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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第一章 疑いの眼差し(中編ミステリ)
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10. 真相

 僕も委員長も、黙ってオッカムとデカルトを交互に見た。デカルトは口の端にわずかに笑みを湛え、オッカムを見ている。一方オッカムは、いつもの鋭い目つきのまま、デカルトを見つめていた。

 今回の事件が、オッカムの自作自演?

 僕は混乱した。

 確かにそれなら、「オッカムを誘拐する目的」はないだろう。しかし、自作自演する目的はあるはずである。では、それは何か? 悪戯の線は、一番初めに消したはずだ。それにオッカムは、無駄なことを嫌う。こんな人騒がせなことは、余程の理由が無ければやらないはずである。

 全員しばらく黙っていたが、やがてデカルトが口を開いた。

「わたしは初めから、何か変だと思ってたんだよね」

 胸の下で腕を組み、続ける。

「だって、オッカムちゃんがトイレに行ったのは、全くの偶然。オッカムちゃんはいつもティヌスちゃんにべったりなのに、どうして書庫整理の日に限って、たまたまそんなことが起こったのか?」

「そのぐらいの偶然はあり得る」

 オッカムが早口で言った。さっきから、表情は全く変化していない。デカルトの指摘が的外れだからか、それとも意識してポーカーフェイスを保っているのか。

 オッカムの反論を気にすることなく、デカルトは続けた。

「わたし達は、『Confessioが目的なら、オッカムちゃんを誘拐する必要はない』と考えた。オッカムちゃんを誘拐するより、ティヌスちゃんを誘拐した方が楽だから。でも、『Confessioが目的で、かつ、オッカムちゃんを誘拐した方が楽な人物』が、一人だけ存在する。それはオッカムちゃん自身よ」

「え、ってことはつまり」と僕。「オッカムが犯人だとすると、その目的は『Confessio』だってことか?」

「もちろん。無駄なことを嫌うオッカムちゃんなら、脅迫状にずばり目的を書くはずよ」

 オッカムは何も答えない。表情を変えずに、デカルトの推理を聞いている。委員長はなんだか、おろおろしていた。「Confessio」を抱えたまま、オッカムの表情を伺っている。

「だ、だけど」委員長がどもりながら言った。「オッカムちゃんだって、この本の中身は知らないはずよ? なのに、どうして……」

「知らないからこそ、よ」デカルトが答えた。「オッカムちゃんは、その本の中身をどうしても知りたかった」

「でも、そんなことで、こんな人騒がせなことをするか? それこそ無駄だろ」

 僕の質問に、オッカムもデカルトも答えなかった。代わりにデカルトは、机の上に置かれた二枚目の脅迫状を手に取った。

「わたしがオッカムちゃんを疑ったきっかけは、この脅迫状。『アウグスティヌスと委員長補佐達に告ぐ 屋上に来い』……変だと思わない?」

 デカルトが僕を見る。しかし僕は、何も変だと思わない。首を傾げて、説明の続きを促した。

「だって、時間の指定が無いのよ? これじゃ、わたし達がいつ屋上に来るかわからない。そしたらその間に、オッカムちゃんが目覚めちゃうかもしれない。あるいは、誰かが先にオッカムちゃんを発見しちゃうかもしれない」

「そうなったらそうなったで、別に構わないと思ってたんじゃないか?」

「ううん」デカルトは首を振った。「だったら、黙ってオッカムちゃんを解放するはずよ。わざわざ脅迫状を用意したってことは、わたし達にオッカムちゃんを迎えに行かせたかったから。なのに、時間指定をしないのはおかしい。一枚目の脅迫状では、ちゃんと時間指定していたのに」

 逆に、何故一枚目の脅迫状では時間指定があったのだろう。そっちこそ、指定する必要はないはずである。僕が尋ねると、

「だってそうしないと、いつ取りに行けばいいか、わからないでしょ? それに、一晩で『Confessio』を読みきる必要があったのだから、なるべく早い時間に手に入れた方がいいじゃない」

 とデカルトが答えた。

「二枚目の脅迫状に時間指定が無いのは、オッカムちゃん自身が犯人だからと考えれば、説明がつく。ちょっと寒いけど、寝てれば良いだけだからね。『時間指定をするのは無駄』と考えたのなら、なおのこと説明がつく」

「でも、なぁ」

 僕はオッカムを見た。視線に気付いたオッカムが、こちらを見る。鋭い視線が射抜いてきた。

「なんでそこまで、『Confessio』の中身が知りたかったんだ?」

「本当に知りたかったのは」答えたのは、デカルトだった。「本の中身じゃないかもね」

「どういうことだ?」

 振り返ってデカルトを見る。デカルトは僕を見ずに、真っ直ぐオッカムを見据えていた。

「二枚目の脅迫状から、『犯人』はわたし達にオッカムちゃんを迎えに行かせたかったことがわかる。そしてオッカムちゃんは、『Confessio』を抱えて倒れていた。何故か?」

 僕は再びオッカムを見た。オッカムはデカルトを睨みつけながら、

「私に聞かれてもわからない。私は犯人ではない」

 と早口で言った。僕の背後でデカルトが、ふぅ、とため息を吐いた。

「今のわたしの推理には、確かな証拠は一つもない。ただ単に、『オッカムちゃんが犯人』と仮定すると、色々なことが矛盾なく説明できる、というだけの話よ。だから、オッカムちゃんが違うと言うのなら、わたしは今の推理を捨てざるを得ないわね」

 ここまで盛り上げておいて、それは無いだろう!? 思わず振り向くと、デカルトが軽くウィンクした。

「でもね、オッカムちゃん。もしオッカムちゃんが『違う』と言うのなら、わたし達は犯人探しを続けるわ。そして真犯人が見つかるまで、ティヌスちゃんは、またオッカムちゃんが危険な目に遭うんじゃないかと、心配し続けるでしょうね?」

 委員長が突然、心配そうに眉根を下げた。

 オッカムの横顔を見つめる。

 オッカムはしばらく下唇を噛んでいたが、やがて頭を下げた。

「ごめんなさい」

 早口で、堂々と言った。すぐに上がったオッカムの顔には、いつも通りの鋭い目つきがあったが、どこか雰囲気が違った。小さい男の子が悪戯を怒られて、拗ねているときのような表情だ。

「オッカムちゃん……どうして、こんなことしたの?」

 委員長の声は、怒っているというより、諭すような物だった。オッカムはそっぽを向き、本棚を睨みつけた。それから、諦めたように口を開く。

「アウグスティヌスが……」

 小さな早口で告げた。


「アウグスティヌスが、私と本のどちらを優先するか、知りたかった」


「…………。はい!?」

 思わず頓狂な声を上げたのは、僕だけだった。デカルトは「ああやっぱり」みたいな表情であったし、委員長は申し訳なさそうに目じりを下げていた。

「ねえフィル君」デカルトが、後ろから小声で話しかけてくる。「無駄なことを嫌うオッカムちゃんが、どうしてティヌスちゃんの名前を略さないのか、疑問に思ったことはない?」

 ある。だが、疑問に思うだけで、真面目に考えたことはなかった。

「オッカムちゃんは無駄なことを嫌うけど、無駄じゃないことはするのよ。つまりオッカムちゃんにとって、ティヌスちゃんのフルネームを呼ぶことは、無駄ではなく、大事なことだということ」

 それは、何故なのか。オッカムの恥ずかしがるような拗ねるような表情を見れば、その答えは聞かずともわかった。それでも、僕は聞いた。

「おふたりは、付き合ってるんですか?」

 一文字ずつ区切る、アッシリア先生のような口調になってしまった。オッカムは本棚を睨みつけ、委員長は唐突に顔を赤くした。おろおろと、目を泳がせる。

「べ、別に、付き合ってるとか、そういうわけじゃないんだけど……」

 じゃあどういうわけなんだ。

 確かにオッカムは、以前から委員長に傾倒している様子ではあった。委員長に近付く男という男を剃刀で威嚇したり、委員長の言うことなら素直に聞いたりしていた。

 でも、だからって。

「オッカム、そんな理由でこんな人騒がせなことをしたのか!?」

「…………悪かった」

 拗ねたように唇を尖らせたまま、オッカムが早口で言った。

「委員長、ここは怒るところですよ!?」

 僕がいくら言ったところで、オッカムの心には届かないだろう。だが、委員長が言えば話は別なはずだ。

 しかし委員長は、首を左右に振った。ふわふわの髪が、それにあわせて優雅に揺れる。委員長は「Confessio」を机に置くと、絹に触れるような優しい動作で、オッカムを後ろから抱きしめた。

「オッカムちゃんを不安な気持ちにさせてしまったのは、私のせいだもの。私にも、非はあるわ。一概にオッカムちゃんを責められない」

 甘い。と、僕は思った。

 委員長の裁量が、ではない。

 いま目の前に広がっているこの空気が、である。

 アブノーマルな甘美が、眼前で展開されていた。委員長はオッカムを抱きしめ髪を撫でていたし、オッカムは少しバツが悪そうにしていたが、安心したように目を閉じて酔いしれていた。

「…………」

 固まる僕の背後から、デカルトが小声で言った。

「この学園って、九割女子でしょ? だからほぼ女子高みたいなもので、女の子同士の恋愛も多いのよ」

 それは更なる衝撃を僕に与えるだけだった。しかも、「多いらしいよ」ではなく「多いのよ」とこいつは言った。

「そ、そう、なんだ……」

 僕にはそう答えることしか出来なかった。

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