五話 新しい朝は来る
朝が来た。
私、ユーヌ=プルミールと。
彼、トーヘ=ジェムが。
婚約していたのは昨夜まで。
晴天だろうと曇天だろうと、快晴でも豪雨でも。
太陽が昇れば、見えていても見えていなくても世界に光は届く。
婚約者のいない、朝が来た。
彼と婚約をしていた昨日までと。
お互いに「破棄」を突き付けた今日と。
婚約者の有り無しでまったく違う日なのに、昨日と何一つ変わらない朝が来た。
侍女用自動人形のユリディーに、朝食の支度から後片付けまでぜんぶ丸っとお願いして……食後のコーヒーを飲みながら、ぼんやりとする。
今日の出勤、服はどうしよう。外側だけアンティークが流行の今、出かける時は肩から裾にかけて優雅に流れるローブドレスを羽織って、会社に着けば脱いで仕事着、もとい、ビジネススーツ、が楽かしらね。
そういえば、今はユリディーも流行に合わせてクラシックタイプの侍女服を着せてはいるけど。やっぱり、青みがかった緑の髪の妖精モチーフの少女型自動人形には、白いふわふわの綿モスリンのシンプルなシュミーズ・ドレス風の方が似合ってる気がするわ。
そうね、一枚布でトーガっぽく巻いて古代風、っていうのも良いかも。
小さい時に買ってもらった、私専用の少女型侍女用自動人形。
パーラーメイド機能搭載の美女型自動人形とか、最新型が出るたびに買い替える人もいるけれど、私はずっとこの子を使っている。
基本設計に追加性能を組み込んで。それから追加に、追加を繰り返して。
外見はちょっとクラシカルだけど、中身は最高級の最新式に勝るとも劣らない、って自負してるわ。
ユリディーが動き回るのをぼんやりと見て……考えないようにしている、自覚はある。
昨夜、父と、次代として兄とも話した後、お母様からも使い魔が来て。
父にも兄にも――男には話しにくいようなら、この母に、と。そう言って姿を消したリスは、最後に尻尾で私の頬を優しく撫でていった。
家族が心配するようなことは、何一つないわ。気落ちもしてないし、平気よ。
今日だって、普通に出勤して、そのまま仕事に集中すればいいだけ。余計なことは考えず、昨日と同じように、今日を過ごせば良いだけ。
だから私は、振り切るように顔を上げて。
収納力の豊富さを謳う、内部仕切りを可能な限り調整して魔術式具を一切合切詰め込んだ術式施工具セットカバンをユリディーから受け取って、勢いよく家を出た。
そうやって会社について仕事を始めた一日の、昼過ぎぐらいから。青天の霹靂ほどに予想もしなかったモテ期が、モテ、モテ、モテ、と雨あられと降って来た。
お昼のランチタイムになっても、空気中の浮遊塵魔素清浄化クラス100の専用クリーンルームから、私は出ることができなかった。
まぁ、技術職ではよくあることと思いつつ作業して、ある程度区切りをつけることができた時には昼休憩は半分以上過ぎていて。
それでも今日はまだ早い方、とか思って外に出たら。
扉を出たすぐそばに、若い男が爽やかな笑顔で白い歯を光らせて立っていた。
「やあ、今終わったのかい? 昼を一緒にどうかなって思ってさ」
……誰!?
皴一つ無いパリッとしたスーツ姿の青年。首から下げられているのは、同じ会社の社員証。でも顔に見覚えのない、つまりは他部署の、会社における序列が不明な人物。
私は反射的に、共通語魔法の最強呪文を口にした。
「お疲れ様です」
車が空を飛ぶのが常識となった現在、空路の交通管制制御塔の設置が急務になっている。建設ラッシュで景気は上々、会社の業績も好調。
航空路交通管制制御塔は、魔力光が術式を巡るその様子から「アイン・ソフ・オウル」と名付けられたけれど。
気取りが過ぎた名前はあまり流行らず、今では「空塔」としか呼ばれていない。
その空塔を航空路交通管制制御塔たらしめる機構は、膨大な魔術式。
術式段階クリアランクグリーンの技術職室から上がって来た、大量の術式コード。平常魔圧では霧散するそれらを高魔圧をかけて積層圧縮し、仕上がった極小の術式板を繋げてネットワークを形成する。
電流がサーキットを走ると同時に、術式同士が共鳴しネットワークによって同調した魔力が通る。
ケミカル、マジカル、エレクトリカルをロジカルに融合させた、アルケミカルの真骨頂。
幾重にも重ねられたコードの共鳴は、さながら呪文の詠唱。数多の術式の重奏を類感魔術によって祭儀と為し、大いなる儀式魔術として昇華させた、ウィザードの叡智。
空塔は、現代のセフィロトとも称された。
でも、組み込まれたチップやネットワークが正しく作動するかどうか、なんて。
机上の空論で仕上げたシステムが、問題なく魔力を通すことなんてほとんどない。あちらを立てればこちらが立たず、一つのエラーを修正すれば、また別の所でエラーが発生する。
空塔の正常作動――それが術式のスペシャリストたる、私のメインの仕事。
繊細なチップや類感魔術を扱うことから、浮遊塵魔素による空気中の魔素含有率の変動は厳禁で。最低でも、浄化レベル2のクリーンルームでの作業が義務付けられている。
術式コードの進捗とか、生産管理の打ち合わせとか。作業していない時もあるけれど、専用クリーンルームが稼働中であれば、ほぼ八割方、私はここにいる。
ということは、ここが閉まれば。
私の仕事が終わったという証。
だから。
定刻をちょっと過ぎた頃合い、クリーンルームでの作業を終えて。
課の自分の机に戻って進捗を報告をして。
定刻をとっくに過ぎてるけどこれぐらい許容範囲、やぁぁっと帰宅だっ、とウキウキして社を一歩出たら。
艶やかな黒髪を綺麗に撫でつけた、引き込まれそうなほど青い瞳をした青年。「ガワだけアンティーク」を見事に体現した、流行最先端の美麗な顔立ちの青年がいた。
「こんばんは、お久しぶりです。ご自宅に送るついでに、夕食をご一緒にいかがですか?
今回のこと、話したいことがたくさんあるでしょう。僕で良ければ拝聴させていただきます」
黒の艶消しアンティークテールコートに、共布で作られた脚の形にぴったりフィットしたスマートズボン、ネクタイだけ深い青で上品さを演出。ドレスグローブは当然、シミ一つ無い純白。
トドメに、美麗な顔立ちのアクセントとして銀アクセの片眼鏡。
背後には大きな四輪が目を引く、夜の黒色ボディに金の月色で縁取りされた美しく弧を描く美麗な屋根付きの箱馬車――もちろん馬型の自動人形二頭立て付き――が停車していた。
出待ち、出待ちなの!?
私はいつから有名人になってた???
そもそも、久しぶりって、あなた誰よっ。
わたしは反射的に、絶対回避の呪文を口にした。
「また今度、時間がある時に、ぜひ」
五話「新しい朝は来る」 ~終~
次話「選り取り見取り」
自動人形紹介
ユリディー:ユーヌ=プルミールの侍女用自動人形。名前の元ネタはエウリュディケ。
オルフェ:トーヘ=ジェムの執事用自動人形。名前の元ネタはオルフェウス。