-336-:知らない事、覚えていない事は、別に不幸だとは私は思いません
―ボクは今まで、本当に生きていたかい?―
訊き返したのは良いけれど、彼女ジョーカーの言っている意味が、まるで解らない。
ベルタは彼女が知りたいと思う、一体ナニに感情を流され、我が身を貸し出そうという気になったのか?
そもそも、彼女の言う“今まで”とはどのくらい前を差すのか?
250年前に行われた前回の王位継承戦において、ワイルドカードとして創造されて以来、ずっとこちらの世界で生き永らえてきた。
どの国で?どうやって?何を求めて生活してきたのか?
そっちを先に知りたいわ!
「ごめん。何を言っているのか?ゼンゼン解らないな…。一旦ベルタと代わってくれるかな?彼女の意見も聞きたいし」
ワケの解らない質問に答えるよりも先に、どうしてベルタがジョーカーの願いを聞き入れようと考えたのかを聞いておきたい。
「!?ッ。どうして私は甲冑を纏っているのですか?」
何の前触れも無く意識を交代したせいで、ベルタは現状を把握できずにいた。
周りに取り囲まれ、警戒されている今の状況に、正真正銘戸惑っている。
あぁ…何て面倒くさい…。
「みんな、しばらく私とベルタだけにしておいてくれないかな。二人だけで話をしたいから」
すると、皆は二人から一定の距離を置いて遠ざかってくれた。
依然周りを取り囲まれている状態に変わりはないが。
「オトギちゃんも、お願い」
クレハの言葉に素直に従い、オトギも席を外してくれた。
「さて」
何から話そうか。首をコキッと鳴らす。
皆が距離を取って、静まり返った教会内では、そんな音さえもハッキリと皆の耳に届いてしまう。
きっとこれからの二人の会話も、みんなには丸聞えなのだろう。
でも、構わない。かえってその方が都合が良い。
それでは会話に入りましょうと、クレハが切り出した。
「取り敢えず正マスターとして命令するわ。ベルタ、そこに直れ!」
ベルタの足下を指差して命令するも、ベルタは??その意味を理解してくれない。
「あの…直る?治る?私はどこもケガなどしていませんが」
全く意味を理解していない。
「足元を指差して命令しているのだから、そこは察してよね。つまり“正座。”せーいーざッ!正座するのよ」
ようやく意味を察してくれたベルタは困惑した表情を見せて、その場に正座した。
「よろしい。では、どうしてジョーカーなんかに身体を貸し出したりしたの?今まで誰も知らなかったじゃないの。もしも危険な状況に転がり込んだらとか考えもしなかったの?」
質問を始める前に説教してやらないと気が収まらない。
答えが同情とかだったら、皆が見ている前であろうと、この場で思いっきり蹴り飛ばしてやる。
それほどまでにクレハは内心憤慨していた。
ベルタの唇が動いた。
「私も生物の種として、とても孤独でした。ですが、彼女は、ジョーカーは私以上に孤独で。その、下らない王冠の取り合いのためだけに創造された唯一人の存在であって。そんな彼女の命が、今まさに消えようとしているのに、最後の言葉も残せないなんて、とても憐れに思えてなりませんでした」
やっぱりこのバカは同情して、このような愚行に走っていやがったか…。
だから何だと言うのだ。
元々生物としてのレールから外れて生まれてきたのだから、消えて無くなっても、誰にも被害は及ばない。
しいて言うなら、ジョーカーの存在は“ゲームのキャラ”みたいなもので、死んだとしても、一時的にその死に何かしらの感情を抱く者がいるかもしれないが、まったくといって実害は無い。
「よろしいですか?ベルタさん」
遠くに距離を置いているココミが手を挙げて声を掛けてきた。
突然の割り込みに、クレハは気を悪くすることなく、快く承諾。「言いたいコトがあるなら、どうぞ」
ココミは一歩前へと出ると。
「前回の王位継承戦を終えて、ベルタさんは長らく冬眠に入られていたから御存知無いのでしょうが、今この場にいらっしゃらないオロチ様ならご存知なはず。王位継承戦を終えて我々が元の世界に戻れば、こちらの世界の方々から、我々との間に培った記憶はすべて消えて無くなるのですよ」
ココミから今更ながらに語られる衝撃の事実。
マスターを務めた一同が驚きどよめいた。
「俺たち、忘れてしまうのか?ココミ、お前たちの事を」
かすれた声で訊ねるヒューゴにココミはコクリと頷いた。
「では、今まで起きた、いや、君たちが巻き起こした事件や破壊活動は…」
「全て自然災害や事故として処理されます」
原因が判明しない以上、そういった結果に至ってしまう。
質問を投げ掛けたリョーマは近くにある長椅子へと力なく腰掛けた。
「馬鹿な…。僕がこの数週間での体験や記憶がすべて無かった事に…」
焦点が定まらない目をして呟き、そして隣に立つダナへと目をやる。
そんなリョーマの力の無い眼差しに耐えきれずに、ダナは辛そうに眼を閉じて顔さえも背けてしまった。
「インストールされた情報の中にも、そんなものは無かったわ」
オトギも詰め寄る。
「グラムに色々言ってしまって、申し訳なかったと思うのに…」と付け加えて。
胸に抱いた後悔の念さえも消えて無くなると思うと、切なくなってしまう。
コールブランドの肩に添えられているタツローの手に力が込められた。
「君は、その事実を知っていて僕たちに伝えようとはしなかったんだね」
裏切られた気持ちで一杯だ。
以前にも、こんな事があった。それはミルメートダートの存在を、あえて伏せていた事。
コールブランドはタツローへと向く事もせず、申開く事すらしない。ただ。
「主従の間柄とはいえ、お互いを隅々まで知り得る必要は無いと存じます」
言っている事は正に正論ではあるけれど、いずれ訪れる別れの時すら無としてしまうのは、いささか事務的ではないだろうか?
「知らない事、覚えていない事は、別に不幸だとは私は思いません」
これがコールブランドの見解だ。
そんな彼女でも、タツローへと向けば、その目に涙をためている。
周囲で繰り広げられている様々なやり取りを目にして、ベルタはクレハへと向き直った。
「こうなる事を知りつつも、ジョーカーは自身が生きた証を立てようとしていたのです。これが、私が彼女の言葉に耳を傾けた理由なのですよ。クレハ」
魔者たちと、それほど深く絆を築いていないクレハには、少し理解し難い話であった。




