第03話『セフレの元カノ』
四月から住むことになる家の下見は無事終わった。
その過程でシェアハウスのメンバーに安芸がいることが判明したのでちっとも『無事』ではない気もするが、今は考えないことにする。
まぁ、シェアハウスのメンバーは俺たちのほかにあと二人いるので、安芸と二人きりというわけではない。安芸だって他人の目があるところでは弁えるだろうし、滅多なことにはならないだろう。
帰り際に、
「愛海ちゃんを泣かせたらぶっとばすからね!」
と母さんに言われたのはちょっと怖かったけど。
このままでは俺の個人情報が危ない。
「でもまぁ、泣かせるなってのは事実だよな」
どれだけコメディなノリで接しても、俺が安芸を傷つけたのは事実だ。
否、本当はもっと酷い。
だって俺は彼女と別れた後に――。
「あれ、開いてる……?」
アパートに帰ってきた俺は、抵抗のなく開いた部屋のドアに違和感を抱く。
幾らボロいとはいえ、流石に鍵がかからないほどの欠陥住宅ではないはずだ。でも、鍵をかけ忘れた記憶もない。朝の精神状態は確かにいつもと違ったが、それでも戸締りを忘れない程度には一人暮らしに慣れているつもりだ。
ってことは、もしかしてあいつか?
思い当たる節があった俺は、恐る恐るドアを開く。
玄関にはピンクのスタンスミス。ああやっぱり、と胸を撫で下ろした。
「おい、三船。勝手に入るなって言ってるだろ。せめて来るときは連絡しろって」
「うっさいなぁ。まずはただいま、でしょ。はいやり直し」
「うぜぇ……家主に向けてなんたる言い草だ」
「家賃払ってるのは悠じゃないでしょ」
「屁理屈をこねるな」
俺のものであるはずの部屋では、だら~んと一人の少女がくつろいでいる。
黒猫みたいなボブヘアーの彼女は、俺の文句をのらりくらりと躱し、ぱらぱらと漫画を読んでいた。
「そういう口うるさいのが嫌で別れたんだよ」
「付き合っていた頃に口うるさくしたことなんて一度もないんだが?」
「そこは『そういうところが嫌いだったんだよ』『こっちこそ』って言い合いつつ、実は未練たらたらアピールするところじゃないの?」
「アホか」
やれやれと肩を竦めつつ、手を洗って少女の横に腰かける。
三船は面倒そうに起き上がると、ん、と何かを求めるような視線を送ってきた。
「なんだよ」
「リピートアフタミー、た・だ・い・ま」
「やけにこだわるなぁ」
「はやく」
「……ただいま」
「ん、おかえり」
満足そうに細める彼女の名前は、三船のどか。
三船とは幼稚園の頃からの腐れ縁だ。中学時代に疎遠になったが、高校で再会。髪に赤のインナーカラーを入れ、ピアスホールも開けているというTHE不良生徒な見た目に変わっているのを見たときはだいぶ驚いたものだ。
「っていうか、いきなり合鍵で忍び込んでおいて人に礼儀を説くのはどうかと思うぞ」
「合鍵を渡すのが悪い」
「じゃあ返してもらうか」
「なっ、それはダメだから! 合鍵は元カノの特権!」
「違うからなっ!?」
合鍵が元カノの特権だとすれば、俺は三本も合鍵を用意しなきゃいけなくなるだろうが。しかも一人はストーカーだし。
と、ここまで言えば分かると思うが、俺と三船はかつて恋人だった。
『私たち、付き合わない?』
去年の夏休み。
唐突な三船の告白に俺は驚き、目を丸くした。
『急だな……俺のこと、好きなのか?』
『ま、好きかな。顔はいいし』
『そりゃどうも。けど、そんな浅い理由で付き合うのか?』
『激重感情がいいなら、重く愛してあげてもいいけど。私的にはあんたとセックスできたらそれでいいかなーって』
『せっ、なっ……!?』
ぷくくっ、と三船は心底愉快そうに笑った。
『うっわ、初心な反応。もしかして童貞?』
『やかましい。そっちこそ経験あるのかよ?』
『ないけど、華のJKになったからにはヤリまくりたいじゃん。かといって男遊びって柄じゃないし。悠と付き合うのがいいかなーって』
『…………』
『悠もさ、私みたいな気楽な女の方がいいんじゃない? 疲れてるでしょ、重い女は』
そうだ、なんて頷けるほどクズではなかった。
でも、弱虫ではあった。
初恋に囚われ続けるのも、一番にしてあげられなかったせいで傷つけるのも、もう嫌だった。それくらいなら軽く付き合って、なぁなぁな軽い関係を続けた方がいい。
それでいつか「若気の至り」って笑えればいいじゃないか。
そんな風に考えた俺は、三船の告白を受け入れて。
俺たちは恋人になった。
とはいえ、そんなライトな恋人関係を続けられるほど俺は強くなかった。
白鷺や安芸の顔が頭をよぎっては胸が痛んで、最後には俺から別れを切り出した。
『そ。ま、別に別れてもいいけど』
『すまん』
『謝られると重いし。……あ、別れる代わり、一つ条件つけてもいい?』
『条件?』
『ん。私に恋人ができるまではセフレとしてもうちょっと付き合ってよ。さもなくばパパ活とか援交に走るかも』
挑発するように言う三船の表情が初めて見るほど真剣だったから、断ることができなかった。
そんなわけで。
三船のどかは元カノであり、セフレでもあるのだった。
「ま、冗談は置いておいて。合鍵返すとシたいときに困るし、返すわけにはいかないんだよね」
「RINE……で、連絡されても困るか」
「でしょ。そういう私の気配りを無下にされるのは業腹なんですけど」
「あー、悪かった悪かった。俺が全面的に悪かったよ」
実際、RINEを安芸に見られたら大変なことになるだろう。そういう意味では、何も言わずに家に来てもらった方がありがたいっちゃありがたい。
だが……。
「前から言ってるけど、四月にはここ出てシェアハウスに住むんだからな?」
「分かってるって。ま、その辺は色々考えてあるから大丈夫。最低、ラブホ行くし」
「あっ、そう」
こういう関係をダラダラと続けるのは違うんだろうな、と思う。
でも、三船が始めてくれた軽い恋人関係を終わらせたのは俺だ。その責任はきちんと取るべきだろう。
これ以上考えるのはやめにして、時計を見遣る。買い物をしてきたこともあり、なんだかんだもう夕方だ。
「腹減ったし、飯作るけど。食うか?」
「ん。ご飯も食べるし、悠も食べるから」
「……盛るのは後にしてくれませんかねぇ」
くつくつ笑ってから、三船がメニューの希望を出してくる。
カレーをご所望、と。
しょうがないなぁと苦笑しながら、俺は買ってきた材料と冷蔵庫の残りを使ってカレーを作る。
ゆったりと流れる、間抜けな時間。
心地いいな、と仄かに思った。
◇
「んぅっ、んっ――ッ!」
「そろそろ、もう……」
「いいっよ、きてっ、ちょーだい」
突き抜ける甘い電流が、刺激的で心地いい。
体と体の境界がなくなってしまうんじゃないか。そう思うくらいにクラクラとして、やがて限界に達する。
――どくどくどくっ。
吐き出すように体が震えた。
「んっ……ゴム越しでも、どくどくいってる」
「あんまり動くなよ。破れたら困るし」
「ん」
そっと引き抜き、コンドームを外す。
口をきゅっと縛って三船に渡すと、彼女は愉快そうにツンツンと指でつついた。たぷんと揺れるゴムを見ているとどうにもばつが悪くて、そっと目を逸らす。
「今日も気持ちよかった。やっぱいいよね、悠は」
「俺以外とシたことないくせに」
「シたくならないんだからしょうがないじゃん。それとも……早く解放してほしい?」
ごろんと布団の上に寝転がり、試すように聞いてくる。
「こういうの、重い? こんなめんどくさいセフレとはさっさと縁を切って、綺麗になりたい?」
「…………」
「そうすれば、元カノとヨリを戻せる?」
「――ッッ」
ああそうか、と思い至る。
知ってるに決まってるよな、白鷺と俺のこと。
「ニュース、見たのか」
「ま、流石にね」
「だから来たのか?」
「さぁ」
肩を竦める三船。
曖昧な返事が、無為に響いた。
ちく、ちく、ちく、ちく。
時計の針の音で刻まれる沈黙が、ヒリヒリと皮膚に食い込む。
何かを言わなければいけない気がして、なのに何を言えばいいか分からなくて、ジョークじみた言葉を絞り出した。
「元カノのことをいつまでも忘れられないってのは、幻想だぞ」
「それ、元カノに向けて言う?」
「確かに、言えてるな」
曖昧な三月の夜が溶けていく。
くすくす笑った三船と毛布にくるまったら、お互いの体温を確かめ合うようにしながら、眠りに落ちる。
もう悪夢を見ませんように、と。
胸の内でそっと願った。