-88-:君の希望など、現実の前には儚いものだという事を
再び、黒玉門前教会にて。
霜月神父がリビングルームに戻ってきた。
「随分と長い―。っと、これは失礼」
訊ねておきながら、ライクは自らの無礼に苦笑した。
「いや、構わないよ。少し風に当たって酔いを覚ましていたものでね。前もって言っておけば良かったね」
告げつつ、果たしてロボたちはココミたちの救出に間に合ったのだろうか?中国軍が手荒な真似をしていなければ良いのだが…。色々と不安は絶えない。
「では、続きを聞こうか」
ソファーに浅く座ると、霜月神父は前のめりになって本のチェス盤に目を向けた。
[第21手」
白c4:ココミは行く手に3騎のポーンが待ち受けているにも関わらずに、果敢にもポーン(ベルタ)を1マス前進させた。
黒c5:ライクも容赦しない。まずは白ポーンの頭を押さえるべくc7のポーンを2マス前進させて白ポーンの動きを封じた。
[第22手]
白g4:ココミはチェスのルールを把握していないのか?本来のチェスのルールであるならばf4ビショップとh4ナイトを守っているはずのg3ポーンを1マス前進させてきた。
もしかして、アンデスィデ対策に密集形態をとったのか。
黒d5:d6ポーンを1マス前進させて、先程のc5の隣りに布陣した。
ベルタはこの駒を取ることは出来ないだろう。
例え2騎のポーンを下しても、f6ナイトとd8クィーンが効いており、上位騎相手に連戦を挑むのは無謀と心得ているだろう。
[第23手]
白e3:キングを守るe2ポーンを1マス前進させた。
f2、e3、f4ビショップと、駒にとりあえずの守りが効いている。
黒b5:b6ポーンを1マス前進。
これで3騎のポーンが横一列に並んだ。
霜月神父は驚きを隠せないでいた。
“アンデスィデ”なる特別ルールが加わる事でこれほどまでにチェスというゲームが様変わりするものなのか?
クィーンサイドに位置する白駒が2つと壊滅的な状況ではあるが、ポーンであるにも関わらずにベルタの強敵感は戦局を左右しかねない。
公平な立場を表明しているが、ベルタがこの状況をどう切り抜けるのか?思わず期待してしまう。
そして。
[第24手]
白Be3:f4ビショップをe3へと移動。
f6黒ナイトに睨みを効かせた。
黒Nh5:そのf6ナイトをh5へと避難させた。
これまでの流れを見て、イニシアティブは常にライク側にあった。それが、たった一度ココミが攻め手に回ってライクは退散を余技無くされた。ただ、それだけなんだよなぁ…。それが懺悔をしたい理由なのか?やはり理解できない。
「ココミはベルタにすがっていてはダメなんだ。もっと強いマスターを得て僕に挑んでくれないと」
「ライク君?何を言っているのかな?」
呟いたライクに説明を乞いたい。だけど、彼の意図が理解できないと、何を訊ねればよいのか判断できない。
不意にポケットにしまっていたスマホのバイブ機能が作動した。
「ちょっと失礼」
ライクに断りを入れてスマホを確認する。
ウォーフィールドからメールだ。メールを開いた。
中国軍の排除を完了。
ロボには引き続き遺体と装備の処理を、アルルカンには監視の続行を依頼いしました。
(別に私は報告など求めていないのだが…)
確認を終えると、困惑を隠せぬまま静かにスマホをポケットにしまった。
「ココミ。次の第25手で思い知るが良いよ。君の希望など、現実の前には儚いものだという事を。そしてまた必死に捜しなよ。僕たちを倒せるマスターを」
[第25手]
白Qd1:a1クィーンをキングの隣りd1に戻した。
「今更クィーンを仕向けても遅いよ。ベルタなんて、ガラスの希望など僕が打ち砕いてあげるからね」
盤面に向かって笑みを浮かべるライクを眺めながら、霜月神父は異様ではあるが、彼が元気を取り戻してくれて素直とはいかないが安心した。




