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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第二章 神様の恩寵(中編ミステリ)
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2. 説教

 僕らが書庫に向かった理由は、書庫の整理をするためだ。

 この学園の西の果てに、薄汚れたコンクリート製の建物がある。平屋のその建物は、我らが図書室のほか、生徒会や文芸部から出る古い本や書類が詰め込まれている。みんなが無造作にそれらを突っ込むため、書庫の中は荒れに荒れ、僕らに整理の要請が回ってきた。

 本当は、これは先週やる予定だった仕事だ。だがそのときに「ちょっとした事件」が起こったため、延期となった。その事件について詳しく語り始めると原稿用紙百枚くらいになるので、ここでの説明は省略する。

 書庫の周りには、他に建物は無い。寒空の下にも関わらず鬱蒼と雑草が生い茂り、書庫から数メートル離れたところにポツンと焼却炉が置かれている。雑草の間には冬らしく落ち葉が敷き詰められていて、僕らが歩くとガサガサと大きな音がした。

 委員長が、書庫の鉄扉に手をかけた。横にスライドさせようとするが、重いのか錆び付いているのか、動かない。僕らも手伝って、その鉄扉を開いた。

 書庫の中は、かび臭かった。古い本独特のにおいだ。そして静かだった。誰もいないし、少し物音を立てても、音が全て本に吸収されてしまうようだ。そこに、バツン、と大げさな音がして、天井の蛍光灯が明滅した。次々と書庫の中が照らされていくと、その全容が明らかになった。

 書庫は縦に長い。高さ二メートル、幅三メートルくらいの骨組みだけの本棚が、ずらりと書庫の奥まで連なっている。左右に聳える本の壁が、襲い掛かってきそうな威圧感を放っていた。

 床には、真新しい段ボール箱や書類、本が大量に転がっていた。段ボール箱の中は、おそらく要らなくなった書類だろう。塔のように積みあがった本や書類は、今にも倒れそうな危機感を放っていた。

 僕らがこれからやることは、以下の二つ。

 古い本を、全てタイトル五十音順に本棚に入れる。要らない書類を、全て焼却炉で焼却処分する。

 言ってしまえばそれだけなのだが、想像を絶する重労働であろうことが容易に想像できる。

 まず、本。床に置かれた本のタイトルを確認し、そのタイトルが収まるべき場所を、本棚から探さねばならない。しかし、本棚にはインデックスがついていないので、探すだけでも一苦労である。さらに入れるべき場所を見つけても、そこがぎゅうぎゅうに詰まっていたら、周りの本をずらしていかなくてはいけない。そんなことを、百冊以上も繰り返さなくてはならないのだ。

 そして、書類。目の前の通路には、段ボール箱がざっと十箱はある。たぶん、他のところにも何箱かずつあって、全部で三十くらいになるのだろう。無造作に床に投げ捨てられた書類の束も無数にあるため、書庫と焼却炉を何往復しなくてはいけないのか、計算するのも嫌になる。

 早くもげんなりする僕の横で、委員長は腕まくりをして、

「さぁ、始めるわよ!」

 と元気に号令をかけた。


 さぁ、始めるわよ!

 と元気に号令をかけた委員長の仕事は、恐ろしく遅かった。

 何しろ委員長は、ずっと左手に「Confessio」を持っているのだ! それも、胸に抱きかかえるようにしているため、左手は全く使えない。だから委員長は、同時に一、二冊しか本を持てない。おまけに、本を仕舞うのにも手間取っている。小柄なのに、分厚い本を十冊以上も抱えて歩き回っているデカルトを、少しは見習って欲しい。

 委員長よりさらにひどいのは、オッカムだ。

 何しろオッカムは、ずっと両手で(、、、)剃刀を持っているのだ! 僕は一度、あの剃刀を持ったことがある。薙刀のような巨大な剃刀は、重心が刃先にあるため、両手でないと確かに持ち歩けない。しかし、何故いま持つ? 当然本を持ち上げることは出来ず、オッカムは床に置かれた段ボール箱を足で蹴り、書庫の入り口へと運んでいた。小柄なのに、一生懸命背伸びして本棚の上の方に本を仕舞っているデカルトを、少しは見習って欲しい。

「フィル」

 書庫の入り口で呆然と突っ立っていると、段ボール箱を運んできたオッカムが、僕に声をかけてきた。

「ボーっとしてないで、仕事しろ」

「……」

 それはこっちのセリフである。

 イラッとしながらも、僕はオッカムが入り口に溜めた段ボール箱の中から一つ選び、書庫の外へ引っ張り出した。

 段ボール箱は、どれもとてつもなく重かった。中に書類が目一杯、詰まっているからだ。こうなると、引っ越し屋さんでもなければまず持ち上げられない。また、書庫の周りは雑草が生い茂っているため、押しても引いても、草が邪魔して上手く動かない。仕方ないので、僕は段ボール箱を転がして、焼却炉まで運ぶことにした。

 焼却炉は、段ボール箱が三個くらい入るサイズだった。その前まで段ボール箱を運ぶと、僕は持ってきたカッターナイフで封を切り、中の書類を取り出した。焼却炉の蓋を開け、書類を少しずつ中に突っ込んでいく。

 中では既に書類を燃やしているので、蓋を開けると熱気が僕の体を襲う。周りは寒いのでちょうど良い暖になるかと思いきや、そうでもない。顔は灼熱にあぶられ、背中は寒波に撫でられる。くすぐったいような奇妙な感覚だ。

 箱の中身を半分くらいまで減らし、持ち上げられる重さになると、僕は残りを全部一気に焼却炉に入れた。それから、火かき棒を中に突っ込み、書類の塊を分散させる。ゴウッと火の勢いが増し、僕の顔はさらに熱くなった。

 蓋を閉じると、一気に涼しくなり、寒くなる。

 次の段ボール箱を持ってくるため、僕は書庫へ向かった。落ち葉がガサガサと派手な音を立てる。まだ五往復くらいだろうか。早くも疲れてきた。書庫と焼却炉の距離が近いのが、せめてもの救いだ。

 開けっ放しの書庫の扉をくぐると、デカルトが爪先立ちで、本を持ち上げていた。左手に数冊本を抱え、右手で本棚の最上段に分厚い本を入れようとしている。

「ひゃっ!」

 とデカルトがバランスを崩した次の瞬間。

 ゴッ、と鈍い音がして、デカルトの頭に分厚い本が直撃した。その衝撃でデカルトは持っていた本を手放し、それが足の上に落下した。

「で、デカルトっ!?」

 デカルトは頭を抱え、その場にうずくまった。「ううう……」とうめき声を上げる。

 僕は扉の前に並べられた段ボール箱の砦を飛び越え、デカルトに駆け寄った。隣にしゃがみ込んで、顔を覗き込む。閉じられた目蓋の端から、微妙に涙がにじんでいた。

「大丈夫か?」

「痛い……」

 僕は立ち上がると、力の限り叫んだ。

「委員長! オッカム!!」


 正座した委員長とオッカムの前で、僕は腕を組んで仁王立ちしていた。正座した委員長を上から見下ろすと、ゆったりしたワンピースの胸元から深い谷間が見えることに気付き慌てたのだが、すぐに頭を振って気を持ち直した。二人の顔を見下ろして、滔々と諭す。

「二人とも、今日はここへ何しに来たのですか?」

「書庫の整理です……」

 俯いた委員長が、小声で答える。オッカムは唇を尖らせ、そっぽを向いていた。剃刀は床に置いてあるが、柄を左手で持っていた。

「じゃあ、なんで本やら剃刀やら持ってるんですか? それじゃ仕事にならないですよね??」

「ぅぅ……はい……」

 僕が何か言うたびに、委員長はどんどん小さくなっていく。既に涙声だ。髪に隠れて表情は見えないが、肩が震えているのがわかる。膝の上に「Confessio」を置き、その上に重ねた手が、もじもじと動いていた。

「ほとんどデカルト一人でやってるようなもんじゃないですか。ちゃんと全員で協力してください」

「ご、ごめんなさぃ……」

「ちゃんとデカルトに謝ってください」

 委員長は即座にデカルトの方を向いて、「ごめんなさい」と頭を下げた。オッカムは相変わらずそっぽを向いていたが、「悪かった、ちゃんとやる」と言った。

「じゃあ、本も剃刀も、ここに置いておいてくださいよ?」

「はい……」

 委員長は膝の上の「Confessio」を滑らせ、床に置いた。その横に、オッカムも剃刀を置く。

「それじゃあ、仕事に戻ってください!」

 僕の号令で、二人とも立ち上がり、書庫の奥へ駆けていった。

 あとには、僕とデカルトが残った。

「……ちょっと、言い過ぎたかな」

 僕は赦しを請うように、隣のデカルトを見た。デカルトは眉根を下げていたが、僕を見上げると微笑んだ。

「怒り過ぎだとは思ったけど……でも、ありがと。助けてくれて」

 僕が二人に諭したことは、幸いにも、デカルトが思っていたことと一致したようだ。一人でヒートアップしていたわけじゃないとわかり、僕は安堵した。

 デカルトは俯くと、上目遣いに僕を見て、はにかんだ。

「友達相手でもビシッと言える人って、少し、カッコいい、かも、ね?」

 後半につれて声が小さくなったが、聞き取ることは十分出来た。焼却炉も無いのに顔が熱くなり、僕は明後日の方を向いた。

「ふ、二人にああ言った以上、僕らもちゃんとやろうか」

「う、うん」

 デカルトは俯きながら、僕は上を見ながら、それぞれ反対方向に歩き出す。僕は書庫の入り口へ、デカルトは奥へ。そのとき、背後で声がした。

「デカルト。一つ、聞きたい」

 このアルトのハスキーボイスは、オッカムの物だ。デカルトになんの用だろう、と何気なく後ろを振り返る。長身痩躯のシルエットが、小さな影に尋ねた。

「お前はフィルのこういうところに、惚れたのか?」

「にゃっ!?」

 デカルトが頓狂な声をあげた。そして僕を見た。オッカムを見た。僕を見た。オッカムを見た。オッカムをパシパシ叩いた。

「にゃな、なにを突然!?」

「図星か」

 デカルトが耳まで赤くなった。僕の方を見ると、真っ赤な顔で、

「フィ、フィル君は早く仕事に戻る! オッカムちゃんも!!」

 うん、まあ、そうだな。二人に説教した以上、僕らがサボるわけにはいかない。

 僕はその場から逃げ出すように、段ボール箱の砦に向かった。半円形に並べられた段ボール箱のうちの一つを、腰を落として外へ押し出した。

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