十話 ロマンチックは勝利した
窓の外は、夜。
夜空に浮かぶ金と銀の月を背景に、黒塗りの馬車が空を翔ける。葉脈を水が走るがごとく、浮遊盤が光の筋を引いて宙を駆ける。
霊長類の頂点たる人間の営みは昼夜を問わず、見下ろせば広がる星の海。
星空のレストランと名高い『空の階段』。
足元は夜。
見上げても、夜。
暗闇の中、丸テーブルに据えられたアンティークを気取ったランタン型のミニ照明が、周囲を仄かに浮かび上がらせる。
満天の星が窓の外に、頭上に、足元に、と広がる中、ピアノの音色が甘く響き渡る。
生きた人間が奏でる生演奏は、メロディアス、というよりも、スウィート。
幻想的な夜の中、窓際の特等席に座る男女二人。
典雅な貴公子に優美な淑女、一見、星降る夜に似合いのカップルに見えるのだが。
しかし。
二人は微笑一つ浮かべず、どこか緊迫した雰囲気を漂わせ、グラスにさえ手を付けていなかった。
店内に流れていたやや弱めでのメロディアスな演奏が終わり、次は、ダイナミックな演奏が力強く始まる。
店内の端まではっきり届くほどに、アルトサックスが勢いよく駆け抜けた。
「話し合いに来てくれて、ありがとう。
前のこと……あれは……いえ、回りくど……」
最初は口ごもっていたモカブラウンの髪を背中まで伸ばした女性が、意を決したように顔を上げた。黄色味の強いヘーゼルの瞳が、青年を真正面から捉える。
「今日の目的を端的に言うわ。
わたしと」
「待ってくれ」
シルバーアッシュグレイの髪の青年が、女性の言葉を遮った。
女性に負けず劣らず決意のこもった口調で、挑むように視線を向ける。
「俺から言わせてもらう。
今回も、先に動いたのは君だ……昔からそうだ。あれから、永遠の別離になってもおかしくなかったのに、君はこうやって席を設けてくれた。
いつも、始まりは君からだった。考えてみれば、俺はいつだって君に守られていた。
先日の非礼は、謝る。そして、今回は俺から言わせてもらいたい。
是非は……君に委ねる」
貴公子然とした青年の固い口調、思いつめた表情は、はたから見れば不穏でしかない。
ピアノがフォルテにフォルテを重ねて、フォルテイシシモの限界へと挑戦する。
「俺、トーヘ=ジェムは、君、ユーヌ=プルミールに、結婚を申し込む」
言葉に被せるようピアノに続けて高らかに鳴らされたシンバルが、突然手で押さえられ、音を失くした。
ピアノがポーンと一音、小さな音で柔らかく落とされたのを合図に、次の曲が始まる。アルトサックスが甘いメロディラインを奏で初め、ギターが静かに追随した。
「俺と結婚することのメリット、デメリットをリストアップしてみた。検討してもらいたい」
宙に浮かぶ、箇条書きされた青白い文字列。
さっと目を向けた女性が、すっと隣に文字列を追加した。
「私の原案はこれよ」
青年が視線を向け、目を通し始める。
しばらく二人はお互いの案を見比べ、沈黙が降り……。
「被ってる条項が多い、というより、ほとんど被っているわね。順番の差は優先度合の違いかしら」
「そうだな。お互い、メリットのトップが『これ以上、求婚者に煩わされない』というのが笑える」
口では笑えると言いながらも、二人の表情に笑みはない。
あまりの共感に思わず見つめ合う二人の、そぎ落とされた表情、言動の端々――互いにどれだけ嫌だったのかが察せられた。
「優先度の違い……やっぱり、そこは個人の趣味ね」
「そうだな。だが、要望があれば、そこは君を尊重したいと思っている。
その……前のアレも、そうだ」
宙に浮かぶ文字列から目を離し、青年は真っ直ぐ女性を見つめた。
「俺は、好きなものから食べ始めるんだ」
「私もそうよ」
落ちる沈黙の間を、ごくごく弱いピアノの音が通っていく。
「……ラーメンだと、チャーシューを真っ先に食べる」
「……そこは、麵とチャーシューを交互に……でもまあ」
そこは個人の趣味、と二人は頷き合った。
ドラムスがだんだん強く打たれ始めたが。
「シェア拡大も高付加価値によるブランド戦略も、どちらも正しい。机上の論戦ならそれは個人の趣味嗜好で、口出しすることじゃなかった」
からあげにレモンは鉄板だなんて決まってない、人それぞれだよな、と――青年が悪かった、と口にする。
「ユーヌが俺と同じ意見である必要は無い、無いが、ただ……」
ドラムスは再び弱くなり、音のないギターはまるで恋人たちの吐息のよう。いつもなら華やかなアルトサックスが、息をひそめて影役に徹する。
言い淀む青年に、女性はわかってる、という風に大きく頷いて、口を開いた。
自分もつい意地を張ってしまって悪かった、と続けた後。
「私、ユーヌ=プルミールは、あなた、トーヘ=ジェムに結婚を申し込むわ」
咄嗟に言葉の出ない青年に、休む間もなく女性が追撃する。
「私、あなたに守られていたの。長い間、気づかなかったけれど。
ねえ、トーヘ。私、つくづく思ったの。常識とか価値観って、大事だったのね」
「……! ああ、そうだな!
価値観が同じ――これ、メリットの第二項にしないか?」
「そうね、考えていたのに、抜けてたわ!」
価値観が似てる方が長続きする、と二人がお互いの項目を細々と突き詰めていく。
話が進み一旦区切りがつくと、ふ、と女性がゆっくりと顔を上げた。
青年も文字列から目を外し、女性に顔を向ける。
見つめ合う二人が、口を開く。奇しくも、異口同音に。
「結婚しよう」
「結婚しましょう」
二人がそう言い合った瞬間、拍手が鳴り響いた。
大きな、大きな拍手が、隣の席と言わず、店内のあちこちから。
直後、シンバルがジャーン! っと打ち鳴らされ、アルトサックスが大音で〆め、ピアノがダダンッとフィニッシュを決めた。
曲をまったく聞いていなかった二人は、慌てて周囲を見回した。
横は、向こう側に夜と月と星が広がる窓。
反対側の横は、星降る夜の客席。
背後は――演奏者。
二人は慌てて振り返り、店内の客に倣って演奏者に大きな拍手を送った。
顔を見合わせて、気まずそうに笑い合う。
ガラス一枚隔てた窓の外、眼下には星の海。店内は、星降る夜。
改めて、演奏者がラブソングを静かに奏で始めた。
「そろそろ出ようか、ユーヌ。
あと、婚約のことだけど。俺たちが破棄を言い合ったあと、結局、二人して長期出張に行ってしまったろ?」
「そうなのよ、トーヘ。
親族には連絡したけど、結局、当事者不在で当家とジェム家の話し合いができなくて、棚上げになってる、ってお父様から聞いたわ」
笑顔で話し合い、降る星に祝福されながら店を出ようとする二人が、ふと足を止めた。
女性が、青年に手を差し出す。
「これからよろしく、人生の相棒さん。手を組みましょう」
青年は差し出された手を取って握手した後、離さない。
「こちらこそ、よろしく。将来結婚する、婚約者殿。
せっかくだから、このまま手を繋いでウチに顔見せてもらっていいか。
父も母も……うん、まあ、兄も、ずいぶんと心配していたから」
「じゃあ、その後でプルミール家に送ってくれる? 我が家も……」
店を出た二人はそのまま、呼んでいたエレガントなアーチを描くオープンボディの屋根なし馬車に乗り込み、星の海の一つとなって消えていく。
ロマンチックは勝利した。
~・~・~・~
店内にいた老夫婦が、ウェイターを呼んだ。
「今日の素晴らしい演奏に、私からの奢りで演奏者全員にディナーを」
「ごめんなさいね、あまりに素敵だったから、つい、拍手をしてしまって」
――良く聞こえる、素晴らしい演奏だった。
――拍手に合わせてくれて、助かったわ。
老夫婦は絶賛し、来月も同じ席を予約して、満足して店を出て行った。
老夫婦が出ていくと同時に、また新たな二人組が店内に入って来る。
男性は流行に乗ったアンティーク調ながらも、スーツにネクタイといった正装で。女性も流行に乗りながらも、どちらかと言えばフォーマルタイプのドレスを着ており。
腕を組み、ちらちらとお互いを見やる様子は微笑ましく。
窓際の、特等席。
二度目のプロポーズ客となるか。
演奏者はロマンチックを盛り上げるよう、スウイートなラブソングを奏でた。
十話「ロマンチックは勝利した」 ~終~
素晴らしい演奏に、万雷の拍手を!(笑)
次話「おまけ」




