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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第二章 神様の恩寵(中編ミステリ)
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7. フィルの推理

 オッカムが去った後、僕はしばらく、図書準備室でボーっとノートを眺めていた。目線はノートに注がれていたが、内容は全く読んでいない。僕の思考は、別のところにあった。

 デカルトのカバンに、どうやってこのノートを忍ばせよう?

 ノートは、一般的なB5サイズだ。この学園の購買で売っている、聖フィロソフィー学園オリジナル(と言っても、市販のノートに小さく校章が入っているだけ)の物である。装丁は緑色。特に名前などは書いていないので、表紙だけ見ても誰のものかわからないだろう。

 四の五の考えていても、仕方が無い。ノートをカバンに入れるくらい、一瞬で済むことだ。作戦なんて立てなくても、隙さえ見つけられれば楽に完遂できるだろう。

 僕は立ち上がると、オッカムが長机の上に置いていった鍵を持って、外に出た。

 図書準備室の鍵をかけ、その鍵を廊下を挟んだ向かいの司書室へ持っていく。

 司書室は、図書準備室と左右反対の構造をしている。しかし、図書準備室と違って本棚がほとんど無いため、窓から中を窺える。いまは、中に司書のアッシリア先生がいた。そばかすとショートカットが特徴的な、いつも白衣を着ている先生である。

 司書室の扉をノックして、「失礼します」と言って開ける。

「鍵、返しに来ました」

「あら?」

 アッシリア先生がデスクから顔を上げ、不思議そうに目をぱちくりさせた。ちょっとお茶目な仕種だと思った。

「鍵を借りに来たのは、オッカムさんだったわよねぇ」にやりと笑って続ける。「もしかして、密会?」

「ち、違いますよ!?」

 いや、密会には違いないのだが、先生が想像しているようなものでは決して無い。脅迫者に意味不明な強制労働をさせられていただけだ。

「まあ、そうよね。あのオッカムさんが、フィル君を相手にするはずないわよね」

「そ、そうですよ」

 僕は乾いた笑みを浮かべた。アッシリア先生は、オッカムの性癖に気付いているのだろうか?

 鍵を、扉の横に突き刺さっている釘に引っ掛け、僕は会釈した。

「では、また放課後」

「はい。授業サボっちゃダメよ?」

 授業をサボっても大して叱られないのは、この学園の特色の一つだろう。


 第四校舎を出ると、僕は第一校舎へ向かった。図書室のある第四校舎は、図書室のほかには部室や生徒会室など、生徒が使う狭い部屋しかない。授業の行われる一般教室があるのは、第一校舎だ。音楽室や美術室などの特別教室は第二校舎、そして食堂や学生ホールなどは第三校舎にある。

 第一校舎に入った僕は、自分の教室である「現代組」には向かわず、デカルトの教室である「近代組」へ向かった。

 この学園のもう一つの特色は、学年の概念がないことだ。そのため、全校でクラスはたった五つしかない。僕の所属する現代組、デカルトの所属する近代組、委員長とオッカムの所属する中世組、それから古代組と東洋組だ。むろん、この五つのクラスに上下関係はない。

 近代組の二時間目は、自習時間だった。教室では、数名の女子生徒が一箇所に群がり、

「全員が自分の欲望に忠実に行動するだけで、全て上手く行くのよ!」

「そんな行動を取ったら、人間はすぐに戦争をするに決まっている。大蛇でもけしかけて押さえ込むべきよ」

 などと、なにやら熱い議論を交わしていた。その中に、デカルトの姿は無い。

 近代組を退散し、僕はケータイを出した。デカルトにメールを打つ。

『いま、どこにいる?』

 少しして、返信があった。

『家で寝てた。いまから学校に行く』

 ……そういえば、あいつ、遅刻魔だったな。メールには続きがあった。

『何か、用なの?』

 僕はそこで、はたと止まった。用には違いないのだが、「デカルトにばれないように、デカルトのカバンにノートを忍ばせたい」などとデカルトに告げる馬鹿はいない。何か適当な、不自然でない用事を考えなくては。

『数学を教えて欲しいんだ。もうすぐテストだし』

 返信はすぐに来た。

『わかった。三十分くらいで行くよ』

『じゃあ、食堂で待ってる』

 返事を送りケータイを閉じると、僕は自分の教室へ向かった。

 僕の教室も、近代組と大して変わらない様子だった。

「科学には、反証可能性がないとダメ。反証可能性がなければ、科学じゃないわ」

「繁殖可能じゃなければ画伯じゃない? 子どもの絵は芸術じゃないってこと?」

「なんでよ!?」

 これは議論なのか……?

 彼女らの様子を横目で見ながら、僕は自分の席のカバンを取った。僕のカバンは、学園指定の白いショルダーバッグだ。私服登校が許可されているのと同様、カバンも指定の物を使う必要はないが、僕は折角なので使っている。

 カバンにさっきのノートを入れ、さらに筆箱と数学の教科書とノートを入れる。それを肩から提げると、教室を出た。

 食堂のある第三校舎は、第一、第二、第四校舎から少し離れている。第三校舎は、第一、第二が建設されたあと、「食堂棟」として校舎から少し離れた場所に建設されたためだ。その後、「部室棟が欲しい」という生徒の要望に応え「第四校舎」が建てられたので、このような構造になっている。

 第三校舎の一階には、学生ホールと購買がある。だだっ広い部屋に、建物を支える何本かの支柱と、無数の丸テーブルとパステルカラーの椅子が置かれている空間が、学生ホールだ。ここにも生徒達が集まり、議論に花を咲かせていた。誰かがテーブルの上に立って自分の哲学理論をスピーチし、また別の誰かがそれに野次を飛ばしている。

「自動機械は悪魔的です。機械など捨て、私達は自分で働くべきです」

「そんなの面倒じゃん! 仕事は全部機械に任せて、私達は遊んで暮らすべきよ!」

 僕は後者に賛成だな、と思った。

 学生ホールの隅の階段から、二階へ上る。階段を上ると目の前がガラス戸で、そこを開けると食堂だ。無数の長テーブルと椅子が、規則正しく並べられている。食堂の営業は正午以降だが、部屋自体の利用はいつでも可能だ。パンやお菓子の自動販売機も設置されているので、ここへ来て何か食べながら勉強する生徒も少なくない。

 食堂に入ると、僕は入り口にほど近い窓際の席に陣取った。幸いにも、食堂には演説や議論をしている生徒はおらず、静かだった。みんな、お菓子を食べたりジュースを飲んだりしながら勉強している。

 カバンを椅子に置くと、僕は財布を取り出して、自販機に向かった。自販機コーナーには、ジュースを売っている自販機が二台、パンやお菓子を売っている自販機が一台の、計三台が並んでいる。ジュースはどれも紙コップに出てくるタイプで、値段は百円均一。一方、パンやお菓子の方は、物によって百二十円から二百円とまちまちだ。

 いまは、お菓子を食べる気分ではない。僕はジュースの自販機の前に立った。ジュースのメニューは、紅茶やコーヒー、ココアなどの定番物ばかりである。

 僕は適当に、目に付いたホットコーヒーを選択した。

 コーヒーが注がれるまでの約三十秒間、僕は何気なく、陣取った席の方を見た。見たのだが、見えなかった。自販機の死角になっていたからだ。

 こうなると、何がなんでも見なくてはいけないような焦燥に駆られる。人間は、禁止されるとやりたくなるものだ。

 一歩、二歩、席の方を見ながら後ずさる。五歩下がったところで、ようやく見えた。席までの距離は、三十メートルくらいか。もう少しあるかもしれない。

 席の周りには、誰もいない。椅子の上に、カバンが載っているのが見えるだけだ。

 ピッピッ、と自販機が鳴った。コーヒーを注ぎ終わりマシタ、などとは言わないが、そういう意味の合図だ。

 五歩前進し、扉を開けて紙コップを持つ。三十メートル歩いて、席に戻る。カバンの隣の席に座ってコーヒーを一口すすると、一息ついた。

 両手で紙コップを挟んで、湯気を見つめながら考える。

 ……オッカムは、何の目的でこんなことをしてるんだろう?

 僕のノートに謎の文章を書かせ、それをデカルトのカバンに忍ばせる。たぶん、忍ばせたあとも、さらに何か指令が来るのだろう。その最終到達地点はどこだ? 委員長と関係があるのか?

 先週の事件(つまり、オッカムが誘拐された事件)のとき、デカルトがこんなことを言っていた。

『犯行の結果起こった出来事の中に、犯人の動機がある』

 ならば、今回のオッカムの行動の結果、何が起こるかを考えれば、オッカムの動機が見えるはずだ。

 僕が、僕のノートをデカルトのカバンに忍ばせる。その後デカルトはカバンの中身を見て、自分のものでないノートが紛れていることに気付くだろう。すると、デカルトはどうするか。僕のノートには名前が書かれていないので、誰のノートか確認するために、ページを開くだろう。その結果、僕が書いた謎の文章を発見する。

 つまりオッカムの目的は、デカルトにあの文章を見せることであり、あの文章はオッカムからデカルトへのメッセージなのだ!

「……そんなバカな」

 思わず口に出して突っ込んでしまった。この推理には、どう考えても二つの穴がある。

 一つ。デカルトがノートを開いたところで、あの文章を確実に目にするとは限らない。

 二つ。僕を介する理由がわからない。

 より重大なのは、二つ目の欠点だろう。何か言いたいことがあるなら、オッカムが直接デカルトに言えば良い。無駄なことを嫌うオッカムなら、絶対そうするはずだ。つまり、文章を見せることは目的ではない。

「……それはそれで、おかしいな」

 呟いて、また考える。わざわざ文章を書かせたのだから、文章に意味があることは確かだろう。そして文章とは、誰かに何かを伝えるためのものである。あの文章がデカルトの手に渡る以上、それはやはり、デカルトに何かを伝えるための文章だと考えるべきだ。

「ふむ?」

 僕はいま、二つの結論を導いた。

 一つ。あの文章は、デカルトに見せることが目的ではない。

 二つ。あの文章は、デカルトに何かを伝えることが目的である。

 しかし、この二つは明らかに矛盾する。つまり、どこかが間違っているのだ。あるいは、何かを見落としているか……。

 僕はカバンから、自習用のノートを取り出した。コーヒーを飲みながら、片手でページを開く。

 パラパラめくると、ある事実に気がついた。

 僕が普段使うHの筆跡よりも、さっき書いたHBの筆跡の方が濃いため、パラパラめくると目に飛び込んでくるのだ。しかも、書いてある場所がノート上段の余白という、他のページでは何も書かれていない場所なので、余計目立つ。つまり、デカルトがノートを開けば、この文章を目にする可能性は、かなり高いと言える。

「へぇ……」

 思わず感嘆の息が漏れた。オッカムは、この効果を計算したのだろうか。

 だとしても、矛盾は残るし……何より、文章の意味がわからない。

『あいうえお』

『うさぎがじゃま』

『ABCΓ』

 何かの暗号だろうか。たぶん、そうだろう。頭の良いデカルトなら、この暗号が解けるのかもしれない。特に、「D」が途中で欠けているのが作為的である。「D」の書きかけだが、「B」や「P」や「R」の書きかけのようにも見えるし、ギリシャ文字の「Γ(ガンマ)」にも見える。

 そこまで考えたとき、二時間目終了を知らせるチャイムが鳴って、僕の意識は現実に引き戻された。顔を上げると、勉強していた生徒の何人かが勉強道具を仕舞い、食堂を出て行った。三時間目が授業なのだろう。

 僕はため息を吐いて、残りのコーヒーを一息に煽った。紙コップを持って立ち上がり、近くのゴミ箱に捨てる。

 ノートから意識を離したせいか、僕の頭の中に、ある考えが浮かんだ。

「これ以上、考えても無駄だ」

 呟いて、席に戻る。

 考えてみれば、いまはまだ、推理の材料が足りないのだ。何故なら、オッカムの計画がまだ終わっていないからである。オッカムの最後の指令を聞くまで、オッカムの目的を推理することは出来ないだろう。

 デカルトが来るまで、あと十分。僕は席に座ると、数学の教科書を開いて、勉強を始めた。

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