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僕とラジオと、

作者: ヒナノ

22歳。

帰宅後、3時間の出来事。


息苦しさの中。


それでも僕が、生きる意味。

この息苦しさは、自己肯定感の低さが引き起こしているのだろうか。




22時。

シャワーを浴びる。


帰る時間が毎日不規則なのは、何年経っても僕の性分には合わない。

その事に気づいた頃には、バイトも辞めて仕事が軌道に乗り始めていた。


僕が役者の仕事を始めたきっかけは、周りの人達に僕の存在を認めてもらいたかったから。

生きてる意味を分かりやすく実感したかったからである。

所謂、自己顕示欲、承認欲求を満たしたい、という物だった。


今でこそ様々なSNSが普及し、自己顕示欲を満たしたいということは三大欲求の次か、それと同等位に人間の自然な欲として認められてきている。

なぜ、他人に認められたいと思うのか。

なぜ生きる意味を求めてしまうのか。

僕にはよく分からなかった。

どうせいつか終わりがくるのに。


母や友人、仕事仲間には考えすぎ、気にしすぎだと言われる。

僕だって、考えなくていいなら、気にしなくていいならそうしたい。

そうできないから言っているのだ。


何のために生き、働くのか。

豊かな生活が送りたい。

大好きな仲間と何かを成し遂げたい。

たくさんの人に認められたい。

興味のあることだから。

様々な理由があると思う。

それに気付く瞬間が来るきっかけは人それぞれだが、僕はまだ来ない。

僕が相談した人たちは皆、それが既に来ているからこの不安を忘れてしまっているのだろうか。

この時期をどうやって乗り越えていったのか、先駆者たちが教えてくれるほど、人生甘くないぞということなのか。

自分で見つけろよ、じゃないと意味がないぞ、と言っているのだろう。

毎回刺さらない、フワッとした答えで返されるので、そう思うようにしている。

結局自分の人生だから、自分で決めろよ。

確かに、僕が相談される立場に立ったらそう思ってしまうと思う。

相手の人生に責任は持てない。

僕もフワッと濁して、当たり障りのないことを言うだろう。

結局、相手のことより自分が大事なのだろう。

なぜ自分を大事に思うのか。


一つのことを考えだすと、このようになぜ、なぜ、と堂々巡りになる。

一つが解決すると新たに一つ二つと「なぜ」が出てくる。

本気で悩みだして抜けられなくなる。

正直言って面倒くさい。考えだす自分が面倒くさいし、悩みまくってメンヘラの極地に行ったと思えば、急にどうでも良くなったりする。

直したいと思うが、どうすれば良いのか、そもそもどうなったら直ったと言えるのかもよくわからない。

この脳ミソの無限リレーのバトンを早く取り上げてあげたい。

取り上げられなくても、あと何周で終わりなのかだけでも知りたい。

正解が分からない限り永遠に続く。


特に一人でいる時間に、このリレーは行われる。

誰も応援してないし、今までバトンを渡してきた走者たちももう、競技場から出てってしまっている。

連絡もつかないし誰だったかも覚えてない。

ということは大した悩みじゃなかったんじゃないか、とも思うが、なぜこんなしょうもないことで頭痛がするほど悩んでしまうのか、とまた悩む。


思考が止まらなくなって、頭痛がきて、吐き気が襲ってきて、めまいがきてフィニッシュ。

僕のテンプレート。

神経質だ、と言われればそれまでなのだが、そう一言で済まされることに、あまり納得はいかない。

 

一人でいなければ良いと言われることもあるが、一人でいる時間が無いのはしんどい。

誘われれば飲みにも行くし、人と話すのも大好きなのだが、ずっとはしんどい。

これは割と皆に共感してもらえる。


その瞬間は、僕一人じゃないと思える。



僕の好きな時間。

深夜、このご時世でも攻めた企画を魅せてくれる芸人さんのテレビ番組を見る時間。

ゴールデンタイムに昇格しても、攻めた企画しような、と熱い言葉に熱くなる瞬間。

芸人さんとスタッフさんの熱い覚悟がテレビ越しから感じられる瞬間。

僕らにホッとするひとときを与えてくれる、深夜ラジオ。

この時だけは、僕を現実から解放してくれる。



子供の頃からお笑いに助けられてきた。

物心ついた頃から、両親は家庭内別居で家で過ごす時間が好きでは無かった。

自分だけの部屋があるわけでも無かったので、寝る時も寝息やいびきが気になるから落ち着かない。

芸人さんのラジオをイヤホンで聴いて寝落ちする。 


母は、父と同じ時間に家にいたくないので遅くまで仕事に行っている。

父は朝早く仕事に行き、昼過ぎに帰ってくる。

父が帰ってくるまで、リビングで一人でテレビを見ながらご飯を食べる。

鍵の回る音。

僕はリビングにいた形跡をすぐに消す。

テレビも電気も消して、寝室に食べていたご飯を持って駆け込む。

少し扉の隙間を開けて、父の行動を見る。

お風呂から上がり、父がたまに自分の部屋からリビングに来る。

落ち着かない。

今思えば、何も悪いことはしていないのに、いつ怒鳴られるか、ビクビクする。

寝室で物音を立てずにこっそり食べよう。

少し物音を出してしまい話しかけられた時、寝たフリをして誤魔化した。



ただただ、落ち着く場所が欲しかった。



早く離婚してくれ、と思っていたし、母もそうしたいと言っていた。

なぜ無理なのかと聞いたら金銭的な問題だと言われた。

子供の自分にはどうすることもできないと思った。

自分は無力だと痛感した。

母は、僕を産んだから金銭的な余裕が無いんじゃないか。

子供一人を育てるには、沢山の労力とお金が必要だと言われる。

体験したことはないのでその労力は想像もつかないが、お金がかかることは子供の自分でも調べればすぐに分かった。

ただただ申し訳なかった。



結局母を苦しめているのは自分だと気付いた。


僕が苦しんでいたのは、結局僕のせいだった。


同時に、自分が子供を作る時は金銭的な余裕が自分の思ってる以上に必要だと思った。

自分の子供に、自分と同じような思考を巡らせてはいけないと思った。




23時。

晩酌を始める。


二週間後のスケジュールが送られてきた。

格闘技雑誌の取材が入ってる。

何を求められてるのだろうか、難しそうだな。


冷凍ビビンバを温めようと思っていたが、やめておこう。



最近引っ越したばかりのマンションは、夜景が売りの高層マンション。

内見で東京タワーに感動し、いろんな場所へのアクセスもいいので、ここに決めたが、カーテンを開ける習慣がないので、あまり意味がなかったかもしれない。

内見の時に見た夜景をカーテンに脳で投影させ、綺麗なんだろうな、と思うだけで十分満足できる。


小さな頃から、現実逃避が生きる術だったので、想像力は豊かな方だと思う。

だからこその弊害もある。

相手が何を考えているか、考えることは大事だが、考え過ぎてしまう節がある。

一人でいるときに始まるリレーはまだいいが、誰かといる時のそれは、特に仕事中のそれは私生活に支障をきたす。


頭痛からの吐き気、目眩がHPを急激に下げる。

どうしよう、という焦りからか、手足が痺れ出す。

熱もないし、側から見たら何の前触れもなく苦しみだすから、あまり信じてもらえないし、心配されても同時に引かれていると思う。

タフな人には軽く見られてしまう。


考えすぎだよ、気にしないといいよと言われる。

そうできるならとっくにしている。

だったら何も言わないでほしい、とメンヘラがまた出てくる。

相手は本当に心配してくれてるかもしれないのに、どうせ信じてないんだろうな、めんどくさい奴だと思われてるんだろうな、と、頭痛が来ても思考が止まらない。


仕事も手に付かなくなり、早退したことがあった。

会社を出て、電車に乗って、家まで歩いて、シャワーを浴びて、気付いたら頭痛や吐き気も治まっているのだが、リレーはどんどん走者が変わっていっている。

この仕事は向いていないのだろう。

22歳にもなって、僕は社会に適合できないのか。




23時半。

サーターアンダギーが揚がってる。


酔っ払うと料理を始めてしまう。

胃がもたれるが美味しい。

味覚はしっかりしている。


料理は学生の頃から好きだった。

学校が早く終わった日、まだ家に誰も人がいない時間。

ネットでレシピを調べて、ピザ、うどん、ケーキなどをよく作っていた。

今考えると粉物ばっかりだ。

粉から固体にする、材料からの完成品の見た目の違い、何かを作った!という感動を求めていたのかもしれない。


何かを作るのは楽しい。

もっと小さい頃は、ダンボールとガムテープがあれば、眠たくなるまで半永久的に遊んでいられた。

想像力は、ここで鍛えられたのかもしれない。


絵を描くのも好きだ。

祖母と絵手紙を送り合うのは今もしている。

季節の変わり目に祖母が素敵な貼り絵と言葉をハガキで送ってくれる。

僕は嬉しくて、メールではなく、同じくハガキで返信している。


親戚に自慢してくれてると聞いて、さらに嬉しくなった。

次は僕から送ってみようと思う。


落ち着いたら、一緒にお酒を飲みたい。




24時。

幼稚園の頃からの幼馴染みのタクヤが結婚したらしい。


小学六年生まで、家族ぐるみで小さい頃から遊んでいた。

小学生の時は下の名前で呼び合ってたのに、中学に入って苗字で呼び合う男女のように、中学に入学した途端タクヤとも距離ができるようになり、気付けば廊下ですれ違っても他人のようになっていた。

お互いに根本が変わっていた訳では無いと思うが、クラスが一緒にならず、つるむ友達が違っていたからだけだったかもしれない。


高校は別々だった。

それでもお互いのSNSはフォローしあっていたので近況はなんとなく知っていた。

高校でのあいつは、バンド活動に精を出していた。

僕も同じだったが趣味程度。

あいつは勉強や恋愛よりも何よりも、バンドを優先しストイックに活動してるようだった。

だから僕はSNSに載せるのが申し訳なく、恥ずかしく、出来なかった。



高校三年。

進路に悩む時期、僕はやりたいことも見つからず、母親が安心するだろう、もう四年進路を悩む時間を手に入れよう、とすごく考えた末にも、何にも考えてない奴にも思いつきそうな理由で他の生徒達と同じタイミングで試験勉強を始めた。

本腰を入れだすタイミングで、最後の息抜きをしようとツレ達と渋谷に買い物に行くことになった。

それぞれ服や靴など買い物をして、カラオケでオールしようとなったが、次の日の朝から予備校があったので、僕は先に帰ることにした。



駅前の交差点を渡る信号待ちをしてる時、二十人位の人だかりができていた。

彼らの視線の先には、一組の男女バンドが路上ライブをしていた。


そのバンドメンバーの中にタクヤがいた。

気付いたら僕は目を逸らしていた。

友達として誇らしい気分と、会わない間に遠くに行ってしまったんだなと寂しくもあった。



信号が青になる直前、三十歳くらいの綺麗な女性に声をかけられた。

うちの雑誌でモデルをやらないかという誘いだった。

普段なら怪しんで適当にスルーしていたと思うが、何者でもない自分に焦りを感じた瞬間の直後の出来事、気付いたら近くのカフェで話を聞いていた。



何年かぶりにタクヤのSNSを見てみた。

タクヤは就職を機にバンドを辞めていた。

出版社に勤め、そこで出会った彼女と結婚したらしい。



何者かになるとは、どういうことなのだろう。


何者かになりたいという衝動は、なぜ生まれてくるのだろう。


僕は今、何者かになれているのだろうか。




24時45分。

寝る準備。


明日は、ドラマの番宣でバラエティー番組の収録だ。

僕の崇拝しているパーソナリティーがMCを務めている。


一生のうちにお会いできる日が来るなんて。

夢みたいだ。

しかもトーク番組。


緊張するなぁ。



そろそろ歯ブラシを買い替えようか。

実家で暮らしていた時は、良きタイミングで母が買ってきてくれていた。

なんでもそうだった。


その時は特別に感じられなかったことも、今となっては感謝してもしきれない。

どれだけ尽くしてもらっていたか、どんなに自分が甘えてきたか。

養ってもらっているのに手伝いもあまりしてこなかった。

離れてみないと、どれだけ少しの手伝いが大切だったか。

子供であることに甘えていたのだ。


大人にならないと分からないなんて。

そんなものなのだろう。


失わないと分からない小さな幸せが、この世にはたくさんあるんだろうと思う。

気付いていない幸せがきっと僕の周りにたくさん。


気付かなければ、誰にも気付いてもらえない。




24時57分。

布団に入る。

小さい頃から大きな音が苦手だ。

原因として考えられるのは、幼少期から父が母に怒鳴ったり、大きな音を立てて威嚇したりしていた。

母は怯えていた。

大人が怯える音。


僕には耐えられなかった。



どんどん関わるのをやめていった。

正直顔も見れなかった。


息が苦しくなる。

生活音を聞くのも耐えられなかった。

聞こえないように、聞かれないように。

そうするしかなかった。


苦手な人とは関わらないように生きる。

僕にはそれしか出来なかった。

他に方法があったのだろうか。

僕の心が狭かったのか。



ずっと息が苦しかった。


自分の居場所が欲しかった。


ただただ、落ち着ける場所があれば良かった。


やっと手に入れたこの場所は、みんながプロ野球選手に憧れるように、いわば幼少期からの夢だった。

僕の夢は、二十歳で叶ってしまった。




僕は何になりたかったのだろう。


有名になる。

もちろん満たされる部分があるが、幼少期から抱いていた夢のそれとは違う。

自分の将来に希望を抱き、この息苦しい環境からどうにか抜け出してやろう。

キラキラ輝いていると信じる星に向かって、がむしゃらに走っていたあの頃とは。



幸せな場所を自分で作れば、これ以上悪いことは起きない。

そうだと信じて、学校もバイトも楽しく頑張れた。


本気で、なんでもできる気がしていた。

何もできなくても、その気持ちだけで生きる活力になっていた。


そんな夢が。

キラキラした星が。


今の僕には必要だ。

満たされてしまうと、その瞬間で終わってしまう。



街を歩いていると、すれ違う人々に、何を目的に生きているのか問うてみたくなる。

一人ずつ、なぜここにいるのか。

何のために働き、何のために生活するのか。

美味しいものが食べたくなるのか。

見たこともない他人の子どものおつかいで泣いてしまうのか。


自分のことが分からない。

僕は、他人のことを聞いているようで、自分のことが聞きたいだけ。


誰でもいいから、僕に道標を示して欲しかった。




25時。

始まった。


毎週、この二時間が僕の精神安定剤のような役割を果たしてくれている。




おやすみなさい。

また、夢でお会いできる日を夢見て。


なぜ生きてるのか、ふと考えに耽ることが、年齢を重ねるにつれて多くなっている。


結論が出たことなどは無いのだが、考えて考えて、極論に落ち着きそうになる前に、一度ラジオをつけてみてほしい。


その後また、考えればいい。

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