第05話『幼馴染の元カレ』
SIDE:三船のどか
「やっぱりこうなるんだ」
北原駅。
彼の後を追って降りた駅の改札口で、彼女は神様に選ばれたみたいに際立っていた。駅を行き交う人たちも彼女を一瞥はするけれど、弾かれるように視線を戻す。お前はシナリオに関係ないモブだから余計な茶々を入れるな。そんな風に、見えざる手が誘導しているようにさえ思えた。
「じゃあ私はシナリオに関係あるの……?」
自分で言って、くすりと自嘲した。
もし私がシナリオに参加する余地があるとすれば、きっとそれは負け犬に違いない。
なんて、ただで負けてあげるつもりはないんだけど。
だって、私は彼の初めての女だ。
だって、彼は私の初めての男だ。
「だから負けるつもりはないよ、白鷺さん」
まずは私の視点でこの恋愛譚を改めて物語ろうと思う。
私が主人公になるために。
――私が悠と出会ったのは、幼稚園に入ったときだった。
私と悠は三歳の頃からの腐れ縁。家も近く、以前は家族ぐるみの付き合いもしていた。そんな関係が変わってしまったのはきっと……。
当時から私は、あまり周囲と関わるのが得意ではなかった。
一方の悠は、当時から友達が多く、人の輪の中心にいた。きっと、根っこは明るい男なんだろう。
ぼっちの私と人気者の悠。
悠には私以外にもたくさん友達がいるはずなのに、小学校に入ってからも彼は私によく話しかけてきてくれた。
たとえば班決めで困っていると、こんな風に話しかけてくれた。
『のどか、一緒に班組もうぜ!』
『え……他の子と組んだ方がいいんじゃないかな』
『何言ってんだよ。俺が、のどかと組みたいんだってば!』
ほんと、恋に芽生え始める女児には存在がギルティーすぎる男だと思う。
いつも悠は私の手を引いてくれた。
そんな彼のおかげで私は自然とクラスの子にも受け入れられ、人気者とは言わないが、孤立からは逃れられることができた。
きっと、彼は私が心のどこかで寂しがっていることに気が付いていたんだと思う。
上手く人と関われないけど、一人でいるのが好きってわけじゃない。面倒臭い女だったのだ。
かくして悠は私の王子様になった。
けれど、出来合いのおとぎ話はあまりにも稚拙で、呆気なく瓦解してしまう。
『お前ら、いっつも二人でいるよな~』
『実は付き合ってんじゃね?』
『うっわー。悠って、黒井みたいな地味女が好きだったのかよ』
『ブス専ってやつ?』
地味で陰気な私と、イケメンで人気者の悠。
私は悠にレッテルを貼る格好の材料だったし、悠は私を攻撃する妥当な理由だった。
今の私からすれば、別にいいじゃん、と思う。むしろ外堀を埋めることができて、ちょうどいい。悠と本当に付き合っちゃえよ。見た目が気になるなら、努力すればいい。
でも、その頃の私は今の私が嫌悪感を抱くレベルで愚鈍な女だった。
好かれる努力をせず、からかわれるたびに困ったような顔をするだけ。なんともまぁ、みっともない。
何よりも嫌だったのは、困った私を見て悠が傷ついたような顔をすること。
まるで自分のせいだ、と責めるみたいに、彼は顔を歪めていた。
好きな男のそんな顔を見ても行動を起こせないなんて、ほんと惨めな女だよ。
高学年になるにつれ、悠の友達は減っていった。
私をからかう周囲に上手く乗っかれば別だったのだろうけれど、悠はそうしなかったのだ。からかってきたり陰口を言ったりする友達を無視していた。
一度聞いたことがある。「私のせいで友達が減ってもいいの?」って。
悠はこう答えた。
『別に友達が欲しいわけじゃないしな。人の嫌がってることをするような奴とは仲良くなりたくないし』
『そっか』
『むしろごめんな、言い返してなくて。いちいち言い返したらあっちの思うつぼな気がするから』
『……ううん。ありがと』
当時の私は、悠の言葉にぱぁっと色めいた。
皆よりも私を大事にしてくれるんだ……なんて。
色ボケた少女は、どろどろと悠に依存した。
けれど、そんな悠と私の関係が大きく変わる出来事が起きてしまう。
それが両親の離婚だ。
中学校に入る少し前から両親の仲は壊滅的なものになり、家では罵詈雑言が平気で飛び交っていた。両親とも私を味方につけるべく相手の悪口を吹き込んでくる。
私の心は荒みに荒んで――人との関わりを積極的に厭うようになった。
怖かったのだ。
あんな醜い暴言を吐ける人間の血が自分にも通っていると思うと、私まで誰かを傷つけてしまうんじゃないかと思えてしまったから。
やがて悠とも疎遠になる。
だけど、遠くでずっと彼のことを見つめていた。また私を迎えに来てくれるでしょ、って。情けないことに縋っていたのだ。
そんなとき、彼女は現れた。
『はぁ!? 二人って付き合ってんの?!』
『えぇ、そうだけれど。何か変かしら?』
『変っていうか、どう見ても不釣り合いじゃん……』
『私はそうは思わないもの。ね、悠』
『それを俺に聞きますかねぇ? ……まぁ、ちゃんと彼氏をやってくよ』
白鷺岬という女の子は、生まれながらにガラスの靴と奇麗なドレスで着飾っているシンデレラのようだった。
いや、それだと灰を被る必要はないからシンデレラじゃないか。
ま、それはどうでもいい。
周囲には、二人が不釣り合いなカップルに映っているらしかった。
友達が減って、小学校のときよりも大人しい性格になったからだろう。でも私にはお似合いの二人にしか見えなかった。
絵に描いたようなおとぎ話。
私は思い知らされた。悠のお姫様は私ではなく、彼女なのだと。
ショックは受けたけど、納得してもいた。醜い私よりも、煌びやかなプリンセスの方が彼にはふさわしい。
それなのにあの女は。
悠の一番の女は、悠を捨てて夢を選んだ。
『……なに、それ』
白鷺さんが海外に行くことを知ったとき、胸に抱いたのは怒りだった。
ふざけるな、と。悠の傍にいる権利を得たくせに悠から離れるなんて、そんなのおかしいじゃないか、と。
怒りと嫉妬の火に薪をくべたのは、中学二年生の終業式でたまたま聞いた二人のやり取りだ。
『これで最後、か』
『……えぇ』
『空港、やっぱり行っちゃダメか?』
『ダメ。ここで終わりにするって話したでしょう?』
『…………そうだな』
二人は別れることを選んだのだ、と知った。
『だったら……私が、悠の女になってやる』
シンデレラが王子様を捨てるなら、醜い魔女が王子様を貰ったっていいはずだ。
でも、醜いままじゃ王子様に選んでは貰えない。それまで見てくれに頓着してこなかった私は、自分に魔法をかけるために中学校生活最後の一年を費やした。
計算外だったのは、悠に新しい彼女ができたこと。
一つ年下の、個性的な女の子だ。だけど二人でいるところを見た私は、一目で悠がまだ白鷺さんへの未練を断ち切れていないと気付いた。遠くないうちに二人は別れると読んでいたし、事実、別れたらしかった。
そうして高校生になり、私は変わった。
髪を染め、ピアスホールを開ける。彼の好みかと聞かれると微妙だけど、この姿なら私は自信をもって魔女をやれると思った。
悠の一番になるためには正攻法じゃダメだ。魔女らしく、搦め手で攻める。
私は幼馴染という立場を利用し、悠にとって一番楽な女になると決めた。
『悠もさ、私みたいな気楽な女の方がいいんじゃない? 疲れてるでしょ、重い女は』
我ながら、嘘が上手い女だな、と思う。
私の嘘と恋は成就して、私たちは恋人になった。
……けれど、その関係が終わるのも一瞬だった。
驚きはしなかった。悠はそういう男だって分かってた。
それでも私は――白鷺さんと違う。
終わっても、終わらせない。元カノになっても悠の特別であり続ける。それこそが悠の女になるための一手だと分かっているから。
彼女になるのは、ただ悠の日常に潜り込むための布石に過ぎない。
だから私は元カノ兼セフレになった。
そして今朝。
【MISAKI:少し会えないかしら】
悠の胸の中で目覚めた私は、彼のスマホ画面に表示された通知を見て、ハッとした。
白鷺さんが帰ってくるのは知っていた。それを悠が気にしていることも、分かっていた。
でも白鷺さんから連絡してくるのは、ちょっと予想外だ。
だから私は見なかったふりをして、それなのに、こんな風に悠を追いかけてきてしまったのだった。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」
駅前で、悠の絶叫じみた声が響く。道行く人が訝しげな視線を向けているのには、悠も白鷺さんも気付いていない。
一体、何に驚いているの?
というか、どうしてこの駅に……。
――もしかして、そういうことなの?
「ま、ついていけば分かるか」
ある可能性が頭をよぎっている間に、悠と白鷺さんが歩き始める。
血色の運命の糸が絡まっている予感を抱えながら、それでも振り落されぬよう、私は二人の後を追った。