妖精の贈り物
「スノードロップの鉢が欲しいの」
キーラお嬢様が唐突にそう言い、アリエッタは目を瞬かせた。季節はちょうど春を予感させる頃。スノードロップなど簡単に手に入るが。
「お庭にあるじゃないですか」
ルベットの邸には庭があり、そこにスノードロップが植わっている。それどころか春告げの花は街の至るところに植えられていて、探すまでもなく目にできるのだが。
キーラは可愛らしい顔を顰めて、首を振った。
「そうだけど。鉢が欲しいの。一輪だけ。部屋の窓に置きたいの」
何故また。不思議に思いながらも、わがままとしては可愛らしいその願いを叶えるために、アリエッタは動いた。お嬢様のお部屋に置くにちょうど良い大きさの、少し洒落た柄の入った陶器の鉢を、物置から見つけ出す。それから庭師に頼み込み、庭のスノードロップをひとつ移してもらう。
わがままから半日もせず手に入った鉢の花を目にして、キーラは顔を輝かせた。飛び跳ねそうなほど嬉しそうに鉢を受け取ると、意外にも捨てられた猫でも運んでいるかのような慎重さでもって、部屋の隅へと移動した。ベッドの向こうに回り込み、近くの窓に鉢を置く。それからベッドに腰掛けて、じっと花を見つめていた。日陰だからだろうか。花は閉じかけている。
あまりに真剣に見ているものだから、アリエッタは首を傾げた。
「何故お花が欲しかったのですか?」
「この前読んだ本のね、真似をしてみたかったの」
キーラは立ち上がると、本棚へと駆け寄った。一冊抜き出して、アリエッタへと突き付ける。『春の妖精』とそこには書かれていた。
「異国ではね、春にだけ咲く花を、〝春の妖精〟と呼ぶのですって」
この本は、それを知った作者が着想を得て、春の花の妖精に纏わる話を書いた短編集。その中に、スノードロップの話もあったそうだ。
「冬の終わりにね、女の子が、スノードロップの花の下で弱っている妖精を助けるの。妖精は花の傍にいなくちゃいけなかったから、女の子は花を鉢に植え替えた」
女の子は窓辺に鉢を置き、毎日スノードロップの世話をした。生き生きとした花の傍で、妖精はみるみるうちに元気になっていった。そして花が終わる頃、全快した妖精は女の子の下から旅立っていく。
「花が萎れると、スノードロップは花がら摘みをしないといけないんですって」
それはスノードロップに溢れる街の者であればよく知っていることだったが、アリエッタは黙っていた。この邸では庭師がすぐに摘んでしまうので、キーラは知る機会がなかったのかもしれない。
「だから女の子は、妖精が旅立ったあとにスノードロップの花がら摘みをするのだけど――」
その花びらの中に妖精がお礼に残した〝贈り物〟があった、というのが、その物語の結末であるらしい。
キーラは、それに憧れて、スノードロップを飾りたくなったのだという。
「別にね、本当に妖精から何か貰えるかも、なんて思ってるわけじゃないのよ? 物が欲しいわけじゃないの。なんていうか――そう、これはいわば〝ごっこ遊び〟よ」
ただ物語をなぞらえて満足したかっただけなのだ、とキーラは言う。
「もしかしたらここに妖精さんがいるのかもって、そう空想するだけで楽しいと思わない?」
まだ純粋な子どもの心を持つお嬢様が、微笑ましかった。
それからキーラは毎朝花の世話をした。アリエッタが用意した水をあげ、声をかける程度のものだったが。日差しを浴びて花びらを綻ばせ、夜には熱を溜めるために閉じる。そこにまた一つの〝生〟を感じてか、キーラなりに精一杯花を慈しんでいた。
それだけに、花の終わりの時期が近付くと、キーラの顔もまた曇りだす。明らかに精彩を欠き、瑞々しさを失った花に、アリエッタもまた寂しさを覚えた。何よりキーラの喜びが一つ減るのが惜しい。
「花摘みをしないとね」
夜を迎えても花弁を開いたまま俯いている白い花を前にして、ネグリジェ姿のキーラはぽつりと溢す。
「ええ。今摘めば、栄養が球根に行きわたります。後はときたま水を与えていれば、来年にはきっとまたきれいな花を咲かせますよ」
「来年かぁ。できるかな。花が咲いているときは、お話とかして楽しかったんだけど」
「球根にもお話してあげたらどうですか? 土の中にいてもきっと聴いてくれますよ」
来年はもしかしたら、お嬢様とお話をしたくて早く咲いてくれるかも、などと言ったら、キーラはくすくすと笑った。〝ごっこ遊び〟などと子ども染みたことを言っていたとは思えないほど、大人びた顔で。花とはいえ、何かの世話をした経験が、少しだけ彼女を成長させたのかもしれない。
花のことを残念がりながら、キーラは眠りに就いた。アリエッタはそっとキーラの部屋を出て、自室に戻る。
実は、少し前から、企んでいることがあった。
机の抽斗から、大事に仕舞い込んでいたブローチを取り出す。白い陶磁器で作られた楕円形のブローチで、スノードロップの絵が描かれている。
大した価値のある物ではなかったが、アリエッタがずっと大事にしていたものだった。
ブローチをエプロンのポケットに忍ばせ、アリエッタは部屋を出て、残っていた仕事を片付ける。いつもならメイド仲間と寛いでいくところを、今晩は辞して、キーラの部屋に向かった。
音に気をつけながら、慎重にドアを開ける。
少女は、穏やかな寝息を立てていた。忍び込んだアリエッタに気が付かない。
健やかな夢を祈りながら、アリエッタはそっと企みを遂行した。窓辺に行き、ポケットに入れていたブローチを取り出す。
咲いている間、花のお世話をしていたお嬢様に。〝妖精の贈り物〟だ。
本当は、物語に沿って、花の中にでも隠せれば良かったのだが。
妥協して、花から落ちたかのようにブローチを土の上に飾り、季節外れのサンタ・クロースの気分を味わったアリエッタは部屋を出た。
翌朝。アリエッタの期待通り、キーラは呆然とスノードロップの鉢を見つめていた。目と口を開けて、声なく窓辺に立ち尽くしている。
企みが成功したようで、アリエッタは口元が歪むのを隠しきれなかった。さすがにお嬢様も悟る。肩を竦めるとブローチを拾い上げ、指先で土を払った。
「そうよね。花を置かなくても、元々うちには妖精さんが居るものね」
予想外の言葉に、アリエッタは呆気に取られた。キーラは指先で挟んだブローチをアリエッタにかざして見せる。
「素敵な贈り物をありがとう、お手伝い妖精さん。これからもよろしくね」