第02話『ストーカーの元カノ』
電車に揺られながら、ついSNSを見てしまう。
白鷺岬の三文字が含まれる発信は一万件を超え、すっかりトレンド入りしていた。それだけ白鷺が日本国内で期待されていた、ということだろう。
けれど、目につくのは優しい言葉ばかりではなかった。
『簡単に諦めるとか所詮は雑魚w』
『自分が一番じゃないと気が済まないってだけじゃん』
『説明責任ちゃんと果たせよな』
『自分大好きなメンヘラ発言笑』
SNSは汚言の吐き溜めだ。
誰もが胸に汚い感情を抱えている。それを吐き出す場はきっと必要だし、SNSはまさしく汚言のバケツのようなものなのだろう。頭ではそう理解していても、苛立ちを覚えてしまう。
相手はまだ、高校生のガキだぞ? お前らが勝手に背負わせたんじゃないか。
「はぁ……」
よくないな、と自嘲する。
身勝手なSNSの声にいちいち心を動かしていたら擦り切れてしまう。俺は当事者でも関係者でもないのだから、そもそも気にかける必要もない。それでも気にかけている時点で、白鷺の帰国を特別に意識してしまっていることを何より雄弁に示してしまっている。
白鷺岬は元カノだ。
しかも、疎遠になった元カノ。もう関わることはない。
考えているうちに、目的の駅に着く。
電車を降りて改札をくぐり、目的地までの経路を地図アプリで調べる。徒歩五分程の距離ということもあり、ざっと地図を見ただけで道のりはおおよそ理解できた。
スマホを持ち続けていると下手にSNSを深追いしてしまいそうだったので、電源を消してポケットにしまう。
そうして歩くこと五分弱。
見えてきたのは、割と大きめの一軒家だった。
「へぇ、ここが……ん?」
一応写真で何度か見ていたので、その一軒家には覚えがある。
しかし、俺の目の前には予想外の光景が混じっていた。
「悠くん先輩のちっちゃい頃の写真、欲しいです!!」
「あら、ほんと~? そういうことなら今度探してみようかしら」
「ぜひ! あっ、むしろ私に探すの手伝わせてください! ついでに親戚の皆さんにご挨拶もしたいのでっ!」
「ふふっ、それはいいわねぇ。まったく、悠ったらこんなにいい子に好かれちゃって」
絵に描いたおばさんのような喋り方でにこやかに笑うのは俺の母さん。
問題は母さんが話している相手だった。
栗毛色のお団子が可愛らしく、少しちんまい美少女。
リスを彷彿とするような小動物感と愛くるしさには、痛いほど見覚えがあった。
いや、見覚えがあるのは当然だろう。
だって彼女は――
「なっ、なんでここに安芸が……?」
「あっ、やっときた! 不肖後輩系元カノ、悠くん先輩がシェアハウスを始めると聞いて駆けつけちゃいました☆」
白鷺と別れた俺が付き合い、そして別れた元カノなのだから。
「は、はぁ!? なんでそのことを知ってるんだよっ?!」
「それはもちろん、日頃のストーキングの成果ですよ?」
「なにが『もちろん』なのか分からないんだが!?」
「まぁ、それは乙女の秘密ってことで! とりあえずお家に入ってから話しましょう!」
「いや、それで流せるわけないからな?」
「こら、悠。男のくせにうだうだ言うんじゃないよ」
「母さんが入ってくると一気にカオスになるんでやめてもらっていいですかね?」
……と、いうわけで。
俺は安芸と母さんの勢いに押され、ひとまず家に入ることになったとさ。
◇
広めのリビングと小綺麗なキッチン。
充実した共有にスペースに、それぞれの個人部屋や浴室、トイレなどが繋がっている。ざっと見た印象としては、まぁここでなら共同生活できそうかな、というものだった。
話の発端は、母方の親戚がシェアハウスの管理人を始めるという話が舞い込んだことだ。家はあるものの、肝心の入居希望者がいない。そこで母さんが「あてはないか」と相談されたらしい。
コストはアパートの家賃より幾分か安いし、高校にも近い。共同生活が面倒というデメリットを踏まえても、メリットの方が多く、四月からの入居を決めた。
で、今日は念のための下見だったわけだが。
「改めて聞くぞ。安芸はどうしてここにいるんだ?」
「さっきも言ったじゃないですか。悠くん先輩がシェアハウスをするって聞きつけたからです」
「あのなぁ?」
「ってゆーか、悠くん先輩もそろそろ慣れましょうよ。私がストーキングし始めて今年で二年目ですよー?」
「最近は大人しくなってただろうが!」
「それは受験勉強があっただけです! ストーカーをやめるつもりは毛頭ありません!」
えっへん、と胸を張る彼女の名前は安芸愛海。
俺の高校時代の後輩だ……という紹介で終わらせるのは、些か不十分だと言わざるを得ないだろう。
俺と安芸は約半年の間、付き合っていた。
白鷺との別れの傷が癒えない俺に、安芸は寄り添ってくれた。とびきりに明るくて自由で、けれどその奥に臆病さを秘める安芸。俺は彼女に惹かれていき――中三の夏休みに入る頃に告白され、付き合うことになった。
誓って、中途半端な気持ちで付き合ったわけではない。安芸は魅力的な女の子で、安芸の彼氏であろうと努力した。しかし、安芸は俺の奥底に沈殿する白鷺への未練を見透かしてしまう。
『今の私じゃ、まだ先輩の一番になれてないんですね』
『っ、そんなことは――』
『そんなことありますよ。だって、私が一番になれてるなら、先輩はそんな悲しい顔をしないはずですから』
『……っ』
『私は欲張りなんです。彼女になるなら、一番がいいです。それ以外はヤです。だから、別れてください』
嫌だなんて言えるわけがなくて。
卒業を控えたバレンタインデーの日、俺たちは分かれた。ありふれたカップルの話だ。別に、特別なことじゃない。
唯一特別なことがあるとすれば……安芸が元カノ兼ストーカーになったことだろうか。
「悠くん先輩ってば、知らないんですか? 敵を知り己を知れば百戦危うからず、と言ってですね。よーく情報収集することが大切なんですよ?」
「……それとこれとは関係ないだろ」
「ありますって。私は悠くん先輩にちゃんと好きになってほしいんです。この戦いに勝つためには、悠くん先輩のことを全部知らなくちゃダメなんですよ! 毎日何時に起きて、何を食べて、誰と会ってるのか。ぜーんぶ知りたいんですっ♡」
「っ!?」
ぞわっ、と寒気が背筋を這う。
え、なんか笑顔が怖いんですけど。付き合ってるときにはそんな笑顔見たことなかったんですけど!
去年の夏頃からはストーキングされなくなったので愛想尽かされたんだろうと納得してたのに、全然そんなことなかったし。
「と、まぁそういうわけで、ですね」
「……どういうわけなのかは、もう納得しないことにするよ」
「愛の力ってことで」
「あぁうん、ちょっと違う気がするけど納得しておく。それで?」
「健気な後輩のあしらい方が雑すぎませんかねってツッコミはしないであげますね」
だって安芸のペースに呑まれたら危ない気がするし。
そうこう考えている間に、こほん、と安芸が可愛らしく咳払いをした。
「愛の力で悠くん先輩がシェアハウスを始めると聞いた私は、これはアタックのチャンスだと思い、入居することにしたんです」
「へぇ……へ? 安芸もここに住むのか?」
「ですです。高校生になったから一人暮らしはしたいなって思ってたんですけど、パパが心配性で。信頼できる先輩とのシェアハウスって話をしたら、簡単に認めてくれました」
「それ絶対に信頼できる先輩の性別への言及はしてないよな?」
「聞かれなかっただけですもん」
「お前なぁ……?」
元カレとシェアハウスとか知ったら、安芸の父親だって認めなかったに違いない。
あぁ、なんか頭痛がしてきた。
こめかみに手を添えて、はぁ、と溜息を吐く。
「そーゆうわけなので、よろしくお願いしますね。悠くん先輩っ」
これも、きっと罰なんだろう。
かくして俺は二人目の元カノとシェアハウスをすることになった。