第07話『三人の元カノ』
SIDE:本条悠
シェアハウスの同居人の一人が白鷺らしい。
そんな唐突な情報を飲み込みきれないまま、俺は彼女をシェアハウスまで案内した。以前訪れたときからさほど変化のない一軒家。鍵自体は受け取っていたのでドアを開ける。
「えっと、じゃあ俺は外で待ってるから」
「……? どうして外で?」
「えっ、あ、いや」
「私と一緒にいるのが気まずい、とか?」
「っ」
「気まずいに決まってる」と言ってしまうのは悔しくて、ぐっと堪える。
だが、事実として気まずいし、だから外で待とうとした。だって、これじゃあ二人きりだ。鍵を閉めれば誰も入って来られない。白鷺と俺との、二人きりの時間が流れてしまう。
ここに来るまでの道中はよかった。それなりにすれ違う人や車が排泄する音のおかげで、変に意識せずに済んだから。
でも今は――。
「なんて、冗談。気まずいに決まってるわよね。あなたを捨てて夢を選んだ女がいきなり帰ってきて、しかもシェアハウスをする、なんて言い出してるんだから」
「それは……あぁ、そうだな」
自嘲気味に上がった口角を見て、俺は観念するように肯った。
白鷺は靴を脱いで玄関に上がる。それから靴を揃えるためにしゃがみ、その姿勢のまま俺を見上げた。
「本当はずっと帰ってきたかった。走るをの止めてあなたに愛されたかった。――そう言ったら、あなたはどう思う?」
「さぁ、な。過程にも過去にも意味はないだろ。今が全てだ」
苦し紛れに返せた一般論は、しかし、空々しいものだった。
未練と後悔と罪悪感で雁字搦めの俺は、果たして今を生きていると言えるのだろうか。過程と過去の掃き溜めに居座っているのは、俺じゃないのか?
思考の沼にこれ以上沈まなくていいように、俺は話を元に戻した。
「確かに、ちょっと気まずさはある。でも外で待ってるって言ったのは別にそれだけが理由じゃない」
「他に理由があるの?」
「ああ。今日は、ここの下見に来たんだろ? だったら一人の方が好きに見れるだろうし、男が一緒にいると確認しにくいことだってあるかもしれない。そういうのを邪魔するのは違うって思ったんだよ」
白鷺、安芸、三船。
三人と付き合って分かったのは、男と女は生物学的にかなり違う、という当然の事実だった。生理なんて、その分かりやすい例だ。その性差は必ずしも隠すべきことではないと思う。だが、べき論と感情論は違う。俺の存在によって白鷺が遠慮するのはよくないと思った。
「どうしてこうなったのかは分からないけど、ここに住むんだろ? だったら、住む場所はきちんと雑念抜きで下見をしてほしい。一応、ここが帰ってくる場所になるかもしれないんだからさ」
「……あなたは、本当に――」
「うん?」
「いいえ、何でもないわ。理念的で面倒くさい性格がそのままで安心しただけよ」
「それは幾らなんでも酷くないですかねぇ……」
「実際は気まずいって理由が八割くらい占めてるくせに、それらしい屁理屈をこねられたことだけは褒めてあげるわ」
「やかましいわ! 七割くらいだっつーの」
六割と言えば嘘になる程度には気まずいんだけどな?
ともあれ、言いたいことは伝わってくれたらしい。白鷺は薄らと笑みを浮かべ、「まぁ」と続けた。
「別にあなたが心配するようなことはないから、中で待っていてもらって問題ないわ。むしろ家の中も案内してほしいくらい」
「あー、そうか?」
「えぇ。どれだけ女慣れしても、あなたはやっぱりあなたね。ポンコツだわ」
「俺のアイデンティティを勝手に不名誉な四文字にするんじゃねぇ」
っていうか、言うほど女慣れできてる実感もない。いつも振り回されていた気がするし。
「あれ。白鷺はどうして俺が――」
――女慣れしてると思ったんだよ
そう続くはずだった俺の言葉は、ぴんぽんぴんぽんぴんぽんとしつこく鳴らされるチャイムによって妨げられた。
白鷺を見遣るが、彼女は首を傾げるだけ。心当たりはないらしい。何かしらの勧誘にしては騒がしいし――とか思っている間にも、ぴんぽんぴんぽんとチャイムが鳴り続ける。まるで、中にいる者の会話を邪魔するみたいだった。
「とりあえず出てみる。ヤバい奴の可能性もあるから、白鷺はすぐ逃げられる状態で待っててくれ」
「もちろん。安心していいわよ、あなたのことは心配もせずに真っ直ぐ逃げるから」
「それはそれは、素晴らしい自衛意識なことで」
皮肉を打ち返せば、白鷺はくすくすと肩を震わせた。
白鷺をリビングで待たせ、玄関に向かう。
念のためチェーンをかけてからドアを開けると、
「はぁ、やっと出た。悠くん先輩、遅いですよ。すぐに出てこられないようなことでもしてたんですか?」
「っ、安芸っ!?」
隙間から、むすっと頬を膨らませた安芸が見えた。
……膨らむ頬は可愛らしいからいいとして、やや虚ろ気味な瞳については言及を避けようと思う。
でも、まずくないか?
中には白鷺がいる。疚しいことはしていないが、そう説明して分かってくれる安芸ではないだろう。流石にこの状況で鉢合わせってのは――
「早く開けてくんない? 怠いんだけど」
「へ? この声って……」
「そ。さっきぶり」
ドアの向こうで、三船が手を振っていた。
……三船? はぁぁぁぁぁぁ!?
「なんで三船までいるんだよ っていうか、どうして二人が……」
「その辺の説明もぜ~んぶ中に入ってからしてあげますから」
「そゆこと。だからとりあえず」
「「あ・け・ろ」」
初対面のはずの二人の声がハモった。
強すぎる圧。こちらとあちらを隔てるドアが圧壊してしまうんじゃないかと思えるほどの迫力だ。
当然ながら、それを無視できるほど俺は強くないわけで。
「ワカリマシタ」
別に開かずの扉ってわけでもないそのドアは、いとも容易く開いたのだった。
◇
「初めまして、白鷺先輩っ。私は白鷺先輩の次に悠くん先輩の彼女をやってた安芸愛海です♪」
「で、私は高校に入ってから付き合ってた。三船のどかっていう」
「……そう。私は彼と最初に付き合ったわ。約一年間だったけれど」
「俺と付き合ってたことは自己紹介に於いて絶対不要な情報だよねそうだよね!?」
広めのリビングにて。
俺は三人の元カノがそれぞれ自己紹介していくのを見て、堪らず声を上げた。三人とも名前より先に俺との関係を伝えるってどうなの? 白鷺は二人が名前を知っていると分かったからって、名乗りもしなかったし。
だが、俺の指摘は三人の「必要ですけど?」みたいな視線によってあっさりと霧散した。地産地消である(違う)。
「んんっ。あー、えっと。ここは一応三人と面識がある俺が場を仕切るってことでいいか?」
「面識っていうか、私たちの元カレですけどねぇ~」
「…………オーケー、いいってことで進めるからな」
「三人の元カレだから俺が仕切るぜ!」なんて言えるわけないでしょ⁉ しかも、安芸の言葉によって場の温度が2℃ほど下がった感じがするし。まだ春になりかけだからちょっと肌寒いのよ?
「えっとだな。まず先に俺たちがどうしてここにいるのかって説明をするな?」
「じゃあ、それは私から」
白鷺は俺から言葉を引き取り、その先を続ける。
「私はここに入居する予定なのだけれど。つい先日帰国したばかりだから色々と分からないことが多くてね。それで彼を呼んで、こうして下見をすることにしたのよ」
「へぇー。どうして数年間連絡してなかった元カレを呼ぶんですかねぇー?」
「別に彼に断られたら他の人に頼む予定だったわよ? でも、悠がどうしても会いたいって言うから」
「「へぇ」」
「情報を捻じ曲げるのはやめてくれませんかねっ? どうしても会いたいなんて言ってないから!」
「とか言いつつ、特別な日用の靴履いてるくせに」
と安芸が鋭くツッコんでくる。ちょっと鋭すぎない?
「それは……っ、昔馴染みと会うってなったら多少は気を遣うだろ。それだけだ」
「私とのデートでは一回も履いたことないのに」
「…………」
違うじゃん? それを今言うことないじゃん? そもそも三船とは家デートかネカフェデートばっかりだったから、気を遣う必要がなかったってだけじゃん? 自分が気楽な付き合いでいいって言ったんじゃん?
こちらの話を引っ張ると旗色が一向によくならなそうだ。俺は無理やりに話を終わらせ、安芸と三船に話を振る。
「で、俺たちはいいとして。そっちはどうしてここにいるんだよ。特に三船」
「ふっふー。流石は悠くん先輩。私がここにいるのは愛の力ってことで納得してくれるんですねっ!」
「違うから。もう一度下見に来たってことでギリギリ納得できるよな、って言いたかっただけだから。本来は安芸がここにいるのも滅茶苦茶不自然だからな?」
「もう、照れちゃって」
照れてるとかじゃないんだよなぁ、マジで。
とはいえ深堀するのは危険だ。今は三船の答えを待つ。三船は俺の視線を受け、ふっと小さく笑ってから答えた。
「別に。私はただ、ここに下見にしにきただけだよ」
「……した、み?」
「てか、悠だって察しついてるでしょ。愛海も、白鷺さんも、悠自身だってここに住む予定なんだからさ。そうしたら残る私だって、ね?」
「嘘だろ…………………?」
「言ったじゃん。『その辺は色々考えてあるから大丈夫』って」
「なっ」
言葉を失う。
一瞬思考が真っ白になり、それぞれの状況がピースとなって一枚のパズル絵を完成させる。実に信じがたい、最悪とも言える可能性だ。
だが、嘘を吐いているとは思えない。というか、これが嘘だとすれば、三船がここにいる理由が説明できない。安芸と違って俺のストーカーってわけでもないんだし。
つまり、である。
どうやら俺たち四人で同居生活を送ることになった、らしい。
「マジかよ」
頭を抱え、三人を見遣る。
三人は思いのほか驚きも衝撃もないようだった。まぁ、三人はお互いに初対面だし、驚く要素があんまりないか。……なんで険悪な空気なのかは分からないけど。
「まぁ、そういうわけなので。これからよろしくお願いしますね、先輩方」
「そうね。よろしくお願いするわ」
「ん、よろしく」
「あ、でも私と悠くん先輩の邪魔をしたくないな~って思ったら全然引っ越してもらってもいいですからね! 甘々な空気、お二人は苦手そうですしぃ?」
「あら、そう見える? これでも結構慣れているつもりよ。今思い出すと少し恥ずかしいけれど、悠とは色々と経験したもの」
「したって言っても、中学生だったんでしょ? だったら――」
「土下座でもなんでもするから、会話する度に俺との話を持ち出すのやめてくれませんかねぇ!」
「嫌です♡」「嫌よ」「ヤだ」
三人の声の揃った拒絶を受けて、はは、と枯れた笑みが零れる。
過去に囚われて、後悔の糸で編まれて。
――元カノ三人とのシェアハウスが始まろうとしていた。