第06話『先輩の元カレ』
SIDE:安芸愛海
「あれ、どうして悠くん先輩が……?」
新生活のために買い物に出ているときだった。
悠くん先輩に仕掛けた三つのGPSのうち二つが、私と悠くん先輩の愛の巣へと近づいている。え、三つもGPSを仕掛けるのは多すぎだろ、って? これでも減らしてるよ? 今は靴とお財布とスマホのアプリだけ。冬場はコートとバッグにも仕掛けてた。悠くん先輩は身軽に出かけるのが好きな人だから、念には念を、が必要なのだ。
で、今反応してるのはお財布とスマホアプリ。
靴が家にあるのは……きっと、普段使いのスニーカーじゃなくて、特別な日用のちょっといい靴を履いてるからだと思う。
「……なんで?」
この前下見には行ったはずだ。仮に、住む前にもう一度って思ったとしても、わざわざあの靴を履くとは思えない。本当に気分を上げたいときしか履いてなかったもん。珍しく気に入ってるみたいだったから、GPSを仕込むのも気が引けちゃったんだし。
「…………」
ふと頭をよぎるのは、この前見たニュース。
――白鷺岬先輩が帰ってくるらしい。
中学校の先輩であるその人のことを、私はあまりよく知らない。あまり直接関わる機会がなかったのだ。知っているのは、彼女と悠くん先輩が付き合っていたことだけ。
白鷺岬先輩は、悠くん先輩の一番の女だった。
悠くん先輩はいい人だ。未練を引きずったまま私と付き合うことはしないだろうから、私のことを好いてくれたのはほんとだろう。でも自分でさえ気づかないほど深いところで、私の大好きな人は初恋に焦がれている。
最初は、付き合えば私だけを見てもらえるんじゃないか、って期待してた。だけど半年ほど彼氏彼女として寄り添って、簡単には悠くん先輩の未練が消えないと気付いた。
だから別れた……なんてこと、あるわけない。私の愛を舐めてもらっては困る。悠くん先輩のことが好きで好きで好きで好きで好きで好きで好き好き好き好き――ふぅ。ちょっと落ち着こう。
「まぁ、作戦通りにいかないってことなんですかねぇ」
戦略的な撤退のつもりだった。
どうしようもなく後腐れた別れ方をすることで、悠くん先輩が私を追ってくれるんじゃないかと思った。事実、付き合っていた頃よりも特別な存在になった気がしてる。
シェアハウスの話を聞いて。
親を説得して同居を決めて。
ぜんぶぜんぶぜんぶ上手くいってたはずなのに……っ!
「あぁ、そうですかそうですか。ほんとズルい女。最初の女になったくせに、最後の女にもなろうとするわけですか」
選手として引退した彼女が何をしに日本に帰ってくるのか、私にはよく分かった。
「とりあえず、行かないと。二人きりになんてさせてやらないんですからね」
悠くん先輩は私のなんだから。
ゆったり各駅停車で座ってなんていられない。私は特急電車に乗り換えた。
……あーあ、盗聴器も着けておけばよかった。
◇
「何やってるんですか、そこのあなた」
「……私のこと?」
「あなた以外に怪しい人がいると思います?」
「別に怪しくなんてないと思うんだけど」
「どう見てもストーカーでしたけどね。しかも下手くそ」
「……へぇ、あんたがそうなんだ」
急いで悠くん先輩のもとに駆けつけると、駅から家に向かう途中だった。道中で寄り道していたらしい。そのおかげで間に合ったのは僥倖なんだけど……案の定悠くん先輩の隣に白鷺先輩がいるのを見ると、とっても複雑な気分になる。
まぁ、それはさておいて。
今すぐにでもあの二人の間に入り込みたい私は、しかし、もう一匹の厄介なお邪魔虫と出会ってしまった。
赤いインナーカラーの入った、ちょっと不良っぽい女の人。小柄だし顔にあどけなさが残っているから大学生には見えない。せいぜい高校生だろう。
あともう一つ感想を付け加えるのなら……愛が重そうな女、って感じ?
「ストーカーさんは私のこともご存知なんですねぇ~。さ、通報しよっと」
「通報するなら、こっちも通報するからね。そっちはマジのストーカーのくせに」
「私のは公認だからいいんですぅ」
「公認、ね……予想通り重い女」
「その台詞、そのまんま返したいですねぇっ!」
分かったことが二つある。
一つは、あっちもこっちのことを知っている、ということ。
もう一つは、盗み聞いていた通りのクソ女だ、ということ。
彼女は呆れたように肩を竦めると、口元に人差し指を添えた。
「下手に騒いであっちにバレたら惨事だし、ここは話し合わない?」
「別に私は惨事じゃないですけど」
「……じゃあ、なんでここにいるのか聞かれてもいいんだね。どうしてここにいるのかバレたら、出費がかさむんじゃない?」
「…………性悪ですね」
そういうところが、ムカつく。
ほんとは重いくせに、軽い女みたいに装うんだから。
「じゃあ、まずはこっちの手札を見せるよ。私は三船のどか。悠の元カノで、あんたと彼女のことは悠から聞いた。家にもちょくちょく行ってるから、君がストーカーをやってるのも知ってる」
「……そうですか」
そんなの、知っている。
悠くん先輩から聞いたわけじゃないけど、悠くん先輩の家に盗聴器を仕込んでた時期があったから、二人の関係はよく知っている。
彼女が元カノなのも、悠くん先輩とどこまでシたのかも、今どんな関係なのかも……全部知ってる。
大好きな人が知らない女とシてるのを聞くのが耐えきれなくて、流石の私も盗聴器を取り外したのだから。
「私は安芸愛海です。ご存知の通り悠くん先輩の元カノです。色々と聞かせてもらってましたよ。……悠くん先輩が寝付いたあとの独り言も含めて」
「っ!? そこまでやってたわけ?」
「よくもまぁ、軽い女ぶって悠くん先輩をたぶらかしてくれましたよね。ほんとは重くてちょーめんどくさい女のくせに」
「あんたにだけは言われたくないんだけど?」
むっっっかつく!
薄々気付いていたけど、この人とは相性が悪い。同族嫌悪ってやつだろう。
「ま、言い争うのはこのくらいにしておいて。私もあんたも悠の動きを見て嫌な予感がして、ここまできた。それでいい?」
「……いいですけど、私のことは愛海でお願いします。『あんた』とか言われても違和感すごいんで」
「あ、そ。じゃあ私のことものどかでいいよ」
「最初からそのつもりです。『三船先輩』って丁寧に呼べるほどあなたのことを好きじゃないので」
愛海とのどか先輩。
私たちはそう呼び合うことに決め、話を先に進める。
「で、愛海。もうすぐ家に着くわけだけど……どうする?」
「どうするも何も、突っ込みますけど?」
「突っ込んで、その後は? そっちはここにいる理由、説明できるの?」
そっちは、ね。
ほんとーに嫌な予感がしてたけど、どうやら的中してしまったらしい。はぁ、と溜息を吐いて、私は頷いた。
「残念なことに、のどか先輩も説明できるみたいですね」
「そっちも、か。……おそらくは彼女も、そうだろうし」
運命のいたずらか、神様の暇潰しか。
巣作りに必要な運命の糸が余っていることだけは、確かだと思った。