-339-:アンパッサンかぁ…。懐かしいですね
教会内が割れんばかりの拍手喝采に包まれた。
極東地域で行われていた白側:ココミ・コロネ・ドラコットと黒側:ライク・スティール・ドラコーンの両者が繰り広げた魔導書チェスは、ココミが勝利を収めて幕を閉じた。
「おめでとう!ココミちゆわぁん!」
勝利を祝福してくれたのは黒玉門前教会の神父、霜月・玲音。
あまりにもココミにベッタリな神父サマの姿に、クレハはドン引き、唖然とした。
「もしかして、あのおじさん、いつもあんな風にココミちゃんに接しているの?」
問いたいけれど、ジョーカーの事もあり、ココミ本人からはかなり距離が離れてしまっている。
なので、ただの呟きに終わってしまうと思われたが。
「そやで。あのオッサン、いっつも酔ったらウチらにベタついてくるんや。酒が回ると、誰にも相手されへんからね」
中学生に上がったばかりの子供を持つお父さんかよ…。
向けばルーティが缶コーラを手に戻って来てくれていた。
「ほい、飲み物」
早速差し出してくれた。
散々待たされて喉はカラカラ。しかも待っている間、ジョーカーとも会話をしたし。
ルーティが持ってきてくれた缶コーラは、あいにく常温で、冷えてはいなかったが、この際贅沢なんて言っていられない。
プルを引いても、頼りない炭酸音を出しただけの缶コーラに口をつけ、ゴクゴクと喉を鳴らして飲む。
あまりにも急いで飲んだので、途中で吹きだす事もあったけど、とにかく今は喉を潤したい。
「そんなに急いで飲まんでも、誰も取らへんがな」
クレハの姿に呆れ返っている。
「で、クレハ。えらい皆と離れてるけど、アンタ、皆に嫌われるような事でもしたんか?」
ひどい勘違いだ。
ベルタがジョーカーに身体を貸してしまったばかりに。
そもそもルーティ。貴女の身を守るためにベルタを召喚したというのに。
「放せばゲッフ、長いんだけどね」
告げるも、途中でゲップが漏れてしまえば、全くサマにならない。
―数日後―。
鶏冠井剣道場にて。
道着に着替えた高砂・飛遊午と草間・涼馬が向かい合って正座していた。
共に左側に木刀を置いて。
「高砂・飛遊午。せめて面だけでも着けなくて良いのか?」
リョーマが訊ねた。
「お前の超音速剣へのささやかな対抗策だよ。少しでも身体を軽くしておきたいからな」
面だけではない。胴も小手も身に着けていない。
ヒューゴを守るのは何もない。
「そうか…。では僕もそうしよう」
リョーマも身に着けている防具を全部脱いでしまった。
「お、お前・・少しはハンデをくれても良いだろう?」
条件が対等というには、リョーマの剣は反則的と言えるほどに超高速のものだ。
何せ音速の壁を突き破ってくるのだから。
「僕は全力の君と戦いたい。そして僕自身が全力で挑むのは剣士としての礼儀でもあるのだよ」
別に無礼でいてもらっても構わないのだが…。
「それよりも高砂・飛遊午。あれほど僕との試合を避けていた君が、どうして急に受ける気になったのか?理由を聞かせてもらえないか」
リョーマ自身も信じられないといった表情だ。
すると、ヒューゴは両手を胸の前で握りしめているココミへと視線を移した。
「アイツが全てを出し切って戦えるようにしてやるためだよ」
ヒューゴの答えに、リョーマは首を傾げる。
―その前日―。
夕方、買い物の途中で、ヒューゴは偶然バッタリとココミと出会った。
ライクとのグリモワールチェスを終えて以来、久しぶりに顔を合わす。
次に行われるミュッセ・ラーン・ペンドラゴンとの対戦は、アンデスィデを発生させない正真正銘のチェスで行われる事から、もはやヒューゴたちこちらの世界の人間たちの霊力を必要としていなかった。
なので、ココミはマスターたちと一切の連絡を絶っていた。
「お久しぶりです。ヒューゴさん」
声を弾ませて、ココミが寄って来た。
「久し振り。元気にしていたようだな」
もう無理難題を押し付けられる心配も無いので、快くココミに挨拶した。
「次の対戦はいつからなんだ?」
ヒューゴが訊ねた。
するとココミは何故だかふくれっ面を見せて、ヒューゴの脇腹に肘鉄を食らわせた。
「痛った」
「9月1日からで、まだ一ヶ月以上ありますが、グリチェスの事を考えるとガチガチに緊張しちゃって夜も眠れていないのですよ」
だから、あまり触れて欲しくないのは解るが、いきなり肘鉄は勘弁して欲しい。
「夜は眠れていなくても、しっかり昼寝を取っているとか言うなよ」
冗談のつもりが、図星だったようで、ココミは知らないとばかりにヒューゴに背を向けてしまった。
あばら骨がやられたのでは?と思う程に、未だにジンジンと脇腹が痛むが、やはりココミの事が心配でならない。
「少しはネットチェスとかで練習しておけよ。またアンパッサンなんて食らったら、承知しないぞ」
その前にフールズメイトも食らってくれるなと願いを込めて。
「アンパッサンかぁ…。懐かしいですね」
後ろから吹きつける風にあおられる髪を、ココミは手で押さえた。
アンパッサン。
まだ初動もしていない兵士の駒の斜め前に、敵側のポーンがいる場合、その斜めの敵ポーンを獲らずにポーンの駒に設けられた初出のみ2マス前進の権利を行使した際に、相手の駒に獲られてしまうポーン特有の特殊ルール。
伏兵とも言う。
ポーンの駒が持つ最も難解なルールで、特に初心者は引っ掛かり易い。
ココミも例に漏れず、ベルタの駒を2マス動かしてしまったために、ソネの駒に獲られ、不本意にもアンデスィデに突入してしまった。
そして色々あって、ヒューゴはベルタのマスターとなり、アンデスィデを戦い抜いた。
全て出たとこ勝負な、散々な目に遭わされたアンパッサンではあるが、今となってはとても懐かしい思い出でしかない。なので。
ヒューゴは全然ココミを恨んだりしていない。
むしろ感謝している。
「ありがとうな」
「何ですか?いきなり」
突然お礼を言われて、ココミは困惑しながらも笑顔を向けてくれた。
ヒューゴが改まってココミへと向いた。
「俺は、ココミたちと出会った事によって、知力・体力全てを出し切って戦えた。燃え尽きるつもりなんて一切無いけど、今後あれほどまでに全力で何かを成す事なんて、人生この先、もう無いだろう」
感謝の気持ちを述べて、最後に頭を下げた。
「そ、そんな…。ヒューゴさんには恨まれこそすれども感謝なんて。こちらこそ、本当にありがとうございました!」
ココミも頭を下げた。
お互いほぼ同時に顔を上げると、何故かしら、笑顔がこぼれた。
が、いきなりココミの笑顔に影がかかった。
「さっきヒューゴさんが心配して下さった私の練習なのですが、黒玉の神父さん相手だけだと、何かと不安で…」
大方そんな事だろうと予想はしていたが、それではほとんど準備不足じゃないか。
まったく手の掛かるお姫様だ。




