一話 ロマンチックは泣いている
星降る夜という、幻想的でロマンチックな演出の中。
二人の男女の声――聞き心地の良いテノールと、澄んだメゾソプラノの声が、綺麗に唱和した。
「婚約は、破棄で!」
~・~・~・~
足元は夜。
見上げても、夜。
暗闇の中、丸テーブルに据えられたアンティークを気取ったランタン型のミニ照明が、周囲を仄かに浮かび上がらせる。
照明の落とされた、月の無い夜のような天井。
そこから煌めく光の粒が生まれ、生まれたかと思えば真っ逆さまに落ちてくる――雨のごとく、雪のごとく、流星のごとく。
それが足元の艶やかな黒光りする『夜』に触れれば、砕けて光の粒を振りまき散らし、足元を星空へと変える。
頭上から落ちてくる光は、それこそ星のごとく無数で、限りなく。
絶えず、途切れず、いくつも、いくつも、天から地へ――術式で起動された幻が、照明を落とした室内を幻想的に彩る。
静謐でありながら、綺羅。
満天の星が、頭上に、足元に、と広がる中、ピアノの音色が甘く響き渡る。
メロディアス、というよりも、スウィート。
星の煌めきに合わせてシンバルが小さく響き、アルトサックスが柔らかく美しく、メロディラインを奏でる。
演奏は、自動人形による演奏でもなく、決められた曲を流す自鳴箱でもなく、生きた人間が奏でる生演奏だった。
幻想的な夜の中、テーブルではグラスを合わせて、顔をより一層近づけて、声を潜めて談笑する幾人もの人々――恋人たち。
星空のレストランと名高い『空の階段』。
星空という呼び名から連想される、最上階にあるからこその標高的な「高さ」と。
メニュー表にずらりと並ぶ、冬の雪山の、山頂のレストランを遥かに超える「お値段」。
前途洋々たる若人、つまりはまだ新米の彼らの財布には、まったくもって優しくないのだが。
とあるブライダル会社のアンケートでの、堂々たる一位は。
――『空の階段』の窓際の特等席、そこでのプロポーズが決め手でした。
今夜も、窓際の特等席は満席だった。
だったのだが。
「さすがに、極論が過ぎないか?
それは、『動けばいい』という依頼に、ハンドルとブレーキとアクセルだけの車を用意したようなものだろう?」
「それの何が悪いの? 依頼の要件は満たしてるし、ハンドルつけただけ良心的じゃない」
二十代半ばの男性が眉をひそめて言えば、向かいに座っている、同じ年代と思われる女性が、口の端をわずかに歪めて応えた。
皮肉気なそれは、『言質を取られる相手が悪い』と言外に語っている。
雑誌のオススメデートスポットの、イチオシの窓際の特等席で。『ロマンチックな恋人たちの語らい』とはほど遠い、甘さのゼロの残念な会話が、繰り広げられていた。
「いやいや、車って……地上を走るだけじゃないだろ。空路を進むのに、浮遊と移動の『飛空』術式は必須じゃないか。
今どき、飛べない車なんて、車じゃないぞ」
男性の、短いながらも綺麗に整えられた、やや癖毛気味の、艶を落としたダークアッシュブロンドが、大きく横に振られる。
そのまま男性は目を逸らすことなく、しっかりと合わせ、言い切った。
「さっきの例えの『動けばいい』っていう依頼に、ハンドル、アクセル、ブレーキだけじゃ、足りないって言ってるんだよ」
そして、それに応える女性も、負けず劣らず、首を大きく横に振った。
背中まで伸ばされた、透明感のある、落ち着いたモカブラウンの髪がさらり、と流れる。
「何言ってるの。そんなの、営業がとっくの昔に協議してるに決まってるでしょ。
話し合って、あえての、『動けばいい』よ。
営業が調整してきた依頼に、技術屋が口を挟むんじゃないわよ」
「いやいや? じゃあ、なにか。
仮にだな、『外見だけアンティーク』が流行りの昨今、『空飛ぶ絨毯』を車代わりに、って持ち込まれて。
営業が、動けばいい、っていう契約を結んで来たら、どうするよ」
二人が険のある口調で言い合う最中。星降る夜の、ガラス一枚隔てたすぐ横の窓の外。
夜空に輝く金の月と、銀の月。
その下を、淡い光に包まれた一頭立ての街馬車の形をした飛空車が、安全速度と規定空路を守って優雅に翔けていく。
その後ろに、馬無し、エレガントな形のオープンボディの屋根無しの馬車が続き、そのまた後ろには、と、淡い光を点けて天翔ける飛空車が次々と続く。
そして遥か下、地上を同じようにライトをつけて走る、途切れることの無い数々の車。
眼下で列をなす、規則正しく一糸乱れぬ行列は、上から眺めれば二筋の光の川、あるいは、プレゼントのリボン。
夜の暗闇の中、恋人たちを祝福するように、星が舞い降り、光の帯が流れる中――突き放すような声で、返答がなされた。
「動けばいい、だけなら、浮遊の術式と、推進用に風か火の術式組み込むわね」
それでオシマイ、と言い切り、扉を勢いよく閉めるように女性は口を閉ざした。
二人の……室内に流れる音楽は、メロディアスというよりも、スウィート。
ピアノは恋人たちの高鳴る鼓動を奏で、ギターの音色は恋人たちの睦言を語る。
「それはないだろ。
方向操作用の補助機構、風防と空中停止の術式……なにより、転落防止の安全装置は必須だろうが。
技術者として、製造者として、そこ指摘しないでどうするよ」
やや低くなった声と、睨むように細められた薄曇りの空のような薄青の瞳。
ダークアッシュブロンドと相まって全体的に色合いは淡く、微笑めば典雅な貴公子になるだろうに――猛禽のハヤブサを彷彿させる鋭い目つきが、印象を裏切る。
対して、やや黄色味の強いヘーゼルの瞳が、臆することなく青年を見つめ返した。
モカブラウンの透明感のある髪にヘーゼルの瞳という、落ち着いた色合いは女性の優美さをいや増しているのだが――現状、獲物を待ち伏せるフクロウのように瞳を光らせ、麗しさは影も形もない。
窓の外には、無償でありながら、いくら財貨を積み上げても手に入れることの叶わない、値の付けられない星の海のごとき美しい夜景が――見向きもされず、無為に無駄に、広がっている。
「営業と話し合っての、あえて、なんでしょ。だったら、技術屋はヘタに口出ししない、指摘は不要。
大体、安全性を省みての、公道の走行可、不可の判断は、車両機械協会の検査次第よ。
技術屋の仕事の範囲じゃないわ」
「そんな最低限の……安い仕事するんじゃねぇよ。
依頼は盛って、パック仕様で顧客単価は高く、顧客にとってはトータルで割安。他所に逃がさず囲い込みがセオリー」
「追加機能はその場で商談」
「契約見直しは納期の圧縮」
「計画的な機能追加で継続的な収益」
「顧客満足度、リピーター」
「回転効率、シェアの拡大」
「単件利益、最大利益化」
男性も女性も、ダンスのようにリズミカルに話を弾ませ――一瞬たりとも途切れず、一歩たりとも譲らない。
室内に流れる音楽は二人に負けないよう、曲を途切れさせることなく精一杯スウィートを頑張った。
ラブ・ソングにロマンティックメロディと、二人の声をかき消さんとばかりに甘やかに高らかに。
音楽はたとえ孤立無援であっても、不退転の覚悟でもって――
「婚約は、破棄で!」
音楽の悲壮な努力も虚しく、その瞬間、二人の男女の声――聞き心地の良いテノールと、澄んだメゾソプラノの声が、綺麗に唱和した。
アルトサックスはメロディラインを遠くへ放り出し、ただの不協和音を響かせ。
ピアノは指示の無いフォルテ・フォルティッシモで、両手指を瀑布のごとき勢いで鍵盤に落とし。
力強く叩きつけられたシンバルが、ジャーン! と大きな音を立て、店内で微かに生き残っていたロマンチックの残滓を、完膚なきまでに叩き割った。
二人は蹴り飛ばす勢いで席を立ち、競い合うように入口へ向かい、出た瞬間、互いに背中を向け合い、綺麗に左右に分かれて歩き去っていった。
ロマンチックは、敗北した。
一話「ロマンチックは泣いている」 ~終~
次話「そんな事実は無かった」
盛大なネタバレ……元サヤです!!!
地雷な方は自衛をよろしくお願い致します。
また、活動報告に雑記を掲載してますので、よろしければぜひ。