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リールヘイヴンの影、錬金術師の嘘 十三

地下広間に満ちる詠唱は、単一の音階ではなかった。それは、リールヘイヴン中の運河を流れる無数の魂の囁き、嘆き、そして未練が、巨大な魔法陣を通じて増幅され、一つの禍々しい交響曲と化したものだった。床を流れるエーテルの光は、俺たちの足元で青白く脈打ち、まるで都市そのものが断末魔の喘ぎを上げているかのようだった。


「驚いたかね、探し屋」サイラス・ヴォーレンは、祭壇の上から、まるで舞台役者のように両腕を広げてみせた。「君のそのしぶとさには、私も敬意を表している。まさか、本当にここまでたどり着くとはな」

彼の声は、詠唱の合唱の中でも、奇妙なほど明瞭に俺たちの耳に届いた。彼の周囲のエーテルが、彼の言葉だけを俺たちに運んでいるのだ。


「君たちが『静かの海の真珠』を嗅ぎ回っていることも、ラスクから情報を引き出したことも、そしてモイラの老婆に泣きついたことも、全て私の計算通りだ。君たちは、私の描いた壮大な設計図の上を、実に忠実に歩いてきてくれた」


「ヴォーレン…!」俺はショートソードの柄を握りしめ、一歩前に出た。


「まあ、そう殺気立つな。君たちは、この歴史的瞬間の、最も重要な観客なのだから」彼は、俺の後ろに立つエリアラへと視線を移した。「特に、君だ、錬金術師のお嬢さん。君の師も、この光景を見れば感涙に咽んだだろう。生命の神秘、魂の変成、そして…神の創造。これこそが、我々探求者が追い求めた、究極の芸術だ」


「戯言を」エリアラが、吐き捨てるように言った。その手には、偽造した「生命のコンデンサー」を収めた革のケースが、固く握りしめられている。「あなたのやっていることは、ただの冒涜よ。魂の法則を捻じ曲げ、都市を食い物にする、狂人の所業だ」


「狂人? そうかもしれないな」ヴォーレンは楽しそうに笑った。「だが、歴史を創るのは、いつの時代も狂人だ。見ろ!」


彼が腕を掲げると、祭壇の中心にある、ひときわ巨大な『器』が、さらに強く、禍々しい光を放ち始めた。床の魔法陣から吸い上げられた魂のエーテルが、その器へと奔流となって注ぎ込まれていく。


「リールヘイヴンという、この淀んだ水脈に満ちた都市は、新たな神を産むための、最高の『子宮』となる。そして、君が運んできてくれた『調律結晶』を組み込んだそのアーティファクトこそが、この儀式を完成させ、私の魂を神格へと引き上げる、最後の『へその緒』となるのだ!」


その時だった。俺たちの背後、固く閉ざされていたはずの巨大な鉄の扉が、凄まじい勢いで内側へと吹き飛んだ。セラフィナと、彼女が率いる数名の精鋭警備隊員が、剣と盾を構え、雪崩れ込むように広間へと突入してきたのだ。


地上の陽動を突破し、モイラの地図とは別の、警備隊だけが知る秘密の通路を使ってここまでたどり着いたのだろう。


「サイラス・ヴォーレン! 商人ギルド最高幹部として、貴殿を国家反逆および連続殺人の容疑で逮捕する!」


セラフィナの凛とした声が、詠唱の合唱を切り裂いて響き渡った。


ヴォーレンは、その光景を見ても、一切動じなかった。彼はただ、ゆっくりと拍手をした。


「素晴らしい。役者が、また一人増えたようだ。だが、少しばかり、舞台に上がるのが早すぎたな」


ヴォーレンが合図を送ると、広間の影から、クルーアハ・シンジケートの黒装束の暗殺者たちが、音もなく姿を現した。その数は、セラフィナの部下たちを遥かに上回っていた。


「邪魔者を排除しろ」


ヴォーレンの冷たい命令と共に、乱戦の火蓋が切って落とされた。


警備隊員たちの剣と、暗殺者たちの短剣が火花を散らす。詠唱を続ける魔術師たちを守るように、重装の傭兵たちが壁を作る。俺とエリアラは、その混沌の中心にいた。


「キーガン!」


エリアラの叫び声。彼女は、儀式のエネルギーが集中する祭壇を指さしている。


「今しかない! 奴らの注意が逸れているうちに、あそこへ『お土産』を設置するぞ!」


俺は頷き、ショートソードを抜き放った。


「道は俺が開ける!」


俺は、過去の亡霊を振り払うように、雄叫びを上げた。向かってくる暗殺者の刃を弾き、その体を突き飛ばす。俺の目的は、敵を倒すことではない。ただ、エリアラが祭壇にたどり着くまでの、ほんの数秒を稼ぐことだ。


だが、敵の数は多い。一人の腕を切り裂いても、別の影から新たな刃が迫る。俺の背中に、熱い痛みが走った。


「ぐっ…!」


体勢が崩れる。とどめを刺そうと、暗殺者の一人が短剣を振り上げた。


その刃が俺に届く寸前、横から飛んできた剣が、その短剣を弾き飛ばした。


「…借り、は返させてもらうぞ、オマリー!」


セラフィナだった。彼女は、俺の隣に並び立ち、背中合わせの形で剣を構えた。


「状況は理解した。ブレヌス隊長の仇は、私が討つ」


「…礼は言わんぞ」


「言うな」


俺とセラフィナは、互いの背中を守りながら、押し寄せる敵の波に応戦した。俺たちの剣は、かつて警備隊で共に訓練した時のように、奇妙なほど滑らかに連携した。


その隙に、エリアラは影のように祭壇へと駆け上っていた。彼女は、詠唱を続ける魔術師たちの足元を、錬金術の薬品で凍りつかせ、動きを封じる。


「小賢しい真似を!」


ヴォーレンが、初めて焦りの色を浮かべた。彼は祭壇から飛び降り、エリアラへと向かおうとする。

だが、その進路を、俺とセラフィナが塞いだ。


「行かせん」


俺たちの剣が、ヴォーレンの前に突き出される。


広間のエーテルが、唸りを上げて渦を巻き始めていた。儀式が、臨界点に近づいている。エリアラは、偽の「生命のコンデンサー」のケースを開け、その心臓部に、彼女が仕込んだ黒い結晶が埋め込まれたアーティファクトを取り出した。


「さあ、戴冠式の始まりだ、ヴォーレン!」


エリアラの狂気じみた笑い声が、広間全体に響き渡った。


新月の夜。リールヘイヴンの地下深くで、複数の思惑と運命が交錯し、物語は、破滅か、あるいは僅かな希望か、そのどちらかへと、一気に加速を始めていた。

『リールヘイヴンの影、錬金術師の嘘』固有名詞・世界観ガイド


▼世界と惑星

・イニスマール:

この物語の舞台となる惑星。主星アリアンと伴星モルヴランという二つの太陽、そして月エーディンを持つ。エレニア、ティルナといった複数の大陸が存在し、豊かな自然と、遍在するエネルギー「エーテル」によって、多様な生命と魔法文化が育まれている。



▼舞台:自由都市リールヘイヴン

・リールヘイヴン:

物語の主な舞台となる、エレニア大陸南東部に位置する独立した自由都市国家。「水の都」とも呼ばれ、無数の運河と橋が特徴。交易の中心地であり、様々な種族や文化が混在する、活気と混沌に満ちた場所。


・セリオン川:

エレニア大陸を流れる大河。リールヘイヴンはこの川が内海「静かの海」に注ぎ込む、広大なデルタ地帯に築かれている。


・市民街:

リールヘイヴンを構成する地区の一つ。職人、小商人、そして主人公キーガンのような一般市民が住む、生活感に溢れたエリア。


・波止場街:

リールヘイヴンの港湾地区。常に船と人で賑わい、活気がある一方で、治安はあまり良くないとされる。会計士レミュエルが最後に目撃された場所。


・古の迷宮:

都市開発から取り残された、古い水路が迷路のように入り組んだ地区。レミュエルの遺体が発見された場所。



▼大陸と地域

・エレニア大陸:

物語の主要な舞台となる、広大で多様な気候を持つ中心大陸。リールヘイヴンなどが存在する。


・ティルナ大陸:

エレニア大陸の南方に位置するとされる、熱帯・亜熱帯・乾燥帯が混在する大陸。リールヘイヴンには、この大陸から珍しい香辛料や物品がもたらされることがある。



▼登場人物と種族

・キーガン・オマリー:

物語の主人公。市民街で探し屋を営むフィリアン族の男性。元都市警備隊員で、何らかの過去を持つらしい。


・探し屋 (さがしや):

キーガンの職業。人探しや、失せ物探し、あるいは特定の情報を探すといった、都市内部の個人的な依頼を請け負う。冒険者ギルドとは異なり、より調査や探偵に近い活動を行う。


・セラフィナ:

リールヘイヴン都市警備隊の中隊長。フィリアン族の女性。キーガンとは過去に因縁がある様子。


・エリアラ:

魔術師ギルドをその過激な探求心ゆえに追放された、若く有能だが毒舌な女性錬金術師。アルウィンの血を引く。事件の被害者に残された特異なエーテルの痕跡に興味を持ち、キーガンの捜査に協力する。


・フィリアン:

いわゆる「人間」。イニスマールで最も数が多く、多様な文化を持つ主要種族。キーガン、セラフィナ、依頼人の男などがこの種族。


・レシン:

フィリアンの子供ほどの小柄な体格を持つ種族。キーガンの事務所の大家はこの種族。


・ゴバン:

頑健で職人気質な種族。キーガンが行きつけの酒場の亭主はこの種族。


・カイナ:

野生動物の特徴を併せ持つ獣人族。鋭敏な感覚と高い身体能力で知られる。


・アルウィン:

優美で長命な、森と共に生きる種族。自然やエーテルへの感受性が高く、魔法に長ける者が多い。エリアラはこの種族の血を引いている。


・モルウィン:

地底域に住む、アルウィンに近いとされる種族。影や秘密の魔法、そして毒や薬に関する独自の知識を持つと言われている。



▼組織・歴史

・商人ギルド:

リールヘイヴンを実質的に統治する「五大ギルド」の一つ。商業活動を管理・統括している。今回の依頼主。


・魔術師ギルド:

「五大ギルド」の一つ。魔法技術の研究や管理を行っているとされる。リールヘイヴンで最も高い黒曜石の塔を持つ。


・都市警備隊:

リールヘイヴンの治安維持を担う公的な組織。キーガンがかつて所属していた。


・旧アルヴァリア帝国:

リールヘイヴンを含むエレニア大陸南東部を支配していたとされる、かつての海洋帝国。水道や下水道など、高度な土木技術を持っていた名残が、現在のリールヘイヴンにも残っている。



▼世界の法則と魔法

・エーテル:

世界に遍在する根源的なエネルギーであり、全ての魔法の源。通常は目に見えないが、キーガンのような感受性の高い者はその流れや揺らぎを感じ取ることができる。


・エーテル脈:

生命体が持つ、エーテルを感知・利用するための生体器官またはシステム。キーガンが遺体に触れた際、このエーテル脈を通じて死者の最後の記憶の断片を感じ取った。


・素質 / 固有エーテルパターン:

キーガンが持つ、触れた物から記憶の断片を読み取る能力。イニスマールの世界では、個人が生まれつき持つエーテル的な能力を指す。


・禁断の魔法:

レミュエルの遺体に見られた奇妙な痣の原因として、キーガンが推測した危険な魔法。その詳細はまだ不明。



▼暦と通貨

・霧雨月:

リールヘイヴンで用いられる「潮流暦」における、秋の月の一つ。その名の通り、冷たい霧や雨が多い季節。


・リール銀貨:

リールヘイヴンが独自に発行する、日常的な取引で主に用いられる銀貨。


・ソラス金貨:

リール銀貨よりも価値の高い金貨。高額な取引や、まとまった報酬の支払いに用いられる。



▼天体

・アリアン / モルヴラン :

イニスマールが周回する連星系の二つの太陽。

アリアン: 白く明るい主星。昼の主な光源。

モルヴラン: 赤く暗い伴星。夜明け前や夕暮れ時に空を照らす。



▼神々と世界の概念

・神徒 (しんと):

イニスマールの世界における「神々」。世界の特定の側面を司り、人々の信仰の対象となっている。


・カドガン:

法、秩序、正義を司る神徒の一柱。都市警備隊のような法を執行する者たちから、その象徴として信仰されていることがある。

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