3. 剃刀と本
事件が発覚したのは、空が茜色に染まる頃だった。
書庫の入り口から十メートルくらい奥で、僕ら四人は一点を囲んで立っていた。そこには、オッカムの剃刀と委員長の「Confessio」が置いてある……はずだった。
つまり、いまは、ない。
いつの間にか、忽然と姿を消していた。
最初に気付いたのは、オッカムだった。
「おい、フィル」
段ボール箱を取りに書庫へ戻ってきた僕に、オッカムが鋭い目をさらに細くして詰め寄った。
「私の剃刀、どこへやった?」
「へ? どこにもやってないけど?」
「じゃあ、どうして無いんだ?」
僕は書庫に入り、剃刀と本を置いた場所(つまり説教した場所)を見やった。オッカムの巨大な剃刀は、遠目にも目を引く。しかし、確かにその剃刀がなくなっていた。
「アウグスティヌスの『Confessio』もない」
「え、なんで?」
「私が聞いてるんだ」
いや僕も知らないし……とか、お前が知らないはず無いだろ、とか押し問答をしていると、デカルトと委員長もやってきた。騒ぎを聞きつけたようだ。
「なに、どうしたの?」
オッカムがデカルトに、剃刀と「Confessio」が消えた、と説明した。デカルトも委員長も、振り返って確認した。あれ、本当にないね、とデカルトが不思議そうに首を傾げた。
そして、今に至る。
「とにかく」とデカルト。「まずは、書庫の中を探してみましょう」
「もう探した」
とオッカムが素早く答えた。
「どこを探したの?」
「全ての通路を見た」
この書庫には、縦横に数本ずつの通路が走っている。もちろん、壁は全て本棚だ。
「じゃあ、もう一回、探してみましょう」
「無駄だ」とオッカム。「アウグスティヌスの『Confessio』も、私の剃刀も、小さなものではない。見落とすわけがない」
オッカムの持ち歩いている剃刀は、小さいどころか巨大だ。長い柄に長方形の歯が付いた「日本剃刀」と呼ばれる種類で、それを巨大化した姿は、薙刀のように見える。長身のオッカムより、少し大きいくらいのサイズがあったはずだ。
「ちなみに、あの剃刀、長さはどのくらいなんだ?」
「百八十センチだ」
僕より高い。
「ちなみに、オッカムは?」
「答えるだけ無駄だ」
身長ぐらい、教えてくれたっていいのに……。
「話を戻すけど、オッカムちゃん」とデカルト。「いま確かなことは、『この場に、オッカムちゃんの剃刀と、ティヌスちゃんの本がない』ってこと」
確かにそうだ、とオッカムは頷いた。
「もう一つ確かなことがあって、それは『最初はこの場に置いた』ってこと」
「そうだな」
「ってことは、可能性は二つ。剃刀と本が勝手に歩いてどこかに行ったか、誰かが隠したか」
デカルトが探偵のように告げると、オッカムは、
「そんなことはわかっている。だから私は、フィルを疑っているんだ」
現在進行形かよ。
「でもオッカムちゃん。仮に誰かが隠したんだとすると、見つかりにくいところにあるはず。だから、見落とした可能性も高い。もう一度、探すだけ探してみましょう」
隠した奴が隠し場所を教えれば良いんだ、とオッカムは僕を見ながら呟いたが、結局デカルトの提案に乗るようだった。
僕と委員長にも異存はなく、僕らは書庫の中に散らばっていった。
結果は、デカルトの言う通りであった。
「あった!」
探し始めてものの数分で、デカルトが呆気なくオッカムの剃刀を発見した。場所は、僕らがさっき集まっていた、そのすぐ近く。本棚の下、床とのわずかな隙間に、剃刀が入っていた。
「こんなところに……」
オッカムが床に這いつくばり、剃刀を引き出した。
なるほど。縦にすると巨大に見える剃刀も、こうして寝かせてしまえば、こんな狭い隙間に収まるのか。本棚は幅三メートルもあるのだから、二メートルもない剃刀を収納するのは朝飯前だ。
「ありがとう、デカルト」
デカルトは微笑み、
「あとは、ティヌスちゃんの『Confessio』ね」
「そうだな」
僕らは再び散った。
この時点での僕は、「Confessio」もすぐ見つかるだろうと、たかをくくっていた。オッカムの剃刀も、わかってしまえば大して凝った隠し方ではなかった。「Confessio」も、大して工夫せずに隠してあるはずだ。
木の葉を隠すなら森に隠せ、と某名探偵の孫がよく言っている。それに倣って考えよう。
ここは書庫だ。本を隠すなら本棚に隠せ。委員長の本を、書庫内のどこかの本棚に仕舞えば、それだけですぐには見つけられなくなるだろう。僕が犯人なら、そうやって隠す。
だから僕は、全ての通路をくまなく歩きながら、茶色い装丁の本を探した。
どういうわけだか、本棚には黒系統の色の本が多かった。黒や灰色の本が並んだところに、時々、茶色や白、緑といった目立つ色が入っている。これなら、すぐに見つかるだろう。
と、思ったのだが。
書庫を一回りしても、「Confessio」は見つからなかった。
本棚の一段一段を丁寧に見て行ったのに、どこにも無い。念のため、本棚の下や、本の後ろ、床に乱雑に積まれた本なども注意しながらもう一回りしたが、やはり見つからない。
カバーを取ったとか? しかし、「Confessio」にカバーは付いていなかった。
茜色の空が藍色に染まる頃、僕ら四人はもう一度、さっきの場所に集まった。
「あった?」
デカルトが僕らに尋ねたが、全員うなだれて首を振った。「そう……」とデカルトもため息を吐いた。
「フィル」とオッカムが僕に剃刀を突きつけた。「どこに隠した?」
「いやだから!」僕は反射的に両手を挙げつつ、訴えた。「僕じゃないって!」
「そうか?」
オッカムはクールな表情を崩さず、僕に尋ねた。
「貴様はずっと、外にいたな? そのとき、書庫に誰かが出入りするのに気付いたか?」
「いや……気付かなかったな」
素直に答えると、オッカムは「フッ」と鼻で笑った。
「フィル。今の発言で、貴様は自供した」
「えっ!?」
驚いて半歩下がる。委員長やデカルトも、「え、なんで?」と目を丸くした。
「何故なら、『Confessio』を隠せるのがフィルだけだからだ」
「え?」
隠せるのが僕だけ? どうしてだ?
尋ねると、オッカムは剃刀の柄を床に突き立てて、クールに解説した。
「書庫内をこれだけ捜索しても、『Confessio』を発見できなかった。この状況は『「Confessio」が外にある』と仮定すれば、最もシンプルに説明できる。よって、『Confessio』は書庫の外にある」
いまちょっと、論理に飛躍があった気がした。だが僕に反論の機会を与えず、オッカムは続けた。
「つまり犯人は、『Confessio』を外に隠した。しかし外には、常にフィルがいた」
「でも僕は、ずっと書庫を見張ってたわけじゃ……」
「だが書庫と焼却炉の距離は、ほんの数メートルだ。誰かが出てくれば、確実に気付く。それに、足音も響くはずだ」
「足音? ……あっ」
いまは冬だ。
雑草の間に落ち葉が敷き詰められ、歩くとガサガサと派手な音がする。それに気付かないはずがない。
「しかしフィルは気付かなかった。よって、書庫には誰の出入りもなかった。……フィル自身を除外して」
「…………」
は、反論できない!
もちろん、気付かなかった可能性もある。疑り深いデカルトなら、真っ先にそれを指摘するだろう。でも僕は、そこまで疑り深くない。「気付かないはずがない」とチラリとでも思ってしまった以上、論破する自信がなかった。
犯人に指を突き付ける探偵のように、オッカムは僕に剃刀を突き付けてきた。
「フィル、犯人は貴様だ。『Confessio』をどこに隠した?」
「ち、違う!」僕は、また両手を挙げた。「僕は犯人じゃない! そ、そうだ、犯人はまだ、『Confessio』を隠し持っているんだ! 今すぐ全員の身体検査をしよう!」
「変態か、貴様!」
「僕がやるんじゃないよ!!」
「ま、待って!」
ヒートアップする僕らの間に、ヒステリックな声が響いた。声の主は、委員長だった。彼女は少し眉根を下げ、困ったような顔で僕を見ていた。
「い、委員長? どうしました?」
何か、良い推理があるのだろうか。僕は期待に満ちた眼差しで、委員長を見た。
「フィル君は、犯人じゃないわ……」
弱々しい声で、委員長が言った。
それに続く発言は。
僕とオッカムの予想だにしないものだった。
「犯人は、私よ……」




