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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第二章 神様の恩寵(中編ミステリ)
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3. 剃刀と本

 事件が発覚したのは、空が茜色に染まる頃だった。

 書庫の入り口から十メートルくらい奥で、僕ら四人は一点を囲んで立っていた。そこには、オッカムの剃刀と委員長の「Confessio」が置いてある……はずだった。

 つまり、いまは、ない。

 いつの間にか、忽然と姿を消していた。

 最初に気付いたのは、オッカムだった。

「おい、フィル」

 段ボール箱を取りに書庫へ戻ってきた僕に、オッカムが鋭い目をさらに細くして詰め寄った。

「私の剃刀、どこへやった?」

「へ? どこにもやってないけど?」

「じゃあ、どうして無いんだ?」

 僕は書庫に入り、剃刀と本を置いた場所(つまり説教した場所)を見やった。オッカムの巨大な剃刀は、遠目にも目を引く。しかし、確かにその剃刀がなくなっていた。

「アウグスティヌスの『Confessio』もない」

「え、なんで?」

「私が聞いてるんだ」

 いや僕も知らないし……とか、お前が知らないはず無いだろ、とか押し問答をしていると、デカルトと委員長もやってきた。騒ぎを聞きつけたようだ。

「なに、どうしたの?」

 オッカムがデカルトに、剃刀と「Confessio」が消えた、と説明した。デカルトも委員長も、振り返って確認した。あれ、本当にないね、とデカルトが不思議そうに首を傾げた。

 そして、今に至る。

「とにかく」とデカルト。「まずは、書庫の中を探してみましょう」

「もう探した」

 とオッカムが素早く答えた。

「どこを探したの?」

「全ての通路を見た」

 この書庫には、縦横に数本ずつの通路が走っている。もちろん、壁は全て本棚だ。

「じゃあ、もう一回、探してみましょう」

「無駄だ」とオッカム。「アウグスティヌスの『Confessio』も、私の剃刀も、小さなものではない。見落とすわけがない」

 オッカムの持ち歩いている剃刀は、小さいどころか巨大だ。長い柄に長方形の歯が付いた「日本剃刀」と呼ばれる種類で、それを巨大化した姿は、薙刀のように見える。長身のオッカムより、少し大きいくらいのサイズがあったはずだ。

「ちなみに、あの剃刀、長さはどのくらいなんだ?」

「百八十センチだ」

 僕より高い。

「ちなみに、オッカムは?」

「答えるだけ無駄だ」

 身長ぐらい、教えてくれたっていいのに……。

「話を戻すけど、オッカムちゃん」とデカルト。「いま確かなことは、『この場に、オッカムちゃんの剃刀と、ティヌスちゃんの本がない』ってこと」

 確かにそうだ、とオッカムは頷いた。

「もう一つ確かなことがあって、それは『最初はこの場に置いた』ってこと」

「そうだな」

「ってことは、可能性は二つ。剃刀と本が勝手に歩いてどこかに行ったか、誰かが隠したか」

 デカルトが探偵のように告げると、オッカムは、

「そんなことはわかっている。だから私は、フィルを疑っているんだ」

 現在進行形かよ。

「でもオッカムちゃん。仮に誰かが隠したんだとすると、見つかりにくいところにあるはず。だから、見落とした可能性も高い。もう一度、探すだけ探してみましょう」

 隠した奴が隠し場所を教えれば良いんだ、とオッカムは僕を見ながら呟いたが、結局デカルトの提案に乗るようだった。

 僕と委員長にも異存はなく、僕らは書庫の中に散らばっていった。


 結果は、デカルトの言う通りであった。

「あった!」

 探し始めてものの数分で、デカルトが呆気なくオッカムの剃刀を発見した。場所は、僕らがさっき集まっていた、そのすぐ近く。本棚の下、床とのわずかな隙間に、剃刀が入っていた。

「こんなところに……」

 オッカムが床に這いつくばり、剃刀を引き出した。

 なるほど。縦にすると巨大に見える剃刀も、こうして寝かせてしまえば、こんな狭い隙間に収まるのか。本棚は幅三メートルもあるのだから、二メートルもない剃刀を収納するのは朝飯前だ。

「ありがとう、デカルト」

 デカルトは微笑み、

「あとは、ティヌスちゃんの『Confessio』ね」

「そうだな」

 僕らは再び散った。

 この時点での僕は、「Confessio」もすぐ見つかるだろうと、たかをくくっていた。オッカムの剃刀も、わかってしまえば大して凝った隠し方ではなかった。「Confessio」も、大して工夫せずに隠してあるはずだ。

 木の葉を隠すなら森に隠せ、と某名探偵の孫がよく言っている。それに倣って考えよう。

 ここは書庫だ。本を隠すなら本棚に隠せ。委員長の本を、書庫内のどこかの本棚に仕舞えば、それだけですぐには見つけられなくなるだろう。僕が犯人なら、そうやって隠す。

 だから僕は、全ての通路をくまなく歩きながら、茶色い装丁の本を探した。

 どういうわけだか、本棚には黒系統の色の本が多かった。黒や灰色の本が並んだところに、時々、茶色や白、緑といった目立つ色が入っている。これなら、すぐに見つかるだろう。

 と、思ったのだが。

 書庫を一回りしても、「Confessio」は見つからなかった。

 本棚の一段一段を丁寧に見て行ったのに、どこにも無い。念のため、本棚の下や、本の後ろ、床に乱雑に積まれた本なども注意しながらもう一回りしたが、やはり見つからない。

 カバーを取ったとか? しかし、「Confessio」にカバーは付いていなかった。

 茜色の空が藍色に染まる頃、僕ら四人はもう一度、さっきの場所に集まった。

「あった?」

 デカルトが僕らに尋ねたが、全員うなだれて首を振った。「そう……」とデカルトもため息を吐いた。

「フィル」とオッカムが僕に剃刀を突きつけた。「どこに隠した?」

「いやだから!」僕は反射的に両手を挙げつつ、訴えた。「僕じゃないって!」

「そうか?」

 オッカムはクールな表情を崩さず、僕に尋ねた。

「貴様はずっと、外にいたな? そのとき、書庫に誰かが出入りするのに気付いたか?」

「いや……気付かなかったな」

 素直に答えると、オッカムは「フッ」と鼻で笑った。

「フィル。今の発言で、貴様は自供した」

「えっ!?」

 驚いて半歩下がる。委員長やデカルトも、「え、なんで?」と目を丸くした。

「何故なら、『Confessio』を隠せるのがフィルだけだからだ」

「え?」

 隠せるのが僕だけ? どうしてだ?

 尋ねると、オッカムは剃刀の柄を床に突き立てて、クールに解説した。

「書庫内をこれだけ捜索しても、『Confessio』を発見できなかった。この状況は『「Confessio」が外にある』と仮定すれば、最もシンプルに説明できる。よって、『Confessio』は書庫の外にある」

 いまちょっと、論理に飛躍があった気がした。だが僕に反論の機会を与えず、オッカムは続けた。

「つまり犯人は、『Confessio』を外に隠した。しかし外には、常にフィルがいた」

「でも僕は、ずっと書庫を見張ってたわけじゃ……」

「だが書庫と焼却炉の距離は、ほんの数メートルだ。誰かが出てくれば、確実に気付く。それに、足音も響くはずだ」

「足音? ……あっ」

 いまは冬だ。

 雑草の間に落ち葉が敷き詰められ、歩くとガサガサと派手な音がする。それに気付かないはずがない。

「しかしフィルは気付かなかった。よって、書庫には誰の出入りもなかった。……フィル自身を除外して」

「…………」

 は、反論できない!

 もちろん、気付かなかった可能性もある。疑り深いデカルトなら、真っ先にそれを指摘するだろう。でも僕は、そこまで疑り深くない。「気付かないはずがない」とチラリとでも思ってしまった以上、論破する自信がなかった。

 犯人に指を突き付ける探偵のように、オッカムは僕に剃刀を突き付けてきた。

「フィル、犯人は貴様だ。『Confessio』をどこに隠した?」

「ち、違う!」僕は、また両手を挙げた。「僕は犯人じゃない! そ、そうだ、犯人はまだ、『Confessio』を隠し持っているんだ! 今すぐ全員の身体検査をしよう!」

「変態か、貴様!」

「僕がやるんじゃないよ!!」

「ま、待って!」

 ヒートアップする僕らの間に、ヒステリックな声が響いた。声の主は、委員長だった。彼女は少し眉根を下げ、困ったような顔で僕を見ていた。

「い、委員長? どうしました?」

 何か、良い推理があるのだろうか。僕は期待に満ちた眼差しで、委員長を見た。

「フィル君は、犯人じゃないわ……」

 弱々しい声で、委員長が言った。

 それに続く発言は。

 僕とオッカムの予想だにしないものだった。

「犯人は、私よ……」

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