4. 依頼(脅迫)
数瞬の間のあと、僕とオッカムが同時に、口早に尋ねた。
「委員長は被害者です」「アウグスティヌスには動機が無い」「自分で隠したのにどうして見つけられないんですか」「外に隠すのも不可能だ」
矢継ぎ早に尋ねたせいか、委員長は「え、えっと……」と口をもごもごさせるだけで、何も答えなかった。
「二人とも、待って!」
助け舟を出したのは、デカルトだった。僕ら三人、黙ってデカルトの方を見る。デカルトは、真相を語る直前の探偵のような、真剣な表情をしていた。右手の人差し指を、委員長に向ける。
「ティヌスちゃんが犯人だと、信じていいわね?」
委員長は黙って頷いた。デカルトは「そう」と微笑んだ。
「じゃ、ティヌスちゃんはもう何も言わなくていいわ。ちょっと待ってて」
僕らは首を傾げたが、デカルトは意に介さず、横の通路へ消えていった。
消えたと思ったら、一分と経たずに戻ってきた。
その手に、茶色い装丁の本を持って。
「はい、ティヌスちゃん、どうぞ」
にっこり笑って、委員長に本を手渡す。それは間違いなく、「Confessio」だった。
「え、どうして?」
目をぱちくりさせながら、委員長が「Confessio」を受け取った。パラパラとページをめくり、中を確かめる。本を閉じると胸に抱え、
「どうして?」
再び尋ねた。
「言ってもいいけど……ね?」
と、デカルトは僕を見た。何故僕を見たのか、理由が全くわからない。首を捻っていると、デカルトが言った。
「そんなことより、いま確かなことは一つ。『本が無事に戻ってきた』ってこと。だから、仕事に戻りましょ」
僕らに反論の余地はなかった。
仕事に戻るということは、またあの重たい段ボール箱を外に運び出すということだ。
月明かりの下、僕は段ボール箱を転がした。ガサガサと足音を立てながら、数メートル先の焼却炉へ向かう。蓋を開けると、僕を光と熱が包む。その明かりを頼りにカッターナイフで箱の封を解き、書類を燃やしていった。
ちょうど蓋を閉めたとき、書庫の方からガサガサと足音がした。反射的にそちらを見る。
この辺りには書庫以外の建物がなく、外灯もない。書庫から漏れる明かりだけが頼りで、人影は逆光により黒いシルエットとなっていた。
それでも、僕にはそれが誰かわかった。剃刀を構えた長身痩躯の影は、間違いなくオッカムだ。
「どうした、オッカム。仕事しろ」
僕はオッカムに歩み寄った。オッカムも、僕に歩み寄ってくる。
二人の距離が、ちょうど百八十センチくらいになった、次の瞬間。
ビュッ
と、音がして。
僕の首筋に、オッカムの剃刀があてがわれた。
「……え?」
正面に立つオッカムが、首の右側に剃刀を突きつけていた。刃がかすかに触れている首筋から、冷たい感触が全身に広がっていく。
対するオッカムの表情は、逆光になっていてよく見えない。表情から意図が読み取れず、僕はますます混乱した。僕が黙っていると、オッカムが口を開いた。
「フィル。依頼がある」
「う、うん。いいよ、何でも聞くよ」
どう考えても依頼する人間の態度ではないと思ったが、僕は快く承諾した。……依頼する人間の態度ではなかったが、命令する人間の態度ではあったからだ。
「明日の二時間目は、自習か?」
「え? っと、どうだったかな……」
僕は記憶を辿った。と言っても、聖フィロソフィー学園の授業はほとんど自習のため、「自習の授業」を思い出すより、「自習でない授業」を思い出した方が早い。明日の自習でない授業は、五時間目の数学だけだったはずだ。
「じ、自習だよ」
「なら明日の二時間目に、ノートを持って図書準備室に来い」
「の、ノート? 何のノート?」
「授業で使ってる物なら、なんでも良い。もし自習用のノートがあれば、それが最適だ」
自習用のノートって、何のことだろう。僕は、授業で使うノート以外に、自分の勉強用に一冊、ノートを持っている。問題集を解くときに使うノートだ。それのことだろうか。
「わ、わかった、明日の二時間目、自習用のノートを持って、図書準備室に行けばいいんだね?」
「そうだ」
頷くと、オッカムは僕の首筋から剃刀を離した。僕はふぅ、とため息をついて、右手で首筋を撫でた。
「でも、何のためにそんなことを?」
「話すだけ無駄だ」
取り付く島も無かった。
オッカムは、無駄なことが嫌いらしい。逆に言えば、オッカムの行動は全て、オッカムが「無駄ではない」と考えている行動ということになるが……果たして、僕にノートを持ってこさせることに、どんな意味があるのだろう。
「言い忘れたが」とオッカム。「このことは、誰にも言うな。言ったら貴様の首はなくなると思え」
「あ、ああ……」
僕はただ、こくこくと頷くしか出来なかった。
「それと、フィル」
立ち去りかけて、振り返った。
「今日はもう遅いから、整理は明日に繰り越すそうだ」
「あ……そう」
わかった、と僕はまた頷いた。




