
やはり馬鹿にされている。
じゃあ次は問題集をやりましょう、とやはり子どもをあやすような声で、デカルトは僕の問題集を開いた。すぐに該当のページを見つけ出し、僕の前に置いた。
僕が問題集に取り掛かると、デカルトは自分のカバンを開け、本と筆箱を引っ張り出した。筒状の筆箱と学園オリジナルの赤いノート、そして世界史の問題集だ。筆箱の蓋を開けると、中にはカラーペンがびっしり詰まっていた。軽く三十本はある。どう使い分けているのだろう。デカルトはその中から、六角柱の鉛筆を取り出した。問題集とノートを開いて、穴埋め問題を解き始める。
紡がれる文字は、デカルトの背丈のように小さかった。ノートの罫線の、半分も使っていない。角の取れた丸い漢字や片仮名が、女の子らしいと思った。
デカルトが開けたカバンを見ながら、僕は言った。
「なぁ、デカルト」
「なに?」
ノートから顔を上げて、デカルトはこちらを見た。僕は出来る限り愛想の良い笑みを浮かべ、デカルトを見つめる。
「教えてくれたお礼に、自販機でなんかおごるよ。どうせ、朝ご飯食べてないんだろ?」
「そんな」ころころと笑った。「いいよ、気を使わなくて」
「本当か?」
いつもデカルトがそうするように、僕はデカルトに顔を近づけた。デカルトの白い頬が、来たときのように朱に染まり始めた。
「え、えっと……」
俯く。だが上目遣いでこちらを見て、呟く。
「そだね、ちょっと、お腹、空いてる、カモ……」
「ほらやっぱり」
にっこり、と僕は笑ってみせた。後ろを振り返り、カバンから財布を取り出す。財布のチャックを開けて、中から百円玉を二枚出した。
「はい」
「え?」
それをデカルトの目の前に突きつけると、デカルトは「なにこれ?」と顔に浮かべた。
「好きなの買って来ていいよ」
「……」
朱に染まっていた頬が急速に白け、大きな目が半分くらいのサイズになった。子どもみたいな小さな手で、僕の二百円を摘み上げる。
「わたしのこと、子ども扱いしてない?」
「まさか!」本当に心外だ、と言わんばかりに、僕は目を丸くした。「いくら背が小さくても、そんなことしないよ」
そう言うと、デカルトはあからさまに頬を膨らませた。そっぽを向いて、自販機へ向かう。
さっき僕を馬鹿にしたことへの、意趣返し成功だ。
と同時に、作戦成功である。
言うまでもない。デカルトのカバンにノートを入れるための作戦だ。咄嗟に思いついたにしては、うまい方法ではないだろうか。
ここは入り口にほど近い席。一方、自販機コーナーは食堂の中央近くにある。その距離三十メートル以上。しかも自販機の前に立つと、この席は死角になる。
デカルトのカバンにノートを仕込むには、絶好のポイントだ。
デカルトが自販機の陰に隠れたのを確認すると、僕は彼女のカバンを開けた。
中には……大量の使い捨てカイロが入っていた。十や二十どころじゃない。全部一度に開封したら、発火するんじゃないかって量だ。いくら寒がりだからって、何もこんなに入れておく必要はないのではなかろうか。
カイロの山をかき分けると、教科書やノートの背表紙が見えた。その間に、僕のノートを挟みこむ。
すぐにカバンから手を離し、素知らぬ顔で問題を解き始める。
一問解いた。
デカルトはまだ戻らない。
三問解いたところで、ようやく戻ってきた。
「買えた?」
「ん」
無愛想に、右手に持ったビニール袋を突き出してきた。渦巻きチョコパン、二百円也。とぐろを巻いたパンにチョコが染み込ませてあって、十人に九人が渦巻きを解きながら食べる代物だ。
デカルトは袋からパンを取り出すと、両手で持って渦巻きを解き始めた。
「出来たの?」
リスのように齧りながら聞いてくる。僕は「ほら」と言いながら、ノートを差し出した。デカルトはページを一瞥すると、
「二問目と三問目が間違ってる」
「いまの一瞬でわかるのか?」
「当然」
誇らしげに胸を張って言うと、デカルトはまた、パンを齧り始めた。
その様子を横目に見ながら、僕は机の下でケータイを開いた。ノートを忍ばせることに成功したので、オッカムにメールをしなくてはいけない。さっき登録したばかりのオッカムのアドレスを開く。新規メール作成。
『デカルトのカバンに、ノートを入れた。次は何をすればいい?』
しかし、しばらく待っても返信が来なかった。授業中なのかもしれない。
ケータイを上着のポケットに入れ、僕は二問目をもう一度解き始めた。
各話の長さを統一できない……。




