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リールヘイヴンの影、錬金術師の嘘 十四

時間は、もはや存在しなかった。あるのは、渦巻くエーテルの奔流と、無数の魂の合唱、そして俺たちの、研ぎ澄まされた一瞬だけだ。


「行かせん」


俺とセラフィナの剣が、サイラス・ヴォーレンの前に突き出される。だが、彼はもはやただの人間ではなかった。祭壇の魔法陣から供給される膨大な魂のエネルギーが、彼の肉体を内側から輝かせ、そのオーラは熱波となって俺たちの皮膚を焼いた。


「愚かなことだ」ヴォーレンは、哀れむような、あるいは神が虫けらを見るような目で俺たちを見下ろした。「君たちが守ろうとしているこの陳腐な秩序も、脆弱な命も、全ては新たな時代の礎となるに過ぎん。君たちは、歴史の誕生に立ち会っているのだ」


彼は、一歩、踏み出した。それは、ただの一歩だったが、俺たちの目には空間そのものが歪むかのように見えた。彼の動きは、人間のそれを超越していた。


ヴォーレンの手が、残像を描く。俺の剣が空を切り、セラフィナの盾が、見えない何かに弾かれて甲高い音を立てた。


「ぐっ…!」


セラフィナの体勢が崩れる。俺はすぐさま彼女の前に立ち、ヴォーレンの次の一撃を、渾身の力で受け止めた。ショートソードが、ありえないほどの重圧に軋む。骨が、砕けるかと思った。


「キーガン!」


背後から、エリアラの叫び声が聞こえる。彼女は祭壇を駆け上り、詠唱を続ける魔術師たちを、錬金術の薬品で次々と無力化していく。床が凍りつき、壁には粘着性の液体が広がる。だが、儀式の中枢は止まらない。床の魔法陣は、今や広間全体を飲み込むほどの青白い光を放っていた。


「無駄だ、お嬢さん!」ヴォーレンは、俺を押し返しながら笑った。「この儀式は、もはや私ですら止められん。リールヘイヴン中の水脈が、私の新たな神経となる。この都市の全ての魂が、私の血肉となるのだ!」


彼の体が、さらに強く輝き始める。皮膚の下で、無数の光の粒子が蠢き、その肉体は神の器へと変容しようとしていた。


その時だった。俺の肩越しに、セラフィナが再び剣を構え直した。彼女の瞳には、もはや迷いはなかった。


「法と秩序の名において…!」


彼女の剣が、警備隊秘伝の剣技によって、エーテルの光を纏う。それは、カドガンの天秤のように、邪悪を断罪する光だった。


「古臭い正義だな!」ヴォーレンは嘲笑し、その光の剣を、自らの手で受け止めようとした。


俺はその一瞬を見逃さなかった。ヴォーレンの注意がセラフィナに逸れた、そのコンマ数秒。俺は、リアムの、そしてブレヌスの顔を思い浮かべた。もう、躊躇はない。


俺はヴォーレンの懐に深く踏み込み、ショートソードを、彼の脇腹、鎧の僅かな隙間へと突き立てた。確かな手応え。肉を貫き、骨に達する感触。


「ぐ…あああああ!」


ヴォーレンが、初めて苦痛の声を上げた。彼の体からエーテルの奔流が溢れ出し、俺を激しく吹き飛ばす。


壁に叩きつけられ、意識が遠のきかけた俺の目に、信じがたい光景が映った。


祭壇の頂上にたどり着いたエリアラが、偽の「生命のコンデンサー」を、儀式のエネルギーが集中する巨大な『器』の接続部に、叩きつけるように設置したのだ。


彼女は、俺たちの方を振り返り、満足げに、そして狂気的に笑った。


「さあ、戴冠式の始まりだ、ヴォーレン!」


エリアラが、アーティファクトの心臓部である黒い結晶を起動させる。


瞬間、広間のエーテルの流れが変わった。それまで『器』へと一方的に流れ込んでいた魂の奔流が、逆流を始めたのだ。エリアラの仕込んだ混沌のエーテルが、儀式の術式を内側から汚染し、破壊していく。

「な…に…? この力は…調和ではない…混沌だと…!?」


ヴォーレンの顔が、初めて恐怖と驚愕に歪んだ。彼は、自らが作り出した神の力の奔流に、逆に飲み込まれようとしていた。


「おのれ、小娘がああああ!」


彼の体から、制御を失った魂のエーテルが、稲妻となって四方八方に迸る。詠唱を続けていた魔術師たちが、その光に触れた瞬間に塵と化し、広間の壁や天井が崩れ落ち始めた。


「まずい、ここも持たんぞ!」セラフィナが叫ぶ。


俺は、瓦礫が降り注ぐ中、エリアラの名を叫んだ。彼女は、自らが引き起こした混沌の嵐の中心で、恍惚とした表情でその光景を見つめていた。


ヴォーレンの体は、もはや人の形を保っていなかった。彼の内側で、無数の魂がせめぎ合い、その肉体を変質させ、膨張させていく。彼は、神になるのではなく、ただの、魂のエネルギーが暴走する、巨大な肉塊へと成り果てようとしていた。


「まだだ…! 私の…私の戴冠式は…!」


その肉塊から、ひときわ巨大なエーテルの奔流が、俺たち三人めがけて放たれた。それは、もはや魔法ではない。純粋な、魂の絶叫そのものだった。


もう、間に合わない。


俺の脳裏に、再びリアムの背中が浮かんだ。あの時、俺は彼を見捨てた。だが、今、俺の前には、エリアラと、そしてセラフィナがいる。


俺は、決断した。


俺は、二人を背後へと突き飛ばし、自らの体を盾にするように、その奔流の前に立った。ショートソードを構える。無意味な抵抗だと分かっていた。だが、それでいい。これが、俺の贖罪だ。


光が、全てを飲み込む。


しかし、死は訪れなかった。


代わりに、世界から、全ての音が消えた。


俺の目の前で、巨大な『器』が、まるで黒い太陽のように、周囲の光とエーテル、そして暴走するヴォーレンの肉塊を、凄まじい勢いで吸い込み始めたのだ。


エリアラの仕掛けた混沌のエーテルが、儀式の核を内側から崩壊させ、小さなブラックホールのような、エーテルの特異点を生み出したのだ。


「…見事だな、錬金術師」


俺の隣で、セラフィナが呆然と呟いた。


広間を吹き荒れていた魂の嵐は、一瞬にしてその『器』の中へと吸い込まれ、そして、最後に、器そのものが甲高い音を立てて砕け散り、後に残されたのは、絶対的な静寂と、床に散らばる黒曜石の欠片だけだった。


俺は、その場に崩れ落ちた。肩の傷が、再び痛み始める。


エリアラが、祭壇からゆっくりと降りてきた。その顔には、疲労と、そして見たこともないほどの満足げな笑みが浮かんでいた。


彼女は、ヴォーレンの計画を、そして彼の雇った狂気の錬金術師の技術を、自らの手で完全に打ち破ったのだ。


セラフィナが、俺に肩を貸してくれた。


「…立てるか、探し屋」


その声には、もはや侮蔑の色はなかった。


「ああ…なんとかな」


生き残った警備隊員たちが、呆然と立ち尽くすシンジケートの残党を拘束していく。


俺たちは、崩壊した地下広間の中心で、ただ黙って、その光景を見つめていた。


リールヘイヴンの最も長い夜が、今、終わろうとしていた。

『リールヘイヴンの影、錬金術師の嘘』固有名詞・世界観ガイド


▼世界と惑星

・イニスマール:

この物語の舞台となる惑星。主星アリアンと伴星モルヴランという二つの太陽、そして月エーディンを持つ。エレニア、ティルナといった複数の大陸が存在し、豊かな自然と、遍在するエネルギー「エーテル」によって、多様な生命と魔法文化が育まれている。



▼舞台:自由都市リールヘイヴン

・リールヘイヴン:

物語の主な舞台となる、エレニア大陸南東部に位置する独立した自由都市国家。「水の都」とも呼ばれ、無数の運河と橋が特徴。交易の中心地であり、様々な種族や文化が混在する、活気と混沌に満ちた場所。


・セリオン川:

エレニア大陸を流れる大河。リールヘイヴンはこの川が内海「静かの海」に注ぎ込む、広大なデルタ地帯に築かれている。


・市民街:

リールヘイヴンを構成する地区の一つ。職人、小商人、そして主人公キーガンのような一般市民が住む、生活感に溢れたエリア。


・波止場街:

リールヘイヴンの港湾地区。常に船と人で賑わい、活気がある一方で、治安はあまり良くないとされる。会計士レミュエルが最後に目撃された場所。


・古の迷宮:

都市開発から取り残された、古い水路が迷路のように入り組んだ地区。レミュエルの遺体が発見された場所。



▼大陸と地域

・エレニア大陸:

物語の主要な舞台となる、広大で多様な気候を持つ中心大陸。リールヘイヴンなどが存在する。


・ティルナ大陸:

エレニア大陸の南方に位置するとされる、熱帯・亜熱帯・乾燥帯が混在する大陸。リールヘイヴンには、この大陸から珍しい香辛料や物品がもたらされることがある。



▼登場人物と種族

・キーガン・オマリー:

物語の主人公。市民街で探し屋を営むフィリアン族の男性。元都市警備隊員で、何らかの過去を持つらしい。


・探し屋 (さがしや):

キーガンの職業。人探しや、失せ物探し、あるいは特定の情報を探すといった、都市内部の個人的な依頼を請け負う。冒険者ギルドとは異なり、より調査や探偵に近い活動を行う。


・セラフィナ:

リールヘイヴン都市警備隊の中隊長。フィリアン族の女性。キーガンとは過去に因縁がある様子。


・エリアラ:

魔術師ギルドをその過激な探求心ゆえに追放された、若く有能だが毒舌な女性錬金術師。アルウィンの血を引く。事件の被害者に残された特異なエーテルの痕跡に興味を持ち、キーガンの捜査に協力する。


・フィリアン:

いわゆる「人間」。イニスマールで最も数が多く、多様な文化を持つ主要種族。キーガン、セラフィナ、依頼人の男などがこの種族。


・レシン:

フィリアンの子供ほどの小柄な体格を持つ種族。キーガンの事務所の大家はこの種族。


・ゴバン:

頑健で職人気質な種族。キーガンが行きつけの酒場の亭主はこの種族。


・カイナ:

野生動物の特徴を併せ持つ獣人族。鋭敏な感覚と高い身体能力で知られる。


・アルウィン:

優美で長命な、森と共に生きる種族。自然やエーテルへの感受性が高く、魔法に長ける者が多い。エリアラはこの種族の血を引いている。


・モルウィン:

地底域に住む、アルウィンに近いとされる種族。影や秘密の魔法、そして毒や薬に関する独自の知識を持つと言われている。



▼組織・歴史

・商人ギルド:

リールヘイヴンを実質的に統治する「五大ギルド」の一つ。商業活動を管理・統括している。今回の依頼主。


・魔術師ギルド:

「五大ギルド」の一つ。魔法技術の研究や管理を行っているとされる。リールヘイヴンで最も高い黒曜石の塔を持つ。


・都市警備隊:

リールヘイヴンの治安維持を担う公的な組織。キーガンがかつて所属していた。


・旧アルヴァリア帝国:

リールヘイヴンを含むエレニア大陸南東部を支配していたとされる、かつての海洋帝国。水道や下水道など、高度な土木技術を持っていた名残が、現在のリールヘイヴンにも残っている。



▼世界の法則と魔法

・エーテル:

世界に遍在する根源的なエネルギーであり、全ての魔法の源。通常は目に見えないが、キーガンのような感受性の高い者はその流れや揺らぎを感じ取ることができる。


・エーテル脈:

生命体が持つ、エーテルを感知・利用するための生体器官またはシステム。キーガンが遺体に触れた際、このエーテル脈を通じて死者の最後の記憶の断片を感じ取った。


・素質 / 固有エーテルパターン:

キーガンが持つ、触れた物から記憶の断片を読み取る能力。イニスマールの世界では、個人が生まれつき持つエーテル的な能力を指す。


・禁断の魔法:

レミュエルの遺体に見られた奇妙な痣の原因として、キーガンが推測した危険な魔法。その詳細はまだ不明。



▼暦と通貨

・霧雨月:

リールヘイヴンで用いられる「潮流暦」における、秋の月の一つ。その名の通り、冷たい霧や雨が多い季節。


・リール銀貨:

リールヘイヴンが独自に発行する、日常的な取引で主に用いられる銀貨。


・ソラス金貨:

リール銀貨よりも価値の高い金貨。高額な取引や、まとまった報酬の支払いに用いられる。



▼天体

・アリアン / モルヴラン :

イニスマールが周回する連星系の二つの太陽。

アリアン: 白く明るい主星。昼の主な光源。

モルヴラン: 赤く暗い伴星。夜明け前や夕暮れ時に空を照らす。



▼神々と世界の概念

・神徒 (しんと):

イニスマールの世界における「神々」。世界の特定の側面を司り、人々の信仰の対象となっている。


・カドガン:

法、秩序、正義を司る神徒の一柱。都市警備隊のような法を執行する者たちから、その象徴として信仰されていることがある。

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