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聖獣に選ばれた聖女は、王子と共に王宮を去る

作者: 星谷明里
掲載日:2026/02/23

 その春の日は、花々の香りを纏う柔らかな風が吹いていた。


 噴水の音が響く庭園の石畳には、金髪の少年と銀髪の少女が向かい合って立っている。  

 そして、その様子を木陰から見ている影がひとつあった。


「ねぇ、ジークフリートと僕、どっちが好き?」


 少年は、まるで答えが決まっているかのように微笑んだ。


「ジーク様が好きです」


 静かな声で答えた少女に、少年は天使のような微笑みを浮かべた。


「そう……なら、君はいらないな」


「えっ?」


 少年の細い手が少女の華奢な肩を押した。後方に倒れた少女は、人形のように階段を転がり落ちていく。

 その様子を、無機質な空色の瞳が見下ろしていた。


「──っ……!!」


 木陰にいた少年が息を呑む。青い瞳は見開かれ、揺らいでいた。


「誰か!! 聖女様をお呼びして! 早く治癒を!」


 階段の下から誰かの悲鳴が上がり、金髪の少年は静かに立ち去った。


 どこか冷たい風に、木々と少年の黒髪が静かに揺れる。

 木陰にいたその少年は、震えながら立ち尽くすことしか出来なかった。



 ◇



 十年後──


 ここは、豊かな自然に恵まれたホーエンベルク王国の王宮。

 白い城壁に囲まれた敷地内には、聖女候補たちが暮らす神殿がある。

 朝陽に照らされるその回廊を、私は一人歩いていた。


「セラフィーナ様、ごきげんよう」


 澄んだ甘やかな声に振り返ると、そこには蜂蜜色の長い髪を揺らすアマーリエがいた。彼女の翡翠色の瞳は、柔らかな光を映している。


「アマーリエ様、ごきげんよう」


 そう返して一礼すると、アマーリエ様は天使のように微笑んだ。


 でも──


「アマーリエ様ったら、またお声をかけていらっしゃるわ……本当にお優しい方」


「あの方は、ローゼンハイム公爵家のご令嬢で、筆頭聖女候補ですもの……わたくしたちと比べるのも烏滸おこがましいですわ」


「それに引き換え……」


 聞こえるほどの囁き声と、クスクスと楽しげなわらい声が耳に届く。


「今は侯爵家の令嬢でも……ねぇ」


「どうして、あんな卑しい孤児まで筆頭聖女候補なのかしら……」


「筆頭聖女に選ばれるのは、アマーリエ様に決まっているのに」


 彼女たちの視線がまとわりつくようで、私は少しだけ俯いた。

 私の名はセラフィーナ。姓は侯爵家であるシルバーヴァルトを名乗らせてもらっているが、神殿で育てられた孤児だ。


『セラフィーナ……』


 不意に名を呼ばれた。

 木霊こだまするようなその低い声を聞いて、心が暖かくなる。


(ウルリック……)


 柔らかな風が吹いて、私は少しだけ空を見上げた。


「ご覧になって。また、ほうけていらっしゃるわよ」


 嘲るような微笑みを浮かべる彼女たちに軽く一礼して、私は歩き出した。

 向かうのは、神殿の裏だ。そこには、小さな森があった。


『セラフィーナ、大丈夫か』


 吹き抜けた風に緑の木々がさざめくと、目の前に大きな白い狼が現れた。


「ウルリック……いつもありがとう」


『何故、言わない』


「えっ……?」


『あの者たちに、見下されているのだろう……私のことを話せば、お前が筆頭聖女となる』


 私は首を振った。


「筆頭聖女には、なれないわ」


 ──女神アドルフィーネを信仰するこの国では、筆頭聖女が王妃となる定めがあった。

 もし、女神の眷属といわれる聖獣であるウルリックのことを知られれば、おそらく私が筆頭聖女に選ばれてしまう。そうなれば、王太子妃となることが決まるはずだ。


 幼い頃に侯爵家の養女になったとはいえ、私は神殿で育てられた孤児だ。聖女見習い達からもさげすまれる私に、王太子妃が務まるはずがない。


 それに──王太子である第一王子ルーカス・ホーエンベルク。私は、何故か彼のことが怖かった。


(──筆頭聖女になんて、なりたくないわ……)


『セラフィーナ?』


「ウルリック……私、どうしたら良いのかしら……」


『私はお前を守るために在る。……それが、女神に定められたことわりだ』


 『セラフィーナは、どうしたいんだ』と問いかけられ、私は言葉を詰まらせた。


「……聖女の勤めは続けたいわ。でも、王太子妃なんて、私には無理だもの」


 聖女には、女神や聖獣に祈りを捧げることと、傷や病を負った人々を癒す務めがある。

 私は子どもの頃から、神殿を訪れた多くの人々を治癒してきた。それを評価されて私は筆頭聖女候補となったが、それは民たちの不満を抑えるためだと私は知っていた。


「王太子妃には、アマーリエ様が相応しいわ」


 清廉で、誰にでも心優しい公爵令嬢。生まれ持った身分も教養も、全てを兼ね備えている彼女こそが王太子妃になるべきだと思った。それにこれは、皆が思っていることだ。


『だが、私が選んだのはお前だ…』


 ウルリックによると、聖獣が聖女を選んだのは数百年ぶりのことだという。


「……少し、考えたいわ……」


 私がそう言うと、ウルリックは黙り込んだ。金色の瞳がわずかに伏せられる。


 ウルリックと出会ったのは、一年前のことだった。

 一人きりになりたくて、この森に来たときに突然目の前に現れたのだ。


 ──何故、私を選んだの……?


 ──聖獣に選ばれた聖女とは、何なの?


 胸の内に浮かび続けているそれらの問いは、何故かずっと口に出せていなかった。


「……また、来るわね」


 聖獣であるウルリックと会っていることを、誰にも知られるわけにはいかない。

 私は、神殿へと引き返した。



 ◇



「これは、お前のものだろう」


「ジークフリート王子殿下──」


 森から出て歩いているとき、ジークフリートから声をかけられ私は息を呑んだ。以前彼に挨拶したことがあったが、冷たい視線を向けられ、無視されたのだ。

 彼と言葉を交わしたのは、これが初めてだった。


(私のことが、お嫌いなはずでは……)


 彼の手で差し出されたのは、失くしたはずの私のネックレスだった。


(もう、見つからないと諦めていたのに……)


 柔らかな風が吹いて、彼の黒髪がなびいた。


(綺麗な瞳……海のようだわ……)


 その青い瞳を見上げると、逸らすように視線を落とされる。


「これを、どこで見つけてくださったのですか?」


「……侍女が見つけた」


「そう、ですか……」


 受け取ったネックレスを見つめる。

 このアメジストのネックレスは、私が神殿に預けられたときから身につけていたものだと聞いていた。ネックレスの裏の白金プラチナには、“セラフィーナ”と名が刻まれている。


(私は、どこで生まれたのかしら……)


 私には、赤子の頃の記憶は勿論、七歳頃までの記憶が欠けている。それは、庭園の階段から転落したことが原因だと聞かされていた。


「ジークフリート王子殿下、心より感謝いたします。……これは、とても大切なものなのです」


「……そうか」


 彼の青い瞳が、少しだけ和らいだように見えた。


「何とお礼を申し上げたら良いか……」


「気にしなくて良い。……俺が渡したことは忘れろ」


 背を向けて、低く落とされた声。

 去っていく彼に再びお礼を言って、私は深く一礼した。


(少し怖いけれど、やっぱりお優しい方なんだわ……)


 この国の第二王子であるジークフリートは、王太子ルーカスに比べ冷淡で近寄り難いと神殿の聖女たちの間でよく囁かれていた。


 けれど、私は見たことがあったのだ。ウルリックに会いに森に行った帰りに、木陰で彼が傷付いた兎を手当てしているところを──


(でも、どうして神殿にいらっしゃらなかったのかしら……)


 獣を神殿内に入れることは禁じられているが、王族の命であれば神殿の外に聖女を呼んで癒すこともできたはずだ。


「ジークフリート殿下……」


 その名を小さく呟くと、何故か胸が締め付けられた。

 私は受け取ったペンダントを首にかけると、聖衣の襟の中に隠した。


(もう、二度と失くさないわ……)


 私はこのとき、私たちを見ていた瞳があったことを知らなかった。



 ◇



 その日の午後のこと。

 ジークフリートは、王城の裏庭で一人剣を振るっていた。

 そこへ、ひとつの足音が近付く。


「ジークフリート」


 ジークフリートが視線を向けると、そこには兄のルーカスが立っていた。

 剣を鞘に収めると、ジークフリートはルーカスへと向き直る。


「兄上……どうされましたか」


「少し、気になることがあってね」


 ルーカスは、微笑みながらそう言った。

 “王国の太陽”と呼ばれる彼は、陽光のような金の髪に澄んだ青空のような瞳を持つ美しい王子だった。


 甘い顔立ちに紳士的で穏やかな物腰。老若男女問わず、多くから“王太子”として慕われる彼は、優美に微笑むとジークフリートへと近付いた。


「未だに、セラフィーナのことを気にかけているの?」


 甘い声で囁かれた問いに、ジークフリートは息を詰まらせた。端正な顔立ちが、わずかに引きつる。

 返ってこない言葉に、ルーカスは笑みを深めた。


「ジークフリート?」


「兄上……まさか、あのような卑しい孤児に、興味などありません」


 そう返したジークフリートの声は、低く掠れていた。

 彼の拳が震えているのを見て、ルーカスの唇が弧を描いた。


「……それなら良いんだ」


 「剣に励むのも良いけれど、無理はしないようにね」と甘く微笑むと、ルーカスは背を向けた。


 不意に、ジークフリートは何かを思い出したかのように拳をきつく握った。


「セラフィーナ……」


 風に掻き消えそうな、小さな声で呟かれた名。

 彼は、浮かんだ光景を打ち消すように強くまぶたを閉じた。それは、彼が最も忘れたい記憶だった。



 ◇



 私が神殿へ戻ると、信じ難い声が飛び交っていた。


「アマーリエ様、おめでとうございます!」


「聖獣様に選ばれるなんて……さすがはアマーリエ様ですわ」


「神殿長様が仰るには、聖獣様に選ばれた聖女は、五百年ぶりだそうですわ!」


 溢れ返る賛辞の声に、アマーリエは恥じらうように微笑を浮かべている。


「そんな……わたくしはただ、聖女として励んでいただけですわ」


(聖獣? ウルリックの他にも聖獣がいるの?)


 そう考えていたとき、私に気付いたアマーリエが澄んだ声で呼び掛けてきた。


「あら、セラフィーナ様……どうなさったの?」


(アマーリエ様も私と同じなら、ウルリックのことを隠さなくて良くなるはず……)


「アマーリエ様……聖獣様は、どのようなお姿なのですか?」


 私の問いに、その場がしんと静まり返った。


「あなた、筆頭聖女様に、何て失礼なことを──」

「構いませんのよ。……セラフィーナ様、聖獣様は狼のお姿ですわ。皆、知っているでしょう?」


 アマーリエは、いつもと変わらぬ天使のような微笑を浮かべたままそう答えた。

 確かに、女神像の足元には狼が寄り添っている。


「……聖獣様のお名前は──」

「あなた、いい加減になさい!」


 そう叫んだのは、アマーリエの隣にいた聖女だった。周りを囲む聖女たちの視線が突き刺さる。

 アマーリエは困ったように微笑んでいた。


「聖獣様の名をお聞きするだなんて、畏れ多いですわ……セラフィーナ様は、聖獣様にとても関心があられるのですね」


 アマーリエのその言葉に、周りの聖女たちの視線が変わる。

 弧を描いたいくつもの瞳が、私を見つめていた。


「残念でしたわね。でも、アマーリエ様が選ばれるのは当然のことですわ」


「あなたも、わかっておいででしょう?」


 ──私が、筆頭聖女に相応しくないと言いたいのね……。


「勿論……アマーリエ様こそが筆頭聖女に相応しいお方だと思っておりますわ」


 私がそう告げると、嘲るような視線は満足そうな笑みへと変わった。



 ◇



 翌日の午後──


「どうして、あの方がジークフリート王子殿下の婚約者に……」


 玉座の間から出た私の耳に、侍女たちの囁き声が届く。


(私が、聞きたいくらいだわ……)


 アマーリエが王太子ルーカスの婚約者となると同時に、私が第二王子ジークフリートの婚約者となることが決まったと国王陛下から告げられた。

 だが、先日会った彼は、冷たい瞳で私をちらりと見ると視線を逸らした。


(きっと、困っておいでのはず……)


 一国の王子である彼が、筆頭聖女候補だったとはいえ孤児出身の私をめとるなど考えられないことのはずだ。彼の様子からも、私を嫌っていることは明白だった。

 けれど、王命によって結ばれた縁だ。私に拒むことなどできはしない。

 私は胸の内でため息を吐きながら、王城の廊下を歩いていた。


「セラフィーナ……といったな」


 低い声に振り返ると、そこにはジークフリートが立っていた。


「俺には、王命を覆すことはできない」


「ジークフリート王子殿下……」


「俺は──」


「ジークフリート」


 甘やかな声が響き、ジークフリートの肩がかすかに揺れた。

 そこへ現れたのは、ルーカスだった。


「っ……兄上……」


 ジークフリートの青い瞳が、揺らいでいるように見える。


「君は、セラフィーナ嬢だね。……アマーリエから話は聞いているよ」


「王太子殿下、畏れ多いことでございます……」


 私が深く一礼すると、ルーカスは微笑んだ。その瞳が、ジークフリートを見つめる。


「ジークフリート、話の途中だったんじゃないのかな」


「いえ……もう、話は終わりました」


「そう……では、私が彼女と話しても構わないね」


 微笑んだ王太子殿下に、ジークフリートの瞳がわずかに見開かれた。


「それは……」


 そのとき、侍従が現れた。


「ルーカス王太子殿下、王妃殿下がお呼びです」


「そうか……それなら、仕方ないな。セラフィーナ嬢、また今度」


 ルーカスはそう言って微笑むと、侍従と共に去っていった。

 残された私たちの間に、沈黙が流れる。


(私は、何を言えば……)


「……兄上には、気を付けろ」


 ジークフリートが、囁くように何かを呟いた。


「……今、何と仰られましたか?」


「……何でもない。……それから、俺には、近付かない方が良い」


 彼は、そう告げると私に背を向けた。


(近付かない方が良い……?)


 残された私は、一人立ち尽くした。

 赤い絨毯には、穏やかな陽射しが差し込んでいた。



 ◇



 その日の晩。月が昇る頃──


 ジークフリートは、夢を見ていた。


「母上! 母上!!」


 必死に揺するも、倒れ伏した母の瞼は開かれなかった。


「ベルティーナ王妃殿下、しっかりなさってくださいませ! 早く、聖女様をお呼びして!!」


 お茶会の途中、突然に倒れた母。唇から溢れた赤に、いくつもの甲高い悲鳴が上がった。


「へぇ……こんな風になるんだね」


「兄上……?」


 顔を上げると、そこには兄上が立っていた。


「ルーカス、見てはなりません!!」


 ハルフリーデ王妃が兄上の目を隠すように塞ぐと、白い手のひらを母に翳した。白い光が溢れて、母の体を包み込む。


「ベルティーナ!!」


 そこへ、父が駆け込んできた。


「父上!! 母上を助けてください……!」


 駆けつけた父に抱き起こされた母の手が、地へと落ちる。

 必死に握ったその手は、次第に冷たくなっていった──


「母上!!」


 ジークフリートは、そう叫びながら目覚めた。瞳は見開かれ、肩で荒く呼吸している。


「また、あの夢か……」


 十二年前、彼の母のベルティーナ第一王妃は突然に旅立った。

 王妃を寵愛していた父王は、寵妃を失くすと同時にその息子への関心も失った。あの出来事を、思い出したくなかったのかもしれない。

 けれど、あの日から彼は独りになった。


 彼は起き上がると、窓辺へと近付いた。

 バルコニーへと出ると、夜風が汗ばんだ肌を心地よく撫でていく。


 夜空を見上げると、白い三日月が淡く輝いていた。

 彼の脳裏に浮かんだのは、一人の少女の姿──


「彼女だけは、絶対に……失いたくない……」


 彼は月を見上げながら、祈るように呟いた。



 ◇



 ジークフリートとの婚約が決まって、十日が経った。

 今宵は、ルーカスとアマーリエの婚約披露のために、夜会が開かれる。五百年ぶりの聖女の再来と謳われるアマーリエと王太子の婚約に、城内は湧き立っていた。


「ジークフリート王子殿下がお待ちです」


 現れた侍従に案内されて、私は大広間へと向かった。

 途中、大きな鏡に自分の姿が映る。


(まるで、私ではないみたい……綺麗なドレスだわ)


 銀の髪は艶めき、アメジストがあしらわれた白銀の髪飾りが飾られている。

 髪飾りに合わせて用意されていたラベンダー色の絹のドレスが、目に眩しかった。


(このドレスは、誰が用意してくださったのかしら……お礼も言えないなんて)


 支度を手伝ってくれた侍女は冷たい態度で、何も教えてはくれなかった。


「ジークフリート王子殿下、お待たせいたしました」


 通された控えの間では、ジークフリートが待っていた。


(どうされたのかしら……)


 静かな二人きりの部屋。

 彼は、黙って私を見つめていた。


「ジークフリート王子殿下……?」


「っ……ああ、すまない……」


 弾かれたように目を見開いた彼は、すぐに視線を逸らした。その耳が、ほのかに赤く染まっている。


「もう時間だ。……行こう」


 彼に手を差し出され、私は寄り添うように歩き出した。

 言葉はないが、背の高い彼が私の歩幅に合わせてくれている──そのことに気が付き、胸がくすぐったくなった。


 侍従の手によって大広間への扉が開かれて、私たちは中へと足を進める。

 ざわめきが増した会場。大理石が敷かれている大広間は、シャンデリアの灯りに眩く煌めいていた。

 飾られた花々の甘い芳香が淡く漂う中、弦楽の演奏が始まる。


「手を……」


 私が顔を上げると、青い瞳がこちらを見つめていた。

 けれど、その視線はすぐに逸らされた。


「……婚約しているんだから、一曲くらいは踊るべきだ」


(確かに、それもそうね……)


 私は彼に手を取られて、大広間の中心へと進み出る。


「まるで精霊のように美しい令嬢だな」

「あれは確か、神殿の──」


 少し離れた場所で、貴族令息たちがこちらへ視線を向けていた。


(きっと、私のことを──今は、気にしないようにしましょう……)


 神殿の聖女たちのように、私のことを王子に相応しくない“卑しい孤児”だとでも話しているのだろう。

 けれど、私と一緒にいて彼は平気なのだろうか──


 私は向かい合う彼を見上げた。

 青い瞳と視線が重なり、私たちのワルツが始まった。


「ジークフリート王子殿下……」


「どうした?」


「あの、私のことを──」


「……ワルツに集中しよう」


 視線の端に、蜂蜜色の長い髪と淡い桃色のドレスが揺れた。


(アマーリエ様だわ……)


 彼女とワルツを踊っているのは、ルーカスだった。

 その瞬間、その空色の瞳が私を捉えた。彼は私たちを見ると、甘い微笑みを浮かべた。


「セラフィーナ、こっちだ」


 ジークフリートのリードで、アマーリエたちとは反対の方向へとステップを踏む。

 そうして踊っていると、一曲が終わった。


「セラフィーナ、今日はもう──」


「セラフィーナ様。次は、私と踊っていただけませんか」


「いえ、是非私と……」


「先に声をかけようとしていたのは、この私だ」


(一体どうしたの……?)


 ダンスが終わった途端、貴族令息たちに次々と声をかけられた。揉め始めた彼らに、ジークフリートも困惑した表情を浮かべている。


「やぁ、セラフィーナ嬢。ここにいたんだね」


 そこへ微笑みながら現れたのは、ルーカスだった。


「悪いけど、彼女の次の相手は私なんだ」


 「そうだったね? セラフィーナ嬢」と微笑まれ、私は何も言えなかった。


「ルーカス王太子殿下、お待ちを……」


 その後ろから、アマーリエが顔を出す。


「アマーリエ様──」

「アマーリエは、次はジークフリートと踊ると良い」


 私の声を遮るようにルーカスはそう言うと、私の手を取ってワルツの輪の中へと入った。


(ジークフリート王子殿下……)


 振り返り視線を向けると、海のように青い瞳が私を見つめていた。

 その隣で、アマーリエがどんな表情で私を見ていたのか、私は知らなかった。



 ◇



 夜会から数日が経った。

 王子妃教育のため、王城に向かっていた時のこと。


「セラフィーナ様」


 聖女たちから声をかけられ、私は足を止めた。彼女たちは皆、高位貴族の令嬢たちだった。


「──何をするの?!」


 付けていたアメジストのネックレスを奪われ、私は声を上げた。


「あなた……王子殿下の婚約者になったからって、良い気になってるそうですわね」


「卑しい孤児の分際で──こんなネックレスを付けるなんて、分不相応でしてよ」


「返してください! それは私の──」


 手を伸ばすと、ネックレスを持った腕が振るわれた。

 紫色の煌めきが、泉へと沈んでいく。


「ごめんあそばせ。手が滑ってしまいましたの」


 彼女たちはそう言うと、笑いながら去って行った。


(あれは、私のたった一つの──)


 私は迷わず泉へと飛び込んでいた。

 幸い泉は浅く、腰の上までの深さしかなかった。


 どこで生まれたのか、親は誰なのか──それらが全くわからない私にとって、名の刻まれたあのネックレスは唯一のどころだった。


(この辺りにあるはずなのに……手が、届かないわ……)


 潜ろうか思案しているとき、駆けてくる足音が聞こえた。


「何をしている?!」


 顔を上げると、そこにはジークフリートが立っていた。

 黒髪は乱れ、肩で息をしている。


「……ネックレスを、()()()()しまって……この辺りにあるはずなのです」


 私の言葉に、彼は眉をひそめた。


「聖女様は、水の上を歩くのか?」


 私がいるのは、泉の中央だった。

 気まずい沈黙に、私は俯く。


「王子殿下?!」


 紺のマントを脱いだ彼は、泉へと入ってきた。


「……一人より、二人で探したほうが早い」


「でも……ジークフリート王子殿下がこんなことを……」


「兵を大勢呼んで探させても良いが……そういうのは、苦手だろう」


(どうして……)


 私は、息を呑んだ。

 ジークフリートの長い腕が、泉の中へと沈められる。


「……ありがとうございます」


 いつの間にか、ドレスは胸元や背中まで濡れていた。濡れた体にあたる風がひどく冷たい。


(ジークフリート王子殿下も寒いはず。早く見つけないと……)


「……体を冷やす。先に王城へ行け」


「私も探したいのです」


 そう返すと、ジークフリートは険しい顔をして、泉へと潜った。


「王子殿下?! 何を──」


 そのとき、彼が泉から出てきた。かき上げられた黒髪から、いくつも水が滴り落ちる。

 その手に握られていたのは、アメジストのネックレスだった。


「ありがとうございます! もう見つけてくださるなんて……!」


 私がそう言うと、ジークフリートは笑った。


「光っていたから、すぐにわかった……相変わらず、探すのが下手だな」


「え……?」


(“相変わらず”……? 聞き間違い、かしら……)


「ああ……いや──これ、鎖が千切れているな。……修理させるから、待っていてくれ」


「ありがとうございます……」


「さぁ、城へ戻ろう」


 彼から差し出された手を、私は握った。

 その手はとても冷えているのに、何故か温かく感じられた。


(不思議ね。……そんなはずは、ないのに……)


 さっき見たあの笑顔を、私は知っているような気がした。



 ◇



 数日が経った──

 私は、神殿の聖堂を訪れた人々をいつものように癒していた。


「セラフィーナ様、ありがとうございます……!」


「いえ……またいつでも、いらしてくださいね」


「ほら、あなたもお礼を言いなさい」


「聖女さま、ありがとう!」


 笑顔を見せてくれた少年に、私は胸が暖かくなった。

 深々と礼をした親子に微笑み返し、次の人を癒そうとしたときだった──


(何かしら……嫌な感じがするわ……)


 不意に、嫌な気配を感じて視線を向ける。先程癒したばかりの少年の体に、何か黒い靄のようなものが纏わりついていた。


(あれは、何なの……?)


「お母さん、苦しいよ……」


「坊や、どうしたの……? 誰か! 助けてください!!」


 私が立ち上がるのと同時に、苦しげに呻いて膝をついた少年。そこへ、突然に現れたアマーリエが駆け寄った。


「アマーリエ・ローゼンハイムと申します。わたくしが癒しますわ」


 彼女はそう言って微笑むと、白い手のひらを少年へ翳した。

 白く眩い光が閃光のようにあたりを包み込む。


「さぁ、これでもう大丈夫ですわ」


「ありがとうございます!! アマーリエ様!」


 その親子は、何度もアマーリエに頭を下げて帰っていった。


「ローゼンハイムといえば、公爵家だろう」

「公爵家のお嬢様が、私たちを癒してくださるなんて……」

「天使のような聖女様だ……」


 聖堂に、アマーリエを称賛する声が満ち溢れた。


 微笑んだ彼女が振り返ると、私に気遣うような眼差しを向ける。


「セラフィーナ様……もしかして、聖力が落ちていらっしゃるのでは?」


 アマーリエの発した言葉に、聖堂は静まり返った。


(聖力が、落ちるだなんて……そんなはずは……)


 聖堂中の視線が、私に向けられた。私の前に差し出されていた傷付いた腕は、静かに戻された。

 冷たく、重い沈黙が流れる。


「まぁ、わたくし、そんなつもりでは……ただ、セラフィーナ様が心配で……どうか、許してくださいましね」


 アマーリエは、翡翠の瞳を潤ませてそう言った。


 その日から、私の元へ来る人々は次第に減っていった。

 代わりに、元々近衛騎士の訓練に付き添うことが多く、民たちが並ぶ聖堂にはあまり顔を出さないアマーリエを求める声ばかりが増えていった。


 王城でもその噂は広がり、侍女たちの私を見る目は一層冷たくなった。


「セラフィーナ……大丈夫か?」


「ジークフリート王子殿下……」


 図書室で勉強していた私の向かいの席に、彼は座った。


「どうして……私のことを、気にかけてくださるのですか?」


 その問いに、彼は沈黙を落とした。


(婚約者、だから……?)


「ジークフリート王子殿下は、私のことがお嫌いなのでは……」


 自分でそう言いながら、胸が痛かった。


「違う……!」


 俯いていると、ガタリと音がした。


「……嫌ってなんかない……俺は、ずっと前からお前を……」


 ジークフリートはそう苦しげに言うと、図書室を出て行った。


(王子殿下……?)


 私は、彼が出て行った扉を見つめることした出来なかった。



 ◇



 午後の陽射しが差し込む廊下で、ジークフリートは窓辺からの景色に目を留めた。

 庭園には春の花々が咲き誇り、柔らかな風に揺れている。


 彼の脳裏に浮かんだのは、子どもの頃の──忘れられない記憶だった。


 ──十二年前。


「一人で、何をしているのですか?」


「誰だ」


 彼が庭園の隅の木陰に座っていたとき、掛けられた声。

 顔を上げると、ジークフリートよりも少し年下の少女が立っていた。

 春風に、透き通るような銀の髪が揺れている。


「セラフィーナともうします」


(セラフィーナ? 確か……)


 彼は、城の者たちが話していたのを聞いた覚えがあった。王都の神殿で聖力の強い孤児が見つかり、シルバーヴァルト侯爵家が養女にして聖女見習いになったと──


「俺に、何の用だ」


「あの、迷ってしまって……神殿へ戻れないのです」


「そんなの、侍従にでも言えば良いだろう」


 そう突き放すと、セラフィーナは表情を曇らせた。


(どうしたんだ……?)


「みなさま、お忙しいようなのです」


(まさか──)


 視線の先で通りかかった侍女が、気まずそうに視線を逸らした。


 ──無視、されたのか……。


 彼は、母を失ったときから、父王からないがしろにされていた。

 侍女や侍従たちは丁寧に接しては来るが、以前とは違いどこか距離を感じた。


(──俺と、似ているな……)


「この城を案内してやる。……神殿でも、どこでも良いぞ」


「ありがとうございます!」


 セラフィーナは、満面の笑顔を見せた。

 赤くなったジークフリートの頬。その額に、セラフィーナはそっと触れた。


「お熱があるのですか? 私がいやします」


「熱なんかない! 大丈夫だ!」


 「そうですか」と小さく呟いたセラフィーナに、ジークフリートは背中を向けた。


「俺はジークフリートだ。……ジークで良い」


「ジークさま、ありがとうございます!」

 

 そうして、二人はよく共に過ごすようになっていった。


(──もう、出会ってから十二年も経つんだな……)


 ──『ジークさま、どこですか?』


 セラフィーナが必死に自分を探している姿を、木陰に隠れながらうかがっていたことを思い出す。


(かくれんぼが、特に下手だったんだよな……)


 彼は、小さく笑みを零した。

 彼女の存在はいつの間にか、孤独だった彼の心の拠り所になっていた。


『ねぇ、ジークフリートと僕、どっちが好き?』


 不意に、あの日聞いた声が響いた。


 彼は見開いた瞳を揺らすと、俯いた。

 その表情は、見えなかった。



 ◇



 図書室での勉強を終えた私は、庭園に来ていた。


(ここは、人が少なくて良いわ……)


 私は深く深呼吸すると、澄んだ空を見上げた。

 静かな足音に振り返ると、そこにはルーカスが立っていた。


「セラフィーナ嬢、この場所を覚えているかい?」


「……?」


「……覚えていないっていうのは、本当みたいだね」


 彼は甘く微笑むと、ゆっくりと近付いてきた。


(お互いに婚約者がいるのに、これ以上近付くのは……)


 私は後ろへ下がった。


「どうして離れるの? ()()落ちてしまうよ」


 振り返ると、そこには下る階段があった。

 思わずすくんだ足に、階段からそっと離れる。


「セラフィーナ……怖いのかい?」


「……はい」


 神殿や王城の階段は平気だったのに、どうしてこんなにも恐ろしく感じるのか──


「ねぇ……ジークフリートと僕、どっちが好き?」


 甘く微笑んだルーカス。

 その言葉に、胸が早鐘を打ち始める。


「セラフィーナ?」


 甘い響きの声と、向けられる微笑み。

 私は、激しい頭痛に襲われた。


(私は、あのとき──)


「ジーク様が好きです」


 答えた私に、ルーカスは綺麗に微笑んだ。


「そう……なら、君はいらないな」


「えっ?」


 ルーカスの手が私の肩を押して──


「──っ……」


 私は、全てを思い出した。

 顔を上げると、ルーカスが私を見つめていた。


「セラフィーナ……思い出したかい?」


 私は息を呑んだ。

 後ずさった私に、微笑んだルーカスが近付いてくる。


「それで……ジークフリートと僕、どちらを選ぶの?」


 澄んだ空のような瞳は、狂気に染まっていた。

 答えられないまま、私は後ずさることしかできなかった。


「何故、僕を選ばない? この国で僕を選ばないのは……セラフィーナ、君だけだよ」


「あっ……!」


 花壇の縁に踵を取られた私は、後ろに倒れ込んだ。

 淡い色の花びらが舞い上がる。


「──王太子殿下?!」


 彼は、倒れた私の上に伸し掛かった。その手が、私の首へと伸ばされる。


「くる、し……」


「どうして君は、僕を見ないのかな? そんなにジークフリートが良いの?」


 声が、出せなかった。


「ジークフリートも、随分君のことが大切みたいだよ……君を失ったら、どんな表情かおをするんだろうね」


(ジーク様……)


 目の前が、白く霞んでいく。

 浮かんだのは、泉で見た彼の笑顔だった。


 そのとき、ウルリックの咆哮が響いた。

 大きな爪でルーカスを弾き飛ばすと、私を守るように立ち塞がる。

 白く大きなその姿は、いつもの数倍はあった。


『セラフィーナ、大丈夫か? この者を見極めるため、助けるのが遅くなってすまなかった』


 咳き込んだ私は、小さく首を振った。

 王城の壁に叩きつけられた王太子殿下は、苦しげに呻いている。その体には、爪痕が刻まれ、白い礼装が赤く滲んでいた。


「セラフィーナ! 大丈夫か?!」


「ジーク様……!」


 駆けてくるジークの姿に、涙が溢れた。


「セラフィーナ、お前……」


 ジークはそれ以上は何も言わず、そっと抱き締めてくれた。


「無事で、本当に良かった……」


「何事だ?!」


 庭園に駆け込んできたのは、大勢の兵だった。その後ろでは侍従たちがこちらを窺っている。


「王太子殿下!!」


「この狼は……まさか……」


「聖獣様が、このように顕現けんげんなさるなど……」


 集まった者たちはルーカスに駆け寄ろうとするも、ウルリックを見て立ち尽くしていた。


『ホーエンベルクの王族でありながら……。貴様の幼き頃の罪も、私は知っているぞ。改心すればと考えていたが……時間の無駄だったようだ』


 呻くルーカスの手の甲に、赤い刻印が浮かび上がる。

 そこへ、国王夫妻が現れた。


「ルーカス……!!」


 刻印を刻まれて呻く王太子殿下の姿を見て、王妃ハルフリーデが気を失った。

 国王は、ウルリックの姿を見るやひざまずき、両の手のひらを地へとつけた。


「聖獣様!! 王太子ルーカスは、聖女アマーリエ様の伴侶となる身。何卒……何卒お情けを……!!」


 その言葉に、ウルリックが鋭い視線を向ける。


『アマーリエ? ……あのようなけがれた娘、私の聖女ではないわ!!』


 皆が息を呑むのがわかった。

 ウルリックの言葉に皆が凍りつく中、「ルーカス様?!」とアマーリエが駆け込んで来て、悲鳴を上げた。


「まさか……聖獣様……?」


 ガタガタと震え出すアマーリエに、『貴様か、私の聖女の名をかたったのは』とウルリックが怒りを露わにした。


『貴様……欲に駆られて民を苦しめ、私のセラフィーナを傷付けたな……その罪、許されると思うな』


 ウルリックがそう低く呟くと、アマーリエの手の甲にも赤い刻印が浮き上がった。

 悲鳴を上げたアマーリエはしゃがみ込み、「聖力が……どうして、癒せないの……?!」と泣き叫んでいる。


「聖獣様……セラフィーナとは……」


 国王の声は震えていた。


『セラフィーナこそが、私の選んだ聖女だ……そこのお前の息子は、私のセラフィーナを二度も殺めようとした。王族であろうと、許すことはできぬ』


 その言葉に、国王は蒼白になり震え出した。

 見れば、皆が跪いてこちらを見つめていた。


「ウルリック……もう、やめて」


 私の言葉に、ウルリックが振り返った。


「もう良いわ……ウルリック、お願い……」


 私がそう言うと、ウルリックは私の前に跪くかのように伏せた。


 その姿を見て、私の意識は途切れた。



 ◇



 目覚めると、全てが変わっていた。


 ルーカスは廃太子されて塔に幽閉となり、聖力を失ったアマーリエは聖女の任を解かれ、ローゼンハイム公爵家に戻ったそうだ。

 そして、王城中の全ての人達の態度が変わった。神殿の聖女たちは震えながら私に平伏ひれふし、国王までもが頭を下げた。


(こんなにも、態度を変えるのね……)


 用意された部屋から私が出なくなって、数日が経った。


「セラフィーナ、大丈夫か?」


「ジーク様……」


 ジークは、いつもやって来ては優しく声をかけてくれた。

 その時間は、私の心をそっと癒してくれた。


「……これから、どうするつもりだ?」


(私に筆頭聖女になるよう、言わないのね……)


 ジークは、王太子となられるはず。

 寂しい気持ちと、ちくりとした棘のような痛みが胸に突き刺さるようだった。それでも、私は──


「もう、ここにいたくないんです……」


「セラフィーナ……」


 記憶が戻るまでは、私は聖女として勤め続けたいと心から願っていた。

 けれど、その気持ちはもう変わってしまった。


「ここを、出るつもりなんだな」


 ジークの優しい声に、私は静かに頷いた。


「どこへ行くつもりなんだ?」


「わかりません……でも、どこか遠くへ行きたくて」


 私は、首から下げたネックレスを握り締めた。


「それなら──俺が、セラフィーナの居場所になる」


 その言葉に、私は顔を上げた。


「でも、ジーク様は王太子に──」


「こんな国の王太子にも、国王にも、なりたくはないな」


 ため息を吐いてから、少しおどけたようにそう言った彼に、私は小さく笑った。


「そうと決まれば、早いほうが良い」


 「支度をしてくるから、待っていてくれ」と微笑むと、ジーク様は部屋を出て行った。


(ありがとう、ジーク様……)


 先程まで強張っていた心が、柔らかくほどけていくのを感じた。

 窓から差し込んだ陽射しに、アメジストのネックレスが煌めいた。



 ◇



 私たちは、王都の外れの森を歩いていた。


「ジーク様、本当に良かったんですか?」

 

「ああ……俺があの城にいたのは、セラフィーナがいたからだ」


 「セラフィーナが行くところに、俺も共に行く」と彼は微笑んだ。


 どこかくすぐったい気持ちに、私は少しだけ俯いた。


「でも……どうして、ここまでしてくれるんですか?」


 そう問いかけると、「はっきり言わなきゃ、わからないんだな……」と淡く微笑んだ彼はため息を吐いた。


「……子どもの頃から、ずっと好きだった。……セラフィーナを失いたくなくて、守りたくて……ずっと避けてきた」 


 彼の青い瞳が、伏せられる。


「あの日、セラフィーナを守ることができなくて……十年も避け続けて、本当にすまなかった」と彼は苦しそうに口にした。


 私は、静かに首を振った。


「私を守るために、避けていたんでしょう? 私も……ジーク様のことを、ずっと思い出せなくて、ごめんなさい」


 視線を上げると、彼と目が合った。私たちは静かに微笑み合う。


「セラフィーナは……?」


「えっ?」


「俺のことをどう思っているのか、教えてほしい」


 真っ直ぐな青い瞳に、顔が熱くなる。


「……どうかしたのか? 熱でもあるんじゃないか」


 私は、ふいに初めて会った日のことを思い出した。

 ほんの少しだけ悪戯めいた瞳に、私は顔を逸らす。


「セラフィーナ、悪かった。……許してくれ」


 その声にそっと振り向くと、しょげた子犬のような顔があって、思わず私は笑った。


「ふふ……」


「セラフィーナ……」


「ジーク様……私も好きです」


 私がそう言って微笑むと、彼の耳は赤く染まった。


「ジーク様こそ、お熱があるんじゃないですか?」


 微笑んで見上げると、彼の腕に引き寄せられ、唇が触れた。柔らかなその温もりに、思わず目を見開く。


「ずっとそうだ……出会ったあの日から──」


 唇が離されて、低い囁きが落ちた。


「ジーク様……」


「愛してる、セラフィーナ……」


 少し掠れた、甘さを含んだ声。

 再び、そっと唇が重ねられた。


 春の風に木々はさざめき、白い花々が揺れて甘い香りが漂った。

 初めて見た、花の香りだった。


「セラフィーナ……もう、二度と離さない」


 彼の腕に包まれながら、私は瞼を閉じた。


 ──私はずっと、独りじゃなかった。

 この温もりを、私はもう失わない。


「ジーク様……これからずっと、一緒にいてくださいね」


 彼は、微笑んで頷いた。


 そして、私たちは寄り添い、手を繋いで歩き出す。

 白く大きな影が、遠くから見守ってくれているのを感じながら──

読んでくださって、ありがとうございました!

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


ロマンスファンタジーを中心に、

他にも長編や中編なども書いています。

連載中の作品もありますので、もし宜しければぜひ覗いていただけると嬉しいです。


星谷明里

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第一王子がサイコパスで震えるら。 聖獣に選ばれた聖女も王太子候補の第2王子も失った王都はどうなるんだろう?
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