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短編集(ちょい重めの文学作品)

屋上関係。 -屋上の合鍵を手に入れたら-


 キーンコーンカーンコーン。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 慌ただしく5限の準備をする生徒たちとは違い、日夏陽向は一人寝転びながら空に悠然と浮かぶ雲を眺めていた。


 5限はサボろう。


 彼は眠気に抗おうともせず眠りについた。

 


 屋上。

 それは、あらゆるドラマの温床。

 アニメ漫画ではほぼ間違いなく屋上が登場するし、恋愛作品では度々告白のシーンが描かれる。


 しかし当然のことながら、現実で屋上が解放されている学校は限りなく少ない。

 学生という心が不安定なものたちが通う学校において、屋上は自殺の温床になりかねないからである。


 多くの学生が、夢描いた理想との乖離に嘆いたのではないだろうか。


 彼もその一人だった。

 一年生で暴力事件を起こして停学になってから、彼の学園生活から居場所は消え失せた。

 クラスメイトは彼を恐れて距離をとり、彼もまたそんなクラスメイトに歩み寄ろうとはしなかった。


 勉強が不得意だった彼は、当然のように授業には出席せずにたまに出席した時にはいびきをかいて寝ていた。

 どんどん周囲との溝は深まり、「不良」日夏陽向を知らぬものはこの学校にはいなかった。


 昼休憩には別棟の屋上と続く階段に居座って弁当を食べた。

 別棟は一通りも少なく、開放されていない屋上へと続く階段を登ろうとする理由などない。

 もっとも、彼がそこにいることが広まってから、昼休憩に別棟に近づくものすらいなくなっていた。



 そんなある日、陽向がいつものように屋上への階段を登ると、そこに知らないおっさんが座っていた。


「げっ……こんなところにガキなんて来んなよ」


 ボサボサの髪と、よれたスーツ。

 露骨に嫌そうな顔をしたその男性は、見てくれは不審者でしか無かったが、れっきとしたこの学校の教師だった。


 藤岡先生との出会いが陽向を変えた。


 屋上に続く階段で他愛ない会話をする日々。

 藤岡先生はその年を最後に他校へ異動となった。

 そのことを離任式で知った陽向は、裏切られたと思い体育館を抜け出していつもの場所へと向かった。


 そこには屋上の鍵が落ちていた。

 『合鍵を作っておいた。青春しろよ、少年』という手紙とともに。

 陽向は離任式が終わるまで屋上で空を見上げていた。



〜〜〜



 奇跡的に進級が許され、陽向は二年生になった。

 それからは屋上を私物化していた。

 誰も屋上の鍵を持ってるなんて気づかれなかった。


 そんなある日、陽向がいつものように弁当を食べに屋上へ行くと、階段に知らない女がいた。


「本当に…………ふっふっふ。待ってたよ」


 立ち上がって何故か胸を張る女生徒。

 彼女を無視して屋上の鍵を開けて入った。

 すると、足を突っ込んで扉が閉まるのを阻止してきた。


「ちょっと待って無視は酷くない!?」

「……なんだよ、お前。ここは俺の場所だ入ってくんな」

「屋上の合鍵を作って自由に屋上に入ってるなんて私がバラしたら、日夏くん困るんじゃないかな?」


 女は焦って早々に切り札を切った。

 陽向からすれば、それが一番困ることだ。

 つまり、脅されているのだ。


「とりあえず入れてくれるかな。いや、屋上は日夏くんのものじゃないんだけど」

「……なんで俺の名前」

「日夏陽向くん。この学校で君のこと知らない人の方が珍しいんじゃない? というか同じクラスなんだけど。……あっ、ちなみ私の名前は『茅野 奏音(かのん)』ね」

「……で、何の用だ」


 ひとまず屋上に引き入れると、奏音はほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、陽向はすぐに扉を閉めると、奏音を壁際に追い詰めて逃げ場を防いだ。


「わお、急に壁ドンとは積極性だねー」

「どうすればお前の口封じができるか考えてんだよ。せっかくできた俺の居場所を踏み躙られたくはねえからな」

「は、話を聞いてよ! 私、別に先生にチクろうとか――」

「とりあえず裸の写真でも撮れば黙っててくれるか」

「――っ」


 携帯を取り出してカメラを起動する陽向。

 冗談を言っているようには見えない。

 奏音は腰が抜けてその場にしゃがみ込んだ。


「……おいおい、泣くのかよ」

「だ、だって怖いんだもん」

「悪かったって。でもお前が脅すから悪いんだぞ」

「脅してないもん! 私もたまに屋上に来ていいかって聞こうとしただけだもん!」


 高圧的に来られると反発する陽向だが、泣かれると弱い。

 正直、他のやつが屋上にいるのは居心地が悪い。


「分かった分かった。たまになら来ても文句言わねぇから。泣くなって、な?」


 怖くて泣いていたのは演技ではないが、結果上手くいったと奏音はペロッと舌を出した。


 そうして茅野奏音が屋上に来るようになった。

 来る頻度は週に一度あるかないか、来ては何かと話しかけてくるが陽向が全無視していると口を膨らませた。

 無言で過ごす時間が、いつしか当たり前になっていた。


 それでも、たまに奏音は話しかけてくる。


「たまには返答してくれてもいいんじゃない?」

「うるせぇ。俺は静かに寝てたいんだよ」

「そんなんじゃいつまで経っても友達できないよ」

「いらねぇよ。お前らみたいな薄っぺらい友情なんかな」

「……薄っぺらいって思うんだ。そうやって切り捨てられるの、羨ましいよ」


 学校という小さい社会で孤立して生きることは、大抵の生徒にとっては苦痛が生じる。

 だから孤立しないように、必死に取り繕って、自分の居場所を守ろうとする。


 陽向はそういう奴らを『つまらない奴』と一蹴してきた。


「……お前、なんでここに来――」

「じゃあね。もうチャイム鳴るし帰るよ」


 その日の笑顔が、やけに陽向の胸につっかえた。


 ある時から、奏音が屋上に来る頻度が上がった。

 週に二三度。来ては話しかけもせずに黙っている。


 そんな日が幾日か続いたある日、初めて陽向から声をかけた。


「なあ、お前はなんでここに来るんだ?」

「日夏くんに会うため」

「ふざけんなよ、こっちは真面目に聞いてんだ。お前、いつも周りの連中に囲まれてるじゃねぇかよ。そいつらの誘い振り切ってここに来てんだろ?」

「なんだ私のこと知ってんじゃん」

「同じクラスだからな、それにお前を知らない奴なんてこの学校にいないだろ、優等生」


 他人に興味のない陽向ですら奏音のことを知っていた。

 成績優秀で品行方正、学級委員を務めていて人望も厚い、悪い噂なんてひとつも聞かない、まさに絵に書いたような『優等生』だ。


「君と一緒だよ。一人になりたいから」

「お前みたいな人気者でも悩みがあるんだな」

「……人気者、そうだね。私は人気者だよ」

「はぁ? 自分で言うのかよ」


 奏音は自嘲するようにふっと微笑んだ。


「ノートは写させてくれるし、勉強も教えてくれる。掃除当番も変わってくれるし、学級委員だから面倒事も押し付けられる。色んな人から頼られてる人気者」


 扉にもたれかかり、奏音は膝に顔を埋める。

 そこまで言っておいて、『人気者』で締めくくるのか。


「それって……」


 陽向が口を開いた直後、チャイムがなった。

 5限の準備を始める時間だ。


「おい。5限始まるぞ、帰らねぇのか?」

「……今日はいいや。サボりたい気分」

「……そうか」


 しかし、その数分後、奏音は立ち上がって笑顔を作った。


「やっぱりサボるのは良くないよね。教室に戻るよ」

「待てよ」


 その笑顔が心底気に食わなくて、陽向は扉の前に立ち塞がった。


「……何してるの?」

「お前はサボるんじゃねぇよ。不良生徒に脅されて出席できなかっただけだ」

「……なにそれ。意味わかんない」


 その膠着は暫く続いて、そしてチャイムが鳴る。

 睨み合いの冷戦が終結すると、奏音の頬が僅かに綻んだ。


「あーあ。サボっちゃった」

「今なら間に合うぜ、優等生。それとも、屋上で昼寝するか? 腹膨れたあとの昼寝は格別だぜ」

「……分かった。その脅しに屈してあげる」


 チャイムが鳴るまで、奏音の中ではサボりたい不真面目な自分と、サボってはいけないと言う優等生の自分が葛藤していた。

 しかし、チャイムが鳴り『もう間に合わない』状態になると、途端に縛り付けていた何かから開放されたのだ。


「きっと今頃、クラスはお前がいないことで」

「そんなことないよ。皆の中で私はサボるはずない優等生だから、きっと先生の手伝いかなんかだって思われてるじゃないかな? というか、サボってるのは日夏くんも同じなんだからね?」

「俺はもはや教師にすら探されてないだろ」


 今日は午前中はでたから大丈夫だ(?)。


「どうだ、優等生? 今日は昼寝にちょうどいい気温で、風も心地いいからな。最高だろ?」

「うん……! クセになっちゃいそう! ……あと、私のこと『優等生』って呼ぶのやめて」

「そうだな。立ち入り禁止の屋上でサボってるやつは優等生じゃないもんな」

「そういう意味じゃなくて」

「分かってるって、奏音」

「……い、いきなり名前呼びなんだ」


 陽向はそういうことに一切の照れがない。

 そもそも奏音を異性として見ていない。


 ゆったりとした時間が流れる。

 視界の全てを蒼穹が覆っている。

 世界に二人しかいないような錯覚に陥っていく。


「…………私さ。影では笑われてるんだよね。八方美人だとか、都合の良い女だとか。仕方ないじゃん……全員に平等に接するのがダメっていうの?」

「違ぇだろ。そいつらはお前を汚したいんだよ」

「汚す?」

「お前は完全すぎる。成績優秀で品行方正、人の悪口も言わないし清廉潔白な性格。まさに非の打ち所がない完璧な人間だな」

「私は、完璧な人間なんかじゃないよ」


 ムッとした表情で反論する奏音。


「そうだ。完璧な人間なんていねぇんだよ。どいつもこいつも機械じゃねぇんだから、欠陥抱えてるに決まってる」


 寧ろ、短所や欠点があるからこそ人間なのだ。

 でも、相手の全てが見えるわけじゃない。

 だから完璧に見えてしまう人間はいる。


「近くに完璧な人間がいれば尊敬する。だけどな、完璧な人間がそばに居るってことは、自分の完璧でない部分を見せられるってことだ。自分が惨めになってくるだろ、そりゃ」


 人間は比べる生き物だから。

 成績も、人間性も、比較してしまう。

 でも人間は完璧じゃないから。


「そういうつまんねぇヤツらは、お前みたいな完璧に見える人間をどうにかしか否定しようとする、笑おうとする」


 努力しなかった人間は、努力した人間を『努力が無駄だ』と言って笑おうとする。

 頭の悪い人間は、偏差値の高い大学に通う奴らを『勉強だけできても無駄だ』と馬鹿にしようとする。

 金のない人間は、『お金が全てじゃない』と金持ちを否定しようとする。


「俺はそういうつまんねぇヤツらは黙らせてきた。でも、それが不完全な人間ってやつなんだよ」

「カッコイイな……でも、私にはそんなワイルドなことできないよ。不完全な生き物だからこそ、誰かと一緒にいたいんだよ」


 体を起こせば、涙が溢れてしまうだろう。

 奏音の心はすでに崩れかかっている。


「ねえ、教えてよ。私は、どうすればいいのかな?」


 泣きそうなのを我慢して質問する。

 周りを変えることが出来ない以上、自分が変わるしかない。


「簡単な話じゃねぇか。奏音、お前が完璧じゃないことを周囲に知らしめればいい」

「どうやって……」

「陰口を叩いてみろ。あの子がウザイだとか、調子に乗ってるとか、友達の陰口に分かるわーって適当に共感しとけばいい」


 今までの奏音なら、間違いなく『そんなこと言っちゃダメだよ』と返していただろう。


「ほら、(しゃ)に交われば赤くなるっていうだろ?」

「それただの交通事故じゃない? 朱に交われば、だよ」

「……とにかく。周りに合わせて色を変えるのが一番だって言ってんだよ。それが嫌なら自分を貫くしかねぇ」


 少なからず陽向はその道を選んだ。


「それで、真っ黒になって落ちぶれるかもしれないよ?」

「そんときはまあ、叱ってやるよ」

「……そう。じゃあ、そうしよっかな」


 少しだけ晴れやかな気分になった。

 そのときチャイムが鳴った。五限が終わったのだ。


「私、教室に戻るよ。保健室で寝てたことにする。日夏くんはどうする?」

「行くわけねぇだろ。馬鹿なこと言ってねぇでさっさと出て行け」


 陽向は寝転んだまま手を振った。


「ねえ、またここに来ていい?」

「アホか。悩みがなくなったんなら来んじゃねぇよ。ここは友達いねぇやつが一人になり来る場所だ」

「じゃあ、そんなぼっちの寂しい友達を一人にさせないためにここに来るよ」


 奏音はそう言って笑った。

 そして校舎の中に戻っていく際に、こんな台詞を残した。


「あ、そうだ。私がここに来たのってある先生が『お前が本当に優等生に疲れた時は、屋上に続く階段に座ってろ』って助言してくれたからなんだよね」

「……あいつ、かよ」


 屋上にいることを知っているのは、屋上の鍵を残してこの学校を去ったあのおっさんだけだ。


「まさかあいつ……」


 藤岡先生は生徒思いで、よく生徒の相談に乗っていた。

 素行が悪く教師陣からは良い目で見られていなかったが、その適当さが生徒にとっては親しみやすかったのだ。


 今思えば、藤岡先生が屋上に続く階段で煙草を吸っていたのも、陽向と話すようになったのも、屋上の鍵を残したのも全ては手のひらの上だったのだ。


 この学校にはまだ、多くの悩める生徒がいる。

 相談の途中で彼らをほっぽり出すことなどできなかった。


「俺は、知らぬ間に役目を押し付けられていたのかよ」



〜〜〜



 数日後、奏音は屋上にいた。


「やっぱり私、友達の陰口叩くとかできないや。だって辛いもん。だから、私は私を貫くことにした」

「そうか。まあ、それでもいいんじゃねぇの?」

「でも、ちょっとだけ本音で生きてみたの。嫌ははっきり言うようにした。そうすれば嫌われちゃうと思ってたけど、本当はみんなそんな悪い子じゃないから」


 頼られるのと押し付けられるのとではわけが違う。

 頼りがいがあるのと都合が良いのとでもまた然りだ。


 本音で話してみた。そんな単純明快な後日談。


「というか、日夏くんは最初からこうして欲しかったんじゃないの?」

「さあな。ただ、落ちぶれたら本気で叱ってやろうとは思ってただけだよ。……ていうかさぁ、なんでお前またここに来てんの?」

「ただの報告じゃん」

「報告ならここじゃなくてもいいだろ。何レジャーシート持ってきて優雅に昼飯食ってんだよ」

「だってここ居心地良いんだもん。それに今日は天気も良くて外で食べたい気分だったのー」


 奏音の悩みが晴れれば、もうここに来なくなるかもしれない。

 そうすれば平穏な時間が戻ってくる。……そんな淡い希望が消え失せた。


「一緒に先生に怒られたいの?」

「その脅しは卑怯だろ」

「この屋上関係は続行ということで。よろしくね、陽向くん」


 



〜〜〜



 屋上。

 それは、あらゆるドラマの温床。

 しかし当然のことながら、現実で屋上が解放されている学校は限りなく少ない。


「……お前、何してんだよ」


 学生という心が不安定なものたちが通う学校において、屋上は自殺の温床になりかねないからである。


「あんた誰? あんたが、あたしを救ってくれんの?」


 鍵を閉め忘れることは多々あった。

 しかし、誰かが侵入するなんて考えたこともなかった。

 陽向が来た時には、少女は靴を脱いで飛び降りる寸前だった。


 もう一度言おう。

 この学校には藤岡先生が残した悩める生徒が大勢いる。


 ある者は一人になりに、ある者はいじめから逃れるために、ある者は死に場所を求めて屋上にくる。


「救わねぇよ、めんどくせぇ。でも飛び降りるのだけは絶対に阻止してやる!」


 陽向が彼らに救いの手を差し伸べることは無い。

 ただ、陽向の意思は一貫している。


「お前が飛び降りれば、屋上が使えなくなるじゃねぇか」


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