第09話『怠惰の元カノ』
修羅場の由来は仏教語である。六道の一つである修羅道において、阿修羅と帝釈天が争う場面を言う……らしい。あくまでネットの知識だが。
まぁ原義はともあれ、今使われる『修羅場』という言葉の多くは激しい喧嘩、特に痴情の縺れによるドロドロした争いを指していると言えるだろう。あと、締切との勝負な。
しかし、その渦中にいる人物に「今俺は修羅場だわー」と言う資格があるのだろうか?
三股がバレた男がそんなことを口にすれば殺されかねないし、締切前に「ひゃっはー、修羅場だぜ」とかSNSで呟く権利などあろうはずもない。
だから――
「悠には私の荷解きを手伝ってもらう予定なのだけれど。あっちから持ってきたものが結構あるし、男手が欲しいのよね」
「それ言ったら私も色々持ってきてるんですけどー。白鷺先輩はスポーツ選手だったんですし、重いのくらいどうにかなるんじゃないですかねぇ」
「悠、二人が言い争ってる間に私の方手伝ってくんない? 私は二人と違って身軽だし、すぐ終わるから」
「三船さん? そういうのは卑怯ではないかしら」
「しれーっと抜け駆けするとか、ほんっと性悪ですねっ!」
「は? 何が? 不毛に言い争ってる二人が悪いんでしょ」
「俺の意志はどこにいったんですかねぇっ!?」
――だから、紛れもなく元凶である俺には、リビングで繰り広げられる言い争いを『修羅場』と表現する資格がないのだと思う。
シェアハウスの入居日。
広めのリビングを埋め尽くすダンボールたちの中心で、三人は言い争っていた。
火種は、俺が誰の荷解きを手伝うのか、という話。別に誰かの手伝いをする約束をしてないし、手伝いをしようかと提案したわけでもないのに、いつの間にか手伝うことは確定していた。
堪らず俺がツッコミを入れると、三者三様に冷たい視線を向けてくる。
「え、手伝ってくれないの?」
「いや、俺だって普通に荷物あるし……仮に手伝うとしても、その後になるだろ?」
「あ、そ。いつもは色々手伝ってくれるくせに」
確かに、いつも家でダラダラしてるときは俺が食事やら飲み物やらを用意してやることが多いけども。それを言う必要はなくない?
けち、と唇を尖らせる三船。そんな彼女と俺の間に割り込むのは安芸だった。
「そーやってグダグダと依存するような女は重いんじゃないですかねぇー」
「は? そんなこと――」
「あ、私の手伝いをしてくれたら、その分いっぱぁいご奉仕しちゃいますよ? どうです? 私を選んでくれる気になりましたか?」
「……っ、ならないから。そういうのはやめろって」
「ふぅん。でもちょっと迷いましたよね? 私にご奉仕されるの、想像しちゃいました? それならご奉仕だけっていうのもやぶさかじゃないです、よ?」
「迷ってない。そういうことを軽々しく言うなって」
断じて迷ってない。なまじ三船とそういう経験を重ねてしまっているがゆえにリアルな妄想ができちゃうけども。
大きめの胸に視線を誘導するように、安芸は胸元に右手を添える。ほんのりと沈み込む指を見ていると、その柔らかさを――って、最低かよ。
「ねぇ悠。私のことも手伝ってくれないのかしら?」
息を吐き出していると、ぐいっと腕が引かれた。
白鷺は俺をじっと見つめ、言ってくる。
「見ての通り、私は結構荷物が多いのだけれど」
「いや、だから――」
「あっちに行く前、言ってたわよね? 『困ったことがあればいつでも言っていいから』って」
「なっ」
「へぇ」「ふぅん」
どうして今それを言うんですかねぇ!?
安芸と三船が視線でチクチク刺してくる。そんな昔のことを引き合いに出すのはズルい。だってあのときはまだ、白鷺のことが好きだった。頼ってほしくて、呼んでほしくて、らしくないことを言ったのだ。
「……分かった、手伝うよ。女子の方が荷物が多くて大変ってのは想像がつくしな」
実際、俺の荷物はかなり少ない。家具とかは基本的にこっちにあるし、趣味は読書とゲームくらいだ。小一時間あれば荷解きは終わるだろう。
問題は、手伝ってほしいと言ってるのが三人だということである。
「けど、手伝うにしても誰かじゃなくて、三人の手伝いをする。これから四人でシェアハウスなのに初っ端から平等じゃないのはよくないからな」
元カノ三人とのシェアハウス。
そりゃ、諍いが起こるのはしょうがない。俺が元凶だから文句も言えないだろうさ。
それでも――俺たちは四人で共同生活を送る。それが決まっている以上、上手くやっていく道を見つけるしかない。
それでいいか?
そう尋ねると、三人は不承不承といった感じで頷いた。
◇
何となく予想していたことではあるが、俺以外の三人は仲が悪い。
安芸は未だに俺のことを好いてくれている。その好意を隠さずに振舞うものだから、白鷺や三船も張り合い、結果として不毛な言い争いになってしまっているのだと思う。
そんなこんなで第一印象が悪くなったのならば、絡まった関係性を解すのは元凶たる俺の役目だろう。
だって、ここは家なのだ。
家は安心する場所であってほしい。居場所であってほしい。
そういうわけで、俺はまず三船の荷解きを手伝うことにした。順番を決めるじゃんけんで揉めてたときは流石に頭を抱えた、とだけ付言しておくが。
「部屋の構造はほとんど変わらないんだな」
「そうだね。これなら夜中に部屋をうっかり間違えて、うっかり襲っちゃうこともあるかも」
「ねぇよ。どんなうっかりだっつーの」
「ちぇっ、ノリ悪いなぁ」
「悪いのはノリじゃなくて世間体だと思うんだよなぁ」
「世間体が問題なければ、私と一日中セックスしたいってこと?」
「曲解すぎる!」
なんというか、三船は相変わらず三船だった。流れるように下ネタを口にするし、くつくつ楽しそうに笑う。話していると男友達感覚でいられるけど、可愛い声や色っぽい貌が行為中の彼女を彷彿とさせるのだ。
「で、荷物は……ここのダンボールだけか?」
「そ。本とか着るものくらいしか持ってきてない。基本はレンタルコンテナにしまったまんまだし」
「あー、なるほどな」
付き合っていた頃に聞いた三船の家庭事情を思い出し、うん、と頷く。
両親の離婚以降、親との関係があまり上手くいっていないらしい。そのため荷物は基本的に月ごとに契約するレンタルコンテナにしまい、ギリギリまで家に帰らずに俺のアパートに居座ることが多かった。
「今度一気に持ってきたらどうだ? 人手が必要なら手を貸すし」
「デート?」
「違うって分かってて言ってるよな!?」
「まーね」
ぷっ、と三船が可笑しそうに肩を震わせる。
俺もつられて笑いつつ、気になっていたことを尋ねるために話を変えた。
「三船は……あの二人と仲良くできそうか?」
もともと三船はあまり人と関わろうとしないタイプだ。昔から引っ込み思案なところはあったが、高校に入ってからは特に一匹狼のように振舞っている。他人への警戒心が高いのだと思う。
三船は少し考えこむと、こちらを試すように言ってくる。
「悠は、私にあの二人と仲良くしてほしい?」
「え? あ、あぁ……別に無理にとは言わないけどな。せっかくシェアハウスするなら、ここが三船にとって居場所になればって思うよ」
「だったら――ょ」
「うん? 今、なんか言ったか?」
ぼそぼそと三船が俯きながら何かを言った。
聞き返すと、三船は顔を上げてかぶりを振る。その表情を見て、今の言葉を聞き逃さなかっただろうなってたんだろう、と思った。
そう思っている時点で、これから彼女が言う言葉とさっきの言葉が別物であることは明白で。
「だったら手を動かしてよ、って言ってんの。悠が馬車馬の如く働いたら、それなりには仲良くしてあげる。あの二人次第だけどさ」
それでも。
彼女の嘘を指摘することは、今の俺にはできなかった。
「へいへい。じゃあ何からすればいい?」
「とりあえず全部」
「それは馬車馬じゃなくて奴隷だろ……」
◇
「だったら悠の一番にしてよ」
――宛先未記入の告白は、ポストに投函されることもなく、溶けていく。