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しまらない青い春。

作者: 大藤 かのん

秋篠寺か。何度聞いても秋篠宮と言ってしまう。ため息をついた。



新幹線ではしゃぎ過ぎて、もうお腹がいっぱいだった。

寺なんて、どれをとってもほとんど同じで、やれアルカイックがどうのなんとか作りがどうの、大袈裟に言い立てられてもありがたみは感じない。

そんな、声に出したら叱られそうなことを思いながらバスを降りた。先生が、蚊が多いと注意喚起していた。友人1は自分の虫除けスプレーを、周囲に狂ったように吹き付けていた。



降りてからの風景はなかなかに長閑で、この景色だけは認めてやってもよいかな、など、頭の中で偉そうに評点をつけ進む。

左手に鳥居が見える。緑がかった水色の中のありきたりで目に鮮やかな黄味がかった朱。

「あの色は何?」友人2に訊ねると「知らない」と淡泊に返された。

折角人が感動してやっているのに。

「色の名前がやたらあることで有名なこの国に生まれたくせに恥はないの?」

糾弾すると友人はじろりとわたしを見た。

「じゃああなたはあれを何色というの?」

わたしは矛を収めた。



鳥居のすぐ先、正面には鬱蒼とした森が広がっていた。

ありがちな寺だか神社だかの入り口である。

敷居を跨ぎ越え、友人に道の真ん中を歩くな、神の通り道だからなと偉そうに指示する。

目的地は秋篠寺というくらいだから寺か。

はて、とわたしは思った。

つい前まで目的地の入り口だと思っていた鳥居は目的地と無関係ではないか。

騙された、わたしは怒りに震えた。

そもそも神社と寺の作法の差が分からない。

もう破れかぶれだ。肩を怒らせて石畳の上を歩く。



両脇の樹木を見て友人1は肩をぶるりと震わせた。

「ここに夏には来たくないな」

彼女は蝉が嫌いなのだ。

幼き晩夏、筋トレマラソン中に道に転がっていたマスコットらしいものを拾おうとしたらそれが姑息にも死んだふりをしていた蝉で、彼女がしゃがんだ瞬間凄まじい勢いで動き出した、というのをまだ根に持っているらしい。

さて、そんなことを思っている間に目的地に着いた。



皆、薄暗いお堂の中に吸い込まれていく。

友人1を意識し、「きゃあ、暗くて怖い」とつぶやきながら隣を見ると、もうそこには誰もいなかった。

友人1はもうお堂の真ん中あたりに移動して友人2と話している。


また彼女にわたしの溢れ出る女子力を見せつける機会を失った。

急いで後を追いお堂に踏み入る。たくさんの仏像が目に入った。

線対称のような配置で、高台の上に、各々格好をつけて並んでいる。

みっちり、という形容詞が合うような並べ方は、わずかにほかの寺社と違い、設計した奴はなかなか洒落ている、わたしは好きだ、と感心してやった。

違いの分かる自分、イケている。



人いきれに圧倒され、入ってすぐのところで立ち止まる。

そんなわたしはさながら臆病な子ウサギちゃんである。

中は、修学旅行の高揚に満ち、ざわざわとしていた。

話す相手もおらず暇だった。

この若々しいざわめきのなかで、若々しくはないお坊さんはどうやって話し出すのだろうか、と悪戯めいた品のない疑問を持った。



そのときだった。



ちーん、と鳴った。仏壇の前にある正式名称の分からないあれの音。わずかにざわめきがおさまる。


ちーん、もう一度鳴った。だめ押し。沈黙。このお坊さん、なかなかやるな。


お坊さんが口を開いた。

開口一番生徒が四方八方にいるせいでどこを向いたらいいか分からない、と難癖をつける。

わたしはひっそり、堂の中央、お坊さんの真後ろに移動した。ガンをつけられたらたまらない。

そこからお坊さんは軽妙な秋篠トークを繰り広げた。

当初のわたしの心配が嘘のようだった。なんとなく自分の手柄のような気分になって周りを見た。

堂の中は確かに薄暗いが、ぼんやりとした光に包まれている。

それぞれの像からのびる影が複雑に重なっていて綺麗だった。両端の像の影が中央に向かって不自然に伸びていた。

お香が重く甘く鼻を刺激する。においのもとをたどって前を向くと目の前に三段構えの燭台があった。

その一番下の右端に一本だけ蝋燭が立っていた。

他はみんな萎れていて、パッと見る限りこの堂の中にある光源はこれだけだ。

一本しかないのにお堂全体を照らしている。なんて健気なんだろう。蝋燭の底力を知った。おまえも一人か。蝋燭のゆらゆら揺れる光を見つめていた。

お坊さんがわざわざ寺まで来て仏を見るのだから寺でしか見れない影の美しさに注目しろ、と言った。言われるまでもない、とわたしは鼻をすすった。



この寺は鎌倉時代に一度火事で燃えてしまって、普段お坊さんが生活していた講堂を無理やりご本尊その他を祀る金堂にしたのだ、とお坊さんが言った。

皆さんもやけに仏さんが狭そうだと思ったでしょ? 同意するように笑い声が上がった。くそ。

お坊さんに裏切られたような気分になり、きっと背中を見据える。

蝋燭の火が相変わらずゆらゆら揺れているのを目端にとらえて違和感を覚えた。

分かった。薬師如来の前に生けられた花がピクリとも動かないのだ。

つくりものだったのか、わたしは花をじっくりと見た。

如来の左右に一茎ずつ、左側には花が5輪葉が6枚。右側は花が8輪葉が二枚。数えたが特に意味はなさそうだった。

何か特筆すべきことを見つけようとムキになって観察を続ける。

全ての花が別々の表情を持っている、と通らしく分析する。

表情、とさりげなく使うことでその道のプロ感を強調。

上向きにほころびきった物、花弁のところどころかけたもの、横向きに開きはじめたばかりのもの。茎も巧妙な撓みが再現されている。

なかなかやるな。そうこうするうちにお坊さんの話が終わった。わたしは勿論聞いていた。



自由時間が始まった。同級生が仏に詰め寄り、さながら特売のような様相を呈している。

わたしはまず花摘みに行くことにした。ところで、花摘みという言葉はなかなか乙なものである。わたしは初めて使った。



トイレは和式が大半に一、ニ個様式があった。

ほかの人が来る前に真っ先に洋式に入り、自分の手際の良さに忍び笑いをもらした。

友人2は洋式を逃したようだ。

ふと気づくと、顔の真横に蚊がいた。笑いが吹き飛んだ。急き立てられるように個室を出る。

友人を待ちながらバッグの中のペットボトルを開けるとプシュッと音がした。お茶のつもりで手に取ったそれは前の浄瑠璃寺で買った炭酸である。ひどく場違いな気がした。お茶にすればよかった。

暑かったせいか炭酸は微妙に抜けていた。これはこれで青春の味がする。お茶にはない若さだ、とひとりごちた。



写真を撮ろうという友人3を、あとでね、とあしらいトイレから出てきた友人2とお堂へ向かう。

左側の入り口から入ると、もう像を見ている人は数えるほどになっていた。

手前から見ていく。

友人2は友達を見つけ去っていった。悲しい。代わりとでもいうように友人1が寄ってくる。トレード制だったのか。

高台の上というそれっぽいステージを外れ、一番入口側にあったのは「明王と見せかけた菩薩」というふれこみでお馴染みの五大力菩薩である。

怒っているように見せかけて実は豪快に笑っているいかめしい顔つきの彼らは気のいい山賊の様だ。

O型っぽい。酒盛りに誘われそうだ。

高台の上一番左、伎芸天は「動きがある仏」とお坊さんが強調していた。

隣に金魚の糞のようにくっついてきていた友人1に我が溢れ出る知性を思い知らせてやろうと、像を左からなめまわすように見つめる。時と場所を間違えたら間違いなく一一〇番される目つき、と自覚している。

しばらく時間を無駄に過ごし、最早宇宙人にでも遭遇したかのような表情でこちらを見る友人1に絞り出せた言葉は、「なんかこいつ、ちょーポーズ決めている」だけだった。

敬意のかけらもない。知性は溢れてしまったようだ。

友人1がわたしにむけたのは、我が子を見守るような慈愛に満ちた微笑みだった。くそ、文系め。


友人から視線を逸らしたわたしはとあるものを見つけた。堂の隅から像を照らすスポットライトだ。

友人の斜め後ろの柱の陰、そこに、ひっそりと優しく像を照らす灯りがつられていた。道理で不自然な影が出来る訳だ。

わたしは先程健気な顔をして風に灯影を揺らしていた蝋燭を振り返った。

2本に増えて、隣り合ってなかよく灯影を風に揺らしていた。お前もリア充か。

わたしの内心の動静を全くに無視して、友人1は伎芸天に関するコメントをした。

「ストリートで踊ってそうだね。」

文系の熟慮の末の一言である。確かにこのポーズの切れは生半可ではない。

重心を少し後ろ側によせたその恰好を、なんとなく真似した。

ほぼ同時に友人1も重心を後ろに傾き、今にもいぇーと低くつぶやきそうななんともムカつく表情をした。

しばし見つめあってから伎芸天の隣の十二神将を見る。



いかつい顔なのに、ポーズに何とも愛嬌がある。

そして、顔はいかついながらも豪快な笑顔で威圧感を減少することに成功していた。いかつい顔ではあるが。

特に、左に六体まとまった一団の、右前の彼はどこかで見たことのあるポーズをしていた。

すなわち、中途半端に開いた左手で敬礼をするような辺りを見渡すようなあの恰好。

ところで、左手で敬礼するポーズは、よく見かけるが、あれは侮辱の意味である。なんと軽やかな軽蔑。

アイドルだ。勘のいいわたしはすぐに気が付いた。

よくよく見れば彼らは、コンセプトは同じで、少しずつデザインの違った衣装を身にまとっている。

ミニスカートしかりズボンしかり、ほとんどの者はレギンスで足を隠していたが中には生足をさらしている神将までいる。

全員おっさん、という壁さえのりこえられれば現代でも通用するような、そんなユニットだった。

鼻息も荒く友人1に発見を伝えると彼女はにやりと眼鏡のつるを押し上げた。

つまり、「つまり、十二神将は昔の人にとってアイドルのような存在だったんだね?」…言われた。

「じゃあセンターは誰だ」友人は十二人をぷろでゅーさーのような真剣な顔で見定め始めた。

ガラスケースがないので、彼らは友人のぶしつけな視線からその身を守るすべを持たない。

友人がのこぎりを取り出したらどうしよう。わたしは彼女を押し止めた。

「まあ待て」

鬱陶しそうな顔をする友人に、わたしは自分の咄嗟の観察力に感心しながらある一体の仏像を指し示した。

「配置を考えてごらん。十二神将は、まあここでは違うが普段は彼を中心にローテーションを組んでいる。そう…」

ここでわたしは二、三秒勿体をつけた。

「薬師如来だ。」

友人1は納得がいかない顔をした。

「でかいね。」

「そうだね。」



薬師三尊はまさにセンターの威厳をもって堂のセンターにある高台のセンターに立っていた。

うん、センター。センターっぽい。

ただ、非常に残念なことに、日光菩薩と月光菩薩のキャラがほぼほぼかぶっている。

パッと見鏡を持っている手しか違わない。

これはプロデューサー魂が騒ぐ。

やはり、定石としては、日光菩薩は元気っ子、月光菩薩はクール系とかいう性格付けだろう。

まあそれはおいておこう、あとでいくらでも話せる。ついでにいうと、センターはやけに無表情だった。そしてでかい。


なんだか納得いかない思いを振り払うように先に進む。

右端の奥の暗がりに小さい小屋があり、札に愛染明王とかいていた。

強そうな名前なので、とりあえず手を合わせていると、「それはなーに―?」と唐突にかけられた。級友だった。

「あ、愛染明王」

どもりながら答えるとそれを訊いてんじゃねーよばーか、とでもいうかのような優しい笑顔で「なんの神さま?」と訊かれた。

半笑いしかけていると天啓が下った。

わたしは以前から、辞書をコンプリートしようと思い立ち、「あ」から読み始め「愛想笑い」で断念する、という一連の作業を数回繰り返していた。

そのときの記憶がふわりとよみがえったのだ。

わたしは半笑いの方向に向かっていた表情筋を無理やりねじまげいかにも余裕、という涼やかな笑みを浮かべた。

「恋愛成就の神さまだよ」

級友は綺麗な顔に笑顔をきらめかせ、仏像を拝み、颯爽と去って行った。

お母さん、わたし、ちゃんと人としゃべれたよ。

級友と会話を交わした余韻に浸っていると、友人1がパンフレット片手に「大ちゃん」と切羽詰まった声をあげた。

「これ人間の煩悩をもって菩提心たらしめるんだって」

「それは大変だ」

彼女が言ったことは、それはもう、大変なことだ。大変だ。

ぼんのうをもってぼさつしんたらしめてしまった。

やってしまったことの重大さに顔を鎮痛にゆがませていると友人は何故か馬鹿にしたように言葉をつづけた。

「要するに不動明王と同じなんじゃない? これ、愛とかそういうの浄化しちゃうんだよ」

文系の友人1がいうからにはそうなのだろう。

ところで、どうでもいいが,仮にも仏様にコレ呼ばわりは失礼だと思う。

さて、大変だ。わたしは呆然と級友の背中を探した。

あった。たった今さっき、彼女の煩悩は消えたのだ。可哀そうなことだ。恋愛の芽はついえた。出会いすらもうないだろう。

よっしゃあ。



さて、色々なことがあったが、これで左から右まで仏像を見終えた。一歩下がって、もう一度仏像たちを眺める。

お坊さんの話を思い出した。

この寺が昔火にまみれたとき、人々は火の中に飛び込み仏様を助け出した。

仏様が大きすぎて運べないときは断腸の思いで頭だけを燃え盛る堂から引きずり出した。

話で聞くだけならすごいで済むが、火だ。

火の中に飛び込む機会なんて、普通に生きている人間にはあまりない。地獄にこんにちはするための最適手段だ。

天国に行くことの叶う奇特な人もいるかもしれないが、往々にして人間なんて日々、仏像を数体助けただけでは浄化しきれない煩悩やちっちゃい罪を重ねているものだ。

いや、でもそれはわたしだけか? 

炎の中に飛び込んでいった人たちはその罪や煩悩を浄化してもらおうと仏様を拝んでいた訳で…こんがらがってきた。それはおいておこう。

炎の中に決死で飛び込んでいく。

今生きているわたしには所詮木の像としか思えない仏様の為に。

燃えてしまっても、またつくればいいじゃないか。

それは、わたしには理解できないことだ。

仏像たちは、人を常日頃苦しみから助け出すのみでなく、人々に、大切に扱われ、ときに命を捨ててまで守られるのだ。

見上げると、さっきまで無表情だった薬師如来が、困ったように照れ笑いを浮かべた気がした。



さあ、お前も涙ぐめ、という気分で友人1にいまのわたしの考えを話すと、友人は考え込むようにめがねをくいっとあげた。

「薬師如来って確か、火事から唯一助け出されていない全身新参者だよ?」

騙された。わたしのこの、じんわりした心のぬくもりをどうしてくれよう。



友人から目を逸らし、もう一度仏像を見て回ろうと一歩踏み出すと、そこで肩を叩かれる。

「ねえ、写真撮ろうよ。」

そこには、我らが友人3が笑顔で立っていた。

漆で固めたような笑顔だった。

お堂の前で写真を撮ろうという友人3に大人しくついて右側の出口から出ると、お堂の前にはすでに行列ができていて、

その先頭では、明るく、社交的なことで有名なグループの班員たちが手をつなぎ、壊れかけのれでぃおのように何回もジャンプを繰り返していた。

友人3が時計を見た気配を感じ、わたしは慌てて目の前にあったよく分からない門を指差した。

その奥には、お坊さんが特に何も説明しなかったこれまたよくわからないお堂のようなものが立っていた。

わたしたちは、そのよくわからない門の前で写真を撮った。

皆笑顔がぎこちなくて、撮り直しをしようとした瞬間に集合の合図が鳴った。

仏たちをもう一度見ることはできなかった。



以上が秋篠寺でのわたしの体験である。時間を守ることは大切だな、と思った。



ちなみに、愛染明王は、やはり恋愛成就の神さまであった。


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