1. 図書委員の仕事
僕は高校で、「図書委員長補佐」なる役職についている。普通の図書委員の仕事が、蔵書の貸し出しや簡単なレファレンスに留まるのに対し、図書委員長と僕ら補佐たちは、図書新聞の発行や蔵書点検などを行う。
図書委員長補佐の活動場所は、主に図書室の隣にある図書準備室だ。放課後、僕らは毎日そこに集まって、会議なり作業なりをしている。
今日も今日とて、例外ではない。帰りのホームルームが終わると、僕はカバンを肩にかけて教室を出た。そのまま、図書準備室のある第四校舎へ向かう。
一般教室のある第一校舎を出ると、すぐ右手に特別教室を集めた第二校舎がある。第四校舎は、その裏だ。第二校舎の横、学園の中庭に続く遊歩道を行くと、第四校舎にもすぐ辿り着く。枯れ木が並んだその遊歩道は、多くの女子生徒で賑わっていた。男子生徒の数は少ない。それもそのはず、ここ、聖フィロソフィー学園は少し前まで女子高で、いまも全校生徒の九割が女子だからだ。
その中に、僕は見知った後姿を二つ発見した。
一つは、ふわふわの髪にふわふわのワンピース(色も淡い暖色系で、ふわふわして見える)を着て、ゆったりと歩いているお姉さん。もう一つは、薙刀のような巨大な剃刀を携帯しているポニーテールの少女。僕はその後姿に駆け寄り、声をかけた。
「委員長! オッカム!」
「あら、フィル君」
ふわふわの方、我らが図書委員長のアウグスティヌスがこちらを振り返り、柔和な笑みを浮かべる。振り返ると大きな胸がかすかに揺れ、さらにふわふわ感が増した。委員長は右手にカバンを提げ、左手に「Confessio」と表紙に綴られた茶色い装丁のハードカバーを持っていた。この「Confessio」の中身は、小説ではなく、委員長の日記らしい。委員長いわく、「悪いことをしちゃったと思ったときに、それを書き留めている」とのことだ。
剃刀を持った方、オッカムは、こちらを振り返るとただ黙って会釈した。目つきは鋭いが、下手な男よりもハンサムな顔立ちで、さらに運動神経抜群。本当に男なんじゃないかと思うこともあるが、黒いタートルネックと細身のジーンズに包まれた長身痩躯のシルエットは、確かに女性であることを物語っている。背中に垂らされた長いポニーテールも、女性の髪らしくさらさらしていた。
「これから図書準備室ですか?」
「ええ」と委員長。「フィル君も?」
「はい」
なら一緒に行きましょう、と委員長が言うので、僕らは並んで歩き始めた。
僕は委員長の隣に並んだが、すぐにその間にオッカムが割り込んできた。
「……」
「……」
オッカムは一度僕を睨みつけた後、すぐに前を向いて歩き出した。
どうもオッカムは、僕が委員長に近付いたり、仲良くしたりするのが、気に食わないらしい。普段はクールなキャラなのだが、委員長がらみとなると、小さなことでも感情を顕わにする。その理由は簡単だ。
オッカムは、委員長のことが好きなのだ。異性じゃないのに、異性のように見えているらしい。
まあ、僕も、オッカムは男なんじゃないかと思うことがあるのだから、オッカム自身にとっては、周りの女性が全部異性に見えたとしても不思議はない。と言うことにしておこう。
だけど、付き合っているわけではないらしい。たぶん、オッカムの方は告白したが、付き合うには至らず、友達以上恋人未満のような関係なのではないか、と推測している。
並んで歩きながら、僕らは他愛も無い日常会話を楽しんだ。授業のこととか、最近読んだ小説のこととか、次の日には忘れてしまうような話だ。
「推理小説って、どうやって書くのかしらね?」
「ある作家の話だと、書き始める前にまず登場人物全員の立場に立って、タイムテーブルを組むところから始めるそうですよ」
「ある作家って?」
「えっと……あれ、誰だっけ? 黄色だか黒だか、そんな名前でしたけど」
とか、そんな話だ。主に僕と委員長が喋り、オッカムがたまに口を挟む。この三人だと、いつもこのパターンになる。
話しているうちに、ふと、僕は違和感を覚えた。
なんだろう、と思ったが、よくわからない。正体が掴めぬうちに、僕らは第四校舎三階に着いた。
ここには、図書室と図書準備室、そして司書室がある。ついでに言えば、それしかない。いや、トイレがあるか。
図書準備室の扉をノックして、ドアノブを回す。鍵はかかっていなかった。扉を開けると、中に一人の少女がいた。
ツインテールをぶら下げた、小柄な少女。室内だというのに、ピンクのマフラーを首に巻いている。机に向かってノートに何かを書いていたが、僕らの入室に気が付くと顔を上げた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
僕は小柄な少女、デカルトに言った。この三人……僕と、オッカムと、デカルトが、図書委員長補佐だ。
「あれ、みんな一緒に来るなんて、珍しいね?」
「偶然、そこで会ったんだ」
と言いながら、僕は自分の指定席へ向かった。
図書準備室は、一般教室の半分以下の広さの部屋だ。壁際と窓際には、本棚が所狭しと置かれている。
部屋の中央には、古い長机と四脚の椅子。一番奥の椅子が、僕の指定席だ。僕の隣がデカルト、僕の正面が委員長、委員長の隣がオッカムである。
指定席に座りながら、僕はデカルトの手元を何気なく見た。数学の教科書とノートを広げて、勉強している。ノートには十字に矢印が引かれ、円や正三角形が描かれていた。
デカルトが自習している姿は、学園内でよく見かける。と言っても、デカルトが殊更に勉強熱心なわけではない。聖フィロソフィー学園は、ほとんどの授業が自習なのだ。各クラスの教室もあってないようなもので、学園の生徒達はみんな、自由に好きな場所で勉強している。自習なのを良いことに遊び呆けるような輩は少なく、つまり全員勉強熱心なのだ。
僕らの登場で、そそくさとノートをしまい始めるデカルト。その手に、僕は違和感を覚えた。正確には、手ではなく、手にしている物に。
デカルトは珍しく、緑地に小さく「HB」とだけ書かれた六角柱の鉛筆を持っていた。普段のデカルトは、シャーペンを使っていたはずだ。雪ウサギのような丸っこいウサギのストラップが付いていて、文字を書くたびにカツカツ鳴っていたのでよく覚えている。ちなみにここで言う「雪ウサギ」とは、飛び跳ねる哺乳類のことではなく、雪で作った置物のことである。
「……なあ、デカルト」
「なに?」
デカルトは作業の手を止め、僕を見上げた。
「………」
いつものシャーペンはどうしたんだ、と言おうとして、僕は黙った。
――普通に尋ねるのは、面白くない。
何故かそんな風に思った。それはたぶん、僕がデカルトの特技をときどき目にするからだろう。
デカルトには、昔の小説の探偵のように、人の直前の行動を言い当てる特技がある。何故そんなことが出来るのか、デカルトに尋ねたことがある。いわく、
『いつも相手を観察していれば、その人の「普段の様子」がわかるでしょ? で、それと「現在の様子」を比べれば、直前に何があったのか、推測できるじゃない』
とのことだ。やり方がわかっているのだから、僕にも出来るはずだ。
デカルトの「普段の様子」――ウサギのストラップが付いたシャーペンを使っている。
デカルトの「現在の様子」――飾り気のない緑色の鉛筆を使っている。
さて、何があったのか。
「どうしたの?」
黙っている時間が無かったせいか、デカルトが首を傾げて僕の顔を覗き込む。
僕は高速で頭を働かせた。あのシャーペンには、もう一つ特徴があった。ひびが入っていたのだ。ならばデカルトは、あのシャーペンを……。
「デカルト。お前は最近、何かを壊さなかったか?」
「え? 別に壊してないけど?」
ぎゃふん。
僕が落胆していると、デカルトは首を傾げながら作業を再開した。鉛筆を筒型の筆箱に仕舞おうとしたところで、
「あ、わかった」
と言って、僕の目の前で鉛筆を振って見せた。
「これでしょ?」
ぐにゃぐにゃと曲がる(ように見える)鉛筆を見て、僕は頷いた。デカルトは得心したように笑い、
「そっか、私は普段、シャーペンを使ってるもんね。それが今日に限って、何故か鉛筆を使っている。その理由を考えた結果、私がシャーペンを壊した、と結論付けた」
「ああ」
バツが悪そうに、僕は答えた。
「でもそれなら、シャーペンをなくしたとか、たまたま家に忘れてきたとか、色んな理由があり得るよね。確かにあのシャーペン、もうだいぶ古くていつ壊れてもおかしくなかったけど、だからと言って即『壊した』と結論付けるのは、ちょっと見落としが多いんじゃない?」
理路整然と指摘されてしまった。ますますバツが悪くなる。
「……ちなみに、シャーペンはどうしたんだ?」
「それが、二週間くらい前になくしちゃったのよ。たぶん、学校で落としたんだと思うんだけど……」
「新しいの買えば?」
「そのうち見つかるかも知れないと思ってるんだけど……お気に入りだったし……」
話しながら、デカルトは鉛筆と消しゴムを筆箱に仕舞い、それをカバンに仕舞う。
「あ……」
と、小さな声がした。委員長の声だ。僕が正面を見ると、委員長は少し眉根を下げ、困ったような表情でデカルトを見ていた。
「委員長、どうしました?」
「えっ!? な、なんでもないわ。それじゃ、書庫に行きましょうか」
少し慌てた風に言って、委員長は立ち上がった。扉の方に歩き始めた途端、
「きゃっ!」
自分が座っていた椅子の脚に、自分の足を引っ掛けた。
「委員長!」
手を伸ばそうとしたが、その前に黒い塊が委員長を抱きとめていた。
「大丈夫?」
抱きとめたのは、委員長の隣に座っていたオッカムだった。僕よりも何倍も早い反射神経で、委員長を救った。
「あ、ありがとう……」
少し頬を染め、気まずそうに委員長が立ち上がる。オッカムはクールな表情のまま、委員長に背を向け、床に置いた巨大な剃刀を持ち上げた。
オッカムはそのまま黙って部屋を出て行き、僕らもそれに続いた。




