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社会人二人の百合生活

花より団子よりやっぱり花

作者: ピッチョン


 春、それは寒気(かんき)に押さえ付けられていた花々たちが色付く季節。

 朝晩にいまだ寒さは残っているものの、日中はようやく春めいた陽射しと気温になってきた。

 朝のニュースでは毎日のように満開になった桜の映像が映され、春の風物詩を楽しむ花見客たちの様子を報じている。

「お花見行きたい」

 テーブルで朝食を食べながら御園(みその)結美(ゆみ)は呟いた。

 その言葉に向かいに居る恋人の永瀬(ながせ)香緒里(かおり)が反応する。

「花見? いいよ。いつ行く?」

「次の土日。早く行かないと散っちゃうし」

「オッケー。じゃあレジャーシートとか準備しないと――あっ」

「ん? どうかした?」

 結美が小首を傾げると、香緒里は両手を合わせて頭を下げた。

「ごめん! 土曜に会社の後輩の子たちから花見に誘われてるんだった。結美と行くのは日曜でもいい?」

「それ初耳なんですけど」

「いやぁ、先々週くらいに誘われてさ、そのうち言おうと思って忘れてたんだよ」

 結美はこれみよがしに溜息をついてみせる。

「はぁーあ、私と花見に行かずに会社の人達とだけ楽しむつもりだったんだ……いいですよ、私はさみしく独りでお花見してくるから」

「ちょっとそういう言い方やめてよ~」

 眉を下げる香緒里に結美はくすりと笑う。

「冗談だって。私とも行ったら香緒里の休み両方潰れちゃうでしょ? 私はいいから気にせず行ってきなよ。その土産話でも聞きながら家で飲むからさ」

「でも……」

「会社の行事を優先しときなさい」

「別に会社でってわけじゃなくて、たんに仲良い後輩の子たちと花見するだけだから」

「そうなの? まぁ何でもいいよ。断ってカドが立つなら行った方がいいんじゃない?」

「女子しかいないけどいい?」

「え……べ、別にそれで香緒里が浮気するとか思ってないし、私は気にしないけど」

「嘘つき」

 図星を指摘されて結美はキッと香緒里を睨んだ。

「うるさい! 人がせっかく嫉妬心を隠してにこやかに送り出してるのにいちいち突っ込まないでくれる?」

「結美が私に縋り付いて引き留めてくれれば花見行くのやめにするよ?」

「やだ。そんなみっともないことやりたくない」

 えー、と香緒里が不満そうに声をあげた。もしかしたら結美のそういう姿を見たかったのかもしれない。

 しかし花見を楽しんできて欲しい気持ちも、行かないで欲しい気持ちも、両方結美にとっては本心だ。どちらが大事かではなくどちらも大事。ならばここは良くできた彼女でありたいと思うのが結美の性格だ。

 そのことを理解している香緒里が口を開いた。

「よし、わかった。じゃあこういうのはどう?」

 かちかちと箸を合わせながら提案する。

「結美も一緒に行こうよ。お花見」

「……は?」

「それなら結美とお花見を楽しみつつ後輩たちとも親睦を深められるでしょ?」

「いや、いきなり部外者の私が行っても邪魔になるだけだし」

「大丈夫だって。実は後輩たちが私の恋人を紹介しろ写真を見せろってしつこくてさぁ。良い機会だし結美のこと紹介するよ」

「ちょっと待った。私のこと会社の人達に話してるの?」

「仲の良い女子には恋人が出来たことは話したよ。それ以上は何も」

 結美は頭を抱えて溜息を吐いた。そりゃあ会社の女性陣に恋人がいるなんて話したら根掘り葉掘り聞いてくるに決まってる。彼女たちは恋愛沙汰においてそこらのゴシップ記者よりも嗅覚が鋭い。だから結美は自分の会社では恋人はいないことにしてある。

「……香緒里は私を紹介して本当にいいの?」

「いいってなにが?」

「会社全体に恋人が女だってバレてもいいのかってこと」

「あの子達はそんな広めるようなことしないって」

「人の口に戸は立てられないってね。いつどこでうっかり喋るか分からないよ?」

 結美の指摘に香緒里はうーんと唸ってから平然と笑った。

「まぁそうなったらそうなったときで」

「ダメでしょ。会社に居づらくなったらどうするの」

「どうもしないよ。私に同性の恋人がいたからどうなの? 仕事に何か影響ある? もしそんなことで居づらくなるような会社だったらすっぱり辞めてやる」

「…………」

「ほんと言うと私は結美のこと会社で自慢したいんだよ。こんな可愛くて料理の美味しい彼女がいるんだぞ、って。私にとってはさ、結美はもったいないくらいの彼女だからさ」

 結美は箸を置いた。というよりも朝食を食べられる心境になかった。

 女性同士で付き合っていることを知られることに何の躊躇いもなく、自慢の恋人だと恥ずかし気もなく言ってのけた。その言葉だけで結美の胸はいっぱいになってしまった。

「……ずるいなぁ香緒里は。私が言って欲しいこと全部言っちゃうんだから」

「惚れなおした?」

「うん」

 素直に頷いてから結美は上半身をテーブルに乗り出して顔を近づける。それを見て香緒里が苦笑した。

「デザートにはまだ早いんだけど」

「私は今食べたい気分なの」

「ちょっと待って、お茶だけ飲ませて」

 香緒里は一口お茶を飲んでから、テーブルの上で待ち侘びている恋人とキスをした。



 約束の土曜日。好天に恵まれた代々木公園は様々な人で賑わっていた。

 花見客や観光客だけでなく、ボールで遊ぶ若者たちや体操をしている老人のグループ、大道芸を披露している人まで。立ち並ぶ屋台と騒々しいまでの人込みはお祭りと言っても差し支えない雑多な様相を呈している。

 結美は公園内の遊歩道を進みながら何度目かになる確認を隣の香緒里に投げかける。

「わ、私ヘンじゃないよね? 髪とか風で飛んでない?」

「いつも通り可愛いから心配しなくていいよ。たかだか会社の後輩に会うのにそんな緊張しなくても」

「こういうのは第一印象が大事なの。私がちゃんとしてるって思われないと香緒里の評価だって下がるんだからね」

「下がらないって。取り繕ってもしょうがないっていうか、普段の結美はちゃんとしてるんだから問題ないじゃん」

「それは香緒里の主観でしょ。相手がどう思うか分からない以上万全を期さないと」

「まぁ結美がそうしたいんならいいけど。そんなんで私の実家行くとき大丈夫?」

「実家!? なんで急に!?」

「だってそのうち挨拶行くでしょ? 結美は行きたくないの?」

「……行き、たいけど、勘当とかされたら」

「されないされない。されても今の生活が変わるわけじゃないし、私らが心配することはなんにもないない」

「そんな、でも、うーん……」

 悩みながらも香緒里の言い分を理解して結美は唸った。

「私のとこはいいとして、結美のとこはどうなの? 昔気質のお父さんでそれこそ縁とか切られたりしない?」

「…………」

 結美は両親の顔を思い浮かべ、形容し難い表情で答える。

「こっちは、うん、大丈夫。紹介したくはないけど受け入れてくれると思う」

「へぇ、割と寛容なご両親なんだ」

「まぁ……そんな感じ」

 結美はそこで会話を区切ってから満開に咲いた桜の樹々に視線を巡らせる。

「で、どの辺にいるって?」

「えっと、ちょっと待って」

 香緒里はスマホを取り出して電話を掛けた。相手は花見の場所を確保してくれている後輩たちの一人だ。

「もしもし、今公園の真ん中くらいに来たんだけど、どのあたり? ……うん、うん、あーあーあそこね。了解」

 電話を切ってから香緒里が先導して芝生の上を進み始めた。桜が並ぶ一角に向かって近づいていくと、向こうの方で手を振る人物が見えてきた。

 治まっていた結美の緊張が再びこみあがってくる。ここまで来て逃げるわけにはいかない。表情が固くならないように手で頬を揉んでおく。

 桜の樹の下には四人の女性がいた。レジャーシートの上でコップや飲み物などを準備していた人達が香緒里と結美に気付いて顔を向けてくる。

 手を振っていた女性がにこやかに香緒里に挨拶をした。

「永瀬先輩、お疲れ様です」

「お疲れ様、野川さん。今日はありがとうね、場所まで取ってもらっちゃって」

「いえいえ、私達がお呼びしたのでこのくらい当たり前ですよ」

 野川と呼ばれた女性の後ろから同僚らしき三人がばたばたとやってきた。

「永瀬先輩! 噂のカレはどこですか!?」

「早く紹介してくださいよー!」

「どんな人だろうってみんなで予想して待ってたんですよ」

 女三人寄れば(かしま)しい、という言葉通りの賑やかさで三人は香緒里に詰め寄った。

(きた!)

 結美は身構えた。自分を見てどのような反応をするだろうか。ドン引きされるだけならまだいいが、それが原因で香緒里と疎遠にならないだろうか。

「分かったからそうあせんないでって。えっとほら、結美、後ろで隠れてないで前にきなよ」

 香緒里に促されて結美はおずおずと歩み出る。途端に四人の表情が怪訝なものへと変わった。誰もが『あれ? 彼氏をつれてくるんじゃなかったの?』と顔に書いてある。

 そんな微妙な空気を気にも留めずに香緒里は結美の両肩を持って揚々と告げた。

「はい、こちらが私の恋人の御園結美さんです」

「…………」

 きょとん、ぽかーん。四人ともがそんな擬音の似合う表情で香緒里と結美を見比べている。

(そりゃそうなるよね)

 結美は胸中で乾いた笑いを浮かべて独りごちた。問題はここからだ。女性同士で付き合っている事実を認識してどう反応するか。あからさまに引かれでもしたら今日この場にいられる自信がない。

 不安な心境で見守る結美の目の前で、女性陣がいっせいに口を開いた。

「きゃあーっ!」

「すごいすごーい! 可愛いー!」

「ホントですか!? ドッキリとかじゃないですよね!?」

 わいわいと騒ぎながら結美の頭から足までまじまじと見始めた女性たちに、今度は結美が唖然とする。ここまで好意的に受け入れられるとは思っていなかった。

「本当、本当。正真正銘私の彼女」

 香緒里が結美の後ろから抱き着いて頭を寄りかからせるとまた黄色い声があがった。

 結美は展開についていけずにただぽかんとするばかり。それに気付いて香緒里が声をかける。

「大丈夫、結美?」

「う、うん。こんな反応されると思わなかったから……」

「だから言ったでしょ。心配ないって」

 二人のやりとりを疑問符を浮かべて眺めていた後輩たちに向けて香緒里が説明する。

「いやさ、結美が自分を紹介したら変な目で見られるんじゃないかって心配してたんだよ。私は大丈夫だって言ったんだけどね。結美は考えすぎるとこがあるから」

(香緒里が考えなさすぎなだけ!)

 口には出さずに突っ込みを入れておく。結美は躊躇いがちに四人に視線を投げかけた。

「あの、本当に何とも思わないんですか? その、女性同士っていうのに」

 四人は顔を見合わせてからそれぞれ返答する。

「まぁ驚きはしましたけど、同性でっていうのもテレビで結構見るし」

「百合のマンガとかアニメも最近多いよね~」

「前に女性がレズ風俗に行くマンガも話題になったし、そんなにおかしいとは思いませんけど」

「なにより永瀬先輩ならありえそうかな、と」

 最後の言葉に四人がうんうんと同時に頷くのを見て香緒里が口を挟む。

「待て待て、それどういう意味? 私って前からそんな風に見られてたの?」

「いやぁそういうわけじゃないですけどぉ」

「彼氏欲しいって言うわりには近づいてくる男には無関心だったし」

「相手も絶対普通の人じゃないだろうなって」

(普通の人じゃない……)

 悪い意味で言っているわけではないことは分かっても結美は素直に喜べなかった。

 だが香緒里は違う言葉に食いついた。

「えぇー? 近づいてくる男なんていた?」

「いましたよ。永瀬先輩って面倒見いいし、私達の同期の男性社員でも慕ってる人多いです」

「それは先輩としてでしょ? 女性として好かれないと意味ないじゃない」

「会社の飲み会でよく話しかけられてましたよね? あれ先輩を狙ってたんだって気付いてます?」

「うそ!? あんなのただ人生相談受けてただけだって」

「相談に見せかけて近づこうとしてたんですよ。でも永瀬先輩は気付かないし、酔い潰れるようなこともないから介抱を装って連れ込むことも出来ないって話してるの聞きました」

「そりゃ後輩の前で酔い潰れるとか格好悪いことするわけないから――っていうか誰それ!? わりと聞き捨てならないことぶっちゃけられたんだけど!? 飲み会で私によく話しかけてくるってことは……」

 抱き着いた体勢のまま考え始めた香緒里の腕に、結美がそっと手を触れた。

 香緒里が人気があるというのは嬉しいことだが、だからといって男に狙われていたという話を聞くのはおもしろくない。何よりも危機感がまったくなかった香緒里に腹が立つ。もし強引にホテルに連れて行かれでもしていれば、結美と付き合うこともなかったかもしれないのだ。

 結美の視線に気付いて香緒里がふっと笑った。

「この話はこれでおしまいね。うちのお姫様が妬いちゃうから」

「や――誰が」

 妬いてなんかと返したかったが、全員からニヤニヤと見つめられて結美は押し黙った。

「はいはい、ずっと立ち話もなんだし、とりあえず当初の予定どおりお花見始めましょうか。結美がお弁当作ってきてくれたからみんなで食べよ」

 わぁ、と歓声をあげて四人はそれぞれ食べる準備に入った。

香緒里が靴を脱いでレジャーシートの上にあがる。結美と目が合うと片手を立てて『ごめん』と口ぱくで謝った。人前でお姫様だの妬くだのと言ったことに対してだろう。

 結美も同じく口ぱくで『だめ』と答えた。受けた辱めはきっちり返さなくては。家に帰ってから改めて審問といこう。

『えぇ~』と不満そうな顔をする香緒里を放って、結美もシートの上へと足を踏み入れた。



「おぉー」

 広げられたお弁当を見て一同が感嘆の声をあげた。

 サンドイッチに鶏の唐揚げ、ポテトサラダ。おつまみとしてチーズの盛り合わせ。無難ではあるが食べやすさを重視したラインナップだ。

 香緒里が胸を張って言い放つ。

「どう? もう食べる前から美味しいって分かるこの見た目。最高でしょ?」

 すごーい、美味しそう、と口々に褒められて結美はたまらず手を振って否定する。

「そんな凝った料理じゃないし、こんなの誰が作っても美味しくなるから」

「いやいや、タマゴやツナの味付けとか鶏肉のつけだれとか、結美ならではの味っていうの? 誰にでも真似出来るものじゃないよ」

(だから人様の前で褒めちぎるのやめてって!)

 嬉しいと恥ずかしいが入り交じって首の後ろがかゆくなってしまう。

 野川がくすりと笑った。

「永瀬先輩いっつも家の料理自慢してますもんね」

「そりゃ自慢したくなるだけのものをいつも用意してくれてるから。ね、結美?」

「……たまには誰かさんが作ってくれてもいいと思ってるけど」

「その分色々手伝ったりしてるから帳消しってことで。ほら、今回もサンドイッチ挟むの手伝ったし」

「そうね。あぁあと味見っていう手伝いも私が頼む前にいつもしてくれてるよね」

「いや、それはほら、完成前に味を見るのも大切な役目というか……」

 後輩たちにくすくすと笑われて香緒里は誤魔化すように酎ハイ缶を上に掲げた。

「ほら、せっかくの料理を広げたままなんてもったいないよ! みんな飲み物持って!」

 言われてそれぞれが缶やコップを掲げる。そのまま香緒里が勢いで乾杯の音頭を取った。

「本日はお日柄も良く以下略ってことで、美味しいもの食べてお酒飲んでお花見楽しみましょう! 乾杯!」

「「かんぱーい!」」


 後輩社員たちの名前は順番に栄山(えいやま)比井(ひい)椎野(しいの)というらしい。

 栄山は今時の若い女子といったイメージで香緒里に対してもがんがん突っ込みを入れるざっくばらんな性格をしている。

 比井は少しおっとりとした可愛い系だが、ときおり言葉に毒があり侮りがたい雰囲気を持っている。

 椎野は同期四人のなかでは一番理知的な見た目をしていて発言も客観性を重視したものが多い。

 多少の性格の違いはあれど、三人とも『恋バナ大好き』という点では共通しており、当然今回の標的は目前の百合カップルになるわけで。

「初めて会ったのっていつですか?」

「いつ頃から好きになったんですか?」

「告白はどっちから?」

「初キスはどんな感じだったんですか?」

 怒涛の質問攻め。

 なによりも一番厄介なのは香緒里がまた正直に全部答えてしまうのだ。おかげで隣にいる結美はずっと顔を赤くして俯くしかなかった。

「すみません、御園さん。悪気はないんですけど皆その手の話題が好きなもので」

 野川が申し訳なさそうに結美に話しかけてきた。賑やかなのがそこまで得意ではないのか、野川は相槌を打つばかりで積極的に会話に入ろうとはしなかった。今この場においては結美の心の支え的な存在と言える。

 結美は首を横に振って微笑み返した。

「ここに来るって決めた時点でこうなることは予想出来てたので気にしなくていいですよ。私としては考えなしにあれこれ話すおバカさんに後でめいっぱいお灸をすえてやるだけなんで」

「お気持ちは分かりますけど、あまり永瀬先輩を責めないであげてください。多分、御園さんのことを私達に紹介できて嬉しいんだと思います」

 それは香緒里自身が結美に対して語ったことだった。

「これまで私達がどれだけ恋人のことを聞いても料理が美味しいとか自分のことを大切に思ってくれてるとかしか教えてくれなかったんですけど、どこか寂しそうな感じがしてたんです。多分ずっと私達に話したかったんじゃないでしょうか。だって永瀬先輩のあんなデレデレした姿初めて見ましたもん。御園さんのことを話したくて仕方ないっていうふうに見えますよ」

 結美は香緒里の横顔を盗み見た。すでにお酒が回ってきているのか頬を紅潮させ、日頃の結美との生活を三人に語って聞かせている。その言葉の端々から結美を好きな気持ちが伝わってくる。

「……まぁ、お灸じゃなくてデコピン一発くらいで勘弁してあげてもいいかもね」

「はい、勘弁してあげてください」

 結美との野川が二人で笑い合っていると香緒里が赤ら顔を伸ばしてきた。

「ちょっと二人してなにいい雰囲気かもしだしちゃってるの? 浮気はダメだからね。野川さんも相手がいるんだからもう一夜の過ちは犯しちゃダメだよ」

「浮気してないから酔っ払いは帰りなさい」

 結美は香緒里の顔を押し戻して野川に向き直った。

「やっぱりデコピンだけじゃ甘いかな?」

「その辺は私にはなんとも……」

 返答に困惑する野川に気になった言葉があったので聞いてみる。

「ちなみに一夜の過ちについて聞いてもいい?」

 心なしか結美の目は輝いていた。やはり女子にとって色恋の話題に興味を惹かれるのは仕方ないことだ。

 野川は答えづらそうに言い淀んだ。

「それ、聞いちゃいます?」

「無理には聞かないけど、私ばっかり恥ずかしいことを喋られてるから少しくらい楽しそうな話題も聞きたいなぁと思う」

「そんなこと言われたら断れないじゃないですか。あんまり話すことないですよ?」

「大丈夫大丈夫」

「そういう強引なところは永瀬先輩と似てますね……」

 野川は観念したように息を吐いて続ける。

「前に会社の飲み会のときに意気投合した営業課の男性の家に、その、酔った勢いで泊まってしまったんです。それでそのまま告白されて、現在付き合ってるんですけど」

「へぇ、野川さんっておとなしそうな感じなのに結構そういうことするんだ」

「し、してません! 酔って外泊なんて初めてだったんです!」

 慌てる野川を眺めながら結美は笑いを噛み締めた。やはりこの手の話題は自分と無関係な方が楽しめる。

(まぁ酔った勢いで香緒里にキスして部屋に連れ込んだ私が言えた義理じゃないんだけどね。……ん? 前に香緒里から同じような話を聞いたような)

 結美は記憶を掘り起こしていき、内容を思い出すと得心して声をあげた。

「あー! あなたがあの野川さん! 良かった。いつか会ってお礼を言いたいと思ってたの」

 香緒里が言うには結美と一夜を過ごした(と思い込んでいた)翌日、後輩の野川という子から似たような話を聞いて結美と付き合う決心を固めたという。

 結美にとっては恩人と言っても差し支えない相手の手を握り、感謝を込めてぶんぶんと振る。

「ありがとう。私たちが今こうやって恋人になれたのも野川さんのおかげなの。本当に、本当にありがとう……!」

「あ、はぁ、それはどういたしまして?」

 内情を知らない野川はいまいち飲み込めないまま握手に応じていた。

 そこに再び香緒里が割り込んでくる。

「なんで仲良く手なんて握ってるの? 浮気してないって言ったよね?」

「ややこしいから出てくるな! って酒くさ! なにそれ? 日本酒?」

「そうそう。栄山さんが結構いい日本酒持ってきてくれてさ。ほら、桜の花びら浮かべると風流って感じしない?」

 そう言って香緒里がプラスチックのコップを見せた。注がれた透明な液体の上に桜の花びらが一枚浮かんでおり、風流と言えなくもない。

「はいはい春らしくていいんじゃない。あんまり飲み過ぎないようにね」

「結美も飲もうよ~」

「あとでいただくから今は大丈夫。ほら、栄山さんたちが続き話すの待ってるよ」

「はーい」

 香緒里の顔が引っ込んだと思ったらまた返ってきた。

「ちょっと、浮気の件について納得いく回答をもらってないんだけど」

「野川さんに感謝の気持ちを述べてるの! 香緒里もちゃんとお礼言った?」

「お礼ならとっくの昔に渡してるよ~。じゃあ本当に浮気じゃない?」

「浮気じゃないって」

「私のこと好き? 愛してる?」

 ぐ、と結美は言葉を飲み込んだ。他の全員からの視線を感じる。誰もが結美の言葉を待ち望んでいた。この空気では言わずに誤魔化すことは出来ない。

「……好きだよ」

 周りから囃し立てるような歓声が聞こえた。完全にみんな面白がっている。

「愛してる?」

「愛してる」

「じゃあキスしよ?」

「それはヤダ」

 栄山たちが不満そうにぶうたれているが結美には知ったことではない。これ以上の辱めはごめんだ。

 香緒里は泣く真似をしながら栄山たちの方へ戻っていった。

「結美に拒否られた~」

「よしよし、私達が慰めてあげますからね~」

「なんだったら私とキスしますか?」

「あ、私もしてみたいです」

(ちょっと待て! それはダメでしょ!)

 結美が止めに入る前に香緒里が三人に向かって手のひらを突き出していた。

「残念だけど私は女の子が好きなんじゃなくて、結美が好きなの。だから結美を裏切るようなことは絶対にしない!」

 何故かコップを掲げながら高らかに宣言する香緒里。それに向かって、おぉー、と拍手が送られる。

(なにこのノリ……。でもま、酔ってても香緒里は香緒里でよかった)

 酔っていても操をたてようとしてくれる香緒里の足に感謝を込めてこっそりと触れる。

「本当にお二人は仲がいいんですね」

 野川に話しかけられて結美は香緒里から手を離した。

「あぁ、まぁそれなりにね。野川さんの方はどう?」

「うちも仲良いですよ。お二人に負けないくらい」

「それは良かった。野川さんたちには是非ともずっと仲良しでいてもらわないと」

「ですね。御園さんと永瀬先輩に負けないように頑張ります」

「そういえばお相手の方は今日来ないの?」

「ちょっと別の用事と重なっちゃって。でも来たら来たで男性が一人だけだから肩身が狭かったんじゃないですかね」

「確かに。女の私でさえこれだけイジられてるんだから来なくて正解だったかもね」

 でも負担が分散するので来てもらった方が助かったかもしれない、などと結美は考えながら。

「永瀬せんぱ~い、非常に重大かつ繊細な質問いいですか~?」

 栄山の間延びした声が聞こえてきた。学生のように手を挙げる栄山を香緒里が指名する。

「はい栄山さんどうぞ」

「お二人の夜のアレ的なアレについて、どのように営まれてるのか聞きたいで~す」

「ぶっ――」

 酎ハイを飲もうとしていた結美は危うく吹きそうになった。

「私も聞きた~い」

「今後のためにも是非教えて欲しいです!」

 比井と椎野も後に続いた。

 香緒里が顎に手を当てて頷く。

「ほほう、それは確かにいんぽーたんとでせんしてぃぶな質問だね」

「はい! ぶっちゃけどうなのかな~と思いまして」

「ちょっと香緒里、バカなこと言わないよね?」

 結美はいつでも香緒里の口を塞げるように身構えた。香緒里は頭をふらふらさせながらまったく躊躇せずに答える。

「昨日はベッドで――」

「わぁぁぁああ!!」

 羞恥心をどこかに落としたのかというくらいに軽い香緒里の口を手で塞ぎ――いや、結美が腕を伸ばす前に後ろから羽交い締めにされた。首だけで振り返り結美は驚愕する。

「――野川さん!?」

「ごめんなさい、御園さん」

 野川は申し訳なさそうにしながらも腕に込めた力を緩めようとしない。

「私も聞いてみたいんです」

「う、うそでしょ……?」

 結美の絶望の眼差しを受けて野川が微笑んだ。香緒里に向かって声を投げる。

「やっぱり永瀬先輩がタチなんですか?」

「裏切りものおぉぉぉ――むぐ!!」

 口を塞がれる結美を見ても香緒里は動じずに質問に答えていく。

「そう思うでしょ~? でも結美の方がねぇ~……」

 目の前で恋人が赤裸々に語りだす拷問が始まって結美は考えるのをやめた。

 全部聞かなかったことにしよう。これは夢だ。自分には関係ない。そう言い聞かせて視線を遠くに向けた。

 季節は春。青いキャンバスを背景に桜吹雪が景色に色を添えている。

 公園のなかはどこもかしこも人で賑わい、みんなが春の訪れを喜んでいるようだった。

春季(しゅんき)春機(しゅんき)ってね)

 春機とは性的な欲情、性欲のこと。

 結美は笑えないダジャレを胸中で独りごちてから、現実から目を背けるために目を閉じた。



 まっすぐ歩けなくなるほど酔っ払った香緒里をタクシーで連れて帰り、結美はようやく人心地ついた。

 ソファーで軟体動物のようにぐでんと横になっている香緒里に水を飲ませながら溜まっていた鬱憤をぶちまける。

「まったく、こんなになるまで飲んで……。これで自分が何を話したか忘れてたらぶん殴るからね」

「だいじょ~ぶ、覚えてるよ~」

「はぁ……私もう野川さんたちと顔合わせられないよ……」

「私は月曜からまた会うけどね~」

「ほんとそれ。どういう神経してたらあそこまで話せるのか知りたいくらい」

「だってさ~、みんなが結美のこと褒めてくれるのが嬉しくてさ~。それに奥さんが女友達に旦那との夜の生活について話すのってよくあるじゃん? ああいう感じ」

「……酔いが醒めても同じこと言えるんならその意見を認めてあげようじゃない」

「よ~し、じゃあ明日起きたら真っ先に同じこと言うから」

 寝たまま拳をつきあげる香緒里を見て、どうせ後々思い出して後悔するんだろうな、と結美は悟っていた。

「結美~」

「ん?」

「今日のお花見楽しかった?」

「……まぁ、うん。楽しかったよ」

 色々と恥ずかしいこともあったが、香緒里と一緒に年齢の近い女の子たちと飲んで騒ぐというのはなんだかんだで楽しかった。香緒里の言う通り、二人が恋人同士だと分かった上で受け入れてくれたこともその要因のひとつだろう。

「ふふ、良かった」

 香緒里は満足そうに笑ってから付け加えた。

「でもいっこだけ分かったことがあるんだ」

「なにが?」

「花を見ながら飲むお酒よりも、結美を見ながら飲むお酒の方が美味しい」

「…………」

 結美は香緒里の顔に近づいて、その前髪を手でそっとあげた。

「当たり前なこと言わないでよ」

 そう言って横になっている香緒里にキスをした。

「えへへ、やっとキスしてくれたね~」

 喜ぶ香緒里のおでこをぺちんと叩く。

「こういうのは人前でやらないの。だから――」

「だから?」

「その分二人きりのときにたくさんするの」

 さきほどよりも強く唇を重ね、互いの体温を口と舌で確かめ合う。

 このキスを他人に見せられるのは欧米人くらいだろうか。日本人の結美としては一生誰にも見せたくない。

 結局香緒里は口頭でそれ以上のことを暴露してしまったわけだが。

(さて、これでもし覚えてなかったらどうしてくれようかな)

 明日は二人でゆっくりお酒を飲みながら今日のことについて是非とも語り合おうじゃないかと決めてから、結美は香緒里の頭を優しく撫でた。



            終

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[良い点] 香緒里さんネコなんだ……うわあ………///
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