茶番 婚約破棄
「ロザリー・アシュリタレア、そなたとの婚約を破棄するッ!」
セントクレア学院、卒業パーティーにて。
学院長の祝辞だとかが一通り終わり後は皆、お疲れ様でしたのんびりパーティーを楽しんでいってね、とまぁ、要約するとそんな感じのあとはもう小難しい話も何もないイベントになった直後、そんな声が響き渡る。
一体何事か、とざわりと空気が揺れる。
しかし声の主が誰か、というのが判明した後はそのざわめきも大分小さくなってしまった。
声の主はギルバート。
この国の第一王子であった。
彼に婚約破棄を突き付けられた令嬢――ロザリーは公爵家の娘である。
「理由を……いえ、聞くだけ野暮ですわね。えぇ、その婚約破棄、承りましてよ」
対するロザリーは、しかし婚約破棄を突き付けられたとは思えない態度でにこやかにそれを了承した。
ギルバートの隣に寄りそうように佇んでいるミリシア男爵令嬢を見れば、理由は一目瞭然だったからだ。
ざわり、と静まり返っていた周囲が再び騒めいたのは仕方のない事だったかもしれない。
「あぁ、そうだな。そして私は新たな妻にミリシアを迎え入れる。
王命に背いた私は今日をもって王子という身分を捨て、市井に下る事を宣言しよう!」
「私もまた、ギルバートの妻として貴族の身分を捨て同じく市井に下る事を誓います」
そのざわめきの中宣言された言葉で、更に周囲は騒めいた。
「さて、平民となった私たちがこの場にいるのはおかしい。だからこそ我らは速やかにこの場を辞させていただこう」
「はい、皆さま、お騒がせいたしました」
ミリシアが周囲に向けて頭を下げる。
「えぇ、お幸せにね、二人とも」
一体何が起きているのかわからない。
そんな感じで場が混乱に陥りかけている中、ただ一人、ロザリーだけが二人を祝福していた。
その混乱の中を颯爽と二人は立ち去っていく。
かくして、卒業パーティーにて行われた婚約破棄騒動は幕を下ろ――すはずもなく。
まぁ結論を言わずともわかる事だが、当事者は速やかに連行された。
この場合の当事者とは勿論ギルバート、ミリシア、そしてロザリーだ。
三人は学院から王城へ連行され、通されたのは謁見の間。
そこにはギルバートの父である国王アランドルフと、正妃リーリア。そして第二王子リオン。ロザリーの父であるアシュリタレア公爵と、ミリシアの父であるドマニ男爵がいた。
完全にお説教の流れだが、ギルバートもロザリーも平然としている。少しだけ申し訳なさそうにしているのはミリシアだけだ。
「うん、まぁ、これ聞かないと話進まないから聞くけど。どうしてそうなった?」
威厳も何もあったもんじゃない、といった口調ではあるが、アランドルフが問いかける。
完全にお説教の流れ、ではあるのだが。
何というかアランドルフもリーリアも、アシュリタレア公爵もドマニ男爵も怒り心頭という様子ではない。どちらかといえば困惑の方が勝っている。
「どうしても何も、ありのままそのままが全てですが」
あっけらかーんとした様子でギルバートが告げる。
むしろどうして理解されていないんだろう、とでも言いたげだ。
「聡明な国王陛下ならばもうご理解されているでしょう」
「聡明にも限度があるんだわ」
威厳も何もあったもんじゃない口調で即答する。
「いやあの、ホントにな? この場は公式の場じゃないから畏まられても困るし素直に証言してほしいという気持ちでいっぱいだから、多少の無礼は許すけども。
なんでわざわざあんなことした? 怒るけど正直に言えば怒り度合いは少なめにするから正直に話しなさい」
「なんで、と言われても。ああすれば廃嫡されるだろうなと思いまして」
「廃嫡されたかったのですか?」
「? じゃなきゃあんな真似しないでしょう」
リーリアの言葉にすんなりとギルバートは頷く。
何もわからず仕出かしたわけではなく、そうなるために仕出かしたのだ、と言われれば余計に困惑するしかない。
最初、この話がリーリアのところへ届けられた時、リーリアは巷で最近流行っている演劇の内容を思い出していた。
よくある身分差のある恋物語。貴族と平民だとか、王子と下位貴族の娘だとか。そしてそれらを良しとしない悪役令嬢の介入。
艱難辛苦を乗り越えて、最後には身分差を乗り越えて結ばれるストーリー。民草に人気のそれを、リーリアは思い浮かべてしまったのだ。
だってそうだろう。
王子。
男爵令嬢。
王子の婚約者である公爵令嬢。
これだけで既に役者がそろっているといっても過言ではない。
けれども思い浮かべただけで、この三人がそうであるとは思わなかった。
王道と言えるのは悪役令嬢が今まで嫌がらせをしていた事を暴かれ、婚約破棄を突き付けられて今まで虐められていた側の女と結ばれてハッピーエンド、というものだが、中には捻ったストーリーも存在する。
悪役令嬢が実は無実で、悪女に騙された王子の悲劇的ストーリーであったりだとか、実はロクでもない王子によって振り回されていただけの可哀そうな令嬢の話だとか。
派生ストーリーはたっぷりと存在している。
その中でも勧善懲悪に近い話は割と人気であるので、リーリアも時々それらの話をチェックしてはいたのだ。とはいえ大っぴらに出向いたりはできないので、本当に大まかにざっくりと、でしかないが。
王という重圧に飲み込まれそうな所にそれらを気にせず王族ではなく彼個人として見てくれる令嬢に気持ちが傾き……とかそういう展開はよくあるのだが、そういうのは大抵婚約破棄を突き付けても自分が王族である事を捨てるとかいう展開にはならない。結果として悪役だと思われた令嬢がヒロインだと思われていた身分が下の娘と浅慮な男を断罪し返す話なんてのもあるのだが……正直この三人はそれにも該当するとは言えない。
だからこそ余計に謎なのだ。
何故わざわざこのような事をしたのか、と。
「そもそも私は王の器ではありません」
疑問に思いそれぞれが一体どうして……といった表情を浮かべている中で、ギルバートはきっぱりとそうのたまった。
「そんな、兄上!?」
即座に声を上げる事ができたのは、リオンだけだ。
「真に王に相応しいのはリオンです。ですが、今のままでは私が王となり得てしまう」
「兄上が王に相応しくないなどあるわけがないです! だって兄上、貴方はいつも努力してきたではありませんか!!」
それを否定するようにリオンもまた叫んだ。
ここだけを見れば麗しき兄弟愛……と言えたかもしれない。
けれどギルバートはそんなリオンを「空気読めよ」と言わんばかりに見ていた。思っていたのと違う反応をされて、リオンもまた「あれっ?」という表情になる。
駄目だこりゃ……みたいな顔をしてギルバートはロザリーとミリシアに視線を向けた。
二人の令嬢は心得ているとばかりに小さく頷いて、お互いにそれぞれ近寄って距離を詰める。
そして小声で会話を始めた。
「やはり……事前にリオン様の協力も得ておくべきだったのでは」
「いや、あいつを巻き込むと上手く事態が収拾できない、と言ったのはロザリーだろう」
「えぇ、むしろ何も知らないままの方がナイスアシストしてくださると思ったのですが……」
「中途半端に善良な奴はこれだから……」
「では、やはり当初の筋書き通りに?」
「あぁ、全て父上が悪いのだという方向性でいこう」
「最初からそうした方が良かったかもしれませんわね」
小声でぽしょぽしょと話しているが、困った事にそれらはすべて筒抜けである。
聞こえてきた会話に、だからこそその場にいた者たちは困惑した。
だってどう見ても卒業パーティーでやらかした奴らの会話じゃない。
というか、当たり前のようにリオンが貶されてるし、ましてやこの先の話は国王であるアランドルフが悪いという事になってしまうらしい。いやあの、そういう謀は基本本人に知られないようにやるべきではないのかね……? と公爵も男爵も思ったし国王もまたそう思ったのだが、三人は聞かれている事をわかっているのか、はたまたあえてなのかもわからないような態度でもってそれぞれが向き直った。その時にロザリーだけがちょっと王子とミリシアから距離を取っている。最初に呼び出された時と同じ立ち位置だった。
「そもそも事の発端、全ての元凶は父上、貴方にあるのです!!」
ずびしっ! と指を突き付けギルバートが叫ぶ。
いやうん、今その方向性でって言ってたもんね。とは思うが、だからといって全て私が悪いのだ、とはならない。アランドルフからすればどういう事だとしか言いようがない。
「ギルバートよ、そなたが卒業パーティーでやらかした事は聞き及んでおる……だからこそこうしてどういう事かを聞くために関係者を集めたのだ。だが、そなたのやらかしの原因が私にある、というのはどういう事だ。
ロザリーは素晴らしい令嬢だ。王命で婚約を結んだとはいえ、そなたとロザリーの関係は悪いものではなかっただろう。それをあえて衆人環視の中で破棄するとまで宣言した、その意図が、原因が、私にある、と?」
公の場ではないと言い最初は割と砕けた口調でどういう事よ、と聞いていたアランドルフもギルバートの言葉に少しばかり真面目な雰囲気を出しつつ問いかける。
内容如何ではマジでブチ切れる事も辞さない。
パパがぼくをこんな風に育てたんだから仕方ないんだもん全部パパが悪いんだもんえーんえーん、みたいなノリだったら間違いなくキレる。
いざとなったら拳で語り合う事も……と考えていたアランドルフであったが、しかしギルバートの次なる言葉はアランドルフの予想とは異なっていた。
「なんというか貴方、タイミングが悪すぎるんですよ!」
「……タイミング? どういう事だ」
「御自覚がない!? それもそれで大概ですね。まず、貴方がさっさと世継ぎを作らなかったのが第一の原因です。三年、この国では三年の間に子ができなければ王は側妃を迎える事になる。それは勿論ご存じのはずです。だからこそ、私が生まれた」
いきなり話が飛んだようにしか思えないそれに、アランドルフは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたし、正妃リーリアは少しばかり気まずそうに目を逸らした。
「正妃に何も問題などなかった。ただ、その頃貴方が仕事にかまけてばかりで正妃を放置していたからこそそうなってしまった。これに関しては城の者の多くに確認を取っているので今更言い逃れはできませんよ」
「む、むぅ……それは、確かに」
アランドルフとて、別に子を作りたくないとかそういうわけではなかったのだ。ただ、当時は色々な事情によりホントに忙しかった。それこそ寝る間を惜しんで仕事をしなければならなかったくらいには。
そしてリーリアはそれを理解した上で支えてくれた。文句などあるはずもない。
けれど、子作りを二の次にしていたのは事実だ。しかし優先順位としてはまず放置してはいけない問題ばかりだったので、必然的に子を作るというものが後回しになってしまったに過ぎない。
だが国の法に基づいた結果、三年で子が生まれなかったので側妃を迎える事になってしまったのも事実。
アランドルフにはリーリア以上に好いた女がいたというわけではなかったが、それでも決まりは決まりという事で側妃を迎える事になってしまったわけだ。
そしてそれが、ギルバートの母である。
ギルバートは第一王子ではあるが、彼は側妃の息子であり正妃の子ではない。正妃の子は第二王子であるリオンだ。
「私が生まれた一年後、リオンが生まれました。そもそも側妃を迎えることなくさっさとリオンが生まれていれば、こんな事にはならなかったんですよ。私は生まれてきてはいけない存在だったのです」
「そんな!? いくら兄上でも言っていい事と悪い事がありますよ!!」
悲鳴じみた声がリオンから上がる。
「お待ちを。ギルバート王子、貴方、どこかの派閥から何か言われたのですか……?」
あまりにもあまりなセリフが飛び出したため、ロザリーの父である公爵がそう問いかけるのも無理はなかった。
現状次の王にと言われているのは第一王子であるギルバートだ。彼はしかし側妃の子であるため、後ろ盾と呼べるものが若干心許ない。それもあって公爵令嬢であるロザリーとの婚約が結ばれていたはずだ。
そして、その婚約にほとんどの者は反対などしていなかったように思う。
正妃の子である第二王子派も勿論存在していたが、しかしギルバートは優秀な王子であった。これで能力的にもいまいち……といったものであれば第二王子派がもっと過激な行動に移っていたかもしれない。
ギルバートとリオンの仲がそこまで悪くないのも、派閥が率先して争うような事態にならなかったというのもある。これでもうちょっと不仲ですけど、みたいな空気があればこぞってそれぞれの派閥の者たちはそこらで牽制し合い小競り合いを繰り広げたかもしれないのだ。
「いいえ。しかしこれは事実です。私が生まれなければ、そもそもこのような事態は起きませんでした。これというのも父上が子を作るタイミングが悪かったせいです」
「あれ、そういう話になっちゃうの?」
セリフの前半だけ聞けばともかく、後半になった途端に全部の罪をかぶせられた気がしてアランドルフもシリアスな空気から一転、ちょっと声が裏返った。
「そもそも私は王の器ではないのです。それはもう昔から言ってました。とはいえ王族として生まれた身、そういった教育を拒むわけにもいかずこなしてきたのも事実です」
「あ、あぁ……」
アランドルフはもう何を言っていいのかわからない、とばかりに、けれども相槌だけは打った。
王の器ではない、と本人は言っているが、ギルバートは優秀だ。だからこそ次の王になるのは彼だとアランドルフもまたそう決めていた。でなければわざわざ後ろ盾強化の為にロザリーと婚約させたりはしない。
ギルバートは昔からよく将来私は廃嫡される身だから、と言っていた。全くもって面白くもなんともない王族ジョークというか王子ジョークなのかと思っていたけれど、まさかアレ本気で言ってたのか……? とすら思う。
ギルバートには側近と呼べる者もいるにはいるが、常に身近に控えさせているわけではない。むしろ結構な距離がある。それでも上手く回っているので何も問題ないと思っていたし、そこら辺よく知らない者が王子に近づいて自分を取り立ててもらおう、なんて考えたとしても、まずそういった相手には「廃嫡される身の自分に近づいても旨味など何もないぞ」と真顔で言うのだ。
本気か冗談か区別がつかない。むしろかなり大真面目に本気寄りの言葉に聞こえるせいで、擦り寄って甘い汁だけ吸おう、みたいなタイプはもしかして本当に廃嫡されるのでは……? と思って最終的に近づいてこなくなる。
アランドルフからすればそれはギルバートなりの処世術なのだろう、とか考えていたのだが、どうやら本気でそのつもりだったようだ。今よくわかった。それにしたってどうなの、と思うけれど。
「仮に私が王とならずとも、リオンもまた優秀です。血筋も、才能も備えている。彼を王にしないなど、この国にとって大いなる損失です」
「う、うむ……」
なんだ、滅茶苦茶弟推してくるな……とアランドルフは彼の真意がわからず困惑するしかない。
王になりたくないからこそ、卒業パーティーであんなことをした……というのはわかった。けれど、なんというか、だ。
「廃嫡されたいからこそあえて大勢の者がいる場で婚約破棄を……?」
「えぇ。あれだけ大勢の者たちの前でやらかせば、今更なかった事にはできないでしょう」
「いやうんそうなんだけどね……」
アランドルフは自らの顎鬚を撫でつけつつもそう言うしかなかった。
基本的に婚約をなかった事にしたい、というのであれば当事者たち同士でやり取りをするわけで。それをあえて大勢の無関係な者たちの前でやらかすというのは、醜聞以外の何物でもない。だからこそ、あの時の婚約破棄はうっそでーす、なんて王家から言えるはずもない。あえてあのような事をしでかしたのだから、何らかの処罰は下って然るべきなのだ。
「し、しかし兄上……」
それでも納得できなかったのだろう、リオンがなおも声を上げようとする。しかしギルバートはにこり、とリオンに向けて微笑んだ。
「私が王にならねばリオン、お前が王だ。そうなれば必然的に妃教育を終わらせているロザリーがお前の妻となるだろう。私が廃嫡されれば、という話になるが。
望むところではないのか? 夜な夜なお前、私に呪いをかけていただろう」
「ぐぶぅ!?」
にこやかに言う事だったかなー? という感じではあるが、あまりにもさらっと言われたせいでリオンの口からは何だかわからない鳴き声のようなものが出た。
呪い、の一言でアランドルフとリーリアもまた目を見開いてリオンを見た。
「遥か東方の国に伝わるウシノコクマイリ、とかいう呪いだったか? あれに近い感じのやつをやっていただろう。とはいえ、略式化されすぎて原型留めてないし何の効果も発揮していないが」
「あばっ、兄ッ、兄上!?」
「お前の初恋はロザリーなんだろう? なら、私が廃嫡されてお前が次の王にとなれば、ロザリーが王妃だ。お前の妻となる。初恋が叶うし邪魔者も消える、だというのにどうして引き留めようとしているんだ?」
心底意味がわからない、とばかりに告げるギルバートに、しかしリオンはそれどころではない。
「ななな、何の事でしょうか兄上!? 呪い!? ちょっと意味がわからないんですけれども!?」
「ははは、そう慌てずとも。最初はお前が何をしているのかわからなかったからな。ロザリーに聞いた」
「わたくし、その手の呪いの儀式とか少々造詣がありますので」
「王家に対して恨みを持つ者はそれなりにいるだろうからなぁ。そういう知識があればもし何かあっても対応できるだろう、と思って学んでいたロザリーには助けられたな」
「えぇ、とはいえ最初リオン様が何をやろうとしていたのかわからず判明するまで少々難航しましたが……」
「呪いたい程の相手だったのだろう? 良かったじゃないか、邪魔者は消えるぞ」
「あばばばばばばぎゃばあああああああああ!?」
顔を真っ赤にさせてリオンは奇声を上げながらその場を転げまわった。両手で顔を覆ってごろんごろんとそこかしこを転がっている。
無理もない。
初恋の相手がいて、しかもその恋心を暴露された挙句、その彼女の婚約者――政略とはいえ――を呪ったのだ。しかも相手は自分の兄。それらがこの場にいる者たちに知られたのだ。恥という概念があればそりゃこうなる、と言われても仕方のない事だった。
全く何の効果もないとはいえ呪いは呪いだ。純粋に兄を慕う弟のようであったリオンの裏の顔といっていいかはわからないが、とりあえず見た目通りの純真な弟というわけではない、と知られてしまった。
一通り転がりまわったところでリオンは顔を両手で覆ったまま身体を縮こませ、
「コロセ……いっそコロセェ……」
とひんひん泣いた。
好きな女の前でとんだ醜態である。
だが、その好きな相手の前で自分は普段慕っている兄をしかし恋敵でもあるので呪い殺そうとしました、と宣言したようなものだ。堂々と挑んで玉砕したならまだしも、陰でコソコソ呪っていたのだ。しかもバレてる。
やり方が根暗・陰険・陰湿と言われても仕方ないし、何というかどう考えてもこんなのバレて「そこまでわたくしの事を……!? ポッ」なんて惚れてくれるはずもない。むしろ普通にドン引きされる方が有り得る。
聞こえてくるロザリーの声からは軽蔑といった感情はないけれど、それにしたってこの状況でリオンはロザリーの顔を見れるはずもない。うっかり目が合って道端に落ちている虫の死骸でも見るような目を向けられたらきっと立ち直れない。それもあって、リオンは両手で顔を覆う事をやめなかった。
アランドルフはここが公の場じゃなくて良かったな、と思った。
身内、関係者のみ集めただけの場だからまだしも、他にも大勢の者がいるような状況でこんな事になってみろ。今までの第二王子のイメージがそれでなくとも大幅ダウンしたのに、それが他の者たちの目に触れていたらそれは噂となって広まっただろうし、そうなればリオンの今後の人生に関わりかねない。
ギルバートが王になった場合、リオンは婿入りしてどこかの貴族の家に、となる予定ではあるがそんな噂が駆け巡ってしまえば結婚相手を決めるだけで難儀するかもしれない。
しかしギルバートの望み通り彼を廃嫡してリオンを王にしても、そんな失態を見せたのであれば王家の面子も潰れる――とまではいかないが、まぁ侮られるのは言うまでもない。
本当に、公の場として彼らを集めなくて良かった……とアランドルフは内心で安堵の息を吐いた。
「しかし、だな。その、いくらなんでも廃嫡するほどのものではなかろう。確かに卒業パーティーでやらかしたとはいえ、そこまで台無しにした、という感じでもなかったわけだし……」
そう。実際やらかしたとはいえども、彼らは婚約破棄を宣言したとはいえ、それだけだ。
例えば民の間で人気のある演劇でありがちな、悪役令嬢がヒロイン的立場の女性を虐げただとか、そういった展開があったとは言っていない。
婚約破棄を突き付けて、突き付けられた側はあっさりとそれを了承。
ここで王子と共にいる女が私がこの国の王妃となるのよ! とか言い出していたならまた違ったかもしれないが、王子も男爵令嬢も身分を捨てて平民になりますと宣言までしたのだ。
いやまぁ、確かに演劇なら身分の差はロマンチックさのエッセンスになるけれど、現実問題だとそんなロマンとか一切無いわけで。
身分の低い娘と結ばれるためには、愛人だとか妾だとか、そういった立場でしかないだろうし、それがイヤなら王子が身分を捨てる必要がある。
王族としての立場のまま身分の低い娘を自分の妻にしたい、とはなれないしならない。
あまりにも潔く身分を捨てる! と宣言したせいもあって、周囲は巷で人気の演劇のオマージュか何か? くらいにしか思っていないのだ。どろどろの恋愛劇というわけでもなく、むしろ破棄された令嬢が爽やかに見送っていたくらいだし、ちょっとした出し物かな? とも。
あと学院でもギルバートは自分に近づいてきた奴に対し「近々廃嫡される予定だが何か?」とよく言っていたので、またあの王子何かやらかしたのかな、とか思われていた。
つまり、確かに話題になりはすれども、そこまでセンセーショナルな出来事というわけではない。
だからこそ余計にアランドルフは頭を悩ませていたのだが。落としどころを上手く見つければ、何事も無かったことにできるのではないか、と思えるのだから。
だがしかしギルバートはそんなアランドルフを見て何かを察したのだろう。
「父上。何を悩んでいるのかは知りませんが、ご決断を。今こそ私を廃嫡する時なのです!!」
「お前のその廃嫡に対する情熱なんなの?」
もう王の威厳とかかなぐり捨てた。そもそもここで威厳たっぷりに話しても逆に滑稽。まだ床では第二王子が「コロシテ……コロシテ……」とか鳴いたまま転がっているし、その状態で自分だけ王の威厳を漂わせても意味がないだろう。
「そもそもだな、この程度でお前を廃嫡するなど、そなたの母も納得せんだろうよ」
そう、この場にはいないギルバートの母。側妃ディーナ。
彼女はここ最近体調が思わしくないらしく臥せっているためこの場にはいなかったが、もしそうでなければ彼女もまたここにいたに違いないのだ。
「母上の納得とかどうでもよいではありませんか」
「よくないだろ。いくらなんでも自分が知らない間に息子が廃嫡されてたとか、第二王子の陰謀だとか言い出して城内で争いが勃発するぞ」
「では、今のうちに母上をどうにかしないといけないわけですね。側妃の立場を無かったことにする事は?」
「無茶言うなぁ……」
「そうですか? じゃあこのまま放置か……」
「まぁ、ディーナ様はではこのままにして見殺しにする、という事ですのね」
「ちょっと待った何か今とっても物騒な言葉聞こえたんだけどおおおおお!?」
思わず玉座から立ち上がってアランドルフは叫んだ。
「ちょい、ちょいちょいちょい! ギルバート、お前何をした!? 怒るとは思うけど正直に言えば多少怒りをおさめるかもしれないから正直に言いなさい!」
「何、と言われても……薬を盛りました」
「正直にとは言ったけども! そういう返答は望んでなかった!!」
しれっと言ってのけたギルバートに、正妃リーリアは思わず扇子で顔の下半分を隠した。
側妃ディーナと正妃リーリアの仲は、可もなく不可もなくといったところだ。親友のように親しい間柄というわけでもないが、別段派閥争いだとかをして城の中で争うほどでもない。お互いにお互いの立場を弁えて接しているといった方が正しい。
確かに彼女は自分の息子を王に、という野望があったと思う。そういったものが時々交わした言葉の端々にあったのはリーリアでも理解している。けれども、ギルバートは優秀な子で、彼が王になったとしてこの国が傾くとも思えない。であれば、この国の行く末を思えばこそ次の王に相応しいのであればリーリアが反対するはずもなく。
ギルバートがもっと気弱な人間で、王になった後母であるディーナが彼を傀儡として国を好き勝手しよう、とかそういうのができるようならギルバートを王に、という話も反対したかもしれない。けれどもギルバートはそういった意思の弱い人間でもないので、そうなる事はないだろうと思われていた。だからこそ、彼はこの国の次なる王と言われていたのだ。
「ちなみに、一体何を盛ったのかしら……」
「正式名称は控えますが……一時的に精神が上向きになってとても気持ちよくなるけど、その後一気に体力が落ちて倦怠感に見舞われる依存性のある薬です」
「それ麻薬って言わない!? 出所はどこだ!?」
「出所と言われましても……庭ですが」
「庭ぁ!?」
リーリアの問いかけにあっさりと答えたギルバートであったが、どう考えてもそのお薬は危険な代物でしかない。効果を聞いてもそうだし、ましてや依存性があるとかいう時点でどう考えてもアウト。麻薬じゃなければ何らかの毒と言っても過言ではない。
「うちの庭にそんな物騒なの生えてたっけ!?」
「えぇ、まぁ」
しれっと言っているが、ギルバートのその反応に「ん?」とアランドルフは疑問を抱いた。
「待て、ギルバート。お前そう言ってはいるが詳しくはないな? 吐け、きちんと吐け」
「……母上に与えられた温室で育てているハーブと、リーリア様に与えられた中庭にある花と、あとはまぁ……他にもそこかしこにあるやつを」
「あの、ギルバート様がハーブティーを作るんだ、と言ってあれこれ話を聞かれたものですから、僭越ながらわたくしがどういったものがあるのですか? とお伺いしたところ……一部ちょっと怪しい薬の材料になるものがありまして」
「流石にミリシアさんが城に来るのは問題になるだろう、という事でわたくしがそれらを調達し、調合いたしましたの」
「ファーーーー」
立ち上がったアランドルフはそのまま脱力して倒れこむように玉座に座る形となった。
知識の提供・ミリシア。
素材の調合・ロザリー。
そして実行犯・ギルバート。
こんな力の合わせ方されても……と思う内容だった。
「ギルバート、お前な、仮にも実の母になんって事を……!」
「ですが父上。あのまま母を野放しにしておけば、被害に遭っていたのはそちらですよ」
「え……? 聞きたくないけどどういう事?」
「私が王になった後、その母という事でもっと実権を握るつもりだったんじゃないですか? とはいえ、堂々とそれをやるにしても邪魔者がいる。そう、父上、正妃、第二王子。
母上は温室でこっそりと毒草を育てていました。それを使い、貴方がたを亡き者にする予定だったのです。
それよりも先にこちらが薬を盛ったので、実行には至りませんでしたが……放置しておいた方が良かったですか?」
「なん……だと……!?」
流石に聞き捨てならない発言だった。
「母が毒を盛ろうとしていた証拠はいくつか揃えて私の部屋にあります。それを踏まえて、そんな女の産んだ子ですよ。ほら、廃嫡したくなってきませんか?」
「何でいきなりワクワクしだすの……いや、じゃなくて。え、何、ディーナ本気で毒を盛るつもりだったの?」
「えぇ、一応今はまだ薬の依存性があるといってもそこまでではないので、まだ、引き返せる感じではありますが……どうしましょう。このまま更に薬を投与しますか? このまま更に投与すると精神的な高揚感はあるけど身体は倦怠感たっぷりでロクに身動きもとれないまま衰弱死しますけど」
実の母親に対する発言とは到底思えない言葉だ。
しかし、もし本当にディーナがアランドルフたちを亡き者にしようとしていたのであれば、それは当然の処分と言えなくもない。
もしディーナが実際に毒を盛ったとして、成功率は半々といったところだろうか。
アランドルフは側妃をそこまでないがしろにしているわけではなかったし、時折二人きりで茶を飲みつつ話をしたりもしていた。だからこそ、彼女が自ら作ったと言われて出された茶菓子あたりであればきっと口にした事だろう。
リーリアもまた、ディーナとの仲は良くも無ければ悪くもない。それでも時々話をする仲ではあったし、たまには母親同士で話でも、なんて誘われれば無碍にはしなかっただろう。そこで出された茶や菓子とて、一口も食べないという事はしないはずだ。
リオンがディーナと二人きりになる事はないと思うが、ギルバートを交えて、となればどうなっていたかわからない。そうでなくともアランドルフかリーリアと一緒に、と誘われてしまった場合は危なかっただろう。
絶対ではないけれど、かなりの高確率で危なかったのだとわかる。
アランドルフは開いた口がそのままになってしまっていたし、リーリアは扇子で顔の半分を隠しているがその顔色は先程よりも若干悪い。リオンはまだ床に転がったままだが、覆っていた手を外してギルバートを見ていた。
ロザリーの父である公爵と、ミリシアの父である男爵もまた顔色は良いとは言えなかった。
この二人は話のほとんどをアランドルフがしていたため余計な口は挟まない方がいいだろう、と思って黙っていたわけだが、それにしたって聞こえてきた話の内容が色々と酷すぎる。
なんて馬鹿な事をしてしまったんだうちの娘は……と思っていただけのはずが、知らぬ間に王家の危機であったという内容だ。そりゃあ言葉を失うのも無理はないだろう。
「むしろ廃嫡しておかないと、あの母が仮に復活したとしてロクな事になりませんよ。というか王や正妃、更に第二王子に毒を盛ろうとした事で罪人として然るべき対処をしたうえで、その息子である私もやむなく廃嫡する事にした……とかの方がおさまりが良いのではないかと」
「む、むぅ……」
アランドルフの口からとても苦々しい声が漏れる。
今までは単なる王子の暴走かと思ったが、実は何気にこちらの身の危険もあったのだとなると事態をなるべく上手におさめよう、となってもどう考えてもそこかしこに火種が燻る状態になってしまう。
ディーナがやろうとしていた事は未遂で済んでいるけれど、だからといって無罪にしてはいずれまた何かをやらかさないとも限らない。
ギルバートが王となったとして、しかしそこでディーナの思い通りにならなければきっと彼女はやらかすだろう。既にそういった疑いがもたれてしまっている。
アランドルフはちら、とリーリアを見た。
リーリアもまたアランドルフを見ていた。
お互い何を考えているか、というのがその目に浮かんでいる。
ディーナの件がなくともギルバートは廃嫡を望んだだろう。けれどもただ廃嫡してほしい、なんて言われてもする理由も必要もなければするはずがない。そういう意味ではディーナの企みは上手い具合にギルバートに利用されたといってもいい。
ディーナの企みがなければ、もしかしたら他に何かをやらかして廃嫡に持ち込んだ可能性もあるが……仮にその計画を問うたとして今は何の意味もない。それよりも……
「仮にお前を廃嫡したとして」
「していただけるのですか!?」
「仮に、と言っただろう。途端にワクワクしだすなイキイキするな。目を輝かせるでない!
廃嫡されて、お前その後どうするつもりなんだ?」
ちっ、という舌打ちと、なーんだ、という小さな呟きはしっかりとアランドルフに聞こえていた。むしろ聞こえるようにやったのだろう。本来であればなんだその態度は、と叱るのだが、むしろそれを待ち望んでいるように見えるのであえてアランドルフはそれをスルーした。
お叱りの言葉が出てこない事を察したギルバートはアテが外れた、みたいな顔をしていたが、廃嫡された後の話をされてそれにこたえるべく口を開く。
「農夫になろうかと」
「思った以上に潔い」
「領地経営とまではいきませんが、土いじりはとても性に合っているので実は前々から手伝いをさせてくれるところで色々と勉強しているところなのです」
「……なんなのお前のそのアグレッシブさ……え、っていうか次期後継者としての勉強とかでとてもそんな時間取れるような感じじゃなかっただろうに」
「そこは頑張って前倒しして必要な部分は終わらせて自由時間を捻出しました」
「無駄に優秀な奴め……」
「そして私の廃嫡される未来想像図を受け入れてその後の人生を共に歩もうと決めたのが、こちらのミリシアです」
「うちの男爵家も正直微妙なところですし、仮にわたくしが婿を迎えても近々爵位を返還、わたくしがどこぞに嫁入りしても、微々たる援助でやっていけるとは思えませんし」
「ミリシア!?」
思わず叫んだのはミリシアの父だ。そりゃまぁ叫びもするだろうな、という話ではあるが。
そりゃあ確かに貧乏貴族と言ってしまえばそうなのだけれど、近い将来没落するだろうな、とまで思われてるとは思ってなかったのだ。確かに貧乏だけれども、それでも細々と貴族やってく程度にはどうにかなる、くらいの状態だったので。
いっそ娘の方が潔いなとアランドルフは思う。
「わたくしも薬草とかそういったものに興味があるので、ギルバート様と共に農業に従事しようと思いまして」
体力づくりは万全ですよ、とむん、とミリシアは拳を握り言っているが、正直華奢な令嬢でしかない。おいおいホントかよ……といった目で見ていたアランドルフであるが、ミリシアは見た目こそ華奢で抱きしめたら折れそうなか弱さもあるけれど、その実中々に力強いお嬢さんであるのだ。
ギルバートはお忍びでミリシアと共に出かけた時にうっかり街でごろつきに絡まれた事があるが、その時はミリシアが瞬殺した。一体その細い身体のどこにそんな力が……とのされたごろつきたちは思ったし、ギルバートは拍手喝采してミリシアの強さを称えたので、疑わしげにミリシアを見ている国王と正妃に全くこの人たちは見る目がないな、なんて思って見ていた。武器を持っての戦いとなるとわからないが、素直に拳だけでの戦いなら側近の将来騎士団を背負って立つ男より余程強いと言ってもいい。
「……それで、一体どこで農夫になどなろうというのだ……」
色々教えてもらった、という言葉から、アランドルフは他国に行くと言い出したりはしないだろうとは思っていた。しかし教わった事を胸に他国でやっていこうと思います、とか言い出しかねないので油断も安心もできない。
「それは我がアシュリタレア領ですわ。丁度お二方が望む立地のいい場所があいていますの」
「開墾は任せろ!」
「土壌開発、品種改良ばっちこいです!」
「いやあの、今からそういうやる気を見せるのやめてもらえないかな……」
王の言葉ではあったけれど。
残念ながらそれは華麗にスルーされてしまった。
しかし、とアランドルフは考える。
本来ならば廃嫡されるような王族は幽閉するかどこか遠くの不毛の地へ追放と相場が決まっている。子を作れないようにした上で市井に、という方法もあるけれど、あくまでもそれはそれだけの事をしでかした相手に対してだ。
自ら廃嫡されたがっているギルバートではあるが、彼の望み通りに廃嫡したとして、しかし今までの廃嫡されたであろう者たちと同じようにはできないだろう。
何せギルバートは廃嫡されるほどの事をしたわけではないのだ。彼の母であるディーナに関してを含めたとしても、本来王である自分とその正妃、更にはその子まで毒殺……まではいかなかったとしても、毒を盛ろうと計画していたくらいだ。ディーナであれば裁きを与える、となるだろうけれど、しかしその息子であるギルバートも同様に……とはならない。
実の母にヤバい薬を使用してしまった息子だが、結果的にこちらが助けられたという形になってしまっている。なのにギルバートを裁くとなるというのは流石に問題にしかならない。
だがこのままであったとしても、恐らくギルバートは身分も何もかもかなぐり捨てて出奔する可能性もある。そこまで無責任な事はしないと思いたいが、リオンという存在がいる以上自分がいなくても問題ないと思っている節がある。いや、事実そう思っているのだろう。
であれば、公爵家が力を増してしまいそうな気がするが、それでも自国内で常に様子を確認できる状況というのはマシに思える。他国に出てそこで力を付けて担ぎ上げられて、なんて可能性はゼロではないのだ。ギルバートがそう簡単に誰かの思惑に乗ってやるとは思っていないが、いかんせん己の目的と相手の利害が一致してしまえばそんな事あるはずがないよ、なんて楽観的にもなれない。
「ですが……ロザリー? 貴方はそれでよろしいのですか? ギルバートが王族と言う身分を捨てるとなれば、必然的に次の王になるのはリオンです。今から他の令嬢に妃となるべく教育をするとなれば時間がかかりすぎる、だからこそ、貴方は必然的にリオンの妻となりこの国を支えなければならない。
本当に、それで良いの?」
リーリアの言葉に、ロザリーは未だ床に転がっているリオンを見た。
「リオン様」
「ひゃ、ひゃいっ!」
ゆっくりと近づいて、ロザリーは床に転がったままのリオンの前に跪いた。そうしてその名を呼べば、リオンはぽーっと顔を赤らめてまるで恋する乙女のような表情を浮かべる。
「リオン様は、わたくしの尻に敷かれる覚悟がおありかしら?」
「クッションがわりでも靴置きでも喜んで!!」
「では、将来はわたくしの尻に敷かれつつも馬車馬のように働いて国王としてこの国のために尽くせるかしら?」
「勿論! 逆に言えばそれだけの事をすればロザリーが尻に敷いてくれるんですよね!? やらない意味がありません!! やったあ!!」
即答だった。
いや、それ即答しちゃっていいの? というような内容をよりにもよって即答だった。
ギルバートも大概だが、リオンも大概だった。
というか、喜んで尻に敷かれるという言葉のインパクトにアランドルフもリーリアもどういう顔をしていいのかわからなくなっていた。
一応、リオンも優秀ではあるのだ。実際ギルバートに何かあったら彼がこの国を継ぐ事は可能な程度には。とてもそうは見えないが、本当に優秀ではあるのだ。
しかし公の場ではない、とはいえ集められたここで、リオンは初恋の相手を暴露され、ましてや兄に呪いをかけていた事実を発表され、あまりにもあんまりな失態を晒すだけなので優秀と言われてもこの場にいる者――特に公爵と男爵からすれば、ほんとにぃ? と疑いの眼差しを向けたくなるもので。
あと両親からすれば我が子の見てはいけない一面を見てしまったという感情が強いのか、こちらも何とも言えない表情になってしまっている。国王も王妃もむしろ公の場にしなくて良かったとすら思っていた。
公の場にしていたら、王家の面子は大分潰れていたに違いないのだから。
「うふふ、それは何よりですわ。
リオン様がわたくしに文句がないのであれば、こちらも望むところです」
「ホントに? 本当にいいんですかロザリー!? 兄上のかわりなどではなく、本当にこの私を……!?」
「えぇ、わたくしとギルバート様の間に愛なんてものは存在しておりませんが、リオン様はわたくしに対して愛があるのでしょう? 今のわたくしに同じだけの熱量はありませんが、まぁ、長く共にいればいずれ絆されもするでしょう。
それにリオン様ならわたくしの望みを叶えて下さるでしょうし」
「なんでも! なんでも言ってロザリー。君のお願いならなんだって叶えてみせるよ!」
「では、わたくしを妃としてくださいますか?」
「勿論だよ!! いいですよね、ねっ!? 父上! 母上!」
熱に浮かされたような表情でリオンは両親を見た。
いくらこの場が公のものではないとはいえ、そういう決定を勝手に決められるのもな……とは思うのだが、ここで駄目ですとか言えばリオンが暴れ出しそうな予感。そもそも廃嫡されたがっている第一王子、恋い焦がれていた相手を妻にできるチャンスがやってきた第二王子という状況の中、廃嫡はしないしロザリーはギルバートの妻ですとか言い出せばどう足掻いてもロクな結末になりそうにない。
ギルバートはミリシアを連れて駆け落ちしそうだし、リオンもまた王に対して反逆をやらかしかねない勢いがある。
アランドルフはどうしたものかな……と言いだしそうな表情のままリーリアを見て、次に公爵、男爵の順に視線を移動させる。
この場にいる大人たち全員が困惑していた。
例えば誰かがこの三名を唆して、とかであればまだわかりやすかったのだが、そうではないらしい。
公爵の家も男爵の家も、娘が幼い頃に母を病で亡くしているので、むしろこの父親たちからすればすっかりたくましく育ってくれちゃって……といった雰囲気すら滲んでいる。アランドルフと意思の疎通はそこまでできていないが、この瞬間公爵と男爵は視線で通じ合う程度には意気投合できてしまっていた。
とはいえこの状況を手放しで喜べ、と言われるとそれは難しいのだが。
けれど、とアランドルフは思う。
もうこれ、収拾つかないんじゃないかな、と。
廃嫡されたがっているギルバートを無理に次の王にしてやる気のなさと惰性で国を動かされても、一時的にどうにかなっても後になってそれが悪いほうに傾く可能性は確かにある。ロザリーが妻として支えていけば最悪の結果にはなるまい。しかし、リオンの存在が問題だ。今ここで、リオンはロザリーを自分の妻にできるかもしれない、という希望が目の前にぶら下げられたも同然だ。だがギルバートを王に、となれば目の前のそれが一瞬で消えてしまうわけで。しかも身近な兄という身内の妻となって自分の視界に入ってくるのだ。
ロザリー恋しさに兄を呪うまでしていたくらいだ、更に拗れた場合今度は兄の暗殺などといった物理的に排除する方法を選びかねない。アランドルフは思った以上にリオンがアグレッシブであるという事実に気付き、その最悪の未来を瞬時に想像してしまった。
何事もなければ。
国は平穏に繁栄していくだろう。
けれど、何事もなければ、と言い切れない。不穏な要素がちらほらと見え隠れしている状態なのだ。
「…………結論を、下そう」
長い、長い沈黙の果て、アランドルフは吐き出すようにその言葉を口に出したのである。
「お久しぶりですね、元気にしていましたか?」
「まぁ、ロザリー様……えっ、ロザリー様!? 公務はどうされたのです?」
「夫に任せてきたわ。俄然張り切って引き受けて下さったのでこうして護衛を連れてではありますが、こちらに顔を見せに来る事ができましたの」
「まぁ、それはそれは。何分突然の事なので大したおもてなしはできませんが、よろしければこちらにどうぞ」
その来訪は突然であった。
来る、という連絡もなかったので心の準備もないままに出迎える事になってしまったミリシアは大層驚いたけれど、それでもどうにか部屋へ案内する。
貴族として暮らしていた頃の屋敷と比べれば簡素なもので、客をもてなすための部屋などがあるでもない。家族と共に食事をするためのスペースへこの国の王妃を案内して、一先ずこの家の中で出せる最高級の物を用意する。
「どうぞ。わたしが育てた薬草を合わせたお茶です。味はさておき身体に良い事だけは保証しますね」
「ありがとう。何だかんだ貴女の作るお茶、嫌いじゃなくってよ」
微笑むロザリーのその表情から、それがお世辞ではないと知ってミリシアはくすぐったそうにはにかんだ。
あの婚約破棄の一件から数年。
この国の新たな王にはリオンが、その妻には勿論ロザリーが。
今は新たな国王と王妃としてこの国を盛り立てている。
ギルバートは廃嫡される程のものがなかったとはいえ、側妃であり母であるディーナがアランドルフやリーリア、そしてリオンに毒を盛ろうとしていた事を公表し、そのような者がいる中で王になどとてもなれない、と宣言し自ら王位を捨てた。ディーナだけを罰すれば問題なかったところ、それだけではいずれ、同じような者が出た時に自分の罪もその程度で軽く済むと考える者がでないように……とかいう名目で彼は王族から籍を抜かれる事となった。
それっぽい名目があるけれど、概ね彼らの狙い通りの結果になったというわけだ。
現在はギルバートとミリシアは予定通りロザリーの生家があるアシュリタレア公爵家の領地で農民として働いている。
余裕はあれど土壌の関係かあまり発展していなかったその土地を、ミリシアが嬉々として土壌調査などをし、ここで育てるに最適だと判明した植物を育てている。ついでに品種改良などもしているため、以前は荒れた土地であったはずのそこは今では緑に覆われる事となった。
開墾は任せろ、と言っていたギルバートは言葉通り開墾し、更に周辺にいた獰猛な動物たちも狩ったため、二人に与えた土地だけではなく、その近辺も土地を荒らす害獣が減ってきた。
その結果収穫できる作物量がアップし、アシュリタレア領からすればウハウハである。
ついでにミリシアの作った薬草茶は本人曰くまだ味が微妙との事だが、それでも下手な薬よりは飲みやすく、また効能もそれなりにあるためかお年寄りに絶大な人気を得て爆発的に売れた。
おかげで薬草の生産が間に合わず、ギルバートは更なる開墾に勤しんでいるという次第だ。
ここに来たばかりの頃は二人だけだったが、今では数人ではあるが人を雇う程になっているのだ。
「やっぱりミリシアさんはわたくしが見込んだだけあるわ。農作物の収穫量が年々減っていたうちの領地が今では最盛期の頃とそう変わらなくなったのだもの」
「わたしだけじゃ、ここまでできませんでしたよ。ギルや、手伝ってくれる皆さんのおかげです。あと、うちにくればいいじゃないって言ってくれたロザリー様のおかげ、ですかね」
「うふふふふ、当時のわたくしの見る目は正しかったですわ。おかげさまで国もね、私腹を肥やすばかりでロクな働きもしない駄目な貴族たちを粛正して、無駄な政策を打ち切って、なんてやっていくうちに国全体の収益が上がりましたもの」
「あぁ、ロザリー様学院で言ってましたもんね。この国を牛耳りたいって」
「まぁまぁまぁ、覚えてらっしゃったのね。うふふふふお恥ずかしい限りだわ。でも、まだまだこれからですわ。この国で生まれ育って良かった、とそう思える国にしてみせます」
照れ笑いを浮かべるロザリーに、ミリシアもまたにこ、と微笑んだ。
貧乏貴族だったあの頃と比べれば、肉体労働があるだけに今の暮らしはそれなりに大変ではある。けれども今の方が余程充実しているし、生きてて良かったと思える程だ。
あの時、学院でロザリーが国を牛耳りたいなんて呟いていなければ。更にそれをうっかり聞いていなければ。
今の人生にはなっていなかっただろう。
更にロザリーの婚約者であったギルバートは廃嫡されて平民となりたい、などという始末。
質の悪い冗談だと思っていた者たちばかりだったが、ミリシアはその言葉が真実であると気付いてしまった。だからこそ、ミリシアは彼に近づいたのだ。
ロザリーもまた、国を支配するには王の妻という立場が必須ではある。ギルバートが夫になる事に問題はなかったが、本人がいつかふらっと失踪しそうな雰囲気も漂わせていたために、もっとしっかり自分の立場を盤石にできる相手としてリオンを選んだ。幸いギルバートからリオンはロザリーの事を好きすぎて夜も眠れないどころか奇声を上げる始末だぞ、なんて暴露されていたからこそ選べた道である。
概ねあの日、公の場ではないとされた時に望んだ結果通りになったと言えよう。
恐らく予想外だったのは、側妃ディーナだけだ。
彼女は自分の意思で何かをする前に息子に薬を盛られロクに動けない状態のうちに全ての悪事を明るみに出され、罪を犯した王族が閉じ込められるとされている塔へ入れられるどころか、身動きのできないまま自室で毒杯を賜る事になったのだから。
実際毒殺しようとしていた事があるので何も悪くないわけじゃないが、全ての黒幕、元凶のような扱いを受ける事になってしまった。
そうする事でしかもうあの事態を収拾できそうになかった、というのもある。
だが、結果としてほぼ全員が望んだ未来を手に入れた。
ギルバートは王族ではなくなり、ミリシアはギルバートと共に人生を歩んでいる。
ロザリーは王妃という立場を手に入れ、国を繁栄させるために。
リオンは兄と結婚するはずでもう手に入らないはずだった初恋の君が自分の妻となったのだ。
アランドルフやリーリアは既に引退しているが、発展していく王国の姿に不満があるわけもなく。
不満があるとすれば、今までこっそり悪事を働いていた者くらいだろう、というくらいに丸く収まっている。
「でもここまで上手くいくとは思いませんでしたねぇ」
「あらそう? わたくしはいけると思っていましたよ。何せ大勢の前で婚約破棄騒動を起こしたわけですもの」
「うーん、確かに婚約を破棄するッ! ってギルは宣言していたけど、あの後別に男爵令嬢を虐めていた公爵令嬢だとかって話が出るでもなければ、普通に受け入れて円満に解消された、みたいな状態だったじゃないですか。わたしあの作戦聞いた時廃嫡される覚悟があるなら、と思っていたけどそもそもわたしも罪人になる可能性が高かったし一応覚悟はしていたんですよ?」
「あら、だってミリシアさんは下位貴族としての礼儀も礼節も何の不足もありませんでしたよ。べたべたと馴れ馴れしく殿方に媚びを売るわけでもなく自分を可哀そうなヒロインとして捏造したりもしなかった。
ただ貴女はギルバート様の願いを叶えようと寄り添っただけ。これの何が罪になりましょう」
ふふ、と笑うロザリーに、ミリシアは思ってもいなかったことを言われた、とばかりに目をぱちくりとさせた。ギルバートとは確かに話が合った。
廃嫡されて王族ではなくなる予定だ、と言っていた彼の話を信じた。
農耕に興味があると言われ、作物や植物、薬草などに昔から興味があった自分の知識を活かせた。
とはいえ、王族という身分を捨てる事にさせた悪女という誹りを受ける覚悟もあったのだ。実際はなかったけれど。けれど、罪悪感がなかったとは言えない。
だが、ロザリーに何も悪くないのだと言われて。
今まで胸の中にあったしこりのような物が、ようやく取れた気がした。
「そっか……じゃあ、婚約破棄したのが今に繋がってるなら、悪い物でもありませんね」
「えぇ、少なくともわたくしたちにとって、婚約破棄は今の未来を得るために必要なものだった。それだけの話ですわ」
「ふふっ、そっか、うん、それなら良かった」
「あら、もしかして責任感じていらっしゃったの? そんな必要なかったのに。学院でお話した時もそうでしたけど、ミリシアさんは真面目すぎるのよ」
「わたし結構いい加減なところがあるって言われてたから、真面目すぎるって言われるとは思ってませんでしたよ、うふふっ、あー、おかしい」
貧乏貴族であるが故、将来に何の希望も見いだせなかった。さっさと爵位返還して平民になった方がマシだとすら思っていた当時、それでもせめて表面上は、と明るく見せかけていただけにすぎない。そのせいでミリシアはちょっと抜けてるところがあるだとか、深く物事を考えていないなんて言われる事ならあったのだ。
実際は黙っていると考えすぎるくらい考えてしまうからそうしていただけなのだが。
しかしまさかそれもロザリーに見抜かれていようとは……
今まで内面でうだうだ考えていた事全部無駄だったのよ、と言われた気になってミリシアは一周回っておかしくなってしまったほどだ。
そうして笑うミリシアにつられるようにロザリーも笑う。馬鹿にしているわけではなく、まったく仕方のない子ねぇ、というようなまるで母親のような笑みだった。
「ミリシア、今帰ったぞ……って何事?」
仕事が一段落して休憩の為に戻ってきた夫――ギルバートが戻ってきた時に見たのは、楽しそうに笑う二人の女性の姿だった。ちなみに壁に寄りそうようにして黙っているロザリーの護衛に関しては、完全に忘れられていた。
ふむ、と何があったかはわからんが大体わかった、みたいな顔をしてギルバートはそのまま途中で採取してきた野イチゴをざっと洗い、皿に盛って楽しそうにしている妻とかつての婚約者がいるテーブルに置いて――何事もなかったかのように退出した。彼なりの気遣いである。
えっ、行っちゃうんですか? とばかりに視線を向けてきた護衛についてはスルーである。
更に数十年後。
彼らが没した後、後世ではこう語り継がれるようになった。
様々な改革を行い国を栄えさせた女帝・ロザリー。
そしてそのロザリーと共に改革を行った賢王・リオン。
荒れ果てた土地を蘇らせた緑の聖女・ミリシア。
そしてその夫の開墾王・ギルバート。
彼らの話は様々な方法で伝えられていたけれど、そんな彼らがそうなるに至った最初の出来事が婚約破棄であった事は――後世の者たちにとっても知る由もなかった事であるし、また、自分たちが死んだ後でそんな風に語り継がれる事になるなんて話を、彼らが知る事もまたなかったのである。