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哲学理論はミステリを解けるか?(連作作品集)  作者: 黄黒真直
第一章 疑いの眼差し(中編ミステリ)
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9. 論理の連鎖

 その日の放課後。僕ら、図書委員長とその補佐たちは、デカルトに図書準備室へ呼び出された。僕ら三人がいつもの指定席に座ると、デカルトは白いホワイトボードの前で仁王立ちになった。ただ、背中に何か隠しているらしく、右手を後ろに回している。

「何を始めるつもりなの?」

 委員長がおっとり尋ねる。その胸には、「Confessio」が大切そうに抱えられていた。心なし、いつもより力がこもっているようで、委員長の豊満な胸が押され、変形していた。

「ティヌスちゃん。探偵が事件の関係者を集めるのは、『解答編』を始めるときだけよ」

「解答編……犯人がわかったの!?」

「うん」

 デカルトは大きく頷いた。ツインテールがふぁさりと揺れる。

「それじゃあ、一つ一つ順番に考えていこっか」

「無駄。真相だけをずばり言うべき」

 オッカムが切り捨てる。彼女は、両手で剃刀を握り締めていた。いつもは床に置いているが、いまは放そうとしない。

「むー。いいじゃん、一度やってみたかったのよ、こういうの」

 やってみたかったのか……。デカルトはミステリが好きだから、探偵役に憧れているのかもしれない。

 ちなみに、僕はデカルトと一緒にいたにも関わらず、まだ真相を教えてもらっていない。何故ミステリの探偵はみな、事件の真相を話すのをもったいぶるのだろう。

「さて」

 仕切りなおして、デカルトが言った。

「最初にみんなに謝っておこうと思うんだけど、実はわたし、この場にいる全員を疑ってたの」

「えっ」

 声を上げたのは委員長だ。僕は既に聞いていたし、オッカムは少し表情を変えただけだった。

「それは、どうしてかしら?」

「わたしは、すべてを疑うことにしてるの。誰もが犯人の可能性があると仮定し、全員の証言を疑った」

「……そう。まぁ、事件を捜査する上では、当然の心構えね」

 驚いたのは最初の一瞬だけで、委員長はすぐに平常に戻った。考えてみればデカルトは、この学園の先生も容疑者として視野に入れていると、最初に公言していたのだ。いまさら、僕らを疑っていたことを聞いたって、驚きはしない。

「では、この事件に関してすべてを疑っていった場合、最後に残る確かなことは何か?」

 デカルトはそこで間を取った。まるで「考えろ」と言わんばかりだ。委員長は素直に考え込んだようだが、

「なにかしら?」

 と首を捻った。

「それは、これよ」

 デカルトは、背中に回していた右手を前に出した。その手には、CDジャケットほどの大きさの二枚の白いカードがあった。

「脅迫状?」と僕。

「そう。今回の事件において、確かなことは一つ。『この二枚の脅迫状が存在する』ってことだけよ」

 確かにそれは、絶対に確かなことだ。「我思う、故に我あり」で考えると不確かってことになるのだろうが……そんな哲学的レベルではなく、日常的レベルで考えれば、疑いようのない事実である。

 デカルトは二枚の脅迫状を机に置いた。僕は改めて、その文面を読み返した。


『アウグスティヌスと委員長補佐達に告ぐ

 オッカムは誘拐した

 返して欲しければ「Confessio」を渡せ

 明日十六時、図書準備室に「Confessio」を置いて、帰宅せよ

 このことは誰にも伝えるな』


『アウグスティヌスと委員長補佐達に告ぐ

 屋上に来い』


「ここで一つ、仮定を設ける」

 デカルトは指を一本立ててから、ホワイトボードに向き直った。マーカーを取り、背伸びをして、ホワイトボードの一番上に「仮定」と書いた。

「仮定。犯人には、オッカムちゃんを誘拐した目的がある」

 言いながら、その文章を書く。

「つまり、動機があるってこと。これは、妥当な仮定よね?」

 僕を含め、三人とも頷いた。仮定を積み重ねるのが嫌いなオッカムも、納得のようである。

「目的が存在すると仮定すると、『脅迫状が存在する』という事実から、『目的達成のためには、脅迫状を出さねばならなかった』と考えられる」

 まあ、そうだろう。普通ならこんなにくどく考える必要はないのだろうが、デカルトは自分で「すべてを疑う」と明言してしまった以上、一つ一つ確かめないわけにはいかないのだろう。

「ではその目的とは何か? 消去法で考えてみましょう」

 デカルトは伸び上がって、さっきの文章の下に「動機の候補」と書いた。さらにその下に、「Confessioを手に入れる」と書く。

「待て」と僕。「『Confessio』が目的じゃないことは、既に証明済みだ」

「うん」デカルトは頷いた。「だけど、説明の都合上、いまは書いておく。それに消去法を使うと言った以上、考えられる可能性は全部書き出さないと」

 わかった、と僕は頷いた。僕が納得したのを確認すると、デカルトは、

「じゃあフィル君。他には、どんな動機が考えられる?」

 とマーカーで僕を指した。

「え? っと、そうだな……」

 顎に手を当てて、僕は考え始めた。そういえば、「Confessio」が目的じゃないと言っておきながら、じゃあ何が目的なのか、全く見当が付いていなかったことに気付く。悩む僕に、デカルトはヒントを出した。

「オッカムちゃんが誘拐されて何が起こったか、考えてみて。犯人の目的が何であれ、オッカムちゃんが誘拐されたことが原因で起こったことの中に、その目的が必ずあるはずでしょ?」

 あ、なるほど。そうすると……。

 考える僕の背後から、委員長の声がした。

「書庫の整理が延期されたわ」

 デカルトは頷いて、ホワイトボードに書いた。「書庫の整理の延期」

「私が一日欠席した」

 早口でオッカムも言う。デカルトはそれも書き取った。

「委員長の本が、一晩委員長の手から離れたな」

 ようやく僕も発言できた。デカルトが床に足裏を付けながら僕の言葉を書き取る。

 こうなると、次々に意見が出てきた。デカルトが、それを順にすべて書き取っていく。

「Confessioを手に入れる」「書庫の整理の延期」「オッカムちゃんが一日欠席」「Confessioがティヌスちゃんの手から離れる」「オッカムちゃんの剃刀も、一日オッカムちゃんから離れる」「Confessioの正体が明らかになる」「図書準備室の扉の鍵が、一晩開けっ放しになる」「デカルトが四日間連続無遅刻(誘拐前に二日、誘拐後に二日)」「オッカムちゃんが屋上で寝る」「わたし達3人が屋上に行く」「オッカムちゃんが保健室に行く」

 まるでこの二日間の総集編だ。細かい点を挙げればまだあるだろうが(例えば、委員長がイエス先生にウソをついたとか)、ひとまずはこんなものだろう。

「でも、誰かが得するようなものは、一つも無いように思えるな?」

「そうだね」とデカルト。「だけど、犯人の目的が直接この中に現れるとは限らない。例えば、この部屋にある本が目的だったとしたら? 『図書準備室の扉の鍵が、一晩開けっ放しになる』は、その目的達成のための手段に過ぎないことになる」

 なるほど。わらしべ長者的な、信じられない連鎖の先に、犯人の目的があるかもしれないわけか。ちなみに、室内を見渡しても、特に盗まれたものは見当たらない。本棚の本も、みっちり詰まったままで、減ってはいなさそうだ。

「じゃあここから、消去法で考えていきたいんだけど……これらの動機は、大きく三つに分類できることに気が付くかな?」

 気が付かない。言われても、わからない。僕は首を傾げた。委員長もオッカムもわからなかったようだ。デカルトが、左手の指を三本挙げた。

「簡単なことよ。一つ、Confessio関連。二つ、図書委員関連。三つ、オッカムちゃん関連」

「あ!」

 言われて気付いた。「図書委員関連」とは、「書庫の整理の延期」や「準備室の鍵が開けっ放しになる」のことだろう。「デカルトの四日間連続無遅刻」もこれに入るか。残りの動機も、自然と分類できる。

「そうかしら?」

「ん? ティヌスちゃんは、何が気になる?」

「私たちが考え付かないだけで、犯人には全く別の動機があるのかもしれないわよ」

「うん、確かにその可能性はある」デカルトはあっさりと認めた。だが、「でもね」と続け、机に歩み寄った。机上に置かれた二枚のカードを手に取る。「これ、脅迫状があるでしょ」

「それが、どうしたのかしら?」

「オッカムちゃんが誘拐されたあとのわたし達の行動は、ある程度この脅迫状や『誘拐』という事実に縛られていた。逆に言えば、犯人はこの脅迫状を使って、わたし達の行動を操ろうとしていたのよ」

 説明を聞いても、委員長はよくわからなかったらしい。眉をひそめ、おっとりと首を傾げる。

「つまりね、『脅迫状がある』という事実、そして脅迫状に書かれた内容から、犯人の目的は自然と次の二つに絞られるの。一つ、『Confessio関連=Confessioを奪うなりティヌスちゃんから引き離すなりすること』。二つ、『図書委員関連=図書委員長とその補佐たちの行動を制限したり操作したりすること』」

「あら、でも」委員長はホワイトボードを指差した。「オッカムちゃん関連の動機が、いくつかあるわよ?」

「そう。それが一つ目の消去。犯人の目的がオッカムちゃん関連……つまり、オッカムちゃんを一日欠席させたり、オッカムちゃんと剃刀を離れ離れにさせたり、オッカムちゃんを眠らせたり、オッカムちゃんにサンドウィッチを食べさせたり、オッカムちゃんを縛ったり、オッカムちゃんをベッドに寝かせたり、オッカムちゃんを抱きかかえたりするのが目的だったら、犯人には脅迫状を出す理由がないのよ」

 最後の方はただの変態の欲望だ。

「私達の推理を誘導する目的があるかもしれない」

 オッカムがいつもの早口で言った。言われてみると、デカルトの推理は脅迫状に縛られすぎている気もする。

「その可能性もあるわね。でもそれは、他に目ぼしい可能性がなかった場合に、考えることにしましょう。……無駄に仮定が増えるからね」

「っ」

 デカルトが「してやったり」と言わんばかりの顔をした。オッカムは舌打ちをして、そっぽを向いた。

「では二つ目の消去。これは言うまでもなく、『Confessio関連』ね。くどいようだけど、『Confessio』が目的なら、オッカムちゃんを誘拐する必要はない。オッカムちゃんから聞いたクロロホルム的な誘拐方法なら、オッカムちゃんを楽に誘拐できるだろうけど……なら、同じ方法でティヌスちゃんを直接誘拐した方が、楽だし安全。よって、これも消去」

「すると残ったのは」僕は呟いた。「図書委員関連か」

 つまり犯人は、オッカムを誘拐することによって、僕ら三人の行動を操ろうとしたということになる。だが、どう操ろうとしたのだろう? ホワイトボードに書かれている「図書委員関連」は三つだが、僕らが考え付かないだけで、他の可能性もあるのかもしれない。

「でもね」とデカルト。「実はこれも、おかしいの」

「え?」

「もしわたし達の、『図書委員』としての行動を制限したいのなら、何もオッカムちゃんを誘拐する必要はないと思わない?」

「あ……そうか!」

 僕は気付いた。

 デカルトは言っていた。犯人は、僕らの内情にあまりに精通している。つまり犯人は、僕らの中にいる可能性が高い。もし僕らの中に犯人がいるなら、「図書委員長とその補佐」の行動を制限するのに、誘拐なんてする必要はない。単に、会議の場で意見を言えばいいのだ。

 この推理を話すと、さすがに場の空気が悪くなった。

「やはり貴様が犯人か」

 オッカムが剃刀を構える。待て待て待て。しかも「やはり」ってなんだ。

「落ち着いて、オッカムちゃん」デカルトが慌てて止めた。「フィル君の推理でも筋は通るけど、『この中に犯人がいる』という無駄な仮定がある。それよりも、もっと仮定の少ない推理があるわ」

 オッカムは剃刀を引っ込め、首を傾げた。

「さっき、『Confessio』が目的なら、オッカムちゃんを誘拐する必要がないって言ったけど……今回も、それと同じよ。わたし達の行動を制限するのに、オッカムちゃんを誘拐する必要がない。だって……」

 そこでデカルトは、自分の小さな胸を叩いた。

「わたしを誘拐すればいいんだから」

 あ、と僕は思った。

 オッカムは常に凶器を持ち歩いている。一方デカルトは、そんなもの持っていない。僕ならどっちを狙うか考えてみれば、どう考えてもデカルトを狙う。

「わたしの方が小柄だし、わたしの方が非力だし、剃刀も持ってない。それにわたしは、いつも遅刻してくるから、確実に一人で登校することがわかっている。……オッカムちゃんが誘拐された日はたまたま遅刻しなかったけど、中庭でお昼寝してたし、放課後もこの部屋でしばらく寝てた。わたしを狙えば、『オッカムちゃんがトイレに入る』なんて偶然に頼る必要はないでしょ?」

 一応、筋は通っている。

 だけど、と僕は思った。委員長やオッカムも思ったであろう。委員長がおっとりと言った。

「でも、そうなるとおかしなことになるわねぇ。犯人の動機は『Confessio関連』『図書委員関連』『オッカムちゃん関連』のいずれかのはずだったのに、その全部が否定されてしまったわよ?」

「他の動機がある」オッカムが早口で言った。「または、さっき棄却した仮定を使う」

「棄却した仮定?」

 オウム返しに聞く僕に、オッカムは早口で

「推理の誘導」

 と答えた。

「いや、待てよ。その動機はどうだ?」僕はホワイトボードの一点を指差した。「ほら、その『デカルトが四日間連続無遅刻』ってやつ。それなら、デカルトを誘拐したんじゃ意味ないよな?」

 デカルトが振り返って、ホワイトボードを見る。委員長とオッカムも、その一文を眺めた。

「…………。否定は出来ないね」

 それでもデカルトは、否定の言葉を探したようだ。

「だけど、犯人にそれが予測できるかどうかが問題かな。逆に、心配でなかなか寝付けずに、さらに遅刻する可能性もあった」

 そうか、犯人は「誘拐」なんてハイリスクなことをやったのだから、失敗は許されない。確実に予測できることが、動機なんだ。

「ならやっぱり、他の動機が? あるいは、推理を誘導されてるとか?」

「わたしの推理の出発点は、どこだった?」

 質問に質問が返ってきた。デカルトの推理の出発点と言えば、「ただ一つの確かなこと」だ。僕は答えた。

「脅迫状が存在すること」

「そう。そこに、『犯人には目的がある』という仮定を設けて、推理を進めてきた。結果、おかしなことになった。ならば、『犯人には目的がある』という仮定が、間違っていると考えるべきよ」

「目的が……ない?」

 さすがに唖然となった。目的も無く、誘拐なんてしたと言うのか? わざわざ脅迫状まで用意して?

「ううん」しかし、デカルトは首を振った。「目的は、ある。でもね、『オッカムちゃんを誘拐する目的』がないのよ」

「はぁ?? でも、現にオッカムは誘拐されてるぞ」

「なら、その認識を改めればいい」

 それってつまり、と委員長が言った。デカルトはにこりと笑って、先を続けた。

「オッカムちゃんは、誘拐なんてされていない。この事件は、オッカムちゃんの自作自演よ!」

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