3話 新生活
夕子さんと陽菜が家族になってから、一週間ほどが経った。
そこで笠井家では、いくつかのルールができた。
端的に言えば自分のことは自分でする、協力できることは協力し合うということだ。
「じゃあ、父さんたち仕事行ってくるから結斗。戸締りして学校に行くんだよ」
「結斗君、洗濯は回して干してあるから。陽菜のことお願いね」
父さんは大手の出版社に勤めていて帰ってくることが夜中になることは多々ある。
夕子さんも部署は異なるが父さんと同じ会社に勤めているらしく、似たようなものだ。
「母さん、こいつの世話になることなんて別にねえよ」
さっき起きてきたばかりの陽菜は髪がボサボサのパジャマ姿で気怠そうに答える。
「陽菜。結斗君にそんな口の利き方しないの」
「まあまあ、陽菜ちゃんも結斗のこと頼んだよ」
「はあ?……はい」
父さんや夕子さんに対しても粗暴な態度は健在だが、俺に向けられるものよりは随分とマシだ。
二人を見送ってから、俺は朝食の準備を始める。
準備と言っても、トーストを焼いて目玉焼きを作るだけだ。
「おい、早く飯作れ」
「はぁー、はいはい」
最近我が家で取り決めたルールなど関係なく俺に雑務を押し付けてくる。
「さっき俺の世話になることはないって豪語してなかったか?」
「いちいち細かい奴だな。我が家のルールに則ってるだけだろうが」
「いや、どこがだよ!基本、自分のことは自分でやるんだろう?」
「協力し合うってところがだよ。私は料理できないから、できる結斗が私の分も作るのは当然だろ」
「立派な屁理屈だな」
俺は出来上がった朝食をテーブルに並べて、陽菜と食事を始める。
「お!美味いじゃん。目玉焼き」
「こんなの誰が作っても、同じような味になるよ」
「なんだよ、せっかく褒めてやってんのに」
「それより、陽菜!約束は守ってるんだろうな?」
陽菜たちが引っ越してきた当初は彼女のことを『お前』呼ばわりしていたが、そうすると俺のお尻が蹴られ続けるので名前呼びに落ち着いた。
「わかってるよ。タバコは禁止だろう?」
「そうだ!次、吸ってるところ見たら夕子さんに報告するからな。あと持ってるだけでも駄目だ」
「持つだけでアウトって、危ない薬か!第一私がタバコ吸っても結斗に迷惑かけてないだろうが」
「副流煙って知ってるよな?優等生。あと家に匂いも付くし普通に迷惑だ」
「チッ。そうかよ」
陽菜は、ブツブツ文句を言いながら食事を進めている。
「おい。そっちこそ、わかってるだろうな?学校での立ち振る舞いを」
「わかってるよ。学校では西条さんって呼べばいいんだろう?」
「そう。学校で家庭の事がバレると面倒だからな」
「っていうか、それならわざわざ学校で俺に話しかけてくるなよ」
「なに言ってんだ?鼻の下伸ばして喜んでたくせに」
学校側には俺たちが義兄妹になったことは勿論報告して認知されている。
様々なことを配慮して考えてくれた学校は、これまで通り彼女のことを西条陽菜として扱ってくれることになった。
「結斗。もしも学校でボロをだすようなことがあったら……」
「ま、まさか……また俺の尻を蹴るつもりか?」
「そんぐらいの事は当然覚悟しとけよ」
「俺の尻はサンドバックじゃないんだぞ!」
「あ?後ろが嫌なら今度は前を蹴ってやろうか?」
「男の機能がなくなるので、やめてください」
下らない話をしながら、食事と身支度を済ませて俺たちは学校へ向かった。
俺は、自宅から徒歩で40分掛かる学校まで自転車で通学する。
陽菜は学園前で停車するバスを利用するらしい。
15分ほど自転車を漕いで学校に到着した。
今は良い運動になる自転車通学も、真夏になれば話が変わってくる。
その前に俺もバス通学にするか?
「ゆ……笠井君」
「え、はい?」
学校に到着し靴箱で上履きに履き替えていたら後方から、俺を呼ぶ声がした。
「北野さん……えっと、何かよう?」
クラスメイトの北野美玖。
学年で一番の人気を誇る陽菜に迫る勢いで人気急上昇中の女子生徒だ。
「あ、あの……特に用事は無いんだけど笠井君を見かけたから声を掛けただけ」
「そ、そっか。……一緒に行こうか、教室」
「うん!」
北野さんは陽菜ほど華があるわけではないが庶民的で清楚、決して着飾らない容姿と性格は男女共に人気を博している。
告白された回数は陽菜を上回っているいう話も聞く。
高嶺の花の陽菜よりも同じ目線に立ってくれる北野さんの方が好まれているのだろうか。
「おじさん、再婚したんだよね?」
「あ、ああ。耳が早いな」
「私たちの地元狭いから、話がすぐに回っちゃうよね。妹さん、できたんでしょ?」
「そんなことまで話がいってるのか?」
「うん。うちのお母さんから聞いて。もう仲良くなれたの?」
「い、いやー……なんというか、その妹が破天荒というか個性的というか」
「そっか、新しい環境で大変なんだね」
俺と北野さんは、同じ地元で小学校から高校も同じだ。
幼馴染……と言っていいのか俺の中では懐疑的だ。
小学生の時は、かなり仲が良かったと思う。
中学生の途中から話もしなくなり、高校生になってから話したのは今が初めてだった。
「久しぶりだね。こうやって会話するの」
「……そうだな」
廊下を二人並んで歩いて、教室に到着する。
「じゃあね、笠井君」
「ああ」
俺たちはクラスメイトの目に留まらないように前と後ろ別々の扉から教室に入っていく。
教室内は騒がしく、すでに学校に到着していた陽菜は多くのクラスメイトに囲まれていた。
(俺の席、占拠されてるし)
陽菜の隣である俺の席は、カースト上位の生徒に乗っ取られている。
こういうケースは頻繁に起こるもので、これだから人気者の隣の席は……。
「笠井君がいらっしゃいました。席を空けてください」
「えっ、ごめんごめん。笠井君」
「あ、うん」
陽菜の一言で俺の席の奪還は呆気なく完了した。
「おはようございます。笠井君」
静かに微笑み挨拶をしてくれる。
この笑顔を見ることができていたから、さっきみたいな事象も俺の中では問題ではなかったんだ。
だが、今は違う。
「どうしました、笠井君?」
今は、この西条陽菜の笑顔や立ち振る舞いが不気味にしか感じられない。
「い、いや。おはよう、西条さん」
俺は彼女の猫かぶり状態を『西条モード』と名付けた。
▽▼▽▼
あっという間に放課後になった。
いつもは休み時間のたびに、俺に声を掛けてくれる……じゃなくて、絡んできていた陽菜だが今日は特に何もなかった。
まあ、あの笑顔が偽りのものだと知った今では何も期待していないが……。
そんなことを考えながら、自転車を裏門まで押して帰路に就く。
「さて、帰るか」
「おう、帰るぞ」
俺が自転車にまたがった直後、その後ろの荷台にも体重が掛かる。
「陽菜。なにしてるんだ?」
「なにって、帰るんだろ?後ろ乗せろ」
「降りろ。普通に違反だぞ」
「校則違反なんか気にするな」
「道路交通法違反だ!それに、こんなところ誰かに見られたら……」
「大丈夫だって。この学校の生徒9割が電車通学らしいし、裏門から帰る生徒ほとんどいないだろ」
「バスは、どうした?」
「結斗の後ろに乗って帰れば、バス代浮いてポケットマネーにできるし」
「どれだけ意地汚いんだ、お前は!」
「もういいから早く出せよ。結斗号、ファンファーレは鳴ってるぜ」
「俺は競走馬か!」
これ以上ちんたらしていたら、本当に誰かに見られてしまう。
「安全運転でお願いします!」
「二人乗り強要して、どの口が言ってんだ!」
俺は重い腰を上げて自転車を漕ぎ始めた。
「ゆい……笠井君と……西条さん……?」
この瞬間を遠くからクラスメイトに見られていることに、俺は全く気付かなかった。