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合理性について

作者: 相浦アキラ

 昨今は合理性が重視される時代のようで、タイパやらコスパやらの言葉が流行っています。Twitterで流れて来る議論なんかを眺めていても、合理性が重大なお題目となっているように感じます。結婚は非合理的だの合理的だの、子育ては非合理的だの合理的だの、選挙に行くのが合理的だの非合理的だの、勉強していい大学に入るのが合理的だの非合理的だの……と言った具合です。


 確かに目標を達成させたい場合や機能を最大化させたい場合には合理性というのが重要になって来るのは明白でしょう。しかしそもそもの話、現代社会において人々は何を目標としているのでしょうか。車を走らせるにしても経路がどうこうやら燃費がどうこうより目的地の方が重要だと思いますが、目的地の議論はほとんどされていないように感じます。


 まあこの社会で何を目指すべきかはとっくの昔に共通認識が出来上がっていて、議論するまでもないという事なのでしょう。すなわち人生の目的とは、人生で味わう総幸福から総苦痛を引き算して決まる人生のパフォーマンスを最大化する事です。そして総幸福を増やし総苦痛を減らす為には、なるべく楽して効率的に金を稼ぎ支出を最低限にし効率的に幸福を得ることが重要になって来ます。こういった価値観は資本主義ともピッタリ繋がって来ます。


 しかし、そもそも幸福とは何でしょうか? 金があれば、余暇があれば、承認欲求が満たせれば、あるいは単に脳にたくさん快楽物質が駆け巡れば幸福なのでしょうか? また苦痛や不幸は考え無しに唾棄し切り捨てるべきものでしょうか? 病気で食事がとれず点滴で生きながらえている人が、唯一口に出来る薬の苦みが発する味そのものに幸福を感じたという話を聞いたことがありますが、このように見方次第で幸福も不幸も容易く入れ替わります。もっと明らかな不快や苦痛にしたって、それも人生の一つの要素です。誰にも奪う事が出来ない私の一部でもあります。果たしてそんな簡単に幸福だ不幸だの仕分けて、雑に数値化して切り分けてしまっていいのでしょうか。空を仰ぎ見たら青かったので+1000円、恋をして胸が苦しくなったので―1000円といった感じで一生ソロバン弾きながら生きていくのでしょうか。それで死ぬ前に差し引き6億円分の幸福を稼げば御の字で満足して死ねるという事でしょうか。


 では、人々の「幸福」を最大化する為に、満40歳になった者や希望者を特殊な施設に入れる制度はどうでしょう。この施設に入った人は脳を培養液に浸され、ひたすら「幸福」な夢を見続ける事になります。この夢の世界は何もかもが都合よく進み、寝ていても遊んでいても1日当たり10万円以上の「幸福」が降り注ぎます。死や老いの概念は取り払われ、不幸があっても精々スパイス程度のものです。そして80歳になったら、麻薬成分を投入して1億円分の「幸福」をブーストし、副作用が来る前に安楽死させます。こういった社会なら誰でも非課税6億円相当以上の「幸福」な人生を歩むことが出来るでしょう。


 インフルエンサーが言うような「頭のいい」人はこういった社会を目指しているのかもしれませんが、私にはこのような「幸福」な社会などまっぴらごめんです。誰かが勝手に決めた「幸福」をただ享受するだけの人生なんてごめん被ります。老醜を晒して後ろ指を指されようが、死ぬまで自分の身体で自分の人生を生きた方がマシです。


 そもそも人生とは数値的に測れるものではなく、赤ん坊の笑顔が大人になる為のただの過程でなくそれ自体に価値がある様に、一瞬一瞬が独立していて、ある意味完璧なものとして確かに存在する(存在した)、そういった類のものではないかと思います。常識や風潮や表層に囚われて、「この瞬間」を単純な数値や過程としてしか捉えられないようでは、本来的な意味で生を生きる事ができないでしょう。


 もちろん私は合理性を否定している訳ではありません。合理性が職人技や様式美となって表れることもあります。自然の合理性が心に刺さり世界の豊かさを感じる事もあるでしょう。何かを目指して合理的に生きるというのも悪くないかも知れません。金の為に生きる、余暇の為に生きる、幸福の為に生きる、それも結構でしょう。しかし「楽に生きるのが幸福だ」「金があるのが幸福だ」といった漠然とした世間の風潮に流されて、皆が追ってるからと虚像に過ぎない「幸福」を追い求め貪ったとしても、実際に自分の人生を生きたとは言えないと思います。金を沢山稼ぐ為に生きるなら、金とは何なのか、金の為に生きるとはどういう事なのか自分自身で考えねばなりません。それが生きると言う事だと私は思います。


 こんな事を言っていたら「そういうあんたは何に向かってるんだ?」となじられるかもしれませんが、正直いうとよくわかっていません。色々考えてきたつもりですが、何か人生を賭けて成し遂げたいことも目指したい場所もまだ定まっていません。ただ一つ言えるのは、訳の分からない施設に脳みそだけにされて「幸福」を与えられるなんてごめんだという事です。……まあこんな考えは所詮、大して苦労していない平和ボケの与太話に過ぎないかもしれません。


 結局私の言っている事は個人的な事に過ぎないのも確かです。社会全体の事を考えるなら、日本がどこかの国に占領されて全員虐殺されるか奴隷にされるくらいなら、皆で安楽死したほうがマシかもしれません。私だって大病を患って苦しみ続けていれば、途中で音を上げて施設に転がり込むかもしれません。それはそれとして、今この瞬間の私は私でありたいと思っています。脳みそ取られて訳の分からない夢を与えられるくらいなら、盛大に血反吐吐いて、確かにそこにあるドス黒い血の海に埋もれて死んだ方がマシだと思っています。出来る限り自分の人生を生きたいという事です。それは確かに本当の事で、それだけが今の私の全てです。


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