第08話『シェアハウス』
下見を終えたということで、ひとまずあの場は解散となった。白鷺は数日間、ホテルに泊まるつもりらしい。正式な入居日は俺たち三人と同じようだ。
白鷺をタクシーまで、三船を駅まで送り届け、最後に安芸の買い物に付き合わされる。新生活に向けた買い物の途中で抜け出したのだそうだ。
そんなこんなで、家に帰る頃にはすっかり日が暮れていた。
流石に今日は三船も忍び込んでいないらしい。
が、その程度で安堵できる状況ではない。俺は全ての元凶であろう母さんに電話をかける。
『サプライズ、大成功☆』
「大失敗以外の何物でもないよなっ⁉ 母さん、マジで何を考えてるんだよ」
管理人を務める親戚に入居希望者を斡旋したのは母さんだ。てっきり持ち前の人脈で高校生や大学生の男子を持つ親に声をかけたのかと思っていたが……ふたを開ければこの結果である。
『私はただ家を探してる子を紹介しただけよ? その辺の事情はあんただってわかるんじゃないの?』
「それは……」
安芸からは話を聞いたし、三船は家庭環境がやや複雑だ。白鷺が実家に帰らない理由もなんとなく察することができる。
……そう考えると反論しにくいな。
「いや、そうじゃなくね⁉ 事情は分かるけど、だからって未成年の男女でシェアハウスをさせるのは問題だろ」
『それはあんた次第でしょ? 問題を起こさなければいいだけの話じゃないの』
「…………」
ド正論極まりない。
そもそも、今のこんがらがった状況自体、俺の宙ぶらりんな態度や生き方のせいだとも言える。母さんを責めるのはお門違――
『それに、あの子たちもあんたがいることを聞いて入居を決めたみたいだしね』
「おぉぉぉい! 確信犯じゃねぇか!」
俺を餌にしてるじゃん。もちろん俺は悪いけど、母さんのことを責めるのも普通に真っ当では?
「この前の『愛海ちゃんを泣かせたらぶっとばすからね!』はなんだったんだよ……」
『え、だって私は愛海ちゃん推しよ? ちっちゃくて可愛いじゃない! あんな子がお嫁に来たら嬉しいわねぇ~』
「なっ……」
『でも、のどかちゃんもいい子よねぇ。小さい頃とはだいぶ印象が変わったけど、根はちっとも変わってなくて。ああいう子にも幸せになってほしいわ~。ま、あんたが幸せにできるかは分かんないけど』
「…………」
この母親、ちょっとアレすぎない?
少なくとも、三船とはもうそういう関係じゃないはずだ。安芸との関係も、母さんが考えているほど健全なものじゃない。
高校生のガキにだって、複雑な人間関係はある。俺はクズで馬鹿だから、生きているだけでこんがらがっていくのだ。
それもこれも、恋から距離を置けば終わるんじゃないか、って期待していた。
三船が満足するまでセフレを続けて、安芸に愛想を尽かされれば終わり。後はもう色恋に惑わされないよう、自分を律して生きていく。
ほんとの本当に、そのつもりだったんだ。
なのに……。
『でも父さんはあの子がいいと思うぞ! 白鷺さん!』
「は?」
『陸上選手としても一流だったしなぁ……別嬪さんだし、引退しても芸能界入りとか狙えるんじゃないか?』
どうやらスピーカーモードだったらしい。
父さんが話題に入ってきた。ぺらぺらと上機嫌に語っているので、もしかしたらもう酔っているのかもしれない。そりゃあ、今日は休日だけどさぁ。
『父さん知らなかったぞ、白鷺さんと付き合ってただなんて! まったくどうして別れたんだ?』
「……留学に行ったからだよ。別にいいだろ。男子中学生がぺらぺら彼女の話をする方が異常だから」
それに、話してないのは安芸や三船も同じだ。
『まぁそうだけどな! ともかく――』
『私もお父さんも、幸せになってほしいのよ。だからこそのサプライズなの! 少しは理解してくれた~?』
「はぁ……全然」
できるわけがなかった。
それどころか、不快感すら覚えてしまう。まるで三人が俺に宛がわれているように聞こえて……三人の眩しさを無視されている気がして、苛立つ。
俺よりも価値のある人間が蔑ろにされるのは辛い。あの三人は特に、俺のせいで人生を浪費してしまっている。それなのにこれ以上俺に縛られないでほしかった。
「なぁ、やっぱり――」
『あんたが共通項なのよ。あの子たちが居場所を作るきっかけになれるのはあんただけ。そんなことも分からないようじゃ、お父さんみたいないい男には絶対になれないわよ』
「――っ」
ぐつぐつ煮えていた感情に冷水を注がれた。
さっきまで冗談じみたことを言っているくせに、すぐ真剣な一面に切り替えるのはズルいと思った。それが大人のやり口なら、俺はまだまだ子供でしかいられないだろう。
「……なんだよ、急に」
『ふふっ、これでも私だってちゃーんと三人のことを考えてるのよ? 身内が管理人をやるシェアハウスに紹介するなら、それが最低限の義務でしょう?』
そう言われても、母さんがどこまで知っているのかは分からない。
だけど、言っていること自体には納得できた。
そして同時に、思う。
あの家が白鷺や安芸、三船にとっての居場所になってくれたら――と。
『シェアハウス、やめたいとか言い出さないわよね?』
「分かってるよ。……なんか、丸め込まれた気もするけど」
『おう! それでこそ俺の息子だな!』
「父さんはうるさいから黙っててくれ」
『酷くない!?』
あの三人がシェアハウスに何を求めるのかは分からない。
たとえばもし、三人が三人とも俺に未練たらたらだったとして。
そんなありえない仮定が成り立つとしても、俺がシェアハウスを軽んじていい理由にはならない。
つーつーっ、と電話が切れる。
部屋には俺だけだから、俺が黙れば当然静かになる。もういい時間だ。引っ越しの準備を済ませた部屋は寝床以外の機能を果たしてはくれない。
なんとなくベランダに出ると、桜の花びらが夜風で舞っていた。
SNSを調べるが、白鷺についての記事はもうほとんど流れてこない。
たった数日であいつの引退はコンテンツとして消化されたのだ。そう思うと、自分がちっぽけな存在に思えてくる。
「どうして帰ってきたんだよ――白鷺」
胸に疼くこの感情は、絶対に未練なんかじゃない。
そんなちゃちな名前を付けてやれるもんじゃない。
だから俺は、夜を呑むようにその気持ちを押しやった。