紫煙外伝‐喧嘩っ早い極道のアネゴ達‐
「優、今まで言ってなかったが……実はお前には許婚がいるんだ」
名雲優は十六歳の誕生日に、父・辰雄から初めてその事を知らされた。
その事実をニオわせる素振りなどの伏線は今まで一切なしで。まるで、いきなり降って湧いた話であるかのように……である。
聞いた直後、優は当然の事ながら驚愕した。
そして驚愕のあまり、ロウソクを吹き消した後の誕生日ケーキを切り分けるためにケーキナイフを掴む前に、その手が止まる。
「ングッ! 許婚? 優だけ? あーしは?」
するとその直後、パーティーで出されたおかずを食べていた、優と同じく誕生日である優の姉・勇は、口内に入れていた料理をすぐ飲み込むと、辰雄に質問した。
「あーしも今日十六歳だけど! 親父、あーしにゃおらんのかね許婚?」
「残念だが」
辰雄は苦い顔を、ほぼ同じ顔をした子供達に向けた。
「勇、お前の許婚になりうるヤツは……優の許婚と同じく、母ちゃんが死ぬ前から探してたんだ。けど全然見つからなかったんだよ。年齢や性格や趣味を考慮して、お前と釣り合うと思う子が。ちなみに今も探している最中だ。だからな勇、お前の場合は……待つか、自分から探しに行くか、どっちかだな」
「うそぉーん!? 優だけズルいー! 依怙贔屓だぁー!」
「ちょ、姉さん落ち着いて」
食器をテーブルに置いてジタバタと、まるで欲しいオモチャを買ってもらえない子供のように駄々をこねる姉を必死に優は宥めんとした。
二卵性双生児であるが故に、そこまで顔は似ていないが、それでも似ている部分も、よく見れば見受けられるため、まるで自分が駄々をこねているかのような錯覚を覚えてしまい、少々恥ずかしい気持ちになりながら。
ちなみに、姉の気持ちが分からない優ではない。
勇は優と比べて積極的な性格だ。そしてそれ故に、優よりも常に先を行っている……優にとっては憧れの存在であり、そんな姉をずっと見てきたのだ。そしてよりによって誕生日に、その優位性の一部が覆されたのだ。悔しがるのも仕方ない、と優は思う。
「こら、勇! 食事の席で暴れるんじゃない! っと、そうだ優。明日、その許婚がウチに来るから」
「……は?」
すると、その時だった。
辰雄にさらなる突然のお知らせをされ、優は姉を羽交い絞めにせんとした格好のままで驚愕し……勇に声をかけられるまでそのまま固まった。
※
「えっと、初めまして……飛崎、陽です」
「初めまして~。陽ちゃんの母の和泉です~♪」
次の日。
辰雄が告げた通り、許婚は母親と共に名雲家にやってきた。
飛崎陽と名乗ったその許婚は、短い黒髪を生やした和装美人……同じく和装美人にして、童顔である母・和泉を、さらに幼くしたような容姿をした少女だ。そしてまだ幼さが残るその顔立ちと、身長から考えて、少なくとも優や勇より数歳ばかり年下のように、優には見えた。
「ちょ、優ッ」
優の許婚である陽を目にするなり、勇は優だけに聞こえる小声で……楽しそうに言う。「見た感じ中学生ッ。手ぇ出したら事案じゃんッ♪ 残念だね、あ~んな事やこ~んな事をすぐできなくて♪」
「ちょ、姉さんッ」
初顔合わせの時に言うには問題発言であったため、慌てて優は勇を叱る。
「あら~。もう手、というか口は出されてるわよ~」
「「…………は?」」
すると、その時だった。
優にしか聞こえないほどの小声であったにも拘わらず、話を聞かれていたどころか、その事実をも上回るような爆弾発言を……なんと飛崎和泉がした事で、優と勇は思わず呆然となった。
「ちょ、母さんその話はッ」
「いやいや、飛崎さん、その話はさすがに」
途端に陽と辰雄は慌て始める。
しかし和泉は、まるで先ほどの勇のように楽しげな顔で「いえいえ~。ここまで来たらさすがに言っておかないと~。陽ちゃんだって後ろめたい事実を抱えたまま結婚したくないでしょ~?」と言葉を返す。
「いやまだ結婚すると決めてないし! 父さんが勝手に決めた相手がどんなヤツか見極める前から拒絶するのは仁義に反してるから来ただけだし!」
すかさず陽は、そう反論するが、そこまで必死に反論されると、いったいどんな事情があるのか。優と勇の中で怖いもの見たさの心理が働き、気になってしまう。
たとえ『既に手どころか口を出していた発言』の全容であろうとも。
「実はね~。陽ちゃんが産まれて退院した後、二人は覚えていないと思うけど~、ウチに遊びに来た事あるのよ~。でもって、その時に勇ちゃん、陽ちゃんにチューしてたらしくて~」
「「…………ぇ……?」」
そして、優達の願い通り明かされたその事実は……陽を赤面させ、逆に辰雄……だけでなく、優と勇も青ざめさせるには充分な威力を持っていた。
「いやね、チューだけなら、私もそこまで怒らないけど~」
どこか凄みを……まるで背後に般若が見えるかのように感じる笑顔で……和泉は告げる。
「その時、陽ちゃん鼻が詰まってたのね~。そしてそんな時にチューとかされたら窒息の危機だったワケなんですよ~。そうなる前にウチの組の人が気付いてくれて本当に良かったけど~……下手したら陽ちゃん死んでたかもしれないから、という事で~、その責任を取る意味も兼ねて~、最近アクティブになってきた陽ちゃんを適度に抑える意味でも~、物静かな優ちゃんが許婚に選ばれたのでした~♪」
「…………姉さんが始まりかッ」
「…………ぁ……あーしの自業自得かぁ!!」
まさかの事実が発覚し。
名雲家の双子は驚愕のあまり各々声を上げたのだった。
※
飛崎組と名雲組。
共に、関東を中心に活動している極道組織『伊勢川会』の傘下にある極道組織であり、組織内の同じ派閥に属する組織だ。
そしてそんな組織のもとで産まれた者は、カタギとは、簡単には付き合えない。大抵の者が極道と関わりたくないからだ。
そしてそれ故に彼らの子供達は、カタギな彼氏彼女がいない場合に限り、貴族の令息や令嬢の如く、親密な関係にある組織同士の結び付きを強くするため、親密な組織の子供と結婚したりするのだが……。
※
「こっちとしては、あまり気にしないでほしいね」
名雲組の本拠地である名雲家の広大な庭を、散策しながらの事。
そんな組織に所属する中学生である陽は、高校生である優と勇を前にしても遠慮なく、まるで同年代であるかのように話しかける。
「命の危機ではあったワケだけど、それを盾に結婚を迫るなんて仁義に反するし。だから私としては……今は、普通の友人として二人と付き合いたいね」
「そう言ってくれると助かるよ」
陽の気遣いに、優は安堵した。
「いや、陽さんと許婚である事が嫌とかじゃなくて……」
「フッ。分かってるよ」
優と勇に微笑みを向けつつ陽は言う。
「だから改めて、これからもよろし……うぁっ!?」
「あ、ありがとー陽ちゃーん!」
だがその言葉は、感極まり泣き出した勇が陽に抱きついた事により途切れた。
「あーし小さかったから覚えてないけど! でも許してくれてありがとー!」
「もう、姉さんったら」
「……ああもぅ、分かったから。もう泣かないでおくれ」
許婚になった経緯を知り、陽に対し責任を感じていた勇の感情の発露に、陽と優は思わず苦笑した。だがおかげで、すぐにお互いの腹の内をある程度知れたため、優達はすぐに、腹を割って話せる仲になったのだった。
※
それからも、陽と名雲家の双子の付き合いは続いた。
許婚としては男女二人でデートなりする方がそれらしいかもしれないが、三人にとってはこの距離感がちょうどよかった。
構図としては、物事に対し積極的な陽と勇を、優がある程度抑える感じではあるが、その絶妙なバランスこそがそれぞれに良い影響を与え合っていた。
物静かな優が、少しずつ行動的になったり、陽と勇が自分を、ある程度抑える事ができたりなど、それはそれは、互いが所属する組にとっても良い影響を。
※
「兄ちゃん、マブい女二人連れてハーレムですかぁ~ん?」
だが、その構図が齎すのは良い影響だけではなかった。
男一人に女二人と、ハタから見れば、関係性を知らなければハーレムに見える事間違いなしな構図であるせいで……なんと優達の正体を知らない地元のチンピラ共に、三人が街中で絡まれる事態が起きてしまう。
「姉ちゃん達、そんなヒョロい野郎と一緒にいても楽しくないでしょー?」
「俺達と一緒にイイコトしに行かなぁ~い?」
「…………あーし達もナメられたもんだねぇ陽ちゃん」
「そうですねぇ勇さん。私達の事を知らないばかりか、力量差を計れないなんて。寧ろ哀れみさえ覚えます」
ありきたりな台詞を聞き、陽と勇は……青筋を浮かべながら言った。
「というか弟を侮辱されて、あーしは激おこぷんぷん丸だよ」
「奇遇ですね。マブいと褒められた分が帳消しになるほど、私も親友を侮辱されて激おこですわ」
「ちょ、ちょっと二人共!」
声色からしてヤバい雰囲気を察した優が、すかさず二人を止め……改めて正面のチンピラ共に向き合った。
「君達、ケガしたくなかったらとっとと去りなさい」
自分達の力量差を、痛いほど理解しているが故に!!
「あぁ~ん? カッコつけてんじゃねぇぞヒョロヒョロ野郎が」
「彼女達の前でカッコ良いトコ見せたいんですかぁ~? 無様な姿を晒すのがオチだぜヒャッハッハー!」
――その時、拳は動いた。
――チンピラの一人の拳が、優の顔へと。
優のバランスが崩れ、アスファルト製の大地に倒れた。
反射的に優は、腕で辛うじて、受け身をとる……すると直後に、その腕に痛みが走った。受け身に失敗したのか、それとも――。
「「…………テメェら」」
――するとその時、二人の拳が動いた。
「あ、ヤバ」
咄嗟に優は、再びチンピラ共に忠告をしようとしたが……時すでに遅し。
なんと陽と勇の拳は、とっくにチンピラ共の内の二名をぶん殴り、向かいの建物の壁に相手がぶち当たり……一撃で気絶した。
「手ぇ出したって事は」
「逆にぶん殴られる覚悟があるって事だよねぇ?」
そして、陽と勇は……残りのチンピラ共に氷のように冷たい眼差しを向けつつ、指の関節をポキポキと鳴らし始めた。すると対峙するチンピラ共は……ここに来てようやく、自分達の力量差を理解し後ずさりを始めた。
しかし、後ずさりするには少々遅かった。
「よくもあーしの弟を傷付けてくれたなこの野郎!」
「このオトシマエ……百万倍にして返してやるよ!」
そして……今度は二人が動いた。
反射的に、チンピラ共は応戦しようとする。
だが……優には結果が見えていた。
※
勇は小さい頃から喧嘩が強かった。
ちょっと激しい運動しただけで節々を痛めるほど体が弱い優とは反対に。だから優は勇と喧嘩したら秒で負けた。
そしてそれは、名雲姉弟のそれぞれの性格を決定付けた。
優は物静かで、激しい運動を滅多にしないような性格に。
逆に勇は、そのパワフルな身体能力もあって積極的な性格に。
そして陽は……なんと勇並みに心身が強かった。
これまで付き合ってきた中で、優はその事を知って。
そしてそれ故にチンピラ共に警告したのに。
彼女達は、喧嘩を売られて誰かの背後に隠れるようなか弱い女性ではないのに。
寧ろ、喧嘩を売られ……さらに大事な親友を傷付けられて、義憤に駆られ戦いを挑むという、男以上に男前な性格をしているのに。
そしてそんな、強い女性達だからこそ……優は姉に、そして陽に出会ってからは彼女にも憧れているというのに――。
※
――優の警告も虚しく、嵐の後のような有様でチンピラ共は全滅していた。
「全く、私達に喧嘩を売るなんて」
「あーし達の最強伝説もまだまだだねぇ」
「いや、伝説も何も僕達が出会ってから昨日まで喧嘩してないでしょ!?」
痛めた腕を押さえつつ、優はツッコミを入れた。
「というか、どうするのさこれ!? 下手したら決闘罪やら何やらで僕らが御用だよ!?」
「正当防衛で通せばよくね?」
「あーしも陽ちゃんに同じく!」
「いや過剰暴力!」
再び優はツッコミを入れた。
彼女達が自分のために戦ってくれた事に対しては、感謝している。
そしてついでに言えば、カッコ良くも感じているのだが……さすがにその喧嘩っ早い性格だけはどうにかしてほしいと、優は思わずにはいられなかった。
止められなかった自分の不甲斐なさも悪いとは思いつつも。
「全く。とりあえず親父達に知らせるしかないじゃないか」
そして携帯電話を取り出しつつ、優はさらに思う。
次までには、それぞれ違う意味で姐御たる二人を、なんとか止められるくらいの力を手に入れておきたいと、強く。