三話 形式上、とか、名目上
七歳の時に会った女の子。
逃げ出さないよう、お互い親にがっちりと肩を掴まれて、押し出されて前に立たされてからの――初めまして。
将来の結婚相手と言われても、あーそうなんだー、としか思わなかった。
もうずいぶんと昔のことなのに、どうしてだか、あの時のことを今でも覚えている。
トーヘ=ジェム。
伯爵家所縁の、王政時代から脈々と続いている由緒ある名家、と主張するジェム家の次男坊、それが俺だ。
伯爵家『所縁』っていう所で――あ、直接の関係は無いんですね、と察せられると思う。
伯爵家所縁なんて、そんなことをわざわざ強調すること自体が、ほぼ無関係だと言ってるに等しいんじゃないだろうか。
意地になってわざわざ否定することでもないから、そのまま流してはいるが。
六つ上の兄はとっくに結婚していて、ジェム家の後継として盤石だ。その兄夫婦の間に生まれた子供、ついこのあいだ生まれたばっかりだと思っていた姪っ子も、今では元気なわんぱく坊……なかなかお転婆なお姫様に育っている。
だから俺は、家名を汚さないのを条件に、気楽な次男坊として自由にさせてもらっている。
家名だなんて大袈裟な、と思わなくもないが。ジェム家は名家を主張する程度には資産家で、そこそこの富裕層、には入っているんじゃないかと。
たまに、事件を起こしている奴ら。
運良く、あるいは運悪く、なんかちょっと小金を持ってしまったのか。
金銭トラブルや痴情のもつれだの、良からぬお仲間引き連れての暴行騒ぎとか。全国ニュースとは言わずとも、地方ニュースで取り上げられるようなおバカな騒ぎを、おバカな息子さんやおバカな娘さんが起こしてるのも事実で。
俺が思春期に足を踏み入れ、黒歴史生産のお年頃になったあたりで、父さんから話があると重々しく呼ばれた。
ジェム家は伯爵家由来の名家であるがゆえに、その名を汚すことはならん――とかなんとか、時代錯誤な台詞でも来るのかと、俺としては一応、身構えたんだが。
父さんからは、至極真っ当な意見が出された。
好きに生きて良いが、常識的に。
恥ずかしいから、恥ずかしい騒動で家名がニュースになるような真似はやめてくれ、というのが家の意向だ。
まぁ、うん、普通に……恥ずかしいよな。
家名っていうか、名前だもんな。
一生、生きている間、知らない人に会うたびに名乗らないといけないのに。名乗るたびに、「ああ、あの騒動の」って言われたり思われたりしたら、ってなると。
常識的に生きるよ、って、心の底から返事をして、進路を相談した少年の日。
その日から、家のことなんか知ったことかと好きな魔術の術技式方面に進んで、術式施工管理技師の国家資格一級を現役取得した、成人の日。
それから、危険術式取り扱い一級、魔気導通工事管理技士とか、在学中に取れるものは手あたり次第、関連資格を取りまくった勉強漬けの学生時代を経て。
免許と知識を引っ提げて、飛び込んでいった現場でこてんぱんに叩かれて磨かれた、研修という名の見習いタダ働きの日々。
そして現在では、術式施工技士システム管理責任者として働いている。
たくさんの「もしも」を想定して、顧客の要望を一つ一つ潰していって、過程で足りない部分が出てきたら是非を問う。
そうやって丁寧な仕事をしていれば、最初の想定より多少高額になっても後からクレームも無ければ、次もまた、と繋がっていく。
この手の仕事は、技術難易度の高低はともかく、かかる時間はあまり変わりない。
だったら、単価の高い仕事をした方が良い。
どうも俺が勤務するようになった会社、営業と技術職の意志の疎通が上手くいってなかったみたいで。
俺が見習い上がりで挨拶を、という態で営業に突撃して行って、先輩技術者の凄さを自慢込みで話したら、「これできる?」的なお高い仕事を取ってくるようになった。
今では営業部と技術部、よく一緒に飲み会をしている。
勉強は苦労した。
そして、見習いから卒業して社会人として働くようになって、それはもう、苦労した。
けれど振り返ってみれば、学生の頃は俺はいわゆる「名家のおぼっちゃん」だったんだな、と思い至った。
社会に出て、仕事をし始めて。家とはまったく関わり合いの無い、まっさらな状態で。背後関係ナシで、コミュ力と魔術式の腕一本で、自力で人間関係を一から構築するという苦労。
子供だった今までの「俺」は、つくづく親の世話になっていたんだな、と思い知った。
自力で稼げるようになって、自分で自分の責を負うようになって。
世話はいらんが――と、なけなしのプライドに布を被せて――人生の先輩として、ビジネス関係と社会の苦労は兄さんのみならず、親にも相談して、アドバイスをもらった。
そして親兄弟とは別にもう一人、俺には昔からの馴染みがいる。
俺と結婚して将来は妻になる、いわゆる「婚約者」とされている……されていた彼女。親や年の離れた兄弟と違って、俺と同い年の、同じ立場の、同じ境遇の彼女。
小さい頃に婚約が結ばれて、定期的な顔合わせを両家が念入りにセッティングしたけれど。
婚約者である子供二人。交流の場への「付き添い」で、一緒に来る大人たち。
年甲斐もなくはしゃいだ声で話す母親ズ、意気投合して楽し気に話す父親ズ。
当事者の俺たちのほうがオマケなのだと。
俺たちの婚約、ってのは名目なだけなのだと、早々に理解した。
白けた気分で座っていたら、あ、おいしい、と小さい声が。
向かいを見たら、家で用意される以上に種類豊富なクッキーを、まずは一枚。
いくつも並べられたカラフルなケーキの中から、チョコに真っ白いクリームに加えてフルーツと、豪華に盛り付けられたケーキを一切れ、フォークでさっくり。
俺も真似をして、真っ白にオレンジが乗ってて綺麗でおいしそうな、たぶん、チーズケーキっぽいのに手を伸ばして。
――あ、うま。
思わず声が出たら、向こうも顔を上げて、こっちを見て。
――これも、おいしいよ。
――こっち、これこれ。
――次はねー。
一年に二度。夏に一回、冬に一回と、約束しなくても必ず会う女の子。
二十歳をとっくに過ぎた今であれば、兄さんとも対等に話ができるけれど。
六つ上の兄さん――七才と十三才、八才と十四才、九才と十五才――小さい頃、六つ上の兄さんとは、年を重ねれば重ねるほど、話が合わなくて。お世話係兼教育係と話しても、立場が違い過ぎて。
半年に一度会う彼女が、俺の「仲間」だった。
それは、社会に出たばっかりの新人になっても同じで。
お互い、家とは関係のないまっさらな状態で自力で何とか……そんなしんどい状況の、お仲間。
半年に一度、親が息抜きに友人に会うための名目――婚約。だからその名目上、結ばれた形式的な婚約者。
半年に一度だけ会う、同じ境遇の話し相手であり、状況を語り合える仲間……たぶん、友達。
それが俺にとっての、ユーヌ=プルミール。
だから、小さい頃からずっと婚約はしていても、それは名目上のことで。
たとえ、大きくなって、昔憧れた絵本に出て来る「知恵の泉を守る乙女」そのものの、神秘的な麗しい女性になったとしても!
恋人になったことも、恋人にしたことも、恋仲になったことも、一瞬たりともねぇわ!!!
三話「形式上、とか、名目上」 ~終~
次話「使い魔コール」
人物紹介
男性:トーヘ=ジェム
女性:ユーヌ=プルミール