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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

赤ずきんと狼の殺伐恋愛事情

作者: 深見 鳴

 弾丸の雨が降る。

 狼が身を隠していた木の幹はすぐさま穴だらけになった。リロードのタイミングを見計らって木の陰から飛び出す狼。すぐさまリロードを済ませ、短機関銃で狼を狙う赤ずきん。しかし狼は器用に全弾を避けて、また次の木の陰へと移動する。


「いい加減くたばってくれないかしら」


 アッシュブロンドの髪を三つ編みにした赤ずきんは、真っ赤なフードの下で冷徹なブルーの瞳を光らせた。

 またもや森の中に銃声が鳴り響く。狙われた木の幹が剥がれ落ち、木っ端が散った。このままではそう時をかけずこの木も遮蔽物としての役目は果たさなくなる。狼は大きく息を吸い込み、木の陰から飛び出した。赤ずきんは意外そうに目を見開くが、攻撃の手は緩めない。狼は銃弾の雨を全て目で捉えながら、地を蹴ってジグザグに走った。避け損ねた銃弾が足と頬をかすめていく。目標まで残り十数メートルといったところで、火を噴いていた銃口が静まった。弾切れだ。

 腰の後ろに括り付けていた鞘からナイフを抜き、狼は赤ずきんに肉薄する。彼女は躊躇いもなく両手に持った短機関銃を捨て、両脚のホルスターから二丁の拳銃を抜いた。

 二発の銃声が鳴り響く。

 銃弾は狼を貫くことはなかった。

 彼は見事に銃弾をかわしきって、赤ずきんを土の上に押し倒していた。彼女の首にナイフの刃を当て、その上に馬乗りになる。

 しかし赤ずきんも負けてはいなかった。彼女の右手からは拳銃が離れていたが、左手にはしっかりと拳銃を持ち、狼の心臓に銃口を押し当てていた。


「……しぶとい狼ね。本当に嫌いだわ」

「ああ、そう。でも俺は赤ずきんが大好きだよ」

「そうでしょうね、女泣かせの狼さん。あなたのおかげで何人の赤ずきんが涙で枕を濡らしたことか」


 狼の胸を銃口で抉り、赤ずきんはナイフのように冴え渡った目で彼を見た。


「六人からの駆除依頼よ。大人しく死んで」

「その場合、君の首も掻き切られるけど?」

「構わないわ。あなたがあんなにすばしっこいとは思わなかった。私のミスね」


 少女の細い指がトリガーにかかる。


「おやすみの時間よ、狼さん」


 今にも撃たれそうだというのに、狼は面白そうに口角を吊り上げた。


「いや、そんなことよりもっと面白い選択肢がある」

「面白い?」

「そうさ。それに、合理的だ」


 狼の目が三日月型に細められる。


「君が俺の恋人になればいい」


 人形のように無表情だった娘の顔に、一抹の不快感が滲む。


「ナイフを突きつけながら愛の告白? 面白い冗談ね」

「俺は飽きっぽいけど股がけはしない。君が俺の恋人でいる間は、他の女の子は被害に遭わないってことだ。君も死ぬよりそちらの方がいいだろう?」


 赤ずきんはやはり不快そうなのを隠そうともしなかったが、しばらく考える素振りを見せた。そして、渋々ながらも承諾する。


「……いいわ。ここで死んだらもう狼を殺せなくなるわけだし」

「物騒だなぁ」

「あなたに言われたくないわね」


 憎まれ口を叩き合いながらも、赤ずきんと狼は互いに突きつけていた獲物を同時に離す。銃はガンホルダーへ、ナイフは鞘へと仕舞われた。

 赤ずきんと狼は立ち上がって向かい合う。赤ずきんは上機嫌に笑う狼を見て、今にも舌打ちせんばかりの顔をした。狼は笑顔でそれに応じる。


「恋人ごっこに飽きたら、また殺し合いをしよう」


 こうして赤ずきんと狼の歪な恋愛関係が始まった。



 ◇



「君は戦い以外は何もできないんだね」


 ことん、と出来たてのミートソースパスタを盛った皿を赤ずきんの前に置き、狼は苦笑した。キッチンを破壊しかねない赤ずきんを見かねて、彼が用意したものだった。

 白いナプキンの上にあるフォークを手に取り、赤ずきんはかすかに眉を寄せる。


「悪いかしら」

「いいえ。サラダとスープもどうぞ」


 間を置かず野菜のサラダと白い湯気を立てるコンソメスープが追加される。狼は自分にも同じものを用意して、赤ずきんの向かいに座った。

 彼女はフォークを手に持ってはいるものの、料理に手をつけようとはしなかった。狼は鋭い犬歯を見せて、そんな彼女を嘲るように笑う。


「別に毒なんか盛ってないよ」


 ほら、と言って、狼はフォークでパスタを巻き、口の中に入れる。二口、三口と食べても何も起こらないのを見て、赤ずきんはやっと料理に口をつける。


「警戒心が強いなあ。恋人にそんな酷いことしないよ」

「分からないわ。狼は狡猾だもの」


 パスタを巻きながら、赤ずきんは冷たいブルーの目を狼に向ける。


「私の皿にだけ毒がかけられているかも」


 真昼の光に溢れるダイニングに沈黙が落ちる。近くの木立で小鳥が鳴く音と、風が木々を揺らす音がかすかに聞こえた。

 狼は肩を竦めて苦笑する。赤ずきんは彼から目を逸らして再び料理を食べ始めた。



 ◇



 フードを被って耳を隠し、マスクをつけて牙を隠す。尻尾は長いマントを羽織って隠した。狼はしきりに耳を気にして、フードを取りたそうにしている。


「ねえ、やっぱりこれやめない? 窮屈で仕方ない」

「デートをしたいと言ったのはあなたでしょう」

「そうだね。言わなきゃ良かったと後悔しているところだよ」


 狼は据わった目でそう言った。

 夜ならばいざ知らず、昼の街を狼が徘徊していると大騒ぎになる。狼の街と人間の街は未だ固く境界を分かっており、その境界が曖昧になるのは二つの街の間にある森の中だけと決まっている。


「私があなたの正体をここでバラせば、あなたは袋叩きね」


 石畳の道を歩きながら、狼の方を見もせずに赤ずきんは呟く。耳のいい狼がそれを聞き逃すわけもなく、彼は皮肉な笑みを浮かべて赤ずきんを見下ろす。


「そんなつまらないこと、君がするとは思えないな」


 赤ずきんはフードの下でブルーの瞳を光らせる。その鋭い視線を受け止めて、狼は大げさに肩を竦めた。

 ここで狼が狼であることをバラせば、大勢の狩人が集まって彼を殺そうとするだろう。だが彼もただではやられない。きっと関係のない人が大勢死ぬ。

 それを狼は「つまらないこと」と言ったのだ。


「ああ、耳がムズムズする」


 フードを押さえてぼやいた狼を一瞥し、赤ずきんは近くの屋台へと向かった。

 豚肉の串焼きを二つ買って、店番の男に硬貨を渡す。彼女は狼のところに戻ってくると、串焼きを片方差し出した。


「あげるわ」

「おや、優しいね」

「耳も牙も封じられた狼が哀れになったの」


 人々の雑踏から隠れるよう路地裏に入り、二人はめいめいに串焼きをかじった。



 ◇



 扉に手をかけた赤ずきんは、思ったよりも軽い手応えに眉をひそめた。鍵がかかっていない。拳銃のグリップに手をかけながら扉を開ける。音もなく開いた扉の向こうには、なんの変哲もないリビングがあった。真昼の光に包まれたその部屋の中央で、狼がソファに横になっている。彼は靴も脱がず、腕を組んで居眠りしていた。


「不用心ね」


 小さな声で囁く。拳銃にかけた手は離さない。

 靴音を立てぬよう細心の注意を払って、彼の眠るソファに近づく。

 ホルスターから拳銃を引き抜き、その額に突きつけた。慣れた手つきで安全装置を外し、狙いを定める。

 だが白い指先が引き金にかかる前に、狼の手が銃身を掴んで銃口を逸らした。指が引き金に当たって暴発してもおかしくなかったが、部屋の中は静まり返ったままだ。

 眠っていたはずの狼は、いつの間にか金色の目を開いて口角を吊り上げていた。


「駄目だよ、赤ずきん。構えたらすぐに撃たないと」


 狼は赤ずきんの手から拳銃を毟り取り、ソファの後ろへ放り投げる。


「この距離で外す君じゃないだろう?」

「最初から起きてたのね」


 口惜しげに舌打ちした赤ずきんに、狼は答えない。彼は無防備に寝転んだまま、赤ずきんの顔を見つめていた。

 銃を取り上げられた右手に、狼の左手が絡められる。

 赤ずきんは目を見開いて咄嗟に身を引こうとしたが、それよりも狼が彼女の手を引く方が早かった。手を引っ張られた赤ずきんは、床に膝をつき狼と至近距離で見つめ合う。


「……何? 離して」


 狼は答えない。代わりに、赤ずきんの指と自分の指とをそっと絡める。手のひらの温度が伝わる。

 元々近かった顔が、頬に息がかかるほど近づけられた。もう少しで唇が触れ合いそうになる。

 すんでのところで、赤ずきんは狼の手を振りほどいて頬を引っ叩いた。


「いった……」


 狼は叩かれて赤くなった頬を押さえて呻いている。赤ずきんは冷ややかな目で彼を一瞥し、立ち上がった。彼女は足早に玄関まで行き、乱暴に扉を閉めて出て行く。

 残された狼は、ため息をつきながら体を起こした。叩かれた頬が熱い。


「……なんであんなことしたんだか」


 自分自身に呆れながら、足を組む。ソファの背もたれに頭を預けた。


「あんな凶暴な女」


 ちっとも可愛くない、と天井に向かって吐き捨てた。



 ◇



 さすがに引っ叩いたのはやりすぎたと、赤ずきんは反省した。腹が立つし認めるのもおぞましいが、曲がりなりにも恋人同士なのだから、拒否するにしてももう少しやりようがあったはずだ。

 翌朝、もう一度狼の家を訪ねた。森の中にひっそりと佇む、狼らしからぬ清潔な木造の家だ。裏手から正面に回り込もうとした赤ずきんは、話し声が聞こえるのに気がついた。建物の陰からそっと様子を伺うと、戸口で二人の男女が話している。男はダークブロンドの髪に金色の目の男——狼だ。女は赤みがかった金髪に、彼と同じ金色の目をしていた。狼の耳と尻尾がついているのを見るに、彼の同族だろう。

 二人の距離はやたらと近かった。鼻先がくっつきそうになっているし、女の細腕は男の首に回されている。しなやかな手足に女性らしい丸みのある体つきをした、女から見ても魅力的な女だった。赤いスカートの裾がひらひらと風に踊っている。

 赤ずきんは踵を返して街に戻った。


「……きっと恋人ね」


 人間と付き合うよりも狼と付き合う方が何かと面倒が少ない。デートするにも苦労しないし、殺し殺される心配もない。合理的だ。

 ——なら、私はなんなの。

 どん、と手近な木の幹を拳で叩いて、思考を消す。考えてはいけないことを考えた気がした。

 街へ戻り、鬱々とした気分のまま家路を急いだ。すぐに帰って寝たい。

 だがその途中、視界の端にかすめたものがあった。赤ずきんは足を止め、苦い気持ちでそちらを見やる。

 色とりどりの服が並ぶそこは、洋服屋だった。



 ◇



 もうずいぶん狼のところへ行っていない。

 赤ずきんはベッドから起き上がり、深く重いため息をつく。


「もういいわ……殺そう」


 そもそも恋人ごっこに付き合ってやる道理はなかった。あの狼を殺せば依頼は完了して、赤ずきんは晴れて自由の身だ。

 ベッドから降りて靴を履こうとした拍子に、床に置いてあった紙袋を蹴飛ばした。倒れた紙袋を見て、赤ずきんは眉を寄せる。

 彼女は紙袋を一瞥してから、手早く身支度をして家を出た。

 街を出て森の中を歩きながら、彼女はよりいっそう眉根を寄せる。

 足元が寒い。風通しがよすぎる。

 赤ずきんは普段、動きやすいようにと上はシャツ、下はホットパンツしか着ない。そんな彼女が、今日はどういうわけかひらひらと裾が揺れるワンピースを着ていた。真っ白なワンピースはシンプルな作りだが、肩や裾部分に花柄のレースがあしらわれている。


「何で私が、こんな格好……」


 理由は赤ずきんにも分からない。ただ何故か買ってしまった服を何故か着てしまった。


「これからあの馬鹿を殺さなくちゃいけないのに……」


 珍しく考え事にとらわれていた赤ずきんは、気づかなかった。背後から自分の後をつけてくる三つの影があることに。

 影は少しずつ赤ずきんとの距離を詰めていく。無防備な赤ずきんの後ろから、木の棒が振り下ろされた。

 衝撃と共に視界がブラックアウトする。

 次に目を開けたとき、赤ずきんは薄暗い小屋の中にいた。淡い光が埃っぽい床を白く光らせていた。

 後頭部が鈍く痛み、顔をしかめる。両手が麻縄で縛られているのを確かめて、赤ずきんは目を細めた。短機関銃も拳銃も奪われている。純白のスカートの裾は木の枝にでも引っ掛けたのか、無惨に破れていた。

 ブルーの瞳が冷たい色を帯びる。

 小屋の隅で酒を飲んでいた男たちが、目覚めた赤ずきんに近づいて近寄ってきた。


「よう、赤ずきんちゃん」

「目覚めはどうだい」


 近づいてきたのは、三匹の狼。いずれも人相が悪く、犯罪の一つや二つ犯していそうな風体だ。

 赤ずきんは低い声で答える。


「……最悪よ」

「そりゃあ可哀想に。これから最高の気分にさせてやるからな」


 揃いも揃って下品な笑い声を響かせる男たちを、床に座った赤ずきんは冷めた目で見上げる。狼が赤ずきんを捕まえて、やることといったら一つしかない。


「何だ、もう始めるのか」


 騒ぎを聞きつけて、奥の部屋からもう二匹狼が出てきた。下卑た雄の狼が五匹。頭の中でこれから自分が殲滅すべき敵の数を確認し、赤ずきんはくっと喉を鳴らした。

 急に笑い出した赤ずきんを、狼たちは気味悪そうに見下ろす。


「……ちょうどよかった」


 隠し持っていた小さな刃で手首を戒める麻縄を切り裂きながら、赤ずきんは狼たちに微笑んだ。


「むしゃくしゃしてたの。憂さ晴らしさせて」


 勢いよく立ち上がり、正面に立っていた男の顎に頭突きをお見舞いする。男の苦しげな呻き声を聞きながら、続けて左の男の腹を蹴飛ばして壁に叩きつけた。


「この女ァ!」


 右の男が赤ずきんの肩を掴もうと手を伸ばしてくる。赤ずきんは逆にその手を掴んで引き倒し、肩に足を振り下ろして脱臼させた。情けない悲鳴が上がる。

 奥の部屋から出てきた二人が同時に銃を構える。だが狭い室内で無闇に発砲はできない。赤ずきんは素早く片方の男に肉薄し、鳩尾を拳で抉った。男が痛みに体を折り曲げ、拳銃を取り落とす。赤ずきんは彼が取り落とした拳銃を空中で拾い上げ、傍らに立つもう一人の男に向けた。男も恐怖に顔を引きつらせ、赤ずきんに銃を向ける。

 ぱん、と鳴り響いた銃声は、一発のみ。

 男は苦しげに呻きながら崩れ落ちた。撃たれた手から血が流れ、拳銃が床に転がる。赤ずきんはそれも拾い上げ、最初の三人の男の元へ戻った。

 頭突きを見舞わせた男の額に拳銃を突きつけて、少女は人形のような無表情で彼を見下ろす。


「どうしたの。最高の気分にしてくれるんでしょう」


 首を傾け、赤ずきんは冷ややかなブルーの目で敵を射抜いた。


「私の気分はまだ最悪よ」


 指先が引き金にかかる直前、小屋の扉が開いて空気が動く。赤ずきんは咄嗟に片方の拳銃をそちらへ向けようとしたが、戸口に立つ人の姿を見た瞬間、彼女は息を呑み動きを止めた。

 赤ずきんの一瞬の動揺を、男は見逃さない。すかさず彼女の顔を掴み、後頭部を壁に叩きつけた。赤ずきんは軽い脳震盪を起こし、男の手の下で呻く。左手の拳銃は蹴り飛ばされ、右手は拳銃ごと踏みつけられた。塞がれた口の中で悲鳴がくぐもる。


「おい、あんたも手伝ってくれよ。この女、赤ずきんのくせに狼に抵抗しやがった」


 男は赤ずきんを押さえつけながら、戸口に立つもう一人の狼に声をかける。

 口を塞がれながらも、赤ずきんは闘志を失わず男を睨め付けている。男は彼女が再び暴れ出すのを恐れたのか、膝を掴んで脚を開かせた。


「ふぐ……っ」


 男の生ぬるい手が太腿を撫で回し、嫌悪感で全身が総毛立つ。必死で脚をばたつかせるが、スカートが破れる音がしただけだった。


「赤ずきんは大人しく狼に喰われていりゃあいいんだよ」


 嫌悪と羞恥で滲んだ視界に、男のおぞましい笑みが広がる。

 だが次の瞬間には、その顔は見えなくなっていた。後ろから伸びてきた手が男の首を掴み、床に叩きつけたからだ。


「ぐ……っ、な、何を……」


 男は困惑した様子で文句を言おうとした。白刃が光を照り返す。男の顔の真横に、勢いよくナイフが突き立てられた。

 深々と床を貫いたナイフを横目に、男はごくりと唾を飲み込む。


「人の獲物は横取りするなって、教わらなかった?」


 遅れて小屋に入ってきたのは、赤ずきんのよく知る狼だった。

 彼はにこやかに微笑みながら男の首を絞め上げる。


「困るなあ、これだから三下は……」


 言いながら、彼は後ろから振り下ろされた木の棒を掴んで止めた。棒を引っ張って背後から襲ってきた別の男を床に引き倒し、取り上げた棒の先をその背中に叩き込む。男は唾を吐き出し、激しく咳き込んだ。


「おまけにせっかちと来た」


 彼は穏やかに笑いながら木の棒をぽいと捨て、床に刺さっていたナイフを引き抜く。


「一人づつ半殺しにしてあげるから、慌てず待ってな」


 宣言通り、彼は五人の同胞を十分足らずで血塗れにした。血を吐きながら謝罪する男を無慈悲に蹴って部屋の隅に転がした後、彼は思い出したかのように赤ずきんの方を見る。

 狼はやけにゆったりとした足取りで赤ずきんの前までやって来て、しゃがみ込んだ。


「何これ」


 破れたスカートの裾を摘まんで、狼は首を傾げた。ふ、と鼻で笑った彼に、赤ずきんは思わず俯く。


「こんなの着て何処に行こうとしてたの?」


 答えられなかった。こんな可愛らしい服は似合わないだとか、急に色気づいてだとか、馬鹿にされると思ったのだ。

 しかし続く質問は意外なものだった。


「人間の男のところ? それとも、他の狼?」


 赤ずきんはこの質問にも答えられなかったが、それは困惑したからだった。どうしてそんなことを聞くのだろう。

 男たちを殴ったせいで血の滲んだ手が、きつく赤ずきんの腕を掴んだ。


「ねえ、赤ずきん」


 縋るような呼びかけだった。


「……あなたの、ところへ」


 思わず素直に答えを口にしてしまい、俯いて唇を噛む。

 しばらく沈黙が続いた。気が滅入りそうなくらい長い沈黙だった。


「そう」


 黙した時間の割に返事はごく短いもので、拍子抜けしてしまう。


「じゃあこんなところさっさとオサラバして、もう行こう」


 軽く手を引っ張られて、赤ずきんは慌てて首を振った。


「今日は帰るわ」

「何で。久し振りに会えたんだから、少し話そうよ」

「今日はいや」

「どうして」


 赤ずきんが答えずにいると、狼は痺れを切らした様子で彼女の顔を覗き込む。赤ずきんは必死に顔を逸らしたが、逃げようがなかった。

 狼の金色の瞳が大きく見開かれる。

 その目には、真っ赤になった赤ずきんの顔がさぞよく見えたことだろう。


「……見ないで」


 絞り出すように懇願した赤ずきんの顔を、狼は執拗に下から覗き込む。とうとう頬と頬が触れて、鼻先が重なった。唇に柔らかいものが当たって、かすかに口の中に血の味がした。

 おかしい。口の中は切っていないはず。

 かすかに眉をひそめたのと同時に、狼が体を離した。

 ぺろりと舌舐めずりする彼の口元を見て、赤ずきんは更に真っ赤になる。誰かに反撃されたのか、彼の口の端は切れて血が滲んでいた。


「……こんなんじゃ全然足りないな」


 不満そうに呟くと、狼は赤ずきんの手をもう一度引いた。


「ほら、早く家に帰って続きをしよう」

「……あの女の人は?」

「女?」

「赤いスカートの……」


 ああ、と狼は合点がいった様子で頷いた。


「それ、いつの話? とっくに追い返したよ」


 狼は呆れたように笑って、こう続けた。


「最初に言ったじゃないか。俺は飽きっぽいけど股はかけないって」




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